第十二節 弱者
「……」
確信と共に撃ち放った、渾身の一撃。
それを迎えたのは、刀身が肉に食い込む不慣れな手応えではなく――。
これまで鍛錬で幾度となく繰り返してきた、あの感覚だった。
「……この程度か」
愕然とする俺の耳に届く、どこまでも冷ややかな父の声。……何が起きたのか。理解できない事態への当惑。それにかかずらう思考で脳が埋め尽くされる。必中を期して放たれた……。
「――」
俺の【無影】。漆黒の軌跡を描いて突き進んだ刀身は今、何にも突き当たることなく虚空でその動きを止めていた。より厳密に言えば、振り抜くはずだった軌道より遥か斜め上に逸らされた状態で、だ。
……何だ、今のは? 心に沸き上がってくる問い。この至近距離で、攻撃が当たらなかった。
避けられたのでも、受けられたのでもない。より繊細でより高度な何らかの技法。――流されたのか? 様々な考えが交錯した挙句に漸く回答らしきものに辿り着くが、そのことが逆に俺を更なる当惑へと誘い込む。
「どれほどの積み重ねを得たかと思えばな」
父の佇まいに刀を動かした様子はない。記憶が確かなら腕すら振るわれてはいなかったはずだ。手首から先を僅かに動かしただけ。ただそれだけの所作で、威力もタイミングも完璧だったはずの一撃が完全に対処された……?
「あれだけの隙を与えてやったというのに……」
「――」
届くその言葉が耳を打つ。……俺が行けると思った機会。それらは全て俺に【無影】を打たせる為、父がわざと作って見せたものだったということか?
ならば俺は、最初から――。
「……っ!」
そこまで来て漸く理解が現実に追い付く。……決定打であるはずの攻撃は流された。
逸らされた終月は手元から大きく外れた状態。つまり今俺は、敵の前で余りに致命的な隙を晒してしまっている――‼
「っ⁉」
だが慌てて身構えようとした俺に対し、父はなぜか刃を向けることなく刀を納めたまま後退する。……意外なその所作に反応もできないうち、先ほどとほぼ同じ構図で、六メートルほどの距離が再度父と俺との間に開けられた。
「――弱過ぎる」
飛ばされたのは捉え違いようもない明白な叱責。心臓に突き刺さるような絶対的な評価。
「あの二人と比べても及びも付かない。まさかその程度の技量で戦いの場に立ち、刀を握るとはな」
その目に宿る鋭利な光。かつての俺には見せたことの無い冷酷な視線に、体勢を整えようとした出鼻を挫かれる。……しっかりしろ。今の父は、膝を屈することは出来ない敵――。
「……教えてやる」
どうにか見据えた先で父が構えを取る。……あの構えは俺と同じ。
「――蔭水の奥義とは、こういうものだ」
【無影】――。
「っ――?」
蔭水流における最速の一刀。それに対応する為、終月を構えた刹那。
――消えた。それを意識するかしないかの内に走る冷たい感触。理解より先に怖気が俺の背筋を掠めた――。
「――ッあ⁉ っ……!」
その感触が瞬く間に焼けるような痛みへと変わる。熱を発するのは双方の肩。視界の端、頬に何かしらの液体が飛び散る。――その一瞬で何が起きたのかは問うまでもなく明白で。
「――影の太刀とは先の先。奥義である【無影】は、得体の知れぬ異形に一手の反撃も許すことなく切り伏せるための技」
切り抜け終えて俺の背後に立っている父が、言う。痛みが早鐘のように脳裏で鳴り響く中、涼やかな納刀の音が耳に届いた。
「それを為すには抜きの動作は必然だが、重心の移動、足捌き、視線の運び、何よりそれらを刹那に纏め上げるだけの精密さが求められる。……お前が今身を以て体感したように」
――痛みで思考が安定しない。ただ本能に従って振り返った視線の先。……気負いのない立ち姿のまま、凡そ二人分ほどの距離を取って俺を見る父の眼。
「お前のそれはただの力技に過ぎない。技とすら呼べぬ子供騙しだ」
どこまでも落ち着いた声音。その冷たさが、首に刃物を突きつけられているかのような恐怖を俺に与えてくる。反射的に距離を取ろうとして――気付く。脚に走る鋭い痛み。流れ落ちるのは、先に飛び散ったのと同様の――。
「ッ……!」
――切られていたのか? あの一瞬で肩だけでなく、脚までも?
「――動くな」
力が入らない。体重を支えることができずに崩れ落ちる。痛みのせいか、【魔力解放】も途切れてしまっている……‼
「両脚の腱を切った。お前の身は既に、死に体だ」
「黄泉示さんッ⁉」
叫び声が上がる。二人の治癒に掛かっていたフィアが、此方の動きに気付いた――。
「――来るな、フィア‼」
「――」
叫ぶことしかできない俺を余所に、視線を動かした父の瞳がフィアを捉える。駆け寄ろうとしていた姿勢のまま、立ち竦む両足。
「……治癒魔術か」
呟いて父はゆっくりと歩いて行く。動けないでいる俺を置いたまま、フィアたちの方へ。
「腕前も悪くない。この短時間の内に、二人の重傷者の応急措置を終えている」
二人が一命を取り留めたことに安堵する余地さえない。動こうとする度に痛感させられる事実。腱を切られているせいか、足に、力が入らない……‼
「……此処で死ぬとは、惜しい限りだな」
とうとう数メートルの距離で対峙した。身構えたフィア。障壁が倒れたままの二人を包み込む。だが。
「……自分の身を守らずとも良いのか?」
「……っ」
「――フィアッ‼」
俺の声にも、フィアは新たな障壁を展開しない。――出せないのだ。恐らくは二人を治癒する過程で魔力の大部分を使い切った。表情にそのことを悟って絶望的な気分になる。障壁もなしでは、父には到底。
「……」
何の守りもなしに、それでいてリゲルたちを守るように立ちはだかっているフィア。その姿を前にして、なにを思ったか。
下ろされた父の手の指が、刀の握りに掛かった――。
……その時。
「――」
瞬きなどしていない。連続する意識の一瞬の合間に、フィアの前に出現していた魔力の壁。――一瞬障壁を出すことに成功したのかとも思うが直ぐに違うと気付く。……あれは。
「――」
「え――きゃっ⁉」
鋭利な刃物のような父の視線が俺の方へ向けて僅かに逸れる。――同時に響いたフィアの声。上げられた声の意味は、俺自身もよく分かっていた。……動いている。
「ッ――」
蹲ったままでいる俺が、なぜか。俺でなく地面が動いているような感覚。倒れたままのリゲルとジェインも。父を避けるように大きく迂回したフィアたちと俺とが近付き――。
「あっ」
「……っ」
「――ああもう、何だってこんなことになるんだか」
「今それを言っても始まらないだろ」
部屋の入口近くで止まった。耳に届いてきた二つの声。その正体はもう分かっている。目の前で尻餅を付いているフィアに――。
「――大丈夫か?」
「……は、はい。――っ黄泉示さん、血が――‼」
「――全く」
二人への障壁を解除した分か、言葉の途中で即座に治癒魔術を発動させるフィア。それまで後ろにいた二人が、父から俺たちの姿を遮るように前に立った。
「どれだけついてないのよ。あんたらは」
「まあ、ここまで来ると逆に豪運だな」
「……立慧さん」
「千景先輩……」
俺とフィアが。それぞれ発した声が耳に届く。先に鬼の掃討に向かった二人――先輩と立慧さんの姿がそこにはあり。
「悪かったわね」
立慧さんの発した言葉に、一瞬意味が分からず反応が止まる。
「この部屋にいたんでしょ、あいつ。潜んでる輩に全く気付けなかったってのは、全面的に私たちの落ち度だわ」
「……支部長か」
既に反転し。現われた先輩たちを父は何の感慨もない目付きで見遣る。……瞳の色は至極平静。二対一のはずだが、形勢の不利などは微塵も感じていないらしい。
「縮地法……それが本来の用い方というわけか」
「蔭水冥希……本物だとしたら大物ね」
「……」
真っ直ぐに視線を向けて父と対峙する立慧さん。それとは別に、先輩が俺たちの現状を素早く把握するように目を走らせる。……頷いて。
「問題ないな。蔭水の治癒はカタストに任せる」
「――はい」
「……千景」
フィアの頷きを受け、続く立慧さんの声に頷く先輩。その返しを見届けて。
「――」
立慧さんが更に前へと進んで行く。……セオリー通りなら、近接戦闘に秀でる立慧さんが前衛。
「……」
術師である先輩は後衛だ。それを理解していてなお、見つめる俺の方には緊張が走らざるを得ない。……あの父と、形の上とはいえ一対一で対峙するとは。
「……お前たちで私の相手をするつもりか?」
「始める前に一つだけ、訊かせて頂戴」
掛けられた父の問いには答えることなく、相対した立慧さんは、逆に問いを投げ掛けていく。俺たちの方を親指で指し示し、顎をしゃくって。
「あいつ、あんたの息子なのよね? 知らなかったかもしれないけど、あんたが切った二人はあんたの昔の仲間の身内」
眼差しを見なくても分かる。その口調に隠された険。内で磨かれている、静かな刃に。
「それでもまだ、こいつらを殺そうとするつもり?」
「……それが、何か私の目的を阻むようなことか?」
「……そう」
詰まらないことを訊くなと言うような。どこまでも平静さを乱さない父の返答に、立慧さんはポツリと零し。
「なら、いいわ。《救世の英雄》――」
宣言するように。ある種の決別を告げるように言った。
「あんたたちの話を聞いて、あんたたちに憧れてた頃もあった。つい最近も現実を見せられた気分だったけど、あんたに比べりゃ億倍マシ。……まさか、英雄なんて呼ばれてる中にここまでの屑がいたとはね」
言葉に乗せられるのは嫌悪。怒りと綯い交ぜになった拒絶を、これ以上ないほど明瞭に突き付ける。
「あんたはもう、《救世の英雄》なんかじゃない。――ただの人殺しよ」
「……良く動く口と手だ」
――手? 父の台詞に立慧さんの手元を見る。俺の目には何も、動いているようには見えないが。
「風水術……各上を相手にする際は、やはり運を天に任せると言うことか」
「余裕のつもり? 笑えないから、それ」
立慧さんが構えを取る。その身体のあちこちから煌々と魔力が熾されていき。
「あんたたちがどれだけ強いのか知らないけど――支部長、舐めんじゃないわよッ‼」
叫びと共に。地を蹴った立慧さんに対し、父が半身の構えを取った。




