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第二十一節 今と過去

 

 ―――

 ――

 ―


 ――それから、一月。


「……よし」


 六度目となる試行。積み重なる錯誤を経て完成させた術式の全容に、永仙は息を吐く。……これで。


「試してみてくれ」

「……」


 良いはずだ。言葉を受けて牢の中にいる彼女が動く。これまでと同じように終わるのではないかとの不安を滲ませた、くすんだ期待の色。表情に浮かべられたその色が――。


「……っ」


 零された震える息と共に、彩度を増す。続いて再度確かめたのだろう。僅かに身体に力を込めても何も起こらない。そのことを理解して。


「――嘘」

「――成功だ」


 裏付ける永仙の言葉と共に、一気鮮やかに花開いた。……世界を変質させる特異な魔力を抑えるための術式の開発。


 例え同格の四賢者であったとしても荷が重いと見て投げ出すような難題をこの短期間で遣り遂げられるとは、当の永仙とて初めから予測していたわけではない。手探りの暗中から模索する中で次第に見えてきたこと。……ただ。


「……信じられない」

「これで外にも出られる。問題は解決だな」


 ――想像通りに困難ではあれど、できないことはない。そんなある種の確信を取り掛かる以前より持っていたことは確かだった。これまでに幾度となく常識を塗り替えてきた自身。己の才気と研鑽、意欲とがあれば、如何なる問題であろうとも対処できる。そのはずだと信じ――。


「――永仙」


 ――その思い通りにやり遂げた永仙に向けて、ルディアが笑い掛ける、


「ありがとう」


 日の差し込まない石牢の中で。彼女の笑顔が、眩しく映った。


 ――


「――まさか、こんな光景を見られる日が来るとは」


 日の傾いている町中。宿屋の広間にて座る永仙の隣に腰を下ろすのは、あの老人。宴の始まりから、目を逸らすことなく眺めている――。


「術式の効果は基本的には半永久的に続く」


 視線の先には新しい洋服に着替え、町の人々と話をしているルディア。……恐々とした遣り取りはどこかぎこちなく。まだ互いに慣れない様子はあるが、それでも彼女は人々の間に受け入れられ始めている。木彫りの杯を片手にそのことを見て取りつつ、永仙は自らの為した業について補足を口にする。


「ルディア自身の力から動力を調達するように設定してあるからな。綻びを防ぐため、定期的に整備をする必要はあるだろうが」

「承知しております。――四賢者の名に違わぬ素晴らしい手際」


 この短い間で、と。讃辞を口にした老人が、ふっとどこか遠い眼をする。


「長生きはするものではないと思っておりましたが……」


 口元に浮かべられる笑み。孫娘から始めて目を逸らし、永仙へと向き直った老人。


「――ありがとうございます」


 深々と。齢のせいで曲がっている腰を更に折り曲げるようにして、下げられた頭。


「九鬼殿。なんと感謝を申したらいいか……」

「――気にすることはない」


 永仙にとってその言葉は本心だった。この老人にも、町の人間にも誰もできない。だから自分がやったという、それだけのこと。


「四賢者としての当然の責務だ。私は――」

「――お祖父ちゃん」


 言葉の中途。輪を抜けたルディアが、いつの間にか永仙たちのテーブルへと歩いて来ていた。


「ああ、これは済まん。気が利かなくて――」


 軽く頭を下げて退こうとする腕を、掴んだ手。


「話がしたいの。久し振りに、二人で」

「……っ!」

「いいでしょう?」


 見つめる眼。ルディアの申し出に対し、老人は酷く狼狽えたようだったが。


「……ああ、ああ。是非」


 そう言って姿勢を正す。緊張気に襟元を直す所作に、見ている永仙の側にもどこかほほえましい気持ちが生まれ。


「――永仙」


 彼女から掛けられた声に、視線の向きを変える。


「帰ってきたらまた話しましょう。一緒に」

「ああ」


 頷きと共に手を振る。見送られる二人はぎこちなく、それでいて暖かい雰囲気で、宿屋を出て行った。







「……」


 静けさの満ちる宿。永仙は一人、杯を片手に座っている。


 ――こうしたことができるなら、悪くない。


 この一か月はこなすべき書類仕事との並行で忙しい毎日だったが、以前に感じていた退屈よりは遥かに過ごし甲斐のある日々だった。四賢者と言う立場に立つことで必要な権限を持ち、頼られるのなら。机の上の書類に目を通し、判断を下していく中で――。


「……」


 ふと。自分が、待ち遠しくなっていることに気付く。……彼女の帰りを。


 一か月の多くをあの石牢で過ごしたせいか、ルディアとの距離は出会った当初に比べかなり縮まっているように思えていた。全てを達観して受け入れていたようなあの頃とは違い、他愛もない話の中で次第に様々な感情の機微と表情を見せてくれるようになっていること、術式の完成によって花開くだろう彼女の笑顔を見ることは、困難に取り組む永仙にとってもモチベーションとなっていたことは疑い様がない。――この生活も。


「……ふぅ」


 あと僅かで終わりを告げる。……四賢者と言う立場がある以上、自分もこれまでのように連日町へ通い詰めることはできない。合間を縫って訪れることになるか、もしくは。


 彼女にその気さえあれば、魔術師の卵として協会に迎え入れても良い。制御できるのならあの異能は強力な武器となる。好奇心で手を出そうとする輩はいるだろうが、自分が四賢者として手出しはさせない。彼女の才覚であれば……。


 いずれは自分と肩を並べるような術師にさえ育つかもしれないのだ。これまで彼女と交わした遣り取り、言葉の数々を思いだし、そんな将来の空想に暫し身を浸らせていた永仙。――なんの気もなしに時計を見る。


「……遅いな」


 出て行ってもう二時間は経つ頃合いになる。夕食を一緒にしようと話していたのだが、この分だと余り余裕はないかもしれない。……まあ。


 これまで碌に話もしてこられなかったに違いない二人だ。障害の無くなった今、積もる話に花が咲いているのだろう。そう考えて机に向かい。


「――四賢者様ッ‼」


 叫びと共に。町の住民が駆け込んで来たのは、そのときだった。


 ―――


「……――」


 駆け付ける。息が切れることも構わず、説明されたその現場へ。数分と掛かることなく辿り着いた永仙の目に。


「……」


 映るのは崖上の花畑。その中に折り重なるようにして倒れている人影が二つ。夕日に照らされた姿へ近付こうとする足が震える。如何なる困難を前にしても揺らぐことのなかった意志が今、足場を失ったかの如く左右に傾いているという自覚。辛うじて平衡を取戻し――。


「……」


 ――前に立った。……草花を濡らす鮮血の緋。死亡している。魔術を使うまでもなく理解できる。事態の原因――。


 分からないはずがない。魔術師として稀代の技量を持つ永仙には、そのこともまた一目で見て取れてしまっていた。


 ――抑え切れなかったのだ。


 魔力の残滓を受けて僅かに光を帯びる、綻び変質した術式の残骸。……彼女の持つ異質な魔力。それが恐らくは止めようもないほどに溢れ出し――。


「……」


 間近にいた老人が、最期の力で以て自ら諸共に命を絶った。災厄を起こさない為、自分たちの町を守る為に。


「……」


 永仙はそれを見遣る。……事切れる前。遺書代わりと思しき、魔力で刻まれた文字。


〝――元より仕方のないこと。手を尽くしていただいてありがとうございます。九鬼殿〟


 赫灼たる文字で書かれていたのは謝辞の言葉。横たわる老人の顔は、思い残すことなどないかのように安らかであり。


〝――少しの間だけでも、世界と一緒にいられて嬉しかった〟


 隣に眠るルディアの顔付きは――。


〝――あなたが来てくれて、本当に。ありがとう、永仙〟


 幸せな夢を見ているかのように。……どこまでも穏やかに、微笑んでいた。


「……」


 ……違う。


 永仙は思う。……自分は決して、手を尽くせたわけではない。


 術式の出来栄えに自信を持っていたことは事実だが。……その自信故に慎重にならないということはなかったと、石橋を叩いて渡るかの如く万事万全を確かめてから前に進んだと、果たして自分はそう言い切れるか?


 他人の命を乗せた未知の出来事に挑む際に。謙虚さを持っていたか? 自分は……。


 自らが信じた通りに完成させられた術式に踊らされてはいなかったと、本当に――。


〝ありがとう、永仙〟


「……私は」


 声にならない声が喉をつく。……自分は。


 ――裏切ったのだ。あの笑みを、あの信頼を。


 考えてみれば慎重を期す方策など幾らでもあった。宴の合間に目視だけでなく、精密な確認を一度でもしていれば良かっただけのこと。……二人で出掛ける前にでも。僅かの用心深さ、ほんの少しの自問さえ発揮していれば。


 己の腕に絶対の自信を持っていたが故に――その機会を逸したのだ。……犯した過ちの重さ、想像だにできない苦悶に声すら上げられずに。


「……」


 遠く山脈の見える野原に、風が吹く。永仙は、二人の亡骸を前にして立ち尽くしていた。







「――バカな真似は止めな」


 協会本山。大賢者の執務室にて、リア・ファレルの声を永仙は耳に入れている。伝えた辞任の意図を、窘めるような声音。


「今の協会にあんた以上の適任者はいない。――分かってるんだろう? 自分でも、そのくらいは」

「……」


 年長。かつ大賢者からの問いかけにも拘らず、永仙は俯いていることしかできなかった。……以前なら自負を持って答えられていたはずの問い掛け。


 だが、今は――……。


「どれだけ後悔しても、時間は戻らない」


 項垂れている永仙の方は向かずに。窓の外を見るリアが、続けて話す。


「やっちまったことに対してどう向き合ってくのかは、あんた次第さ。――このところ、一部の逸れ者の活動が活発化してきてる情報もある。こうした案件に是非あんたの力を借りたいんだがね」

「……」

「ま、あんたが何と言おうとあたしは反対するよ。――辞める気なら、それなりに覚悟しときな」


 リアがいなくなり、一人。……考えるだけの時間。忍び寄る静けさの中で。


 ……そうだ。


 永仙は思い出す。……彼は、言っていた。


 これまでに縛り付けることしかできなかった分。孫娘の望みを、これからは叶えてやりたいのだと。


 彼女は言っていた。


 世界は美しいと。数奇な運命を負わされても、私たちのいるこの場所が大好きで、愛おしいのだと。


 ――ならば私は、それを守ろう。


 魔術師として。彼の愛した彼女の、彼女の愛した世界を。


 ――最期の時まで、守り続ける。











 ――。


 ――一面の白。


 自らの生み出した【世界】が崩壊していく光。その一色に染められた視界の中で、永仙の身体は空を揺蕩っていた。


 最早何も感じられない。永仙が起こした世界崩壊の魔術は、構築した異位相世界をその内部にある全てごと消滅させる。時間も、空間も、捕われたもののうち何一つ逃れられるものは無い。


 それは当然、内部にいる術者も同じということであり――。


 死を迎えて永仙の脳裏に浮かぶのは、かつて死なせてしまった大切な人の姿だった。


「……随分と待たせてしまったな」


 呟いた声は耳には、いや、呟いたかどうかさえ分からないまま、光に溶けて消えていく。……積もる話は山ほどある。


 ――ずっと、話がしたかった。


〝ねえ永仙〟


 これから逝くその場所で、自分を迎える彼女はどんな顔をしているだろうか。


〝あなたは知っていたかしら。この世界に、こんなにも綺麗な光があったことを――〟


 どうか笑顔であって欲しいと思いながら、永仙は思い起こす。袂を別った友人たち。この世で最後に目にした、真新しい輝き(かつての朝日)を。


 ――。


 友の名、彼の名、少女の名。それらを心の中で呟く。


 後は、任せたぞ。


 眼前に溢れる光。その輝きが、更に勢いを増していく。


 お前たちなら、きっと――。


 一際大きな閃光に包まれて。偉大なる魔術師――九鬼永仙は、姿を消した。


 


 


 


 


「――ッ⁉」

「きゃあっ⁉」


 父が姿を消し、漸く緊張感から解放された俺たち――。


 突如、巨大な揺れが部屋全体を襲う。……先程と同じ、いや、今回はそれ以上に大きい。文字通り本山それ自体が震えているようだ。


 そしてこの感覚に、俺は覚えがあった。


「これって、もしかして……」


 同じ心当たりがあるのか、立慧さんが呟く。


「……」


 駆け寄った窓。外に見えるのは、あのどこまでも深く続いている森――。何もない、ただ地面だけが続いているような平坦な光景ではない。


「なんとか戻って来たか」


 いつの間にか俺の後ろに立っていた田中さんの呟きが、更なる実感を与えてくれる。……帰って来れたのか。あの訳の分からない空間から、元の場所に――。


「――さあて。色々とやることが山積みだな」


 遠くから聞こえてくる田中さんの声に振り返る。また何時の間にか、田中さんは立慧さんたちのところまで戻っていた。父との戦闘でも見せた身体能力。夢でも幻でも無く、その力が紛れも無い田中さん自身のものであることを示している。


「……田中」

「その前にやんなきゃならねえことがあんだろ? そっちの三人もそうだが――」


 そう言って田中さんがリゲル、ジェイン、千景先輩を顎で指す。……フィアの治癒のお蔭で三人とも命に別状はなさそうだが、傷を負ったショックからかまだ目を覚ましてはいない。


「本山全体の事もな。かーっ、事後処理とは、頭が痛いぜ」

「……」


 その言葉に立慧さんは、言い掛けていたはずの言葉をグッと飲み込んで。


「……いいわ。でも、事情は後できっちり話してもらうから」

「分かってるって」

「――ひとまずこの部屋を出ましょう」


 ヒラヒラと手を振り、互いに視線を外す。気を取り直したように言った立慧さん。


「蔭水冥希の仲間と鬼どもが残ってるかもしれないから、注意して――」

「そいつは大丈夫そうだぜ」


 よっと、と。器用に杖先に引っ掛け、リゲルとジェインを両肩に担ぎ上げながら田中さんが言う。


「敵らしいデカめの気配は此処ともう一か所だけだったし、そいつも消えた。鬼だけなら俺一人で充分相手ができるしな」

「……その恰好で戦うつもり?」

「怪我なんてさせねえから安心しろって。それより、千景を運んでやった方が良いんじゃねえか?」

「……そうね」

「立慧さん、俺が――」


 息を吐きつつ屈みこんだ立慧さんに声を掛ける。……フィアが大方は治療したとはいえ、完全に治し切れたわけではない。父と戦ったあの後では。


「余計な心配しなくて良いの。――あんただって怪我人の癖に」


 溜め息を吐かれてしまう。……俺の傷も完全に回復したわけではない。だがそれでも、立慧さんよりは。


「千景は軽いから大丈夫よ。あんたに背負われてたら恥ずかしがるだろうしね」

「……それは」

「あの、良ければ私が……」


 そう言われては。引き下がる俺の隣で、前に進み出たフィアが自分を指す。――フィア?


「……背負えるの?」

「は、はい。多分」


 ふんすと両腕を曲げて構えて見せるが、今一つ信憑性がない。じゃあ、と言ってその背中に先輩を乗せてみる立慧さん。


「――っ……!」

「……」

「……」


 ……震えている。先輩をおぶったフィアは全身に力を込めるようにしてバランスを取ると、ふらつく足取りで前へ――。


「――ダウト」

「あうっ」


 ポカリと叩かれる。素早く奪い返され、立慧さんの背に先輩が収まった。


「全く、できないことを言うもんじゃないわよ。気遣いでも」

「……済みません」

「傷を治癒してくれた時点で感謝してるんだから。――魔力ももう残ってないんでしょ」

「……はい」


 フィアが頷く。リゲル、ジェイン、俺、千景先輩と立慧さん。一日に治した怪我人の数としては最多数で、その前に障壁を張っていたことも考えれば、今日がフィアにとっても辛い一日であったことは想像に難くない。よくここまで持ってくれたものだ。


「また倒れられても困るし。危機は去ったんだから、無理はしないこと。いいわね?」

「は、はい」

「よし。良い返事」


 立慧さんも頷く。纏まったところで。


「おーい、話してるとこ悪いが、そろそろ行こうぜ」

「そうね。――行きましょう」


 踵を返す立慧さん。二人を担いでいる田中さんの横に並び、何かを話しながら歩いて行く。……俺たちも。


「行こう、フィア」

「――はい」


 二人で並んで。……短い間に様々な出来事があった、この部屋を後にした。


〝私はあと一度、お前を迎えに来る〟


 脳裏に木霊する声。


〝その時までにどちらに着くべきか――考えておくことだ〟


 生きていた父。――蔭水冥希の残した台詞を、胸の内で繰り返しながら――。



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