第十四節 召喚士
「……」
七十二の符が織り成す防壁に守られながら、秋光はその戦場を俯瞰する。――戦いが始まってから十数分。
形勢は凡そ、一方的と言うに相応しい様相を呈していた。
「――!」
強烈な突進の衝撃に体勢を崩す鬼神。それでもなお反撃を繰り出さんとしたその拳を、固く強靭な爪が正面から抉り取る。腕、胴、脚。固く剣山の様な体毛は触れた鬼神の部位を文字通りに削り取り、最後に剛腕の一撃を浴びせて床へと沈み込ませた。それでもなお白虎の勢いは止まることなく、続けざまに次の標的へと駆け走る。
「――」
部屋の隅で二体の鬼神を同時に押し込んでいるのは、黒い小山のような塊。力と重量で押し負けながらも鬼神らは目の前の敵に向けて攻撃を叩き込んでいるが、何れもその身体を覆う滑りに威力を殺され傷一つ負わせる事すらできていない。――鬼神らに向かっている巨大な蛇についても同様。自身に向けた一切の抵抗を無意味と成し、身を喰らう蛇にて敵の傷を増やしながら、玄武は淡々と自らの優勢を維持していく。
「――ッ」
空から迫り来る強襲に鬼神が身構える。優雅に、そして自在に空を舞う紅の翼。放たれた炎は鬼神の全身を覆い尽くしてなお余りあるほどの勢いを誇り、助けに入ろうとした鬼神の行く手さえ灼熱で阻んでいく。身を焼き焦がされる苦しみの中で闇雲に振り回された両腕は、炎に閉ざされた視界の中で遂に朱雀の姿を捉えることができなかった。
「……――」
青竜。その青き竜に鬼神たちは近付くことすらできていない。台風もかくやと言うほどの集中した暴風に晒され、ただでさえ鈍くなる歩みを端から激烈な落雷が打ち崩していく。荒れ狂う天候に膝を付き、動きを止めてしまえば後はもうその餌食となる以外の道は残されていない。守りを固め、耐え抜くことでただ精一杯。
――広大な空間の各所で鬼神たちは苦戦を強いられていた。如何に鬼の中で最上位に位置する異形と雖も、四神のそれと比較すれば霊格も存在強度も大幅に劣る。寧ろ今の段階では完全に活動を停止した鬼神がこれまでにいないという事実が、却って零の集めた鬼神の格の高さを物語っている始末だ。
「ちっ! 愚図どもが……‼」
当然零とて彼我の戦力差を自覚していなかったわけではない。――挽回の可能性を託すのは黒竜。四神と黄龍を前に鬼神七柱では勝機が薄いと見て召喚された零の切り札。
洋の東西で括りに差はあるものの、その凶暴性と膂力とが合わさった純粋な戦闘力、存在強度は四神と黄龍を上回ると言って良い。単体で優勢を捥ぎ取ることは不可能にせよ、戦いの中心に飛び込み攪乱の役割を果たすだけでも充分な戦果が上げられる。そこに数で勝る鬼神が加われば勝ちの目さえも見られるという、当初の予定ではそのはずだった。
しかし、実際のところ今に至るこの時まで、黒竜はその能力に見合うだけの戦果を上げられないでいた。――黒竜の前に立ちはだかる黄龍。それが猛る竜を自らの眼前に引き留め、他の戦線に参加させないよう図っているのだ。
「何をしている……さっさとその龍を片付けろッ!」
主からの叱責を受けてなお黒竜は動かない。……いや、動けないと言う方が正しいだろう。
霊格では下、存在強度では上。全力で当たれば一時の軍配は黒竜に上がるかもしれないが、傷付いた身体で他の四神たちを仕留められるかと言えばそれは大いに疑問が残る。無視して擦り抜けようにも互いにこの巨大さではまず不可能。何より黄龍は他の鬼神たちには目もくれず、戦いの開始から黒竜だけを自らの敵として見据えているのだ。――相手をしないわけにはいかない。だが戦えば戦には負ける。その判断が決断を鈍らせ、黒竜を攻めあぐねさせる原因となっていた。
――基本的な能力は四神たちの側が上とは言え、数の上では鬼神たちの側が大きく上回っている。戦術如何によって個々の能力差を縮めることは当然可能であり、むしろここまでの戦況差が付くことは考え辛いはずだった。
にも拘らずそれが現実のものとして成り立っているのは、偏に両陣営の戦い方の違いにある。四神たちが互いに特性を理解し合い端から連携を以て相手に当たっているのに対し、個々の力で事に当たろうとした鬼神と黒竜は数を生かせず、戦闘開始直後からその勢力を分断されてしまっていた。特に。
強大な戦闘力を誇る黒竜の身動きが取れないことはどう考えても痛手。鬼神たちが黄龍の動きを抑えに掛かり、その隙に黒竜が四神たちに損傷を負わせるという体を取っていれば些かでも戦況は異なっていただろう。……それを今の時点で悔やんだとしても既に遅かったし、そもそもそれを省みるような思考を彼らは持ち合わせてはいないのだが。
「……」
秋光は再度矛を交える両陣営の動きを見る。……ここまでは至極順調。このまま何事もなく進めばこちら側の勝利で事が終わり、それで決着が付く。そのことを秋光は確信していたし、またそうであって欲しいとも強く願っていた。
「――分かりました」
だがそれが叶わない願いであることを、秋光は耳に届いた一言から感じ取る。
「ここまであなたたちが使えないとは。……良いでしょう。少しは好きに動かさせてやるのも一興かと思いましたが――」
苛立ちに満ちた言葉と共に、零の周辺から新たな魔力の脈動が起こる。今までよりも一際強く、そして荒々しい力の波。
「もうお前たちの意志は、必要ない」
冷酷な主の声。それに反応してか、鬼神たちと黒竜は一瞬、無理矢理に奮闘するような姿勢を見せたが――。
「――ッッ‼」
次の瞬間に、黒竜が黄龍の巨躯目掛けて突進する。――捨て鉢の特攻。予てから思い描いていた図の通り、黄龍は冷静さを以てその攻撃に返礼を返す。
「――⁉」
だが繰り出された黄龍の尾による一撃を、黒竜は躱そうともしない。強かにその身を撃ちつけられながらも懐へと飛び込み、その鉤爪と牙で黄龍の喉笛を割かんと突貫する。
「ッ――」
異変が起きているのは四神たちの側も同様だった。白虎の前腕に薙ぎ払われた鬼神。それが通常では有り得ない速さで体勢を立て直したかと思うと、白虎の顔面目掛けて拳を叩き込んでくる。咄嗟に眼前で交差させた前腕。しかし鬼神は構うこと無しに、その槍の如き体毛に拳を打ち込み続ける。……外皮が割け内側が剥き出しになっていく中、何度も何度も、執拗に。
「――っ」
悠々と空を舞っていた朱雀だが、不意にその翼を素早く反転させ、斜めに急上昇する。……炎にただ焼かれているだけだったはずの鬼神。それが突然目を開いたかの如くに朱雀目掛けて跳躍してきたからだ。掠めるだけに終わった指の感覚を確かめるように何度も開閉を繰り返しながら、降り立った鬼神は炎の中で空を舞う朱雀に焦点を合わせる。
「――ッ……‼」
力を分散させる滑り、我が身の損傷を無視して鬼神たちが蛇を掴もうとする。一体が完全に身を捨てて捕縛しようとしたその挙動を寸前で回避。異常なまでに上がっている力に押し返されぬよう、玄武はより一層強く力を込めた。
「――!」
嵐の中を猛然と駆け進んで来る異様に青竜は目を疑う。咄嗟に阻む落雷の数を増やすが、鬼神たちは今までに見せたことの無い機敏さで雷を躱し、身に落雷受けてなお足を止めることが無い。吹き荒ぶ烈風の威力を最大限まで上げ、辛うじてその歩みを押し留める。
――秋光と零。両者には召喚に用いる仕方だけでなく、召喚対象との関係においても違いがある。
秋光のそれは、盟約。召喚者と被召喚者との信頼関係を前提に、対象の自主的な協力を得ることで制御に回すべき魔力が激減。その分の魔力を被召喚者の補助に回し、互いの自由意志に基づいた高度な連携を可能にする。間接召喚の短所である出力制限をも覆すほど。
対する零のそれは、隷属。圧倒的な力量差を土台に制御を強め、召喚対象を自らの命令に服従させる。これにより召喚対象に限界以上の活動を強いることも可能となる反面、対象の意志を押さえ付けて使役する分、制御に注ぎ込む魔力量、集中力は増大する。
零は召喚対象と隷属の関係を結んでいることに、秋光は始めから気付いていた。……鬼神と黒竜の態度を見ればそれは明らか。魔力消費の膨大さを鑑みて端から強制的に操ることはしなかったようだが、戦況が劣勢に傾きこのままでは打開が望めないと見た今になって、遂に零はその利点を存分に振るいに来たのだ。
「――」
召喚の核となる黒符を伝い、秋光は四神と黄龍へ更なる魔力を送り込む。零の様に大幅な戦力の増強は見込めないが、少しでも負担は軽くなるはず。
一転して攻勢を仕掛けてきたとはいえ、当然それも長くは続かない。……続けられるわけがない。鬼神と黒竜は共に今、自らへのダメージを省みることなく、最大限の戦果を発揮するためだけにその身体を酷使されているのだ。如何に強大な力を持つ種族であろうとも、常に膨大な負担が掛かり続ければ我が身を滅ぼすことは必然。いずれどう足掻いても動けなくなる時が来る。
零にしてみればしかし、それまでに何ができるのかということの方が重要なのだろう。秋光は推測する。ある程度戦況の不利を解消できるこの時間。零は鬼神たちを使って形振り構わずに、こちらの首を取りに来るはずだ。それこそ自身が操る者たちの安否など、一切考慮することなしに。
「……」
秋光の心を更なる悲しみが襲う。……異形は決して、ヒトではない。
だが、彼らと自分たちの差異などそれだけだ。召喚される彼らにも歴とした意志があり、その点において彼らは自分たちと対等であるはずなのだ。
事ある毎に教えてきたはずだった。召喚士はまず何よりも自分の喚び出す相手を尊重し、信頼を結ぶことが前提にあるのだと。隷属という関係は秋光の信条から最も遠いものであり、今それを使い、なお且つそれを最大限に活用しているということは、即ち――。
――自分の知る零は、最早どこにもいないということだ。
いや、優秀な才を秘めた術師としてならば、或いは残っているのかもしれない。鬼神、黒竜を独力で縛り上げ隷属の関係を結ぶなど、並みの召喚士にはどう足掻いても出来ぬ芸当。こと腕前について言うならば、今の零は正に秋光からしても充分に強力ということができた。
ただその在り方は、明らかに協会を導いて行く者の在り方ではなく。
力に溺れて事を為す、あの――。
「……」
秋光は目を閉じる。差し掛かる戦況は佳境。零の呪縛が解けぬ限り、気の抜けない状況が続くことになるだろう。判断を誤れば覆されることもあるやもしれぬ。
それでも秋光は、今の零に一片たりとも敗北を期する気はしていない。――負けられない理由がある。道を踏み外した弟子を止め、その償いを受けさせるため――。
「……」
願わくば道を正し、また共に同じ道程を歩んで行きたかったという思いを噛み締め。
協会の長としての、そして何よりも師としての秋光が、最後の務めを果たす時が迫っていた。




