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第十六節 式秋光

 

「――やれ‼ 殺せッッ‼」


 響く絶叫。その声に躊躇うことなく従い、意志持たぬ黒竜、飛び出したその身体から赤黒い血と共に咆哮が轟く。張り巡らされた四神と黄龍の防衛を掻い潜り――。


「勝っ――!」


 ――遂に躍り出た黒竜が術師たる秋光の首を捉えた。勝利を確信して上げられた声が、中途で止まる。


「……ッ……‼」


 ――黒竜。四神と黄龍を上回るその凶牙の洗礼を受けてなお、秋光はその場に踏み止まっていた。七十二の黒符が限界までその力を稼働させて作り上げた防壁。それが黒竜の一撃をギリギリのところで押し止めている様に、歯を食い縛る零。


 ――そしてその瞬間こそ、予てからよりの秋光の狙い。


 零にとっては勝利を確信しただろう一瞬。だが全ては、秋光が綿密な計算の上に仕掛けていた罠。黒竜を秋光に差し向けるその瞬間。勝利を掴めると誤認するその刹那には、他の鬼神たちの指揮系統がなおざりになる。秋光の目論見通り鬼神たちは今機械的に黒竜への妨害を通さぬ壁として立たされているだけ。決定打(黒竜)への踏み台として扱われている今ならば、台そのものへの行動は妨害を受けないも同然となる。


「――【式招来・四神並びに黄龍】!」


 矢継ぎ早の詠唱に応え、思い思いの形で鬼神らを捕えた四神と黄龍が秋光の下に転移する。核となる霊符へ働きかけた術法。間接召喚、加えて対象の自主的な協力を得られる盟約の関係を結んでいるからこそ成し得る技でもある。これで鬼神と黒竜、零の支配下にある対象が全て秋光の近域に収まり。


「【強制帰還】――‼」


 そして秋光は息継ぐことなく、この戦いの決着となる術式を発動していた。


「なにッ――⁉」


 ――手綱が消える、消失感に零が声を上げる。結ばれていた対象との隷属関係、それが秋光の術により断たれたのだ。そして消えていくのはそれだけではない。……鬼神と黒龍、喚び出しているはずの姿そのものが薄れていく。


 強制的な支配により限界以上の力を引き出させる隷属ではあるが、弱点もまたその関係に潜んでいる。自らの意志まで支配下に置かれた対象は、術者からの命令が無い限りその他の行動を取ることができないのだ。今のように、本来ならば明らかに身を退く場面であったとしても……黒竜は淀んだ眼をしたまま、秋光の展開した防壁にただその牙を突き立て続けていた。


「嘗めた真似を――!」


 秋光の思惑に気付き、鬼神たちとの間に経路を繋げ直そうとする零。召喚術に対して両者の持つ技術が火花を散らす。


「くっ……この……‼」


 だが如何に天稟に恵まれた召喚士であるとはいえ、同等以上の才を持った秋光、その倍以上の歳月が掛けられた技術の蓄積に及ぶべくも無いことは必然。大勢を変えることもできず、零の奮戦は僅かにその帰還を遅らせるに留まっている。


「クソッ‼ クソォッッ‼」


 猛る叫びも虚しく。零の支配から逃れた鬼神と黒竜は、静かにその姿を現世から別位相へと還していった。……秋光の知る零であれば。


「……ッ……‼」


 常に落ち着いた態度を崩さぬよう努力していた彼であったなら、既に決着のついた事態には気を配らず、即座に次の行動に移ることができていたかもしれない。だが今怒りを露わにする零は、……ただ自らが召喚術で敗北を喫したという、赦し難いその事実に拳を震わせているだけだった。


 そして当然、秋光はそれを見逃すような術師ではない。


「――【制縛・召喚封印・独自式】」


 狙い澄ました詠唱と同時。零の足元に浮かび上がる法陣から、幾重もの白い魔力の帯が撃ち伸びる。肩から両腕へ。


「――ッ」


 容赦なく巻き付き。飲み込まれながら、それでも零は何かをする素振りを見せ掛けたが――遅い。


「――」


 打開策を打ち出す余地を得られぬまま、拘束に零の身体は囚われていた。人の身では解けぬ戒め。勝鬨を上げる黄龍の声が、戦いの決着を示していた。


 ――零だけでなく、鬼神と黒竜も殺さずに決着を付ける。


 それがこの戦いに於ける秋光の絶対方針だった。敵対する間柄になっているとは言え、彼らは零との隷属関係によって戦いを強要されている身。


 自由意志を奪われたその様は戦いに殉じる機械か道具そのものであり、罪は無い。寧ろ彼らは零に依る被害者であるとの見方を秋光は取っていた。……人も異相の存在も変わらない。一方が力で以て他方に争いを強いたのなら、非はやはりそちら側にあると言わざるを得ないだろう。


「……」


 無論、殺さずに済ませるということは下手に殺すより格段に難しい所業。特に強大な力を持つ四神と黄龍の場合にそれは顕著であり、掛かる手間と労力は秋光から魔力の支援(バックアップ)を受けてなお供給量を上回るほどとなる。実際今の戦いにおいても、零に鬼神と黒竜を殺させないことに彼らは多くの力を費やしていた。自らがどれだけ傷付こうとも相手を殺さずに戦い続ける。それが果たしてどれだけ困難な事であるか。


 にも拘わらず秋光のその方針を破ろうとしないのは、彼ら自身が秋光の意向に賛同を示しているからに他ならない。――殺さずに戦い抜く。そこに秘められた決意と覚悟の重さを、四神と黄龍は良く理解していた。彼らが見てきた人間の中でそうした方針を採る者が珍しかったということも初期には間違いなく含まれていたのだが、今となってはそんな理由はとうに二の次となってしまっている。……式秋光という人間。そしてその生き方にこそ、彼らは己の命を掛けるほどの意義を見出しているのだから。


「……零」

「……」


 控える四神たちの後押しを受けて声を掛ける。秋光の前にいるのは打つ手のなくなった召喚士。大逆を犯した反逆者。……自らの弟子。


「……その戒めは、お前の召喚術の行使を封じる」


 そう。零の捕縛に秋光が用いた術法は、対召喚士用に協会が開発した封縛魔術。


 直接召喚にせよ間接召喚にせよ、術者と召喚対象が契約を交わしている限り、両者の間には魔力を通す経路が接続される。


 今秋光が作り出した戒めは、召喚に必要なその経路の展開を封じるもの。召喚術に精通している秋光のアレンジが加えられた術式は、同じ召喚師である零にとっては正しく致命的な術法であると言えた。


「……僕を殺さないんですか?」

「……お前には、話してもらうことがある」


 敗北を理解させられたせいか、その口から漏れるのは先ほどと同一人物とは思えないほどに消沈した声。……一人ではあるまい。


「レイガスの協力で全てを吐いてもらうことになるだろう。然るべき沙汰が下るのは、そのあとだ」

「……」


 掴んでおかなければならないのは今回の襲撃についての情報。……敵方の正体、構成人数、内訳、経緯。聞き出すことはそれこそ山のようにある。秋光の言葉を耳にした零は応えない。仮にも賢者見習いであった零に、今後自らに訪れる運命が予測できないはずもなかった。


 レイガスの術法を以てすれば如何なる相手であろうと捕えられたまま秘密を保持することなど出来はしない。情報を引き出した後に待つのは、場合によっては死より過酷とも言える処罰。


 魔術を始めとした特殊技能社会一切に関する知識の忘却と、魔力生成機能の封印除去。召喚士としての三千風零が、この世から完全に消え失せることを意味していた。


「……お前には死すら温すぎる」


 思い起こされるのは死んでいった協会員たち。目を閉じ、秋光は初めて会った時の光景を思い返す。……弟子になる際の緊張した面持ち。


 修行にどこまでも懸命に取り組んでいた真っ直ぐな態度と、笑顔で秋光の名を呼ぶその姿。瞼の裏に浮かんでくるのは、決して忘れ得ない記憶の数々。


 ――自分がより早くに気付けていれば、果たして何かが変えられていたのだろうか?


「……さらばだ」


 踵を返す。……協会の長として、今は為さねばならないことがある。痛みも後悔も、全てを心の奥底に押し込んで。


「――零」


 最後に一言だけその名を呼び、秋光はその場を後にした――。


「――やれやれ」


 ……全てを恙無く終えたはずの、舞台の上で。


 嘆息するような声が耳を打つ。この状況で発されることなど有り得ない、理解できないその声音に、秋光の足が止められる。


「相変わらず甘いですね、先生」


 直後。背後から伝えられるのは、耳慣れない破砕音。――馬鹿な。


「――」


 解かれた? 手元で消え失せた感覚に思わず一瞬気を奪われる。召喚士が召喚術を封じられた状態で、並みの技法では突破できぬ、あの拘束を破壊するなど――‼


 秋光が振り返った矢先。


「――ッッ⁉」


 押し潰される様な悲鳴。けたたましい重音を立てて壁に激突したのは、金行を司る猛虎の神獣、――白虎。息吐く間もなく血反吐を吐いて動きを止めた、力無く垂れ下がる前足に根元から無残に圧し折られた両の爪。


「――」


 続け様に。青竜、玄武が間髪入れず異なる方向に吹き飛ばされる。前足の一つを捥ぎ取られた青竜。断面から噴き上がる血の奔流に、打ち上げられた玄武が仰向けに落下してくる。鉄槌で殴られたかの如くに砕き割られた甲羅。


「――‼」


 その間に迎撃態勢を整えていた朱雀と黄龍。燃え盛る烈火の翼、動き出す黄金の輝きを過る赤黒い影。秋光の動体視力では追い切れないその影が。


「――ッ――ッッ‼‼」


 翼を翻した朱雀を天より落とし。黄龍の尾と牙とを掻い潜って深々とした裂傷を負わせる。容易く断ち割られた鱗。黄金の輝きが痛ましい唸りと共に鮮血に塗れて部屋に散った。……秋光の魔力から精製された外甲、治癒の速度を上回る衝撃を受け、共に地に伏した二者。


「……」


 その全てが数秒の内に起きた出来事。瞬時の対応を見せた秋光は、その下手人を厳しい面持ちで見つめている。自らの目前、沈黙した四神たちの中央で動きを止めた零。


 ――いや。秋光の眼にする異様は最早、三千風零と呼べるのかさえ定かではない。


 極度に発達した赤黒い筋肉。壮健さより醜悪さを感じさせるその上から身体を覆うのは、光沢の欠けた漆黒の鱗。指先からは伸ばされた爪はそれだけで肉を容易く刻めるほど鋭く強靭で、顔の奥にある(まなこ)は煌々と赤い輝きを放っている。……疑い様も無く強大な、しかしそれと遜色ないほどの歪さを持った、ナニカの姿。


「……憑依術」


 自らの口から震え声が発されていることを秋光は自覚する。……恐怖ではない。拳を握らせるその震えは、断じて恐れ戦きなどから来るものではなかった。


「……そこまで堕ちたか」


 次の台詞でその感情は明白となる。――声の内に深々と刻みつけられた、悲嘆と怒りが――‼


「――零ッ‼」


 胸中を駆ける二つの感情の爆発。それに弾かれるように秋光は呪を紡ぎ出す。――四神と黄龍の救援。そして新たな対象の召喚と、体勢の立て直し。並みの術者であればどれか一つでも困難な技法だが、秋光の腕前ならその全てを合わせても数瞬の間が与えられれば――。


「――ゴフッ」


 ……手が止まる。視界に突如現われた黒。見開かれた瞳は、自らを貫く漆黒の前腕を驚愕の面持ちで目にしている。


「――あなたには関係のないことだ」


 呟きと共に――千切れた黒符の紙片を散らし、引き抜かれた腕。……纏いつく臓腑。決壊した堤防の如く溢れ出す血液が、崩れ行く秋光の視界を鮮やかに染めていく。


「……ッ‼」


 倒れる最中でしがみ付いた指。だがその力も数瞬後には抜け落ち、支えを失った秋光の身体は無様に地へと伏せ落ちる。体躯を濡らしたはずの水の感触は、既に当人にとって現のものとは分からなくなっていた。


 ――零。


〝――よくやった〟


 自らの弟子の名を胸中で口にした最中。秋光の脳裏に浮かんだのは、幼き日の自らの記憶。


〝……まさか〟

〝この齢で、これだけの格の霊獣を喚び出すとは……〟

〝さ、支配の言葉で首輪をつけるんだ〟


 周囲にて口々にどよめいている一同。並びいる列席者たちの前で心なしか誇らしげな声をしてそう言った父。喚び出した霊獣を前に。


〝……〟

〝――秋光?〟


 少年である秋光は黙ってその姿を見つめていた。促すように問い掛けた、父の言葉は耳に入ってはおらず。


 ……そうだ。


 水面のように揺らめく視界。薄れる意識の中で秋光は思う。……自分は、あの時から。


〝――僕と、友達になってくれませんか?〟

〝な――〟


 絶句する父の驚愕。居合わせる人々のざわめきも、次第に広がっていく喧騒も、気にならなかったことを秋光は覚えている。……あのとき自分は、確かにそう思ったのだ。


 ――支配し従わせるのではなく。目の前のこの生き物と、友達になりたいと。


〝……〟


 伏せていた紅い眼が秋光を見る。緊張の中で暫しの間を開けての、軽い一鳴き。


 ――それが了承の合図だった。


 胸に湧いたのは暖かな感触。思えばあれが、秋光にできた初めての――。


「……」


 最早息はない。薄れた世界の中で、回帰する走馬灯を辿りながら。


 式秋光。――その名で呼ばれた老人の目に、静かに帳が落ちた。



 

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