第二十節 手紙の主
「……」
届いたその声に永仙は暫し沈黙を守る。警戒心も勿論あったが、それ以上に聞き間違いではないかと自らの耳を疑ったからだ。
「そこにいるのは誰?」
二度目になる問い掛け。声の方角は明らかに永仙の隠れている場所を向いている。……これ以上息を潜めたとして、得るものは無いか。そう判じた永仙は如何なる事態になっても対処できるよう、全身から余計な力を抜き去った状態で声の主と相対すべく、前に歩み出た。
「……?」
そんな永仙の姿を不思議そうに見つめるのは――一人の女性。女性と言っても、歳はまだ二十の半ばくらいだろうか。少なくとも自分よりは若く見える、と永仙は感じた。特徴的なのはその瞳だ。星の輝きを無理矢理その中に押し込めたかのような、どこか広大で、引き込まれそうな光がある。
「……知らない顔。新しく私の世話役になった人?」
その声に我に返る。見惚れて思考を飛ばすとは、我ながら未熟なものだ。内心でそう自嘲し、油断なく永仙は女性を見る。……永仙との間にあるのは、見るからに頑強そうな鉄格子。下には扉と思しき箇所に鍵穴が付けられている。常人には一見してただの牢に見えるが。
この鉄格子にも強力な術式が仕込まれていることを永仙の慧眼は直ぐに見て取った。いや、鉄格子だけでなく、目を凝らせば女性を閉じ込めている空間の床、壁。全てに今まで以上に強固な術式が組まれている。ここがこの建物の中枢であることは、最早言うまでもないほど歴然とした事実。
「でも、さっき世話役の人は来たばっかりだし……」
……世話役?
その言葉に永仙は改めて牢の中を見渡す。床の上に置かれた、食器と思しき皿が載るトレイ。誰かがここに運び入れたのだろう。自分が最初に見た人影は、その世話役とやらのものだったのかもしれない。
「……私は、手紙を見て此処に来た者だ」
今一つ事情が飲み込めていない様子の女性に、永仙は自らの正体を明かす。……封印の術式があるせいか魔力は感じ取れないが、状況からしてこの女性が手紙の主なのだろう。今目の前に広がる光景を見ればあの手紙を出した訳も納得が行くというもの。
「……手紙? もしかして、協会の支部の方?」
その表情が、明らかに期待を含んだものに変わる。
「そうだ」
「まさか、本当に来てくれるなんて……」
信じられないといった体で女性は呟く。
「私を此処から出すために来てくれたの?」
「――そうだ」
刹那の間を置いて永仙は答える。目の前のこの女性があの異質な魔力の持ち主だとすれば、仮にここから出られたとしてもそれが彼女にとって救いとなるかどうかは分からない。稀に見る才の持ち主を協会は見す見す手放すような真似はしないという、そのことを永仙は良く知っている。
だがその内容を語ることを、今の永仙は敢えて拒んだ。……四賢者である自分がそれを口にしたところで、何の意味があると言うのか。下手に告げれば話が拗れるだけだろう。今はこの女性を連れ出すことさえ考えていれば良い。
「……そう」
どこか重々しい一言の後に、女性はやや下を向く。――その反応が既に永仙にとっては予想外だった。……あの文面。
先に垣間見た表情からして、そう告げれば当然のごとく助けを求められるものと思っていたからだ。内心で準備も終えていただけに踏鞴を踏んだような感覚に襲われる。何気ない女性のその仕草は、永仙の目にはこれまでより一層不可解なものとして取り上げられ。
「確かに、あの手紙を出したのは私よ」
興奮と期待が滲んでいたあの表情とは別に……どこか冷えたような声で、女性は静かにそれを認める。
「でもそのことは、もう良いの」
「……何だと?」
意表を突く発言に、思わず尋ね返した永仙。
「あの手紙が本当に届くだなんて、思ってもみなかったわ。それを読んで誰かが来てくれるなんてことも。途中で見つかるか、運よく届いても読まれずに捨てられると思ってた」
「……」
「閉じ込められているのに何もしないではいられなかったから出してみただけなの。……だから、ごめんなさい」
……どういうことだ?
永仙は思案する。……進んで囚われることを望む人間など居はしない。だが目の前の女性の言動はまるで、助けられることを望んでいないかのように聞こえる。あんな内容の手紙を出しておきながら、それがそもそも間違いだったと言うかのように。
「……なぜ、此処に閉じ込められている?」
暫しの思考の後、永仙は自らが気になっている最大の問題を問いとしてぶつけてみることにした。
この場所を見てから、永仙が最も解せなかった点がそれだ。
魔術が盛んでない町。強大な魔力の持ち主に対して住民たちが不安を覚え、それを監禁した……というなら分からないでもない。実際魔術協会が記録する歴史の中でもそのような事件の例は幾つかある。
だが、ここは魔術協会が管理する領域。魔術絡みで何かしらの問題があれば第一に協会に願書を届けるというのが普通であるし、その方が住民たちにとっても効率が良い。餅は餅屋。魔術の事なら魔術師にというわけだ。しかし……。
住人達はこの件に対して願書を提出するどころか、支部に対してこの件を隠蔽しようとすらしている。魔術に関しては寂れていたと思っていたこの町に、これ程の術式を施せる人間がいたことも驚きだ。支部の連中には後で調査を徹底するよう言い含めておかねばならない。そんな事務的な思考も同時に働かせつつ、永仙は自らの問いに対する答えを待つ。
「……あなた。支部の人なのに、そんなことも分からないの?」
幾許か落胆したような女性の台詞。胸がざわつくが、そこに嚙み付いても始まらないと、そう自らに言い聞かせる。――努めて冷静に。
「……この建物には魔力を封じる術式が仕込まれている」
言う。それはそれとして、ただ侮られることは永仙のプライドが許さない。ここに踏み入った時より看破していた内容。
「それもかなり強力なものだ。私でさえ、破るには手間がかかるだろう」
「そうね。そこまでは正解だけど」
監禁とは非常に手間が掛かる方法だ。ここまでの術式を書いてまでそれを為す理由と動機とが永仙にはすぐには想像がつけられない。……候補はあるが。
「まあいいわ。見れば嫌でも分かるから」
――見る――?
何の話だ? そう永仙が女性に問い掛けようとした、その時。
「……ッ」
異変に気付く。……牢内に置かれていたトレイ。それがその上にある器ごと、何か奇妙な輝きを発し始めている。
目を見張る永仙の前でトレイと器は暫く朧気な発光を続け、それが治まった後に残されていたのは、以前とは似ても似つかない虹色をした、何かの塊だった。
「これは……」
「どう? 分かった?」
女性の声に永仙は答えるだけの余裕が無い。例え魔力を封じられていようと、今目の前で何が起きたのかは明白だったからだ。
――物体の変質。それも既存の物質への変化ではなく、根本からその性質を変えてしまうような深い変化。目の前の女性が事も無げに起こして見せたのは、永仙は愚か歴史上のいかなる魔術師であっても不可能と思われる様な偉業。……域としては魔術でなく、魔法の領域に近い。
そして永仙は確かに感じていた。この強固な術式の中にあって、あの手紙から感じられたのと同じ異質な魔力を。
「……その表情を見ると、やっぱり協会の人にとっても珍しい症状ってことね」
内心の動きを気取られていたらしい。
「なりたくてなったわけじゃないのよ、こんな体質。生まれつきらしいの」
言葉と共に手を顎にやる。紛れも無くそれだけで歴史に名を残すであろう才。だがその動作に、永仙はどこか引っ掛かるものを感じた。
「制御できていないのか?」
「そうみたい」
まさか――。そう思いながら発した推測に、女性は愁いを帯びた面持ちを見せる。
「ある程度抑えておくことは出来るんだけど、漏れ出すのを完全には止められない。気を抜いちゃうともっと酷いことになるわ」
その結果を知っているかのように、女性は肩を竦める。
そこまでの内容を聞いたところで、永仙にも事の顛末の全てに合点がいった。……『世界』そのものを侵食し、変質させていく魔術。
扱い熟せれば魔法使いの名を冠すことができる程の御業ではあるが、制御できず、しかも常時発動しているというのでは話は百八十度違う。強力な毒を撒き散らす生物が野放しにされているようなものだ。しかもその毒には解毒剤が無く、防ぐ手立ても無い。
だからこそのこの建物……という訳なのだろう。誰が作ったかは知らないが、此処に施されている術式は四賢者である永仙からしても至極見事なもの。芸術的とさえ言っても良い。この術式を以て彼女自身にも制御できない魔力の流出を抑え、何とかその影響が周囲に及ばないようにしている……。
殺されず監禁に留められている理由もはっきりする。先天的に備わった制御不能の力というものは、当人の感情に反応する事例が多い。【世界の変質】などといった馬鹿げた力を持っている彼女が殺意に晒されれば、その力がどのように働くかは容易に想像がつく。――傷付けることなど叶わないだろう。逆に実行者が餌食になるのがオチだ。
「……自ら望んでここにいるのか?」
「頼まれて、ね。町の人たち全員に頭を下げられれば、断る訳にもいかないし」
それはそうだろうと永仙は思う。彼女の力はかなり特異なものだ。如何に強力な魔術であろうとも当人の意思を無視してその力を抑え込むことは不可能に近い。当人がここにいることを容認し、自らの力を抑えようとしているからこそ、初めてこの術式が活きてくる。牢の中にあったトレイが力の影響を受けて変質したことからもそれは明らかだ。
「この術式を設置したのは?」
「私のお祖父ちゃん。私の為と町の為だって言って、この建物に魔術を仕掛けてくれた」
……あの老人か? 永仙は最初にこの件について尋ねた男を思い起こす。人口が百人にも満たない狭い町。調査に不備があったらしいとは言え、これだけの魔術を扱える人間は何人も居まい。隠されてはいたが、あの老人はそれなりの魔力を持っている様だった。可能性としては考えられる話だろう。
「それで良いのか?」
「良い訳ないわ。でも、仕方ないじゃない」
全てを諦めているような声。
「祖父だけじゃない。……父も母も、私がここにいてくれた方が助かるって言っていた。どう考えてもその方が正しいんだもの。暴れるなんて趣味じゃないし。なら私は此処にいるわ」
「……」
「――丁度、お迎えも来たみたいだし」
「……迎え?」
訊いてから永仙は気配を悟る。……自分が先ほど通ってきた通路。そこを人が通り抜ける気配がする。一人ではなく、何人も。
「じゃあね。協会の魔術師さん」
近い邂逅への備えをする永仙に対し、女性から他人事のような声が掛かった。
「こんなところまで来させてしまって、ごめんなさい。手紙を見て、あなたが来てくれたこと……――少しだけ、嬉しかったわ」




