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第九節 勧誘 前編

 

「――久し振りだな。黄泉示」


 静かな声。記憶の中と寸分違わないその声に、答えを返すことができない。……そんな。


「なんだと?」

「黄泉示さんの……」

「――親父かよ⁉」


 隣にいる三人から驚愕が伝わってくる。……それにも俺は答えられない。そんな余裕の一切が、今の俺からは失われていた。前に立つ――。


「……」


 その人物から目が離せない。――紛れも無い現実。そのことを理解しながらも、脳がそれを頑なに事実とは認められないでいる。……まさか、まさか。


 ――嘘だ。


 頭の中に響き渡る声。……夢? 幻覚? 幻? なんだっていい。この状況を説明してくれるのなら、何だって――。


「……」


 だがいくら頭と心で否定を繰り返しても、男の姿は一向に消えてはくれない。……脳裏に雷光の如く映し出されるあの日の光景。――血だらけの畳。突き刺さる刀。その傷口から流れ出す、あの鮮血――!


 その後のことだってはっきりと覚えている。……遺体は火葬場で焼かれ、確かに俺はその骨壺を受け取った。灰と骨が入れられた冷たい壺の手触り。忘れることのできない、二度と味わいたくないと思った感触。……あり得ない。そんなことが、あり得て良いはずがない。


 なのになぜ――。


「十年振り、か」


 混迷する俺の意識を割くように発せられた、声。どこか感慨深げな顔で、父が立ち尽くす俺のことを見つめていた。


「……苦労を掛けたな」


 微かに届くその台詞、僅かに皺の増えた面立ちに、心が揺れる。――本物だ。


 この声、この瞳、この物言い。どれをとってもかつての父と変わるところがない。……間違いない。麻痺したように碌に働かない思考の中で、どうにかそのことだけを受け入れる。辛うじて……。


「……どうして」


 擦れる声。胸を突くようにして出された言葉は、途中で敢え無く止まり。


「あなたが……」

「……驚くのも無理はない」


 何とか絞り出したその続きさえも、最後は声にならないまま呼吸の中に埋没していく。そんな俺の反応を予測していたかのように、父は俺が息を吐く間隔だけを空けて、何事かを話し始めた。


「偽装は完璧だった。私が生きていることにお前が気付ける要素など、何一つとしてなかったのだからな」

「偽装……?」


 条件反射として出された声。言われた内容に、理解が追い付けないでいる。……なにが。


「自殺を偽り別の遺体を死体として処理させた。誰もがその死を疑わない状況を作り出したことによって、私は存在しない者として動くことができた訳だ」


 漸く何を言われているのかが薄らと分かり掛けてくる。……あれらが全て、偽物だった?


 流れる血も、突き刺さる刀も、死人のように白い父の顔も、その後の葬儀も。


 小父さんが俺を引き取りに来た日も、部屋の中でただ一人閉じ籠っていた頃も、通う学校で周囲との不和を感じるようになっていた時も、全て?


「……何で、そんな――!」

「――悲願の為だ」


 言い掛けた言葉は、見越していたような父の声に遮られる。


「果たすべき悲願。その為に、私は私の全てを一度捨てたのだ」


 ……悲願? 頭の中で木霊する単語。それは、一体――。


「幼いお前を残して行くのは苦渋の決断だったが、三大組織の目を欺くにはあれが最良の策だった。……そして今」


 そこで僅かに、父は間を置いて。


「漸くお前を迎えに来ることができた。――私と共に来い、黄泉示」


 差し伸べられたのは父の右手。思考より前に、意識がその掌に吸い寄せられる。……思考が上手く纏まらない。


 置かれている状況が理解できない。ただ懐かしい父の声に背中を押されるようにして、脚が一歩前へと踏み出た――。


「――行くな」


 耳を刺す声に、歩みが止まる。


「……冷静になれ、蔭水」

「……っ」


 振り返った先。不安気に俺を見つめるフィア。声の主であるジェインは、今までに見たことが無いほどの緊張に満ちた面持ちで父のことを見つめていた。


「黄泉示さん……」

「――蔭水の父親、そう言いましたね」


 父の目を見て、はっきりと、ジェインがそう語り出す。


「仮にも息子を十年もの間放置してきたからには、勧誘の前に、せめてその〝悲願〟とやらについての説明が必要なのでは?」

「――だな」


 ジェインの言葉に、加勢するようにリゲルが続く。


「他人様の家庭の話に横から口突っ込んじまって悪いけどよ。いきなり現われといて理由も何もなしに着いて来いじゃ、流石に手前勝手が過ぎんじゃねえのか?」

「……」


 まるで他人事のように。……二人が父にそれぞれの疑問をぶつけるのを耳にする俺。フィアの小さな手に包まれた、掌から暖かい感触を感じながら。


「……」


 その問いに何を思ったのか。暫しの沈黙と共に、感情の見えぬ目で父はジェインとリゲルを一瞥した後。


「――答える必要は無い。そう切って捨てても良いが……」


 ほんの僅か。気のせいかとも思うような、そんな微かな笑みを零し。


「仮にも息子の仲間だ。問われたのなら、答えることとしよう」


 そう、答えた。


「――お前たちは、思ったことがないか?」


 数秒の間を置いて。語り始めた父の雰囲気が、変わる。


「世の中に蔓延る悪徳、不幸、悲劇、死。この世界では常至るところ、必ずや誰かが何かしらの為の犠牲となっている」


 語られる内容に、停止していた俺の思考が動き始める。……そうだ。どんな理由で死を偽装したのかはまだ分からないが、父はいつだって困っている人々の為に動いていた。十年もの間何かをしていたというのなら、きっとそれに準ずることに違いない。


「……いや。犠牲を捧げなければこの世界は維持できないのだと、そう言い換えても良い」


 ――しかしなぜ、三大組織の目を逃れる必要があったのだろうか?


 昔の父は間違いなく三大組織と交流があったはずだ。仲間の中でも少なくとも秋光さんと永仙は魔術協会の一員として活動を続けていた。あったと思っていた確執も俺の勘違いであるならば、より多くの人を助けるためには寧ろ組織の手を借りた方が様々な意味で良かったはず。


「犠牲を――悲劇を糧にするこの世の中は、どこかが間違っている。それも些末な部分では無く、根本に近い箇所が、決定的に」


 実感の込められた強い台詞が耳に届く。……話の核心が見えてこない。父は一体、何を。


「――この歪みに満ちた世界を、滅ぼし尽くすこと」


 意識を集中させた俺の耳に飛び込んでくる、――声。


「それこそが、我らの悲願」

「えっ……」


 フィアが声を零す。ジェインは変わらぬ真剣な表情で父を見据え、リゲルも特別な反応は見せることなく、ただ押し黙っている。……なにを。


 ――なにを、言っているんだ?


「……受け入れられないか。だが、何れ分かる」


 疑問がそのまま表情に出ていたのか、俺の内心を読み取ったかのような眼で父が呟く。


「……その為に、息子である蔭水を迎えに来たと?」

「その通りだ。三大組織は直に落ちる。黄泉示ならば滅ぼされる側でなく、滅ぼす側に立つ資格がある。無論――」


 滅ぼす側――。聞こえてきたその単語に、思わず耳を覆いたくなる。


「お前たち三人も歓迎しよう。……重力魔術と時の概念魔術。それに――」


 父の瞳が、フィアを捉える。


「――っ」

「固有魔術。稀有な才能に加え、東たちが実に良い訓練を施している。お前たち三人なら、我らの悲願の成就に役立たないことはない」

「……」


 訪れる沈黙。俺たちの中の誰も、自分から話し出そうとはしない。


 俺についてはそれ以前の問題だった。……世界の破滅? あの父が?


 そんなことが有り得るわけがない。……あの父に限って。ましてやそれを悲願だなどと言って、俺を、この十年を。


「……もし」


 探るように。重い口を開くのはジェイン。


「断った場合は?」

「――死んでもらう」


 間髪入れぬ回答。その答えが、俺の意識を打つ。……死ぬ。殺す?


 その変換が。何よりその言葉が父の口から出たと言うことが、俺の思考を働かせないでいる中――。


「よく考えて決めることだ。自分たちの命と――」

「――へっ」


 雰囲気に似つかわしくない、余りに軽々とした声が場に響いた。


「リゲル……⁉」

「ぬぁ~にが世界の破滅だ。(わり)いが、俺はんなことの片棒を担ぐなんてのは御免だぜ」

「……断るということか?」

「おうよ! 文句があるんなら――」


 構えた拳。前に出たその姿に、強制的に意識を引き戻される。――マズイ。


「よ、よせ」

「悪いな黄泉示」


 自分で思うよりずっと上ずった俺の声に、振り向かないままで答える声。


「ダチの親父だが……一発殴らせてもらうぜ。まともな話ができるようにな」

「り、リゲルさん」


 ――そうじゃない。


 フィアの震え声を耳にしながらも思う。リゲルは強い。エアリーさんのあの指導を潜り抜け、永仙にあそこまで食い下がった。近接戦での技量は間違いなく俺より上だろう。


 だが、父は。


 蔭水冥希は。……間違っても、俺たちの手に負える相手ではないのだ。


「……力の差が分からぬとも思わなかったがな」


 ――そうだ。


 嘆息するように言った父の声に同意する言葉が脳内に響く。父と俺たちとの力量差は歴然。先の攻防だけでもそのことが充分に分かったはず。


 それなのに――。


「生憎、頭で考えて手を引くほど利口じゃないんでね」

「――そうか」


 溜め息も吐くことなく冷淡に言った、――父の纏う雰囲気が、変わる。


「ッ……‼」

「う……ッ‼」


 何もしていない。構えることも、刀を抜くことも。ただこれまでと同じように、視線で俺たちを見ているだけ。たったそれだけの行為。


「――」


 にも拘わらず、凍て付くような寒さが全身を駆け抜けていく。恐怖より先にまず明白な死をイメージさせられる、威圧ではなく殺すことを前提とした殺気。……初めて襲撃を受けたあの日、あの夜の空気が一瞬蘇るが、それすらもすぐ目の前の現実に掻き消されていく。種別は同じだと言っても、その圧倒的な質の差は比較しようがなかった。こんな殺気を、父が俺たちに向けるとは。


 ――だが。


「ッち……」


 その殺気を受けてなお、当のリゲルは抗戦の構えを崩さないでいる。……引き上げた腕。握り締められた拳は紛れもなく戦意を示し、そこに退く様な態度は微塵も見えない。リゲルの周囲だけが、その闘気によって熱を持っているかのよう。


「――一応言っておく」


 そしてそんなリゲルの態度を前にしても、父の表情は変わらない。ただ淡々と、自身の言葉を紡いでいくだけ。


「お前たちが旧友と息子の関係者であるとしても、私は一切の仮借をしない。……もう一度だけ訊こう」


 告げられたのはこれ以上ないほどに明確な脅し。……追従か死か、付き付けられたのはその二択。


「私や黄泉示と共に来るか、此処で死ぬか」

「……んな脅しに人が屈するとでも思ってんなら、考えを変えた方が良いぜ。おっさん」

「リゲル、止せ……ッ……‼」


 なおも反抗する態度を崩さないリゲルに、ジェインからも焦りの声が飛ぶ。……内心がどうあろうとも、この状況下で逆らえば死ぬ。そのことは何よりもはっきりしている。


 ――なのになぜ。


 リゲルは――。


「――クールになれよ」


 戸惑いの中で届いた声。


「黄泉示。相手が自分の親父だからって、構うことはねえ」


 寧ろ――と。そう言って。


「ときに遠慮なく言葉をぶつけられんのが、家族ってもんだろ」

「……っ!」


 リゲルは振り返らない。その背中から一層強く発せられていく闘気。凍て付くような殺気の内で熱く燃え滾っているその熱に、呼応するようにして互いの意気が高まっていく。……駄目だ。


 ――止められない。既に手遅れなほど空気に満ち満ちている緊張。構えた姿勢のまま僅かに位置取りを変えたリゲルへ応じるようにして、父がその指の一本を動かした。


 ――瞬間。


「――こっちだッ‼」

「⁉」


 対峙する両者の間に、そのどちらからでもない別の声が響き渡る。反射的に集められた注目の先――ジェイン。


「――」


 理解と同時に【時の加速】が俺たち全員に掛けられるのを意識する。……裏を掻いたのか? ただ一人交戦の意思を見せたリゲルに父の注意が向けられている中で、場を支配する緊張の重圧を振り除けて――。


「カハッ――」


 刹那、その姿から緋が迸る。……何が起こったのか。


「――っ」


 一瞬遅れてそのことを理解する。……切られたのだ。対峙していたはずのリゲルを置き去りして、ジェインが、父の手によって。崩れ落ちる身体の横で、刀に付いた血糊を無言のまま振り払う父の所作――。


「てめえッッ‼」


 ――【時の加速】はまだ残されている。飛び出したリゲルから伝わる魔力の脈動は【重力増加】。普段の数倍の重さを負わされることになった父の周囲で、今にも抜け落ちるかのように不気味な音を立てて皹割れを入れ始めた床。刹那に距離を詰めたリゲルが右ストレートを放とうとした。


「がッ⁉」


 その身体から弧を描くように上げられる鮮血。……父の手の内。振り上げた状態で止められている刀身。


「リゲルさんッ‼」



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