第十七節 圧倒
――強い。
「ぐっ……‼」
身を襲う衝撃に大きくその位置を後方へずらしつつ。すかさず永仙は四方に向けて対応する属性の符を撃ち放つ。――見計らう衝突の機。
「【比和相剋】!」
解放された神将符の力。迫る魔術とぶつかり合い、僅かに風が永仙の方へと流れる。――押し負けている。太陰符を用いて能力を強化しているにも拘わらず、同等以上の威力を持つ魔術を難なく、しかも凄まじい速さで打ち出してこられている現状。両者を含む空間の随所で起こる力の衝突。雨霰の如く降り注ぐ魔術弾幕を、符術の傘を以て永仙は凌いでいた。
「――ッ!」
休みなく相殺を続ける永仙の視界端。微かな揺らめきを置き去りとし、疾風もかくやと言わん速度で槍を携えたヴェイグが迫る。永仙もその挙動を把握はするものの、魔術を捌くことに精力を注いでいる状況下では対処に応じることができず――!
「――おっと‼」
その首を穿たんと更に加速した、ヴェイグが金属音を上げて後退する。たった今ヴェイグを退けたそれらは動きを止めぬまま、輪を描く様な軌道であるべき位置へと戻って行った。――永仙の周囲を回る七筋の光。
目を凝らすならそれが実体を有さぬ単なる煌めきでないことが見て取れる。金色の輝きを放つ七対の刃が、自ら意志を持つかの如くに八方自在の動きを見せているのだ。
――『名も無き栄華の剣』。世界に八つ確認されている神器の一つであり、普段古びた長剣の姿を取っているそれは、所持者による【真力解放】を行うことで本来の姿である七つの刃へと変貌を遂げる。……所有者となるだけで三大組織幹部と同等以上の力を得られるという至高の魔具。その力を永仙は今存分に発揮していた。
――いや、活用せざるを得なかったのだと言い換えても良い。先刻までのヴェイグにあった余裕の表れとも言えるある種の待ち。ここに来てその一切が消されている。……依然として落ち着きは湛えたままだが、ハイランクの魔術と魔具の双方を用いたその攻撃は確実に永仙の命を奪うことを主眼としている。持ち手として神器が欠けていたならば、苛烈な攻勢の前に為す術なく押し潰されていたことは凡そ想像に難くない。
「いやあ、堅い堅い」
激突の衝撃を散らすように手を振るヴェイグ。握られた槍、その穂先。熟達の技工を持つ名工により極限まで鋭利に仕上げられていたであろうその先端が、今僅かに欠け落ちてしまっている。……如何に優れた魔具であろうとも。
その作り手たちをして錬成不可能と言わしめた神器を正面から突破することは不可能に近い。ここまで優位を保ちながらヴェイグが永仙の首を取るのに及ばない理由も、そのことが大きく関与していた。
「流石は神器の一振り。自動的にこちらの動きを阻んでくるとは、厄介なことこの上ないね」
先の欠けた宝槍を惜しげもなく投げ捨てる。送られるその視線は、回る刃の軌道を見極めようとしているかのよう。……名も無き栄華の剣の持つ能力は、【最善】。
空間を自在に動き回るその七つの刃は、所有者の目的に従って常に最善の方法、最大の効率で物事を成し続ける。今の永仙の目的は〝自身の生存〟であり、それに従って栄華の剣はこれまでのところ完璧にその役割を果たし続けてきた。
「……」
しかしその法外と言える性能を持ってなお、魔術と魔具、どちらか一方を永仙自身が引き受けねばならないという事実。――全ての護りを栄華の剣に任せていては恐らく持たない。
そのことを永仙の理解と直感とが告げている。目的に沿って最適な自立行動を取り続ける栄華の剣ではあるが、それは即ち神器自身の処理能力を超えた事象については対処できないということをも示している。繰り出される魔術のうち二割ほどは神器に任せてはいるものの、自前でヴェイグの近接攻撃を防ぐ手立てに薄い永仙としては、そちらの方に集中して神器の機能を回さざるを得ない。
「……」
これまでの猛攻を止め……攻め入るタイミングを計らうようなヴェイグに対し、永仙は言葉を飛ばすこともなく思考する。――両面の技能において、『赤き竜』を超える混合型。
永仙自身も浅からず武術を嗜むとはいえ、その練度が到底及びも付かないものであることはここまでの攻防ではっきりしていた。得意であるはずの魔術でさえ対処に追われている始末。……望ましい状況であるはずがない。薄氷を足場として削り取られていくような感覚。この劣勢を保つだけでも既に力の大半を注いでおり、そこから更に勝利を掴み取るには敢えて薄氷を踏み割るほどの博打が必要であることは間違いがない。
ただ――。
「……」
永仙の胸中に浮かぶ、一つの疑問。……目の前の相手が過去に類を見ないほど強大な力の持ち主である。そのことを事実として認めながらも、唯一腑に落ちることのないでいるもの。
――この中でそんな力を振るえるということが、そもそも現実としてあり得るのだろうか?
望まぬ苦境とはいえ、永仙とて託す考えもなくただ防衛に徹しているわけではない。続く敵の攻撃から癖や弱所を見極めようとしているのは言わずもがな、その他に幾つか巡らせている狙いもある。そのうちの一つが守りによる攻め手側の消耗。
永仙の符術は発動に術者の魔力を削るのではなく、前以て符に付与しておいた分の魔力を消費して効力が発揮される。肉体面でも栄華の剣が盾としての役を果たしてくれる為、永仙自身はそこまで激しい動きを強要されない。寧ろ視界を覆うほどの弾幕によって魔力を浪費し、神器の突破を試みる度に体力を消耗しているのはヴェイグの方。これまで休む間もなく攻め続けさせてきたことで、見込みでは既に相当量の負荷を与えているはずだった。
「……」
にも拘らず、ヴェイグが息を切らし始める様子は未だ見えない。――兆しですら表れていないのだ。湛えられた余裕は当初よりなんら変わることなく、永仙の前にあり続けている。そのことが……。
「――僕が貴方の【世界】の中で、ここまでの力を扱えることが不思議かな?」
不意の問い掛けが思考を射抜く。沈黙を保つ永仙を見て分かっていると言う風に頷きつつ、言葉の先を続けていくヴェイグ。
「疑問に思うのも当然だろうね。……【世界構築】――」
空間にではない。見回す視線で自らを取り巻く世界そのものを一望し、焦点を戻したヴェイグは言う。
「平行世界の合一に依る力の減衰。――避けられるはずもない。本来なら発動された時点で勝負が決まっていてもおかしくないほどの魔術だ。正に、貴方の秘奥と呼ぶに相応しい」
――そう。
この男の言う通り。――未だかつてない強敵との邂逅に当たり、永仙が初めに発動した術法は【三千世界】。
対象が存在しない九つの平行世界とこの世界とを重ね合せた新たな異位相世界に対象を引きずり込むことで、その存在強度を十分の一にまで引き下げる秘術。如何なる霊格を持つ対象であろうとも『世界』内の存在である以上逃れることはできず、九割方の能力が失われる。最悪の場合は存在強度の薄まりによって『世界』そのものから認知されなくなり、存在消失を引き起こす可能性さえ生まれるのだ。
如何な対処でも防ぎようがなく、発動された時点で彼我の圧倒的な優劣を分かつ。『世界』の概念魔術という、協会の長い歴史の中でも彼だけが扱える技法を有していたことが、かつて並み居る魔術師たちが挙って永仙を大賢者と認めた一つの理由であり、また当の永仙自身もその技法を切り札として認識している理由でもあった。未知の強敵との戦いに臨み、頼みとするのは至極当然であったと言えるだろう。
但し今回の件について言うならば。――如何に【三千世界】と雖もそれ単体で勝負が決まることはないだろうと、そう永仙は踏んでいた。一定レベル以上の相手であれば存在消失に陥るリスクはないし、『アポカリプスの眼』の頭領を務めていたヴェイグの技量は自身よりも上やも知れぬ。そこまではある種永仙の読み通りであり、想定の範囲内。
しかし――。
「……」
永仙はその厳しい表情を崩せないでいる。……三大組織の本部を丸ごと異空間に切り離すだけの術法の維持、加えてその全ての能力を九割方失っているこの状態で、まだ自らを優に上回るほどの力を持つ?
そこまでは永仙とて予想だにしていなかった。先ほどから解決されない疑問となって、彼の心に影を落としている一抹の事実。……力の大きさと言い、量と言い、法外論外が過ぎる。これだけの力をたかが一人の人間が持つなど、現実的にも理論的にも不可能なはず――。
「腑に落ちないようだから、ネタばらしといこうか」
その確認を今一度終えた瞬間、見計らったようにヴェイグから掛けられる声。
「実はこの魔術は、こと僕に対しては効果が薄いんだよ」
「……なに?」
「環境が余りに違う平行世界は合一できないんだろう? この魔術」
問うような目付き。……答えは是。
「残念だけど、貴方たちがいて僕の力の源がないような平行世界はまず間違いなくあり得ない。全くの無駄と言うわけじゃないけど、そうだね。精々……」
そこで少し確かめるようにして。
「……三分の二と言ったところかな。まあ、半無限から三分の一を引いたところで、正直余り変わりはないね」
「……」
「それに他にも理由はある。――これ、何だか分かるかい?」
手首を返すような所作と共にどこからか取り出されたのは、一冊の本。……魔導書。通常ならそれを疑うところではあるが、今はそれ以上にはっきりとした候補があった。
「……神器か」
「ご名答。流石は元大賢者。慧眼だね」
慧眼と言わずとも、見るべき者が見れば自ずと分かる。――本から伝わってくる並々ならぬまでの存在感。形状こそ似ても似つかぬものだが、あれは永仙が所有している物と同じ、神器。
そして神器に限らず、魔具とは基本的にそれ自体で一定の力を秘めているものだ。永仙が用いた【三千世界】はあくまでヴェイグ本人を対象とした術法であり、それ以外で所持者の力を補うような魔道具があれば、その分については如何なる減衰も齎すことはできない。
「『残影の書典』。便利なものだよ」
既に能力の片鱗は垣間見ている。……砕けたはずの剣、投げ捨てられたはずの槍。それらが地に落ちるより前にいつの間にか姿を消しているという現象。今ヴェイグの手に握られている刀、新たな得物であるそれも、いつの間にか手の中に姿を現していた。
「魔具の保管と現出……」
「あらかじめ記録しておいた物だけだけどね。まあそれでも、思うだけで好きな魔具を手元に喚び出せるし……」
永仙の呟きに答えるようにして。――刀から斧、斧から槌へと、頁を捲るようにヴェイグの手の中で得物が切り替わる。続け様。
「壊れてしまった物も、もう一度喚び出せば無傷になる」
現出したのは先ほどの槍、二振りの剣。……欠け落ちていたはずの穂先は何事もなかったかのように元の形を取り戻している。――無限に湧き出てくる魔道具。
一度に操れる数には限界があるとはいえ、数が尽きぬというだけで十二分に過ぎる脅威がそこにはあった。……あとどれだけの種類の魔具があの神器に記録されているのか。永仙に窺い知る術はないし、予測することもできない。このまま耐えていても勝機は無いと言うことを、まざまざと見せ付けられたカタチ。
「しかし――」
全ての魔道具を消し去って。ヴェイグは改めて、永仙の周囲を飛ぶ黄金の輝きに目を向ける。
「厄介だね、その神器は。ちゃちな攻撃では埒が明かない。魔術も上手く防がれてしまっている。ふむ……」
わざとらしく考えるような姿勢を取ったのち、何か思いついたかのように、ポンと手を打って。
「ああ。――そう言えば、ここは貴方の【世界】の中だったね」
清々しい、この状況下では脅威しか感じないような笑みを、永仙に向けた。
「【世界】内で起こされた事象は分離後の現実世界にも引き継がれるけど、今ここで起きる事象を目にするのは僕と貴方以外にはいない。そうなら少し」
ヴェイグの顔から笑みが消える。どここまでも自若としたその眼差しで対峙する相手を捉え。
「派手にやろうか。九鬼永仙」
「――ッ‼」
――起こされるのはこれまでにない極大な力の集束。尋常でない魔力の渦がヴェイグの眼前に形成されていくのを理解し、永仙は即座に防衛の用意を整える。
「〝――相い剋つ神将五行、急ぎ律令の如く為せ〟‼」
完全詠唱。あらゆる感覚と理性とが警鐘を掻き鳴らす最中、懐から取り出したのは神将符霊符を合わせた八十の束二つ。だが、間に合うか――。
「……【Catastrophe】」
永仙のその抵抗を見つつ。ヴェイグの唇から、魔術の完成を意味する言葉が、紡がれた瞬間。
氾濫するその力たちによって。永仙の目前に広がっていたはずの世界が、弾け飛んだ――……。




