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第十九節 過去と今

 

「――ッ」


 数センチ先の視界さえ見通せない爆煙の中。永仙は、力の限りに見据えた正面との距離を取る。……今の自らにできる全力。後のことなど考えない速度で、血に濡れるその脚を動かしながら。


「〝己が打ち立てし定立を破却す〟ッ――」


 息も疎かに唇から紡ぎ出されるのは呪。魔術師として稀代の腕を持つ永仙と雖もこの魔術、今の状況下での発動には完全詠唱が必要となる。万が一にも誤りのないように意を払い――。


「っ〝第四に存在者。世界の内にある事物〟」


 もつれ、危うく倒れそうになるのを気力で踏み止まりながら、更に後ろへと駆け進む。身体と精神を共に増強させる太極符だが、陰陽の気を操る術法の性として常に副作用が付きまとう。――術の効力が解けた後の一定時間。


 その間は効果時間とは逆に、双方の能力が著しく減衰するのだ。今は太陰符を用いて魔術面での影響を抑えているものの、身体面の方は如何ともし難い。ただでさえ疲労の堪る身体に、無視できない障害として現われつつあった。


 ――神器、『名も無き栄華の剣』による最大の一撃をぶち当てた。それだけで通常ならば勝利を確信するに充分な根拠となるはずであろうが、今回に限っては事情が違う。……神器の持つ膨大な力の全てを【最善】の能力により最大効率で撃ち放ったあの技法。本来ならば生存どころか、まず対象が原型を留めているかどうかを危ぶむところであるのは確かだろう。


「〝第三に空間。我らを包む場と広がり〟……ッ」


 しかし、全霊で後退を進めている永仙にはある種の確信とも言える予感があった。――奴は生きている。放たれた力の余波でまだ気配は掴めないが、確実に――。


 ただ勘というわけでもない。直感と本能が警鐘を告げているのも確かだが、あの神器の能力を鑑みればヴェイグが生き残っている可能性は僅かながらもゼロではないと言って良いはず。……魔道具の現出。


 ヴェイグは何も無い空間から自在に武器を出現させていた。どのような仕掛けなのかは分からずとも神器の力は当人の力には依存していないという、そのことは同じモノの所有者たる永仙とてよく理解している。であれば、それに依る手段は防げなかったと見るのが妥当なところ。


「ぐ――‼」


 ――呼吸(いき)が乱れる。落命受護符はあくまで当人の死だけを肩代わりする霊符。これまでに蓄積したダメージとヴェイグの貫手に依る致命傷一歩手前の損傷は、今も秒刻みで永仙の命の架け橋を削り落としている。……魔力も体力も既に尽き掛け。それでもなお、永仙に脚を止めている時間はない。


 完全詠唱が見込めるのはこの機だけだ。敵の動きが止まっている内に、少しでも先に進めておかなければ――。


「〝第二に時〟――ッ‼」


 尚も詠唱を続けようとした永仙の目先。立ち込める煙を突き破るようにしてヴェイグが姿を現す。全身に焦げと負傷が広がり左腕は大きく拉げている。残された右腕も見るに堪えないような擦傷、裂傷、火傷を負っているが、それを気に掛ける様子は微塵も無い。


「――この投げ槍は躱せない――」

「っ!」


 譫言の様に何かを呟き、右腕で放られたのは手にした槍。――急所は外す。太極符の効果も無く回避が望めない今、何としても即死だけは回避するとその一念で迫る槍先に永仙は相対し。


「――〝逃れ得ぬ現理。第一に――‼」


 だがその腕に負わされた傷はやはり重かったのか。投げられた槍は意図されたであろう軌道から逸れ、標的に向かうことなくその脇を通過するに留まる。――いける。千載一遇とも言える好機に、更に距離を広げつつ永仙が後二節となる詠唱の一節を紡いだ。


 ――瞬間。


「かッ――⁉」


 押し出した文言が舌先から滑り落ちる。霞となって空気に溶けてしまったが如く、決着を意味するはずのその音が続けられることはなく、変わって漏れ出したのは空気が抜けるような気の抜けた声と――赤黒い血液。


「……っ」


 先ほど真横を通り過ぎたはずの投げ槍。それが背後から無残にも永仙を貫いていた。背面から鳩尾、重要内臓器官までを過たず突き抜けている広い刃に末期の声を上げることさえできず、俯せに倒れ込む永仙。地面に突き刺さる槍先に力無く垂れ下がる手足は、まるで採集用に捕えられた哀れな昆虫の様だった。


「……流石に、二度目の手品はないか」


 伏した永仙の姿を見遣りつつ、ヴェイグは一言何かを呟く。――治癒の魔術。捻じ曲げられた左腕はゴムが元に戻るさまにも似た動きで健常な形へ戻り、おぞましい負傷を晒していた右腕もいつの間にか傷一つ無い姿へと回帰している。服さえ新品同様の出で立ちと代わり、ここに来て永仙が与えたダメージは少なくとも外見上、ヴェイグから全て消え去った。


「……疲れた。死ぬかと思ったよ全く……」


 深々と息を吐きながら言葉を零す。……神器に依る至近距離からの一撃。あれをヴェイグが耐えることができたのは、偏に同じ神器の力に依るところ。


 攻撃が自らに当たる直前。『残影の書典』の能力により、ヴェイグは全身を覆う装甲鎧と身を隠すほどの大盾を出現させた。それでもなお解き放たれた神器の力はそれらの護りを粉砕してヴェイグの身を傷付けるに余りあるものだったが、即死させるまでには至れなかった。


 その後の顛末は見るまでもない。まだ隠し玉を備えていることを想定し、確実に永仙の息の根を止める方策をヴェイグは採った。投擲に依る【必中】の性能を備える槍。その初撃を敢えて外し、勝機という罠の中に永仙を自ら飛び込ませた算段。……詠唱は幾ら進めたとしても完成しなければ意味が無い。負傷に余裕を失う永仙の心境を見越した上での策。


「――見事だったよ。九鬼永仙」


 惜しみない賛辞。死骸にそれを手向けとして贈り、ヴェイグは反転する。……この領域は永仙の術によって構築されたもの。


「あなたのことを、僕は世界が終わるまで忘れないだろう」


 術者が息絶えた以上、解除も時間の問題だろう。そう思いつつ歩き出そうとした直後。


「……」


 背後に違和感を覚え、振り返る。完全に殺されているはずの永仙の遺骸。そこから何か、妙な感覚が伝えられたような気がしたのだ。


「……ふむ」


 目を凝らす。……確かに死んでいる。呼吸も脈拍も無く、生命に繋がるあらゆる活動は停止したまま。アレが生きていると言うのであれば、この世に死の姿など無くなってしまうことだろう。


 だが武人としての洞察眼がそう訴えて来るにも拘わらず、拭い去れない奇妙な感覚をヴェイグは依然として持て余していた。胸騒ぎを覚えていたと言っても良い。少なくとも既に終わったモノとしてその場をただ立ち去らせないだけの何かが、あの骸から感じられるのだ。先に殺し損ねた感触が、まだ残っているのかもしれなかったが……。


「……全く」


 ――臆病なことだ。


 自身の不安に苦笑いしつつ手の中に出現させたのは広刃の剣。――これで心臓を一刺し。彼の死を揺るぎないものにするためにはそれくらいの対応が必要だろう。得物を半回転させつつ強化した肉体で瞬時に俯せの死体の下へと辿り着くヴェイグ。一瞥して死を確かめると同時、手に持つ剣を突き下ろし――。


「――!」


 刃を食い止めたその感触に、意識が震えた。……何だ?


 まさか、ま だ ――?


「……〝自己。始原の境界にして秩序〟」

「‼」


 諳んずる声がヴェイグを現実に引き戻す。――動けない。静止は決して、自らの得物を掴まれている為ではない。


「……‼」


 血だまりの中からヴェイグを見上げる面。その瞳に宿る強い何かに、紛れも無い戦慄を覚えさせられていたからだ。そこにあるのは敵意や怒りではなく、ただ静かで、しかし揺らぐことの無い何か。


 これは――。


「……【世の――」


 止められない。永仙が最期の詠唱を紡ぐのを、無傷のヴェイグはただ前にしている。発動を告げる、最後の一語と共に――。


「――終末】‼」


 永仙とヴェイグを取り巻く【世界】が、内側に向けて崩壊した。







 


 


 


 


 


 


 


 


 

「……」


 気配を断ち、姿を隠す穏形法を用いて、永仙は夜の町中を進む。……この辺りは特に魔術の盛んな領域でもない。


 警戒は不必要かとも思ったが、念には念を。少なくとも向かう方角から感じられる魔力はそれなりのものがある。少なからず魔術の心得がある者であれば、気付かない方が難しいほどに。


 ――知っていたな。


 素知らぬ振りを装っていた支部長の態度を思い出し、永仙は胸の内で苦笑する。あの手紙の件だけでなく、このこともついでとして自分に処理させたかったのだろう。――不透明な目的で魔術を行使している街の住人に、果たしてどのような処分を下すべきか。


 新参の四賢者としては重要な課題だ。まあ、それは後で考えればいい。永仙は立ち止まることなく歩を進める。まずは確かめてみなくては話にならない。この感じからして大まかな予想は立てられるが……。


「……」


 ――ここか。問題の場所に辿り着いたことを確認し、穏形を保ったまま観察。……大きな石造りの建物。


 一見すると民家に見えないことも無いが、明らかにその石壁には術式が組み込まれている。……かなり高度なものだ。それにこの建物には、窓が無い。


 周囲をぐるりと回り、永仙は中の様子が窺える場所を探す。……扉もない。見えるのは灰色の壁のみ。入口が上にあるとなれば、少し面倒なことになるな……。


 そう思っていた永仙の耳に、奥の方から微かな音が届く。何かが擦れるような音。


 注意深く奥を見遣る。……どこかへ去っていく人間の後ろ姿。この中から出て来たのか? だがどうやって……。


 人影が完全に見えなくなったのを確認してから、永仙は前に出る。……目に映るのは、先ほどと同じ無表情な灰色の壁。だが、前に見た時とは何かが違っているように思える。それが果たして何なのか。


「……」


 押す。……指先に伝わってくる、僅かな手応え。


 引く。加えられた力に応じ、石壁の一部が扉の如く永仙の側へと引き出された。……なるほど。


 ――肝心の部分には魔術を使わないようにしてあるわけか。魔術師への対策としては原始的だが効果的だ。この建物を作った人間の知恵に少し感心しつつ、中へと足を踏み入れ――。


 瞬間、永仙の感知能力が警告を発した。


「……」


 足下を見る。……外からでは分からなかったが、どうやらこの建物の内部一体に術式が敷かれているらしい。それもただの術式でなく、魔力を封じる術式が。


 内部に入れば、魔術の使用は困難――。その事実が永仙をやや躊躇わせる。……当然だが穏形法も解除される。誰かと出くわせばその時点で面倒事になるだろう。支部のものだと告げても協力を得られなかったところからして、四賢者と言う自らの肩書が通じるとも限らない。


 ――〝此処から出して〟。


 文面が脳裏に思い起こされる。十中八九、手紙の主はこの建物の中にいるに違いない。そして今も、来るかもしれない助けに一抹の希望を寄せている。


 その推測が、若き永仙の覚悟を後押しした。


 迷うことなく永仙は足を踏み入れる。……魔術が使えずとも身に積んだ武術の技は健在。並みの相手に後れを取るとは思えず、恐れることなど何もない。


「……」


 慎重に扉を閉める。閉ざされた内部は暗く、天井にある僅かな切れ込みから射し込む光、空気の流れを頼りにしていくしかない。壁に手を添えつつ、自らが進む地面の感触を確かめながら、慎重に永仙は暗がりの中を進んでいく。通路はごく狭い。もしここを使う何者かがいれば、鉢合せは避けられないだろう……。


 ――どれほどの時間が経っただろうか。


 数分にも数十分にも思える時間を歩かされたのち。


 不意に、前方に開けた空間があることが永仙には感じられた。……灯りの下で揺らめく影。伝わってくる人の気配。間違いなく、誰かが居る。


「……」


 進むべきか、待つべきか。


 一瞬逡巡した永仙の耳に――。


「――誰?」


 澄んだ鈴の音の様な声が、響き渡った。



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