第十一.五節 師と弟子と
「……」
――建物の内部とは思えぬほど広大な空間。いや、よく見ればその広さ、天井までの高さは外から確認できる建物の大きさを優に超えている。……大規模な術式が付与された拡張空間。
壁際を樹木が生い茂る風景。一見して外かと見間違うその内部には様々な個所に幻惑の魔術が仕掛けられており、侵入者をそこに辿り着かせない仕組みになっている。相当の技量を持った術師でなければ突破することは不可能。
「……」
部屋の中心からやや離れた位置。迷うことなく其処に辿り着き、床に薄く満ちる水の上に一人の人物が倒れ伏しているのを秋光は見止める。良く見知ったその姿。
「……零」
掛けられた声に反応して、その人物の身体が僅かな身じろぎを見せた。
「せ、先生……」
力ない所作で上げた顔を秋光の方へと向けるのは――三千風零。……弱々しい呼吸。周囲に横たわるのは、零と共に中に入ったであろう魔術師たち。微動だにしていないこと、魔力の気配が消えていることから、その身体に命の火が残されていないことは直ぐに分かる。何れ協会を背負う者として整然さを好み、常に染み一つ、皺一つ無かった零のシャツは、今目にするのも厭わしい赤色で染められていた。そんな……。
「……心配、しないで下さい。不覚を取りましたが、僕はまだ動けます……」
弟子の姿を秋光はどこか哀しげな視線で見遣る。ゆっくりと。痛みに耐えるように顔を顰めつつ、立ち上がる零。不安と緊張に満ちたその視線が、正面から秋光を見据えた。
「ここは危険です。彼らを殺した鬼がまだ潜んでいます。一旦外に出て、残っている協会員たちの指揮を――」
「――いい」
「え?」
突如として自らの声を遮った秋光を、零は不意を突かれたような顔で見つめる。
「……もう、終わりにしよう」
師が何を言っているのか分からない――。そういった表情で狼狽える弟子の姿に、秋光は淡々とした口調で言葉を続ける。
「冥府魔道の門。――鬼門を開き、あれだけの悪鬼を使役することのできる者」
自身の推測の確からしさ。それを確かめたことへの悲しみを、心の内側で噛み締めながら。
「そんな芸当ができる術者を、私は多くは知らない」
「な、何を言っているんですか先生? これは明らかに、凶王か九鬼永仙の手に依る襲撃――」
「――いかなる力を持った術師であろうと」
茶番は不要。言い逃れの出来ぬよう、自らの推理を支える証拠を突き付ける。
「協会の結界を破らずに侵入できる者などいはしない。……この本山の、外部にはな」
そう。今回の襲撃。直前に為された大規模な空間魔術により本山は龍脈から切り離され、魔力の供給源を断たれた大結界はその効力を失った。
――だが非常時に建物自体に秘められた魔力を用いて作動する防御結界は、極めて正常に作用していたのだ。
一時的な措置とはいえ、本山を取り囲むほどの結界が仮に部分的にでも破られたのであれば四賢者たる秋光がそれに気付けないはずがない。にも拘らずここまで事態への対処が遅れてしまったのは、偏に結界が破られないままあれだけの召喚劇が行われたということに尽きている。そしてそれを成し遂げられるのは、即ち――。
「内部の者でなければ、この強襲を成立させることは不可能だ」
本山に勤務する協会員、それも召喚士として極めて優れた腕前を持っている者に限定される。四賢者たる秋光の知識からすれば、現状でのその候補者は賢者見習いたる零しかいない。
「……」
突き付けられた秋光の言葉に、零は俯いて視線を落とす。――その顔が、次に上げられた時。
「……なんだ」
その表情に浮かぶ色は、普段秋光が目にするそれとは似ても似つかぬものに変化していた。
「やっぱり分かっちゃってたんですか、先生。残念ですね」
肩を竦めて――おどけた体で零は言葉を紡ぐ。そこに先ほどまでの誠実そうな青年の姿は、最早欠片も見受けられない。
「ここに駐在していた魔術師たちを殺したのも、お前の仕業か?」
「ええ。――平和ボケしているとは言っても、ここを任された連中はやはり中々に腕が立ちます。先生や葵さんに加えて彼らにも出張られると、折角陽動の為に喚んだ鬼どもを根こそぎ処理される可能性がありましたからね」
悪びれることも無く、寧ろ誇らしげにさえ……零は自らの凶行を口にしてみせる。
「不意打ちを仕掛けたのに即刻体勢を整え直されては意味がない。だから彼らには特別強力な鬼を当てたんですが……」
そこで零は、自身の周囲に倒れる魔術師たちを目にして。
「――まさか二人も取り漏らすことになるとは。結局、僕が直接手を下すことになってしまった」
品のない舌打ちと共に、そう、言い放った。
「ちゃんと仕留めろと言っておいたんですがね。困りますよ。無能な下のせいで、こっちが尻拭いをさせられる羽目になるのは」
続けざまに雑言を吐き捨てる。……その仕草は、最早秋光が弟子として知る零の人格とは全くと言っていいほどかけ離れたもの。
「先生もそのせいで気がついたんでしょう? 鬼門の方は悟られないよう入念に準備してきたはずですし、喚び寄せた後は独立させてますから。気付かれる要素がない」
――鬼門。概念上は冥界と現世とを繋ぐ門であり、主に鬼を使役する術者が目指す一つの頂点。鬼は術者の魔力を用いずこの門を通過して現世に出現するため、通常の召喚では考えられない数の鬼を喚び出すことが可能になる。喚び出される鬼は下級とは言え魔族の一端。凡百の魔術師では対抗できない戦力を備えている点も長所と言えた。
但し、この術は魔術協会によって禁術に指定されている。……理由は単純。喚び出すのに魔力を消費しないということは、現われる鬼たちは即ち術者の支配下にはないということだからだ。
鬼門の方でさえ一旦現世と繋いでしまえば維持に術者の魔力を必要としない為、そこを通って鬼たちはそれこそ無尽蔵に現われることになる。……技能者とはいえ人間が無数の魔族の群れを統率することは著しく困難であり、勝手気ままに動く鬼たちの引き起こす周辺への被害は想像するだに甚大なものとなってしまう。――無作為な混乱を振り撒く禁忌。
この事態が起こった直後から、分析によって秋光はこれが弟子、三千風零の手によるものだと気が付いていた。しかし用いられた鬼門という召喚対象の特性、及び零も承知の上で魔力を隠していたためか、本山のどこに彼がいるのかまでは掴めないまま。ひとまずは協会員の救出を優先しようと階下に降りた直後に、この部屋の方角から微かに零の魔力の波動を感じたのだ。
「……」
零の問いには答えることなく、秋光は犠牲となった術師たちに心の中で哀悼を捧げる。……思考を重ねれば零の目的に気付くことは可能だったかもしれない。だがこの段階でそれを突き止めることができたのは、偏に彼らのお蔭だとしても決して過言ではなかった。――意識を切り替え。
「――『永久の魔』」
秋光が口にするのは、かつて討滅されたはずの古い脅威、その名前。
「御し得ぬ災厄を解き放ち、自分たちをも破滅に陥れるつもりか?」
「さあ? 僕にとってこれは事のついででしてね。詳しいことは他のメンバーにでも訊いて下さると幸いです」
「……鬼門で召喚した鬼は術者の制御下にない」
その点についてまともな回答は得られぬと。判じた秋光は、別の質問に移る。
「お前も当然彼らの攻撃対象に含まれているはずだ。なのにどうして、魔力を使わずにここまで辿り着くことができた?」
「……僕を襲う? 面白い冗談ですね。先生」
零は笑う。真剣な表情の秋光を前にした中で、ただ本当に無邪気に、可笑しそうに。
「あいつらに僕を襲えるわけがないじゃないですか。――いやあ、下等な異形種にしては、中々に物分りが良かったですよ?」
秋光もそれ以上言葉を重ねて問うことはしない。零の言動からすれば、彼がどんな手段を用いたのかは明白だったのだから。……魔力を介した術式上の誓約関係がなくとも。
原始的な方法で脅しを掛けることはできる。鬼門から現われる異形たちを更なる力で以て抑え付け、従わせる。そして零は十中八九、その方策を採ったのだろう。
事実あの鬼たちは、秋光との力の差を目にしても逃げ出すということがなかった。死ぬだろうということが分かった上で、それでもなお恐怖に追い立てられるようにして、必死で秋光へと向かってきたのだ。
「先生には合わないのかもしれませんが、やはりそれが一番確実ですよ。逆らえない力の大きさを見せてやれば……」
それは偏に零を恐れたから。自分たちに苦痛と恐怖とを与える支配者を。
「――怯えて従うしかない。頭の働かない馬鹿ばかりで助かります。その分こちらが従えるのに無駄な労力を割く必要がない。まあ、魔術師たちの方はもっと単純でしたからね」
「……どういうことだ」
問う。聞かずとも待ち受けている答えの中身など大方予測が付いたし、それが正しいだろうという確信もある。秋光の口から出たのは、単なる様式美とも思えるような一見して無意味な問い。
だがそれを他ならぬ零自身の口から聞くということが、今の秋光には必要だったのだ。
「――〝手傷を負ってしまって戦えない〟。怪我を負った振りをして弱々しくそう呟くだけで、全員僕を守るために馬鹿みたいに必死で戦ってくれましたよ」
含み嗤い。その身振り。あってはならない冒涜に。
「警戒心というものが無いんですかね? 先生にも見せたかったですよ。僕に裏切られた時の、彼らのあの間抜け面を」
戦慄く拳。握り締められた皺だらけの掌から、痛みが伝わってくる。秋光を前にして――。
「嫌だなあ。そんな目で僕を見ないで下さいよ。――全ては彼ら自身が招いた結果なんですから」
零は。かつての面影の残る苦笑いと共に、肩を竦めた。
「平時において味方さえ疑えないような警戒心のなさがこの事態を招いた。それに僕が言ったのは、嘘だけじゃない」
言葉の中途から変えられた声色。秋光も先程から感じていた気配が空間の中で蠢く。
「ここは危険だと言いましたよね、先生。鬼が潜んでいるというのは確かに嘘ですが――」
二人の周囲に現われる巨大な影。其処で漸く――。
「此処に潜ませたのは、それよりもっと厄介なものなんですよ」
「――」
部屋の中に潜んでいた異形はその正体を露わにした。秋光が目を向けた先、――鬼神。
鬼の中でも最高位に当たる霊格を有し、神として呼ばれるに至った偉業。計七柱のそれらが今、零と秋光とを見下ろし取り巻いている。
「【鬼神七柱】。どうですか? 僕の召喚術の腕前は」
得意げな零の声。敢えて答えるまでもなかった。この時まで具体的な正体を悟らせず隠れ潜ませていたとなれば、その技量は最高位魔導師、四賢者に比類する。
「地獄の鬼どもと違って、元は自然神に近いものですからね。外に近い環境が整えられているこの場所なら、存在を溶け込ませることは容易かった。――ところで」
それまで高らかに語っていた零の口調が、変わる。
「どうして四霊を還したりしたんです? 僕が下手人と分かっていながら、みすみす無防備な状態でこの部屋に乗り込んできた」
召喚術には術の発動から対象が召喚され切るまでの間、幾許かのタイムラグがある。既に七柱の鬼神が場を取り囲んでいるこの状況。如何に素早く術を整えたとしても、攻撃がより早く秋光に届くのを防ぐことは難しい。
「……」
「もしかして、僕を説得できるとでも思っていたんですか?」
秋光は答えない。静かに話す零の姿を見つめている双眸に対し、零の口元に浮かぶのは嘲りの笑み。
「無理ですよ先生。僕は今、他ならない自分の意志でここにいる。戻るつもりなど更々ありませんから」
残念ながら、と。その豹変ぶりからは考えられないほど変わらない爽やかな笑顔で、零がパチリと指を鳴らした。
「――ではさよならです。先生」
高みから秋光を見下ろしていた鬼神。その中の一柱の手が、秋光に向けて伸ばされる。
「少し呆気ない気もしますが、幕切れとはこんなものですかね――」
家屋さえ握り潰せるような巨大さ。蟻の如く標的を捻り潰さんと、秋光をその掌中に捉えた――。
「――」
刹那、寸前まで迫っていた鬼神の手が、弾き飛ばされた。
「何――?」
零の口元から笑みが消える。見直した視線の先に移るのは、黒い壁。……いや、よく見ればそれは、壁ではない。
「……」
――符。ただの黒色と見間違うほどにびっしりと呪文が書き連ねられたそれらが、整然と列をなして一枚の長方形を形作っている。一枚一枚がただでは触れられぬほど強大な力を秘めた、霊符の壁。それに鬼神の掌は接近を阻まれていた。
「……四霊を還したのは、お前を説き伏せるためではない」
――【黒符七十二符】。作成に手間を掛ける特殊な霊符七十二枚を使い捨てにする秋光の秘術。式家に伝えられる秘伝であり、発動と同時に周囲に強力な防壁を発生させる効果を有している。呻る魔力と共に発すのは押し殺した感情の籠る声。先ほどまでと違い、その中には確然たる決意が秘められている。
「騒動の元凶たるお前を、確実な形で仕留めるためだ」
だが防壁はあくまでも副次効果。その本来の効力は、術者の魔力保有量を一時的に増加させ――。
「【黒四天】――!」
普段なら扱えぬキャパシティの魔術行使を可能にすること。懐から符を取り出すのが合図となったかのように、板を模っていた七十二の黒符が秋光の周囲に散開する。術名以外が破棄された簡素な詠唱。四方に擲たれた四枚の符を中心として、強大な力の塊がその姿を明確にした。
「――」
床から溢れ出る黒い水。流水の中から丘陵の如く盛り上がり姿を現したのは、甲羅に蛇を巻き付けた巨大な黒亀。――玄武。
「――ッ」
鳴り響くのは擦り合わされる鋭い金属音。爪牙を構えるは白き大虎。――白虎。
「――……」
雲のない天上から幾筋もの線を地上まで刻むのは猛き雷鳴。吹き荒ぶ竜巻の中から姿を現すは青き竜。――青竜。
「――‼」
甲高い鳴き声と共に。巻き起こるのは紅蓮の炎風。現われしは羽ばたきに炎纏う赤き神鳥。――朱雀。
「――【黄龍招来】」
「――」
中央に高く投げ上げられた符を憑代に、黄金色の龍が姿を現す。唸りを上げずとも轟く気勢。先んじて揃い踏んだ四体の中心にて螺旋の蜷局を撒くその姿は、正しく五行を支える龍に相応しい。……圧巻。
「……」
広がる光景は偏に荘厳。四神に黄龍、五柱の神獣が、今ここに揃ったのだ。如何なる相手であろうとも畏怖せしめるだろう秋光の全霊、それを前にして。
「は、はははっ……」
肩を震わせる。……零が放ったのは。
「ハハハハハハハッッ‼」
タガが外れたような、壊れたような哄笑だった。
「素晴らしい! 流石ですよ先生! それでこそ、僕が見上げた術師だ‼」
見えるのは紛れも無い歓喜の情。狂気ともつかぬ色を映した瞳が怪しく輝く。
「そのあなたを超えて――僕は最強の召喚士になる‼」
叫ぶ零の足元に巨大な法陣が出現する。無言の詠唱を受けて脈動する魔力の大波は、暗く邪悪な何か。
「来い、【黒竜】――‼」
喚び声に応え、法陣の中に浮かび上がる影――。
「……」
黄龍に匹敵するほどの巨体。その赤き眼に滾るほどの憎しみを宿し、漆黒の鱗に覆われた巨大な竜がここに顕現した。
「――行け! あの四神どもを、殺し尽くせッッ‼」
主の命令に従い、控えていた鬼神らと黒竜とが動き出す。揺れ動く地面。大気の震えを感じ。
「――」
「――ああ」
声なき黄龍の声を受けながら。秋光もまた、四神たちと共に戦いに身を投じた。




