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※旧版につき閲覧非推奨 彼方を見るものたちへ  作者: 二立三析
第一章 新しい日々の始まり
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第十一節 ファビオの戦い

「――〝射れ〟」


 一言あれば充分だった。力ある小節の詠唱に応じて男の足下から、螺旋を描く棘の形を成した砂礫が突き出される。――その数五つ。


 回避も防御も許さぬよう、それぞれを異なる方向から角度を付けて打ち放ち、狙いも首、胴、左足首、左右の太腿と分散させる。


 そこまで慎重になる必要もないかとは思ったが、念には念。相手が数の上で有利である以上、いかに一人目を早く脱落させるかが鍵となる。最小限かつ最速の手立てで対等な条件へと持ち込むこと――。


 それが今回相手の数を把握した際、ファビオが自らに課したノルマだった。ファビオの得意とする属性は土。それを狙ってこの場所へと誘い込まれていたことに、男は最期まで気付けなかったに違いない。――ただ一点、ファビオの目論見が外れてさえいなければ。


「……っ⁉」


 驚愕が言葉を支配する。必殺を賭した自らの攻撃に対して繰り広げられた光景に、ファビオは言葉を失うことでしか応えることができない。


 ――千切れ、穴の開けられた無地の生地。砂礫の洗礼を受けた男のローブは見るも無残な姿へと変わり、最早襤褸切(ぼろき)れと言われても見分けのつかぬ布切れへと成り果ててしまっていた。……そう、ローブだけは。


「……」


 棘の渦中に立つ男は、無傷。役割を半分ほどしか果たさなくなくなってしまったローブを纏いながらも、呼吸一つ乱さぬ悠然さでその場に立っている。今の動作で露になった、長い髪の端を揺らめかせながら。


 ――何が起きたのか。


 男を見据えながら、ファビオは先ほどの光景を反芻する。砂棘が繰り出された直後。


 棒立ちだった男は急遽身体を入れ替えると、両腿と首に迫っていた切っ先の軌道からその身体を逃れさせた。……それはいい。元より回避される可能性まで視野に入れて五本という数を放ったのだ。一瞬で攻撃に反応し三本までを躱す反射神経と動体視力は脅威と言えたが、それだけならば予測はできずとも予想の範疇にある事態。


 ファビオが真に驚愕したのはその次のこと。残る二本の棘。胴と足首を狙う螺旋が、男の身体に触れたその瞬間。肉を抉り骨を貫くはずのその先端が、弾け飛んだ。


 始めは何が起きたのか分からなかった。まさか魔力の制御をしくじったのか――あるはずのないそんな考えさえ脳裏に浮かび上がるほど。咄嗟に経路を確かめ、自身の術が十全に機能していることを理解して初めて、ファビオは自らの目の前で何が起きたのかを知った。


 ――あの男は、手足で迫る砂棘を打ち砕いたのだ。


 言葉にすれば至極単純。だがそれは、魔術師であるファビオからしてみれば決して受け入れることができないことでもある。……砂棘にファビオは最高の強度を持たせていたわけではない。


 ()()む魔力量、掛ける【圧縮】の術式を増やせば更に強度のあるものを形成することは充分にできた。精々消費と手間が増えるだけの事であり、労することなど何もない。だが。


 そうまでしていたのでは割に合わないというのがファビオの見解だった。攻撃に用いたということは、裏を返せばそれで必要に足る威力であることをファビオ自身が検討していたからに他ならない。【砂礫操作】をベースとした【砂棘形成】、三重の【圧縮】に貫通力を増す【螺旋による回転】、及び【高速化】まで加えた一撃。


 相手として人間を想定するのであればこれで充分に過ぎるとファビオは考えていたし、何よりその考えは経験に裏打ちされていた。同じ支部長クラスでもなければ、刹那の判断であれを完全に防ぎ切れる術者などいない。その確信があったからこそ、早期決着を要する戦況に必殺を期して、ファビオはこの術を用いたのだ。


 だが――。


「……」


 視線の先に立つ相手。その何の変哲もない立ち姿に、どこか恐怖を抱いている自分がいる。そんな予感を半ば意志の力で振り払い、ファビオは頭の中で再現した先の光景を懸命に否定しにかかる。――有り得ない。


 あれはただ砂を棘の形に固めただけの代物ではない。試行の末に実用に最適と思える強度と突破力を持たせ、並みの岩程度なら削り取れるまでに威力を高めたものなのだ。あれを粉砕したとなれば少なくともあの男の肉体はそれと同程度の強靱さを持っていることになってしまう。そんなことは有り得ない。


 あの男からは始動している魔力の欠片すら感じ取れていない。魔術による強化さえ施されていないただの人間が、岩をも砕く衝撃を生み出すなどあってはならない。それは即ち、肉体技法という児戯の地位にまで魔術が貶められることを意味する。魔術協会の支部長、ファビオ・グスティーノにとって、それは決して看過することができない事態であり――。


 ――油断ではない。ただただ純粋な驚愕だった。


 しかしだからこそそれが決定的なまでの隙になるのだと、驚愕の最中にある当のファビオには気付けるはずもなかったのだ。


「――ッ⁉」


 男が動く。愚直なまでの直線移動。近接戦に持ち込もうという狙いと方法はあからさま過ぎて、普段のファビオなら一笑に付して軽くあしらっていたに違いない。――コンマ数秒で彼我の距離を三分の一にまで縮める、その人間離れした速さがなかったならの話だが。


 上級の強化魔術を用いた術師でさえかくやと言うほどの心肺機能と脚力が生み出す、圧倒的な推進力。……刹那に詰められた距離。残された僅かな猶予。自らの砂棘を砕いた先ほどの記憶も相俟って、ファビオは迫る男の姿に暴圧を感じざるを得ず。


「チッ!」


 本能的な防衛意識が、優れた思考力を持つファビオをして理性より先に次の行動を選ばせた。


「【砂棘形成】――【全範囲】、【乱立】‼」


 矢継ぎ早の詠唱を受けてファビオの眼前で魔術がその効力を発揮する。展開されたのは先と同系統の術式だが、異なるのはその規模と苛烈さ。


 回転こそないものの一秒に七本を数える速度で矢継ぎ早に打ち出される、無数とも言える砂棘の嵐。絶対に近付かせないという恐慌の表れとも思える偏執さを極めた術式が、ファビオと男の間に横たわる空間を針の筵の如く埋め尽くす。それは同じ人間を相手にしているというよりは、得体の知れない化け物を殺し切るために採られた狂騒の企てであるようだった。


「――」


 自身を取り囲む地面全てからランダムに出現し、コンマの速さで余地を削り潰していく砂の凶器。一度でも捕まればたちどころに全身を串刺しにされるであろう死の洗礼を前にして、尋常ならざる身のこなしを見せた男も流石に後退を余儀なくされていた。その光景を前に、術式を稼働させる疲労と集中力に耐えながらもファビオが心のどこかで安堵し掛けていたとき――。


「――〝彼の者を焼け〟――」


 耳に届く詠唱に戦慄が走る。砂の棘を維持していた魔力を急遽別の術式に移し替え、続く衝撃に備える――。


 砂棘を避けて後方へと距離を離していた男。その眼前で(かざ)され組み合わされた掌が一瞬赤く輝いたかと思うと、次の瞬間に灼熱を伴う業火が迸る。軌道上の全てを焼き尽くす勢いで迫り来た轟炎は、魔力の供給を失い既に半分ほど崩れかけていた砂の剣山を飲み込み、その先に立つファビオへと灰燼に帰す悪意を持って襲い掛かる。――肌を焼く熱気。


 回避などいうに及ばず、よしんば【砂礫操作】で炎を退けたとしても取り巻く高熱からの被害を免れないことは明らかだ。


「――〝古きシュメルの王。地を知悉する導き手たる者よ。人倫を救いしその賢慮を以て、万難を排さん〟――」


 自身の持ち手の中でこの状況を打開できる術は限られている。魔力を浪費した今では無詠唱による発動は望めない。視界に広がる炎への恐怖を強靱な意志の力で捻じ伏せ、努めて迅速に必要となる詠唱を紡ぎ出すファビオ。肉薄する熱気が、栗色に染まる髪の先端を焦がした――。


「【エンキの箱舟】‼」


 迫る烈火がファビオの身体を飲み込む寸前、紅の炎より先に土気色をした壁が視界を覆い隠す。――炎がぶつかる衝撃と轟音。だがその苛烈な火炎と高熱も、今のファビオを脅かすことはできないでいた。


 かつてエンキが教え、人を破滅の洪水から救ったとされる船。その神話を〝内部の者を護る〟という一点に集約させて再現したこの術式は、効力が極めて狭域に制限される代わり【環境維持】という稀有な特質を持ち合わせている。その外壁が破壊されない限り、如何なる物理的干渉も船の内部に収納されたものに届くことはない。


「……」


 だが魔術の強力さについて語るなら、優秀な術者であるファビオをして防御以外の方策を採らせなかったそれにも言及の必要があっただろう。……【業の炎】。罪人を塵芥へと変える地獄の炎を再現させたというその術式。消費魔力に見合わぬ高威力を生み出す利点を持つ反面緻密な魔力制御が求められ、熟練の魔術師でさえ使用には躊躇を伴うという古典高位魔術の一つだ。


 ……一体何者だ? あいつ……。


 そんなファビオ(自身)でさえ扱いの難しい魔術を、いとも容易く発動した――。そのことにファビオは当惑を隠せていなかった。……人間離れした身のこなしに、支部長もかくやという魔術の腕。これほどの実力者であり尚且つ明確に支部長への敵対意識を持つ技能者ならば、協会からマークの一つや二つ付けられていておかしくない。


 だが記憶を探ってみても、該当するような情報は一向に思い当たらない。無論協会とて全ての敵対組織を認識しているわけではないが、それにしてもこのレベルの使い手がノーマークだったというのも考え辛い話ではある。個人的な怨恨の線まで探ってみるが、ファビオはまだ支部長に就任して数か月の身。特別そうした仕事に関わったこともない。やはり心当たりは皆無なままだった。


 ――しかしそういった考察を全て、今のファビオは頭の片隅に追いやっておかなければならなかった。……相手は稀に見る強敵。


 考えたくもなかったが、今のところ動きを見せていないもう一人も同程度の力量を持っていると見積もっておくべきだろう。……分が悪いどころの話ではない。


 数の上で劣り、それでいて彼我の力量はほぼ変わらない。最早状況はいかにして目の前の敵を倒すかというより、どうこの場を切り抜けるかを考えねばならない局面へと移行している。場合によっては当然逃亡も視野に入れなくてはならない。日頃なら敵側に強いているであろうそんな選択肢さえ頭に浮かぶ。それほどまでに今のファビオは切迫した状況にあり。


「――【解除】」


 そろそろか。魔力感知と気配から男の術が止んだのを察知し、ファビオもまた自らを覆っていた土の守護を解除する。フィルムを逆再生するかのように土砂へと戻っていく歪な船。射し込んでくる光とその先に開けた視界に思わず目を細める――。


「――‼」


 直後、その目が見開かれる。【エンキの箱舟】を出す前に確かに立っていたはずの場所に、既に男の姿はない。――見失った。そのことを理解して寒気が走る。あの男が今の隙に姿を隠したのだとすれば、その狙いはただ一つ――!


「――【障壁形成】――」


 ――近付く脅威を肌で感じ、刹那の判断でファビオは対策を講じる。詠唱につれられてファビオを簡素な術式の描かれた法陣が取り囲む。属性に依らない純粋な魔力による盾。強襲に備えて整えられた防御陣――そう見込んだなら、それは既にファビオの術中に嵌っていることになる。


 ……誰の眼にも明らかなその術式の裏で、声なき詠唱と共に、ファビオが立っている砂地。十メートル四方にも及ぶその地面が僅かに震えたかと思うと、表層を残してその性質を急速に変化させていく。凡そ二秒後には地面を構成していたはずの砂礫は目の細かい真砂へと変わり、薄皮一枚を残したままその下で魔力操作により引き込むような流れを作り出していた。


 ファビオにとってこの状況下で最も懸念すべきなのは男の並外れた身体能力。死角を通して接近され、魔術を素手で破るほどの膂力を持つ相手との近接戦に持ち込まれたなら勝ち目はない。全方位への警戒は必須となるが、他方先のような【砂棘形成】を用いたのでは消耗が激し過ぎる。現に既に使い潰した四割近い魔力の内、大部分は最初の過剰な防衛に依るもの。


 男の背後にもう一人が控えていることを考慮すればここで魔力を使い切ることは到底出来ない。逃走を選ぶとしてもその為に三割は魔力を残しておくべきだろう。そうでなければこれほどの手練れから逃げ遂せるのは難しい。それらの問題をクリアするために――。


 ファビオが選んだのが【自動捕縛】を加えた【流砂化】の術式だった。この術は術者が指定した一定範囲の地面を流砂へと変え、そこに踏み込んだ者を砂流で絡め取り、沈めることによって動きを封じる。流砂化させた地面それ自体に大した拘束力はなく、砂を操作し易くすることによって踏み込んだ相手を確実に捉えるための布石のようなものだが……。


 逆に言えば、相手が踏み込んでこない限りはそれ以上の魔力を浪費する必要がない。可能な限り消耗を抑えたい今のファビオからすれば、この方策こそが正に最上と言える一手。


 魔術による攻撃なら自身がその初動を捉えられないはずがない。恐らく男は周囲を囲む瓦礫のどこかに身を潜めているのだろうが、仮に背後から魔術を撃たれたとしても十全に対応できるだけの自信がファビオにはあった。……兎にも角にも警戒すべきはあの身体能力。


 魔術の打ち合いになれば自らの方に分があるし、分があるようにさせてみせる。――属性相性から言えば炎と土とでは端から雲泥の差があるのだ。


 成分によって誤差はあるといえ、砂礫による攻撃を熱で完全に防ぐには少なくとも砂の融点である約一〇〇〇度を超える温度が必要となる。いかに優れた術者であろうと個人でこの温度を出すことはまず不可能な所業であり、よって炎の属性魔術で土の属性魔術を防御することはできないと言える。魔術師にとって必須となる属性相性の、基礎中の基礎だ。先ほどは混乱からそんな簡単な判断も適わなかったが、今となればそんな自分を恥じ入るだけの冷静さがある。


 ――さあ来い。


 ファビオは思う。いかに優れた身体能力を誇るとはいえ、所詮は人。一度その動きを捉えてしまえば、今度こそ確実に仕留められる。


 いかにもと言った障壁を展開したのはそのためだ。展開した障壁は通常運用するなら充分と言えるクラスのものだが、あの男の膂力の前では大した障害にならない。だからこそ、それを見切った男は地面に仕掛けられた罠も知らず、獲物と見えるファビオに近付いてくるだろう。そのときが、あの男の最期になる――。


「……〝主は旗を揚げて遠くの民に合図し、口笛を吹いて地の果てから彼らを呼ばれる。見よ、彼らは速やかに、足も軽く此方へ来る〟――」


 ――そんなファビオの耳に聞き慣れぬ文言が飛び込んでくる。声音からしてあの男が唱えているものに相違なく、同時にファビオの優れた感知能力は始動する微かな魔力の脈動を感じ取った。……瓦礫の背後を高速で移動しているのか、声と魔力から大まかな範囲は絞れるものの正確な位置までは特定できない。……しかしこの詠唱は、どこかで――?


「――〝疲れる者も蹌踉(よろ)めく者もない。微睡(まどろ)むことも眠ることもしない。腰の帯は解かれることがなく、サンダルの紐は切れることがない〟……」


 途切れることなく紡がれていく朗誦。相手の位置取りを探りながらも、ファビオの中で一つの不安が沸き立つ暗雲のように立ち込めつつあった。……信仰とは縁遠い魔導の門を叩いたファビオだが、この独特の言い回し。


 特徴的な荘厳さを帯びた詠唱には覚えがある。ないはずもなかった。これは魔術協会と同じ、かの三大組織の一角である、あの組織の――!


「――ッッ‼」


 男の狙いを悟り、次の瞬間に自らを待ち受けているであろう運命。それが脳裏に過った瞬間、ファビオの頭脳から冷静な判断などというものは消え失せていた。


「【砂杭形成】――【追尾】!」


 感知できる魔力の反応を頼りに術式を起動させる。此度は砕くことなど叶わない、一本一本が対象を即死させる意図を以て形成された砂の杭。それらが魔力を感知した辺りの地面から無差別に打ち出される。地面を覆う床が残されていればその床ごと、邪魔な瓦礫が横たわっていればその瓦礫ごと、全てを打ち貫いて繰り出される砂杭は、ただひたすらに男の命へと向けられている――。


「――」


 破砕された瓦礫の影。ファビオにとって死角となる位置から跳び出す影。その軌道は先ほどと同じ、ただ一直線にファビオへ自身へと猛追している。杭も流砂の罠もコンマの差で後方に置き去りにして、男は遂にファビオを自らの致死圏内へと収める――。


「――【砂礫鎧甲】ッ‼」


 吼えるような叫びと共にファビオの肌を分厚い砂が覆い尽くす。――間に合った――。


 その思いにただただ安堵する。男の力は驚異的だが、先に展開した障壁、それに自身の魔術の中で物理攻撃に対して最高の強度を誇るこの術ならば凌ぎ切れるはず。一撃を許したあと、こちらの反撃で詰みだ――。




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