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第十一節 一撃

 

「――」


 父と俺――彼我に渡された距離は六メートルほど。


 到底安堵の出来る間合いではない。……先にあの扉まで一瞬で移動したことから考えても、この距離は父にとって恐らく距離ですらないのだろう。――その気になりさえすれば一瞬。


 ――前を見ろ。


 怖気付きそうになる自らをそう鼓舞する。……竦んでしまっていては何もできない。緊張を漲らせ、しかしあくまでも力みはなく。


 ――蔭水流の理念は、一技必殺。


 幼い頃父と母から聞いた記憶。人ならざる異形をも対峙の範疇に含む蔭水の剣は、如何な特異な相手に対してであっても勝機を厚くする為、考え得る状況それぞれに対応できる必殺の技を編み出してきた。様々な流派から剣理を吸収し、打ち直し、独特の一技へと昇華させる……。


 そんな工程を繰り返して完成された奥義。状況ごとの異なる剣理において結晶した技たちは、各々の構えや予備動作に特徴がある。……それでも蔭水の理念に従えばただ一技で敵は屠れる。見た者が決して生きては帰れないが故に、本来であれば問題とならないその部分。


 ――だが、今この状況においてならわけは違う。


「……」


 十年前。当時剣の修行をしていた俺は父にせがみ、蔭水の奥義の全てを披露してもらったことがあるのだ。勿論実戦の中でということではなく、演武、型のようなもの。子どもの俺でもはっきりと分かるように動作の一つ一つが遅く、丁寧なものにされていたことだろう。


 だがそれでも、技の正体が分かるという事実の意味は大きいはずだ。


 ――思い出せ。


 幼い頃、何度も繰り返して目に焼き付けた動作。……今目の前に立つ相手は紛れも無い俺の父、蔭水冥希。


 幼い頃何度も稽古を付けてもらった相手だ。あれから十年が経った今でも父が見せた動きは全て俺にとって見覚えのある動きだった。その戦い方は恐らく大きく変わっていない――。その点に唯一の微かな希望を見出し、注視する。


「……っ」


 意識の集中に呼応してか、微かに唸りを上げるのは纏う魔力。修練を積み重ねても限られた時間しか使えない【魔力解放】だが、奥の手として隠している余裕などあるはずも無い。……小父さんから教えられたこと。


 最高速度(トップスピード)が見切られていない内に、全力で。そうでなくとも元より父ほどの相手に俺の攻撃が通じるのは一度あるかないかだろう。皮肉なことに追い詰められたこの状況こそが、正に俺の修行の成果を出し切るのに相応しい場であると言える。


「【魔力解放】。それに【無影】、か……」


 柄に手を掛けたまま。構えている俺をもう一度一瞥し、父は静かに言う。


「私が手づから教えたその技で、本当に私に抗えると思っているのか?」

「……」


 答えない。答えればそれ自体が隙となる。ただ集中を切らさぬよう、偏に目の前の相手に対して全霊を収束させていく。……一撃で良い。倒せぬまでも一撃を当てることができれば、父でもその動きは幾許か鈍るはず。


 そうなればフィアの障壁と俺とで攻撃を凌げる可能性も高くなる。ここが協会の本山である以上、長引けば状況が悪くなるのは父の方――。


「……」


 そう信じるしかない、黙ったままの俺を見て、徐に刀を抜いた父が。


「――っ」


 構えを取った。諸手を高く上げ、剣先にて天を突くようなその威容。


 ――花の太刀における奥義、【絶花】。


 触発されたかの如く蘇ってくるイメージ。全体重を乗せて守りごと相手を切り伏せる、蔭水流きっての剛の太刀。悟られぬように読んだ攻撃の軌道。……分かる。左右に寸分の狂いもない振り下ろし。正中線に沿った、頭頂から股下までを結ぶライン。


 ――見えた。


 朧気ながらも胸に湧く確かな期待。――昔父から教えられた。あの技は全ての力を攻撃に回す分、他の技に比べてやや前動作の時間が長く、技後の隙も大きい。フィアが俺に援護を向けることを想定したのかもしれないが、俺にとっては僥倖と言える。速さを突き詰めたこの【無影】なら。


「……」


 あの技の隙を突くのは不可能ではないはずだ。それでも一瞬の遅れも許されない。唾が喉を鳴らす。……乾坤一擲。


「……」


 ――構えを保ち、機を窺う。……俺はひたすらに待つだけだ。相手が攻撃に移る直前、その機を逃さず懐に飛び込んで一撃を喰らわせられれば――!


「ッ‼」


 直後。一切の前触れを感じさせることなく、視界に固定された景色から抜け出すような滑らかさで父が前に出る。――速い。やはり眼では正確に捉えられない。だが俺の覚えている動きの型が、見えずともその動作の先を予測させてくれる――!


 ――ここだ。


 そのビジョンに合わせて踏み出す。狙いは父が斬撃を振り下ろす前の一瞬。それだけを念頭に置き、【無影】を繰り出そうと――。


 ――した、瞬間。


「――っ」


 既に抜き放っていなければならないはずの右腕が止まる。タイミングを逸したからでも、立てた予測が間違っていたからでもない。


 前へ出た。それにより刃圏の内へと踏み込んだことで察せられるもの。――純粋な威圧感。予備動作から攻撃に移ろうとするその一瞬の、父の気迫に気圧されたのだ。記憶にある時とは違う。これが敵として、刃を向けられた時の――‼


「――っ」


 気を呑まれていた一瞬の後にそのことに気付かされる。――既に父は攻撃を繰り出す直前まで来ている。幾ら【絶花】が遅いと言っても、それはあくまでも攻撃に移る前の話。


 ――機を逃したのだ。ここで【無影】を放っても意味がない。全体重を乗せた【絶花】の一撃は並みの斬撃とは比べ物にならぬ速度と威力とを以て、迎撃に繰り出した一刀ごと俺の身体を切り伏せるだろう。……こんなにも呆気なく。


「……ッ!」


 ――いや。折れ掛けた心を今一度奮い立たせる。……まだだ。


【絶花】にはもう一つ残されている弱所がある。万が一にもそれを逃さぬよう、ただ目の前の父に全ての感覚を集中させた俺の視界で、刹那に線となって浮かび上がったのは振り下ろされた瞬間の刀の軌道。技の知識に加え――。


「――」


 ――小父さんとの特訓で培った洞察眼。【魔力解放】の後押しを受けた脚力で強く踏込み、見えた軌道から身体を強引に外し切った‼


「……っ」


 辛うじて。集中のせいかスローモーションになる視界の中で、紙一重の位置を通り過ぎていく斬撃。それを見止めると同時、【無影】を放つ体勢を整えている。ここだとしか思えない一瞬の訪れ。そこに全てを合わせるようにして――‼


「――ッ‼」


 至近に立つ父の姿に向けて。俺は、【無影】を撃ち放った。


 

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