第一節 三人の動き
「……」
武家作りの家屋の中。
然程距離を空けることもなくその二人は対峙していた。……上座に座るのは東の祖父、夜月重虎。齢九十を超えるその肌には年月を経て皴こそ刻まれているものの、鍛え抜かれた肉体と目の光とは未だ衰え切っていない。元々片親だった父が異形との戦いで早くに命を落として以後、長らく東の後見人となってきた人物であり、彼にとって縁の深い相手であることは確かだった。
その視線を東は下座にて迎えている。慣れない正座を保っている時点で居心地は良いはずも無かったが、それも致し方のない事だろう。……自分がかつてこの家にした仕打ち。そして今ここに来る原因を作っている、頼み事の内容を踏まえれば。
「いきなり訪ねてきた挙句に、一度返還したはずの四刀含め、今度は六刀を貸し出せ……とは」
重々しく。威厳すら感じさせる口調で、重虎が口を開く。
「また随分と手前勝手な振る舞いがあったものだな。――東」
「……」
沈黙のままにその言葉を受け入れる。……厳密に言えば、この状況自体はいきなりという訳ではない。東が祖父に対し取次ぎを申し出てから現時点では既に六日目。その間の朝昼晩、東は一度足りとも欠かさずに目通りしたいという旨を伝え続けた。その甲斐あってか、今漸く祖父との対面に漕ぎ着けているという次第だったが……。
「……唐突に、無理のある要望をしてることは謝る」
この交渉の内容自体については、そもそもこちらの分が悪い。それを意識しながらも、何とか自らの意志が通るようにと東は言葉を繋いでいく。
「事情は話したはずだ。今回は、俺の我が侭って訳じゃない」
「……」
恐らくは自分と祖父との間で最も深い確執となっているだろう箇所……一か八かで其処を突いてみたものの、重虎の表情は依然として芳しくない。
「……例の蔭水の遺児か」
そのことは表情だけでなく、発された声そのものにも色濃く表れていた。
「それが儂と、何の関係がある?」
発された声音は、彼我の間に越えられぬ壁を建てるかの如く重々しい。
「《救世の英雄》。外部との繋がりを持ったことも、協会との接触も。……何もかも、全てお前自身の問題だ」
その重さを確かなものにするように積み重ねられていく言葉。
「ならば口先でどう取り繕おうとも、やはりそれは――」
置かれた一拍は決して、東に心の用意をさせるものではなかった。
「ただの、お前の我が侭に過ぎぬのではないか?」
「……」
東は沈黙する。……そうだ。
どれだけ取り繕おうとしても。全てが自分に端を発していることに変わりはない。この祖父を相手に、そこを認めなければ。
「……どうか」
先へは進めない。畳に手を突く。――黄泉示の為。今の自分に出来ることは――。
「頼む」
――これくらいしかなかった。
「……ふん」
そんな東の態度に何を思ったか、重虎は一つ鼻を鳴らし――。
不意に立ち上がると、障子を開けて部屋の外へと出て行ってしまう。
「お、おい?」
思わず頭を上げ、掛けられた東の声に応える反応はない。訳も分からないまま止むを得ずそのままの姿勢で待機していた東に――。
「――そら」
間を置かず。ぞんざいに投げ渡されたそれを反射的に受け止める。
「持って行け」
東の腕の中にあるのは、夜月に伝わる宝刀の納め箱。……伝わってくる重さ。重虎に一瞬視線を遣り、蓋を開ける。――計六振り。手入れが為され美術品の如く丁寧に仕舞われてはいるが、かつて東が戦場で慣れ親しんだ宝刀の姿がそこにあった。そして、新たな物も。
「……良いのか?」
「嫌ならいいぞ」
余りに呆気ない交渉の決着に口を突いて出た声は、これまた即座に素っ気ない一言で返される。正直この交渉の終結は何時になるか分からない、少なくとも一月は粘る必要があるかと覚悟していたのだ。
「……恩に――」
「礼などいらん」
皆まで言わせることなく、重虎の声が再度頭を下げ掛けた東の所作を遮る。
「どの道今の夜月家に、それを扱えるだけの剣士は残っておらんからな」
祖父の言葉が東の胸を穿つ。……此処に来た時から気付いていた。かつての自分の行いが生家にどれだけの害を齎したのか。その責を今更ながらに噛み締め、東はただ項垂れる。
「……儂も含めてな」
小さく付け加えられた一言。自嘲か、同情か。どちらにせよ祖父にしては余りに力ないその声を聞いた時、東は己の全てを投げ出してでもこの老人に償いをしたい衝動に駆られた。
――だが、ここに来てそれは許されない。
今の自分はもう一つ大きな責任を負っている。それを果たす為に、自分は此処に来たのだから。
「それと、お前には伏せていたが……」
話題を変えた重虎に、東は再度頭を上げる。
「昨晩魔術協会から連絡があった。あちらもお前になにか頼みたがっているらしいぞ」
「……っ」
――何かあったのか?
一抹の焦りが過る。東の前で、重虎は表情を変えることなく淡々と言葉の先を続ける。
「『死椿』については知っているな?」
「……ああ」
知っている。東はそれを承知で、あの時その一刀を持ち出さないことを選んだのだ。
「ならいい。残る『枯菊』についてだが――」
「……変わるものだな」
出て行った孫。その後ろ姿を見送って、重虎は静かに呟く。
東には告げなかったが、協会からの連絡の内容はそれだけではない。
三大組織の合意。それを以てして、夜月東に六刀を一時貸し出すようにとの要請が含まれていたのだ。実質的にはそれは要請ではなく、命令といって差し支えないもの。自分たちの戦力として使う為なら、矮小な組織の道理を捻じ曲げることすら厭わない……。例え裏にいかなる事情があったのだとしても、そんな組織の態度に重虎は相変わらず嫌悪感を禁じ得ない。
そんなことで重虎は家宝である六刀を東に貸し与えるつもりなど更々無かった。そもそも零落の一歩を辿っている今の夜月家に、組織に尾を振ってまで守る様なものなど残されていない。
かつてこの家を見捨て、《救世の英雄》と呼ばれるようになった頃通りの東であったなら、幾度頼まれようと重虎はその首を横に振り続けただろう。
だが――。
「……」
今し方目にした光景を思い返す。……あの東が、確かに自分に向けて深々と頭を下げてみせた。
重虎の記憶している限りでそんなことはこれまでに一度たりともない。『救世の英雄』などという大層な称号を得た後も前も、彼は決して人に頭を下げない人間であったからだ。
「……あの歳で漸く一人前か」
そう呟く。一日たりとも休むことなく鍛錬の日々を送ってきたとはいえ、自身ももう九十の半ば近く。凡百の有象無象相手ならいざ知らず、一線に立てるような状態ではまるでない。孫があれだけの年齢になっている時点で、そのことは推して知るべしか……。
「……」
頬を撫でる風を感じ、重虎は空を仰ぐ。今日とて重苦しい曇天。重虎の好む青い空は、分厚い雲に覆われたその向こう側に隠されてしまっている。……この空のように、太陽はもう、自らを照らし出すことはないだろう。
今は違えども、東にもやがて同じ時間が訪れる。そしてその時一線に立つことになるのは――。
「……」
如何ともし難い時勢の流れ。普段特別意識することのないそれらを、いつになく肌身に自覚して。
重虎は人払いのしてある屋敷の中へと一人、振り向くことなく戻って行った。
「――全く、一時はどうなることかと思いましたよ」
品格のある中にもどこか風変りさの足された調度品。見慣れた部屋の中で、部下はそう安堵の息を吐く。
「しかし、ボスは流石ですね。私らがあれだけ窮地に立たされた連中を、戻って来るなり一掃しちまうんですから」
「……」
「こんなことなら、最初からボスが出て来てくれていれば――」
そこまで言ったところで部下の男は気付く。……ボスは確か、息子に関わる用事でここを空けていたのだ。
レイルの部下たちにとっては周知の事実だが、ボスにとって息子とはこの組織に匹敵するだけの価値がある。それに駄目を出すような発言をしたとなれば――!
「ってのは勿論冗談ですが……」
身の危険を感じた男は直ぐ様言葉尻を切り替える。この変わり身の早さこそ、彼がレイルを相手にして今までどうにかやって来られている最大の理由であると言って良かったかもしれない。
無論能力の高さもあるにはあるが、レイルを前にした場合はそれ以上に相性というものが大事であることを男は良く心得ていた。……能力に関する多少の優劣などこの人の前で大した意味を成さない。重要なのは如何に機嫌を損ねないかどうか、それだけだ。
「……」
しかし。七秒近くが経過した時点でも、レイルから男が予測していたような返礼はない。
「……どうしたんですか? ボス」
「……」
話し掛けても無言のままだ。顎に手をやるその姿は何かを考え込んでいるようにも思える。……通常なら間違いなくそう判断を下す場面だっただろうが、レイルが考え込むような場面など男はこれまで殆んど目にしたことがない。考え込んでいるように見えて大抵は別の行動をしていることも多いのだ。しかし……。
今回に限ってはどうやら本当らしいと言うことがいい加減男にも分かり掛けて来ていた。……仮にも十五年の間レイルの側仕えを務めてきたのだ。流石にそのくらいの人を見る目はできている。
「――よし、決めた」
口にして急に動き出すレイル。手元の万年筆で、紙に何事かを書きつけて。
「この内容を全員に伝えてくれたまえ」
「――分かりました」
軽く差し出された紙を受け取りながら男は言う。……全員に、とはまた珍しい。こういった連絡は大抵が必要のある何人かに行うもの。一様に全員に知らせるとは、即ちそれだけ大勢に関係する事項だと言うことでもあり――。
「――」
内容を把握するために目を通して、絶句する。……紙に書かれていたのは。
「明後日から四日間、短期の集中強化訓練を行う。――私が教官に当たってね」
……強化訓練? 言葉に蘇る記憶。傍仕えとなるに当たって男はレイル手ずからの強化訓練という試験を受けたことがあった。――尋常でないあの過酷さ。
単純な能力の高低ではなく、忍耐があのとき自分を合格させたのだということを後から振り返って男は重々承知している。間違いなく男の人生における最大の難所。ただの試験であれだけ過酷であったものが。
「私がいないと回らないようでは不甲斐ないからね。今回の件に対する、ある種の罰と言うことになるかな」
訓練として短期に集中。それも同じく直々にと言うことであれば、どれほどの。自分たちの身に訪れる試練の重さに身を震わせながら……。
「y、yes」
男は六日後にも同僚たちが無事残っていることを、ただ祈った。
「――こんにちは。エアリー殿」
「あら――」
予期せぬ客人の来訪に、エアリーは驚いたような素振りをして見せる。……といっても完全に演技というわけでもなく、実際に驚く気持ちがある程度あったことも事実だ。
「こんにちは。……体調はもう良いんですか?」
「ええ。お蔭さまで」
エアリーの笑顔に男も笑いながら言葉を返す。――先日、教会の雑事……主に子どもたちの世話でボロ雑巾のようになった男を聖戦の義に引き取らせ、エアリーは再びこの孤児院を兼ねた教会へと戻ってきた。見付けた時には息も絶え絶えになっていたので、てっきり懲りて別の人間が来るだろうと予想していたのだが……。
「……」
こうして今目の前に立っているからにはそれなりの骨があったらしい。エアリーの言葉に笑顔で返す余裕もある。回復したと言うのは事実のようだ。
「それで、今日は何の御用ですか?」
エアリーは尋ねる。――また何か要求を突き付けてくるのであれば、今度こそ二度と脚を向けたくなくなるほどの労働を押し付けることにしよう。そんなことを考えていたエアリーの前で。
「……これを」
男は多くを語らないまま、一枚の手紙のようなものを差し出した。
「……」
相手の仕草を少し疑問に思いながらも手紙を受け取り――それを目にして、エアリーの表情が変わる。……濃金の蝋に捺された、普段は目にすることのない印章。
――『使徒印封蝋』。聖戦の義の幹部である十二使徒が自身の言葉として何かを伝達する際に用いる印。捺印された封は第四位。使徒の中でもかなり高位のものだ。ただ事ではない。
「……」
それを理解した上でエアリーは落ち着いて封を切ると、中身に目を通す。……読み終えて。
「……」
「……分かりました」
直後にエアリーが出せる言葉は、最早それしか残っていなかった。
「了承の意を得たと聖戦の義に伝えて下さい。……私は、用意をしなくてはなりません」
息を吐きたい気持ちになって、やめる。……致し方のないことだ。何が悪いと言うことでもなく、ただ状況が顚倒を見せただけのこと。
「ジェインがいてくれれば良かったのですが、いつまでもあの子に頼るわけにもいきませんね……」
言いつつ用意に掛かろうとして。
「……どうしました? まだ何か用事でも?」
「……はい」
未だ佇んでいる使者に掛けた台詞。返ってきた台詞は、思いの外真剣な声色で。
「これは、エアリー殿さえ宜しければ、の話なのですが……」
エアリーに話しかけてくる使者。煩わしさを覚えれど、無視するわけにはいかない。そう思いながら――。
「エアリー殿が留守にされる間、この教会の管理を私に任せていただけないでしょうか」
「……貴方が?」
「はい」
「……」
整えていた用意がどこかへ吹き飛ぶ。予想外の申し出。軽い驚きをおくびにも出さず、冷ややかな目で男を見遣ったエアリー。……眼差しにもたじろいだ様子はない。
「動機を聞かせてくれませんか?」
「……エアリー殿であれば、お気付きのことと思いますが」
話し出しは静か。落ち着いているそのことが見て取れる。
「私は信徒として余り優秀な人間ではありません。エアリー殿の勧誘についても、未だに成果を残せずにいますし……」
男の言う通り、そのことにはエアリーも初見の段階で気が付いていた。幾ら自信があるように取り繕って見せても、端々に生来の素直さが滲み出てしまっている。交渉事ごとには向かない性格、かといって戦闘能力が高いわけでもない。そもそも自分のような隠居者へのコンタクトを取らされていたという点でそのことは推して知るべしだっただろう。
「しかし、エアリー殿のご指導を受け、この教会で子どもたちの世話をしている間に……」
男はエアリーから目を逸らし、協会の風景を一望する。
「これもまた神に仕える者としての一つの在り方でないかと、そう思うようになったのです。何よりどうも私にはこちらの方が性に合っているらしい。……謀や殺しの類には、もう疲れました」
そう言って力なく笑う。硬さが消えたというよりは、こちらが本来の表情なのだろうとエアリーには思われた。信徒の名と共に被されていた厚い仮面。それが音を立てて剥がれ落ちたよう。
「本業の方はどうするのですか?」
「エアリー殿の憂いを除く為、と言えばひとまず納得してくれるでしょう。その後はどうなるかは分かりませんが、どうにかします」
ぼかした物言い。その意味が分かるエアリーとしては、眉を顰めざるを得ない。
「聖戦の義を抜ける、ということですか?」
「はい。……恐らくは」
「……」
――聖戦の儀からの、脱退。
口先で言ってのけるのは簡単。しかし実情としてはそう生易しいものではなかった。一度ただの信徒から聖戦の義へ入った以上、基本的に脱退は許されない。病気や怪我などの止むを得ない事情の他、聖戦の義自体から役目を終えたと判断されるまで立場を変えることは許されないのだ。例えそれが、単なる一般信徒への引き返しということであったとしても。
「……」
小さくエアリーは息を吐く。このままこの信徒を行かせてしまったのでは流石に寝覚めが悪い。それに。
「では――」
「さっきの話、少し変えてもらって構いませんか?」
「はい?」
彼の望みは今の自分の問題とも噛み合う部分がある。踵を返そうとして視線を上げた信徒に対し、エアリーは手短に告げていく。
「聖戦の義への返事は保留。信徒を通してではなく、二日後に私が直接交渉に赴くと伝えて下さい。それまでの間――」
微笑みなど浮かべてはいない。久しく他人に向ける、品定めの眼差し……《怒りの使徒》と呼ばれた時代のエアリーの眼が、狼狽する信徒を見た。
「――貴方がこの教会に相応しいかどうか、みっちりと確認させていただきますから」




