第十節 勧誘 後編
――まるで見えなかった。遅れて叫ばれるフィアの悲鳴に愕然とさせられる。数倍の重力、張られていた障壁など物ともせずに腰から肩に掛けてを切り裂いた一閃。それでも驚異的な意志の力で、リゲルはなお数秒踏み留まる姿勢を見せたが……。
「ぐ……ッ‼」
耐え切るには及ばずに。受けた衝撃に、背中から床へ倒れ込んだ。
「っ……」
「……リゲルさん、ジェインさん……!」
二人の身体から流れ出していく赤が視界に映る。……震えるフィアの声がどこか遠くに聞こえる。塗り潰されていく心と思考。頭の中が白い。考えが上手く纏まらない。
「……」
父が此方を向く。――そのまま、淡々と俺たちの方へ進めて来る歩み。迷いも気後れもない、機械的な足取りに。
「……っ」
怯えるように後ずさるフィア。……マズイ。本能的な警告が脳を揺らす。このままでは――!
「――ッ」
――下げられているのは二人を切った刀。近付くのは人を一切のためらいなく切り捨てた、殺人者。
拒絶しようがないその事実に対し、反射的に身体が前へ出る。後ずさったフィアを庇うように。正面から父と対峙する形になった。
「黄泉示さん……」
「……」
届く声。本能的に構えるのは、終月――。歩みを止めた父は、変わらぬ感情の無い瞳で構えた俺を見つめている。何を思っているのか、表情から読み取れるものは依然としてない。
「……何でだ」
恐怖と混乱。二つの感情が綯い交ぜになった衝動が、口を突いて外に出る。
「どうして、こんなことをしてるんだよ」
後ろに立つフィアの存在を忘れたように、……目の前に立つ、顔色一つ変えない父に対してぶつけられる心情。
――信じたくなかった。
何かの間違いだと思いたかった。――あの父。どれだけ自らが傷付こうと人を助け、俺の憧れだったあの人が。
実は今までも生きていて。……世界を滅ぼすことを理由に今は俺たちを殺そうとしている? 冗談じゃない。これが悪夢でなければなんだと言う。何もかも悪い夢のようだ。
だがここまで来て、それを認めない訳には……。
「……急所は外してある」
答える声音。歩み寄るように言われた台詞は、俺の理解からはどこか遠く。
「お前がこちら側に着けば直ぐにでも治療できる。そのままならば、何れ失血により死ぬことになるが――」
「――そんなことを言ってるんじゃないッッ‼」
やりきれない思いが胸を突く。……考えなしに吐き出した声量。焼け付くような痛みが喉を走る。思えば……。
「……あなたは」
こんな風に声を荒げて叫ぶことなど、一体いつ振りのことだったか。思い起こすのは、かつて交わした父との会話。
「……あなたはこんなことをする人じゃ、なかったはずだろ⁉」
怒りと悲しみが綯い交ぜになった、ぐちゃぐちゃの情動。
心の底からの声なのか、はたまた朧気な何かに縋ってのものなのか、それさえも今の俺には分からない。……父ならば。
「……ッ!」
別の方法ができたはずなのだ。……刀背打ちでも良い。気絶させるだけでも、平然と防ぎ続け、躱し続けて疲れ果てさせるだけでも良かった。それでもどうにかできていたはずなのに。
「なのに、なんで……」
――傷付けないと言った。
その上にできる限りという語が付いていたのだとしても。……そのたった五文字に込められている重さを、あのときの俺は何よりも感じていたはずだったのに。
……こんな簡単に、その言葉を翻すのか?
リゲルとジェインを。自分の意に沿わなかったばかりに、容赦なく切り捨てて――。
「――」
中途で途切れた言葉。思いは胸の中で蟠ったまま、それ以上声として上手く出すことができなかった。
「……こんな事、か」
小さく呟いた父。どこか愁いを帯びたようなその双眸が、俺を映し出す。
「お前が、私の何を知っている?」
「何――」
「ただの子どもだったお前に、私が自分の全てを見せていたとでも思うのか?」
「――ッ……」
にべも無い正論に言葉が詰まる。……それは。
そうなのかもしれない。年齢から考えても、父が当時の俺に全てを見せていたとは到底言えないだろう。
しかし……。
「……まあいい」
表情から俺の内心を見透かしたのか、父はそう言って再び、その手を差し出す。
「此処で無用な言い合いをするつもりはない。――来い、黄泉示」
刀を鞘に収め。再び伸ばされたその掌。
「魔術協会は直に落ちる。お前にも察しは付くだろうが、この混乱は我々の仲間が引き起こしているものだ」
「……!」
……この状況を?
此処に来るまでに俺たちが目にしてきた光景を思い出す。……無数の鬼が跋扈する本山内。そこで上げられていた悲鳴と、苦痛の声。――地獄のような惨状。
「魔術協会だけではない。聖戦の義、国際特別司法執行機関……」
父の口から、以前どこかで聞いたような名が連ねられていく。
「三大組織の全てに我々のメンバーが出向いている。決着が付くまで長くは掛からないだろう」
……こんな光景が、他のところでも?
ならばそれは一体、どれだけの人を――!
「……っ‼」
思考に突き動かされるように構えた刀。……刃を持たぬ終月の切っ先が捉えるのは、手を差し伸べたままの父。俺を見るその瞳。
「黄泉示さん……!」
「……良いのか?」
剣を向けられたにも拘わらず、少しの狼狽も見せぬ声で平然と語り掛けてくる。まるでそれすらも想定の範囲内であると言うように。
「お前がこちら側に着くのなら、その娘の命を助けてやってもいい」
「っ……」
告げられたその内容。無視できない提案を前に幾許かの冷静さが戻される。……そうだ。
何も俺は一人で父と対峙しているわけではない。ここにはフィアも、倒れたままのジェインとリゲルもいる。決して俺一人の問題では……。
「そこに転がっている二人の命も助かる。だが、断ると言うのなら」
再度凍て付く様な殺気が俺たちを撃つ。――殺す。その意味が込められていることは言うまでもなく明らかだ。俺の判断に、この場にいる全員の命が掛かっている。
「……」
――どうする? 状況下でどうしようもなく生まれてくる迷い。……俺はいい。
だが俺のこの判断に、フィアたちを巻き込むわけには。
「……黄泉示さん」
掛けられた声。振り向いた俺の目と、声の主――フィアの瞳が合う。
「――大丈夫です。私の事は」
そう明確に告げられてなお、迷いは消えない。……俺の知るフィアは常に他者を気遣い過ぎる。この発言が俺に義理立てしてのものでなく、彼女の心からの考えであるとどうして言うことができる? それを取り違えれば俺は、取り返しのつかない結末をフィアに押し付けてしまうことになるのだ。
なのに――。
「……黄泉示」
「――私も」
断ち切れない逡巡の最中。掛けられた父の声を、前に進み出たフィアが遮る。……俺の後ろから横に立ち、父と対峙する位置に立って。
「リゲルさんたちと同じで。貴方がしていることは、間違っていると思います」
自らの命さえ散らされるかもしれない緊張の中で。父の眼を見て、彼女はそう、はっきりと告げた。
「……フィア」
「……先に死ぬのが望みか」
脅しを掛ける父から、フィアは目を逸らさない。手を握り締めて身を晒している、その態度に。
「……あなたの言った通りだ」
静かな声が出る。自分でも驚くほど落ち着いて、考えを言葉にできる。
「俺は昔の貴方の一部しか知らない。……貴方が今どうして、そんなことをしているのかは分からない」
「……」
俺の言葉に父は特別な反応を見せない。黙ったまま聞く姿勢を保っている。……俺が生まれる前、俺が生まれて以後。
その生で父が何を思ったのか。どんな思いで人々を助けていたのかを、俺は知らない。――世界を滅ぼす。それがどれだけ異様で馬鹿げた目的と映ったとしても、そこに至るまでの経緯と動機を知らない以上、頭ごなしに否定することだけはできないのかもしれない。
――だが。
「……それでも」
手にした終月を握り締める。……目の前で流される血。目にしてきたあの惨状。
「貴方のこのやり方は、間違っている」
そのことにすら事情があるのかもしれない。俺などには及びも付かない、誰もが納得できるような理由を持っているのかもしれない。
「だから俺は――」
だがそのことを父は話そうとはしていない。……ただ着いて来いと。誰かの命を盾にして、自分の意に沿うようにしようと働きかけているだけだ。
――ならば。
「今のあなたには、着いて行けない」
「……」
言い切ったあとにあるのは短い沈黙。俺も、フィアも、父も。この場にいる誰もが故意に音を発しない。聞こえるのはただ、自分の吐いている息遣いだけ。
「……それが答えか」
やはり感情の読めぬ声で、父は言う。それがある種の切っ掛けであることに、俺はもう気付いていた。
「――フィア」
振り向かずに言う。……父から目を逸らさずに。
「二人を治しに行ってくれ。手遅れにならないうちに」
「――え」
「大丈夫だ」
懸念は分かる。二人が斃れている位置は父の後ろ。敵対した、その横を抜けて行かなければ二人を治すことはできない。その危険を知りながらも口にした。……ある種の確信と共に。
「父の相手は俺がする。……だから」
「……はい」
数秒の逡巡。それを経てフィアが、頷いてくれる。紛れもない信頼に、ありがとうと、そう小さく呟いた。
「――気を付けて。黄泉示さん」
「……ああ」
最後にそう言って、フィアは倒れたリゲルたちの方に駆け出して行く。自らの横を早足で擦り抜けて行く――。
「……いきなりの悪手だな」
そのフィアの挙動を視線だけで見送った父。……やはり、刀には手を掛けない。
「娘の方が先に死ぬ用意ができたというわけか?」
「――あなたの相手は、俺だ」
言い放つと同時に発動する【魔力解放】。……目の前に立つ人物は最早、俺の知っている父と同じではない。
「……」
だがそれでも、この男が紛れもなく父であるならば。続けて俺の取った構え。父から教わった【無影】の構えを見た父は――。
「……なるほどな」
僅かに目を細め。如何なる感情ともつかぬ色を、静かに浮かべた。
「――いいだろう」
父の手が、刀の柄に掛かる。
「確かに久方振りの再開だ。――この十年でお前の何が変わったか、それを見極めるとしよう」
「……」
自らの真横。緊張を漲らせながらも足を止めず、一直線に駆け抜ける少女。走り去るその後ろ姿を、男は静かに見つめいていた。
――蔭水黄泉示という人間は、優しかった。
男の知る限りでは。他者の命が天秤に乗ったなら、それを無視することはできない。……必ずや折れるだろうと、そう踏んだ。
「……」
……気遣うだけではない。
背後で起こされる治癒の魔力。――それ以上に信頼できる仲間。この十年の間に黄泉示が得たもの。かつての自らのように。
「……いきなりの悪手だな」
意志を確認するため、男は再度わざとらしいその言葉を投げ掛ける。
「娘の方が先に死ぬ用意ができたというわけか?」
「――あなたの相手は、俺だ」
青年が取った構え。……【無影】。やや稚拙な構えではあるが、かつて青年の師であった男にはそれが良く分かる。発動された【魔力解放】も。
青年は今、本気で男と戦うつもりでいるのだ。仲間のため、そして自分自身のために。その成長が男にはどこか嬉しく。
「……いいだろう」
同時にまた、悲しくもあった。情感を振り払うように刀に手を掛ける。
「確かに久方振りの再開だ。――この十年でお前の何が変わったか、それを見極めるとしよう」
……確かめる必要がある。
あのとき自分の思ったことは間違いだったのかどうか。それを覆すだけの何かを積み上げるのに、この十年の月日が果たして、充分な長さを果たしたかどうかを。




