第十七.五節 過去 賢者の退屈
――こんな時間が、後どれだけ続くのだろうか。
「……」
机の上にある書類に目を通しつつ、男――九鬼永仙はそんな倦怠感を感じていた。
かつて極東の島国で『祓紋の八家』と呼ばれた技能者の家系。その中の一つであり、八家の中でも二位を占めていた符術の大家、九鬼家。
それが男の生家だった。とはいえ男が生まれた時には時代の変調と共に家自体の力も低落。その名を負うに相応しいような優秀な術者を排出できなくなっており、九鬼家は自らが築いた名の重みに潰されそうな状態を、必死で堪えている状況だった。
そんな中で九鬼家の歴史の中でも有数と呼ばれる才を秘めた少年の誕生は、一族にとって正しく希望の星であったに違いない。付き物の嫉妬や妬み、羨望の視線と声は常にあったが、そんな者たちが陰日向で軒並み声を潜めるしかないような才能を少年は持っていた。
七歳にして神童と呼ばれ、十五を過ぎた頃には既に当時の当主の力量を超えているのではと噂されるほどの力量。それを周囲も正式に認め、名実ともに当主の座を譲られることになったのが弱冠二十の事だ。周囲からの期待と称賛を一心に受け、名実ともに順風満帆の生活が始まろうとしていた頃。
――だがその日青年が西洋魔術を取り入れる姿勢を示したことで、事態は暗転の気配を見せ始める。
青年にしてみればそれは至極当たり前と言える対応だった。新たなものを取り入れて自らの技法が更なる発展を遂げるなら、それが例え門外の物であっても、いや、寧ろ門外の物だからこそ取り入れる意義がある。旧来のやり方で零落しつつあった九鬼家に、西洋魔術と言う新しい風を呼び込んでみせる。若さゆえの意気込みの他に、そんな家名復興への願いもあったことは想像に難くない。
しかし、周りの人間の抱く印象はそれとは違っていた。そもそも出発点からずれていたのかもしれない。彼らが望んだのは新たに生まれ変わる九鬼家の姿ではなく、過去に築いた栄光の時代を再び取り戻す九鬼家の姿だったのだ。――家人の外法、その一切の使用を禁ず――。歴史と共に受け継がれてきた九鬼家の家訓を打ち崩すことは、彼の並みならぬ魔術の才を以てしても不可能な事柄だった。
当主となってから半年も経たぬ内に……一族が一致しての反発と突き上げを喰らい、青年は家を追われ、僅かな手荷物と共に出奔を余儀なくされた。
行き場を無くした青年は当初途方に暮れたが、直ぐにその行先は決まることになる。家を追放されたとの情報を得た魔術協会から、彼に向けて使者が送られてきたのだ。
二つ返事で永仙は魔術協会に赴くことを決めた。一つは九鬼家にいた時分からその組織の名の通りを聞いていたからであり、もう一つには彼らが自分を必要としているということがあった。少なくとも自らを追い出した生家の再興よりは、やりがいのあることが待っているに違いないと。
使者に連れられて魔術協会、その本山に赴いた永仙は端から四賢者の出迎えを受けると言う異例の歓待を受け、入山。彼らが自分を戦力として求めていることは了解できていたし、ここにいればより己の技術を磨くこともできる。そう考えた永仙は数日の滞在の後に正式な魔術協会の一員となり、数か月で支部長、三年が経つ頃には四賢者入りと言う協会の歴史に名を遺すほどの昇進を果たす。
――そして今、自らの机に向かい、書類仕事に励んでいるという訳だった。
「……ふう」
永仙は溜め息を吐く。……地位としては魔術協会の実質的な№2。さぞ多忙を極めるのだろうと想像していたのだが、実際は真逆。暇も良いところだ。
四賢者ともなれば、対立する組織の処理などで現場に出向くことはほぼ無くなる。支部長であった頃にはまだ他組織の送り込んだ刺客などとの小競り合いもあったが、四賢者は基本的に大結界に守られた本山での勤務が主。刺客の入り込む余地などある訳が無く、保証された安全と平穏とが待ち構えている。
時たま他の三大組織――聖戦の義や執行機関との交渉に赴くことはあるが、四賢者として新参の永仙にまだその仕事は割り当てが少ない。主な仕事は本山の事務処理の決定や支部の視察くらいであり、どれも永仙にとっては至極退屈なものだった。こんなことをするくらいなら自らの修行にだけ没頭していたいとは思うものの、まさか部下たちの前でそんなことを口に出す訳にもいかず、形の無い気怠さは奥底に少しずつ降り積もっていくばかり。……四賢者となってから五ヶ月となるこの時節、早くも自らが得た立場というものに永仙はつくづく飽きが来ていた。
「――入ってくれ」
少なくともあと数年はこのような仕事が続くのだろう……そんな自らの将来に灰色染みた何かを感じつつも、聞こえてきたノックの音に永仙は応える。
「失礼します」
僅かな間を置き、室内に姿を見せたのは協会の伝令員。歳は永仙と大して変わらないはずだが、部屋に一歩踏み込んだ時点できっちりと一礼を決める。……この堅苦しい儀礼にも中々慣れないものだ。着任したばかりの頃に永仙は礼などする必要は無いと言ったのだが、依然としてこの慣習は続けられている。自分が良いと言ってもどうやら相手方は納得しなかったらしい。
「どうした?」
努めて平静を装って職員を迎えながらも、内心永仙はまたかという溜め息を零す。機関からの魔術犯罪者引き渡しの要請、というのが妥当なところだろう。過去には魔術協会は捉えた反秩序者たちを自分たちの手で処理していたが、司法を担うと謳い上げる執行機関の発足からは彼らからの要請もあり、その処分を機関の手に任せることが多くなっていた。無論重要な情報や技術を持った人間は別だが、魔術師と言ってもちんけな犯罪者程度なら身柄を引き渡すことに異存も無い。多少なりとも機関との軋轢が避けられるのであればやらない手は無いだろうということで、今ではすっかりその手続きが定着している。
永仙とてその方針に異論は無い。始末に手間取るだけの犯罪者の処分を機関の方で引き受けてくれるというのだから願ったり叶ったりというところでもあるが、いざその決定を下す四賢者と言う立場になってみるとそう気楽に構えてもいられなくなってきていた。……手続きそのものはそこまで煩雑でもなく、それは構わない。問題なのは数の方だ。
「……」
永仙は瞬時に頭の中で機関からの要請があった回数をリストアップする。……先月は九十件。その前は百件。始まって一週間も経たない今月でも既に四十を超えている。ここ五カ月で送られてきた要請は計五百件近く。その都度書類に目を通し判を押さなければならないのだから堪らない。犯罪者の処理など機関で勝手にやってくれ……という想いも、魔術協会の四賢者と言う立場では決して口にはできない内容だった。
「第六支部から書状が届いております」
――しかし、耳に届く伝令員の報告は永仙の予想を良い方向で裏切った。
「そうか。ありがとう」
形式でなく本心から出た謝辞と共に、永仙は差し出された手紙を受け取る。当然のことながら件名は掛かれていない。術式に依る堅牢な封が施された手紙を永仙は指の一振りで解き開けると、中に収められていた一枚の書状を取り出し、目を通す。
「……」
そこに書かれていた内容は、正に今の永仙が退屈を吹き飛ばす期待を掛けるのに充分と言える内容だった。
「――直ぐに行くと支部長に伝えておいてくれ」
「い、今からですか?」
「ああ」
速断した永仙に意表を突かれたような伝令員だったが、戸惑ったところで何が変わる訳でも無い。承りました、と一言を残し、一礼の後に役目を全うすべく急ぎ足で部屋を去っていく。
「……」
永仙は席を立つ。――久々に腕を揮う機会が訪れたかもしれない。期待に高鳴りつつある鼓動をまだ早いと抑えつつ、永仙は静かに執務室を後にした。




