第八節 正体
「――こっちよ!」
鬼の集団を掻い潜り、俺たちは立慧さんに先導される形で協会の内部を進んでいく。……惨たらしい惨状。
「……っ!」
壁に飛び散った血飛沫、こそぎ落とされたような赤黒い何かの物体。それら全てから目を背けるようにして走る。――これが、果たして現実の出来事なのか?
「早く入って!」
促されるままに目の前の扉に飛び込む。殿を務める先輩が、背後で何かの術を追い縋る鬼たちに向けて放ち――。
「――」
そうして俺たち全員は、何とかその部屋に入ることに成功した。……迫る音のないことを確認して、漸く吐くことのできる一息。
「ったく! ブッ飛ばしてもブッ飛ばしてもゴキブリみたいにワラワラワラワラと……どっから湧いて来てんのよ、あいつら」
流石の立慧さんも悪態を吐く。言葉の端々から感じられるのは、この事態に対する苛立ちと焦り。
「……後方に結界を張っておいた。あのレベルの鬼相手なら、数時間は持つだろう」
全力でここまで走ってきたせいか、こめかみから流れる汗を拭いながら言うのは千景先輩。……その守りの力はやはりというか頼もしい。先輩がいなければこうして一息つく暇もなしに、追って来る鬼たちとの戦いに身を投じていなければならなかっただろう……。
「この場所は此処以外の入り口がないからな。他から侵入される心配はない。――安全だ」
「は、はい……ありがとうございます」
ぜえぜえと息をしつつもお礼を述べる。……フィアも大分疲れている。鬼の大群の中をここまで全力で駆け抜けて来たのだから、無理もない。
「つうか、やっぱり凄えすっね」
軽く乱れている息を整えつつ、リゲルが言う。
「俺と黄泉示の攻撃を受けてピンピンしてた連中を、一撃でのしちまうんすから。――何かコツとかあるんすか?」
「慣れてないだけなんじゃない? 相手は人間じゃないんだから」
後半はやや真剣な色をして訊いたリゲルに、事も無げに答える立慧さん。
「打ち込みも回避も普通の感覚でやってたら足りないわ。急所の位置だって同じとは限らないんだし。――ま、しこたま殴ってれば勝手に消えるわよ。殺せるくらいまでボコればね」
「……」
……殺す。その言葉の持つ意味に、言い難い忌避感を覚え。
「――んじゃ、あたしらは今から行って来るから」
「え……っ?」
その言葉に意識が引き戻される。俯いていた顔をつい上げたフィアに、立慧さんが肩を竦めた。
「当然でしょ? あんたたちと違って、あたしらは協会に所属してるんだもの。……こんな事態に際して腕を振るわないわけにはいかない」
告げるのは平時より鋭い口調と目付き。
「このままじゃあたしらはともかく、他の連中に大きな被害が出る。それを少しでも防がないと」
「ああ。見過ごすわけにはいかない。私たちは今から此処を出て、事態の収拾に当たってくる」
「……分かりました」
「――外に出ようだなんて思うなよ」
釘を刺してくる先輩。
「相手は鬼、本物の魔物だ。今のお前たちじゃノウハウが足りない。――何かあったら」
そこで空気を和らげるようにふっと笑い。
「どやされるのは私たちだからな。どうしてもって時以外は此処を動くな。いいな?」
「……はい」
「分かってるっすよ」
念押しに頷いたリゲルによし、と前を向く。立慧さんと共に用意を整え。
「……あいつらを喚んだ術者がどっかにいるはずね、そいつにだけは注意しておかないと」
「幸い今本山には秋光様とガイス様、櫻御門に三千風、田中がいる」
先輩の述べる状況。戦っているのは、ここだけではない。
「もう全員対応はしてるんだろうが……会わなかったとこを見ると、それぞれ目の前の処理で手一杯なんだろう。私たちもやれるだけやろう」
「そうね。……流石のあいつも、どこかで頑張ってるでしょうし」
ぼそりとした台詞。いつも飄々としてサボり気味だったあの人だが、きっと死ぬようなことはないはずだ。根拠のない憶測だとは分かりつつも、今の俺はざわめく自身の心情をそんな言葉で落ち着かせるしかなかった。田中さんも先輩たちと同じ、支部長なのだから。
「――一応私の後ろに障壁張っといて。全力で行くから、衝撃が後ろに飛ぶかもしれない」
「【上級強化】。――分かった。サポートは任せろ」
「任せるわ。それじゃ、行くわよ――」
先ほどと同じく強化法の光が先輩を包み込む。じゃあね、と最後に一言だけを残して、開けた扉から目にも留まらぬ速さで駆け出していく二人。結界前に群がっていた鬼たちを見せしめの如くに蹴散らし、ついでのように一掃して。
「……」
「……先輩たちなら大丈夫だ」
疾風の速さで俺たちの前から姿を消した。後に残された空気に、どことなく不安そうなフィアへ声を掛ける。
「あの鬼たちを物ともしていなかった。フィアも見ただろ?」
「……はい」
「何か、いきなり暇になっちまったな」
ここに来る中途も今もそうだったが、鬼たちに対する先輩たちの戦い振りは全く危な気がない。……流れ作業のよう。繰り出される立慧さんの手足は撃ち抜いた標的を必ず昏倒させ、攻撃を受ける先輩の障壁は皹一つ入ることはなかった。俺たちが心配する方がおこがましいというものだろう。リゲルの台詞に――。
「上守先輩たちに助けられておいて、何を言っているんだお前は」
「いや、そりゃそうなんだけどよ」
息を吐く。
「このまま事が済むまでここで待ってるっつうのも、何だかなと思っちまってな」
「……仕方ないさ。今の俺たちに、あの鬼たちの相手は厳しい」
「そうですよ。先輩たちにも、ここで待ってるようにって言われましたし……」
「……ま、そうなんだよな」
リゲルの気持ちは分からないでもないとは思うが、それが実情だ。……俺たちがあの鬼たちを斃すのは難しい。実際に刀を打ち込んだ手応えは相当にタフだった。【魔力解放】と体勢を整えた【無影】、全員のコンビネーションを使えば二、三体は斃せるかもしれないが、あれだけの数となると――。
「敵の数が多過ぎる。一体一体があの頑丈さを備えていることも踏まえれば、僕たちではどう足掻いてもジリ貧だ」
「ったく、そこらのゴロツキ連中なら、束になってこようが勝てるってのによ」
「強烈な一撃でもあれば別かも知れんがな。現状では不可能だろう」
舌打ちと共にバシリと打ち合わせられる拳と掌に、あくまで冷静に意見を述べるジェイン。……確かにそうだ。仮に【時の加速】や【重力増加】でスピードは優位に立ったとしても、敵を沈められるだけの攻撃がなければ精々逃げることしかできない。様々な点で今の俺たちには力が足りないと、無力さから息を吐いた。
「……黄泉示さん」
――そのとき。不意にフィアが呟きを零す。現状に場違いな、どこか不安の滲んだ声色。
「どうした?」
「……」
その響きに違和感を覚えつつ訊いた俺に、無言のまま。まるで見付かるのを恐れるかのように徐に指し示す指。刺されたその方角を目で追った――。
「――っ」
視界に。映り込んだモノに息を呑む。……話していた俺たちの後方。天井から降り注ぐ光が障害物で遮られ、丁度影を作っている何か所かの部屋の隅、その暗がりの中に。
誰かが、立っている――?
「……おい」
「誰……でしょうか?」
リゲルたちも気付いた。人影に聞かれないよう。恐る恐るといった体で小さく疑問を口にするフィア。……協会の人間ならば、今はあの鬼たちとの戦いに身を投じているはず。何かしらの事情で先にこの部屋に避難してきたのだとしても。
「……」
普通に話していた先輩たちや俺たちの前に出てこないのは明らかに不自然。――こちらが気付いたことを把握したのか、暗がりからその姿がゆっくりと現れ出た。
「――」
――頭から爪先までを古めかしい布地に包んだ、一人の人物。全身をすっぽりと覆うローブ、深々と被せられたフードが着る者の外貌を完全に覆い隠している。……見るからに異様なその出で立ちは、どう見ても協会の関係者ではなさそうだ。ならば……。
「……リゲル」
「ああ。分かってるぜ」
〝――いいか?〟
あの訓練の最中。俺たちに向けて言われた、小父さんたちの言葉が脳裏に響く。
〝お前らがもしいかにもって感じの奴に出会ったとしても、まず戦おうとはすんな〟
〝あなたたちにとって戦うことは最後の手段です。相手が雑魚なら話は別ですが、それよりは優れた補助を生かして逃げ切る方がずっと確実。間違いがありません〟
〝――置かれた状況をよく見ることだ〟
時を経てもなお耳元に響いてくるような、レイルさんの声。
〝敵は何人か、助けは来るのか、自分たちで対処できる相手なのかどうか……。そういったことをなるべく総合的に考えて判断することが必要になる〟
「……っ」
「――誰だ?」
警戒と緊張の中。少しでも情報を得るため、ジェインが声を掛ける。……まずは、この相手が敵かどうか。
「その恰好では味方かどうか分からない。――ローブを脱いでくれないか?」
「……」
問い掛けにローブの人物は答えない。揺れ動いた布地の下から取り出されたのは――。
「――っ」
刀。研かれたその刀身にフィアが息を呑むのが分かる。刃を身体の横に下ろしたまま、ローブの人物が一歩、俺たちとの距離を縮めた。――敵。
「――一斉に掛かるぞ‼」
それを理解した瞬間、威嚇するように声を張り上げるジェインに応じるようにして構えた俺とリゲルとが前に出る。……フィアたちを後ろへ。
「四対一だ! その気になれば勝てない相手じゃない‼ 合図をしたら――」
ジェインはなおも声を張り上げる。俺たちの前に展開されるのはフィアの障壁。微かに光を放つそれに自分の身が守られていることを感じる。――ゆっくりと、更に距離を詰めてくる男。
「飛び掛かれ、蔭水‼」
「――ああ!」
終月を握り締める。正眼の構え。近付いてくるローブにその切っ先を合わせ――。
「――【時の加速・三倍速】‼」
「――ッ!」
掛けられた合図と共に。飛び出した俺を迎え撃つように、立ち止まったローブの人物が僅かに刀身を上げた。
「――【重力三倍】ッ‼」
瞬間、リゲルの放った重力魔術がローブの身を軋ませる。身を翻して走り出す俺たち。飛び出していた脚に急ブレーキをかけ、体重を乗せて反転する。真っ直ぐに出口へと。
「――」
――あのローブの人物は俺たちだけでなく、先輩と立慧さんにさえその存在を悟らせなかった。
そのことだけからでもあの相手が俺たちの手に負えない相手である可能性は高い。ジェインや俺の言動は全てブラフ。小父さんたちから訓練を受けた際に話し合い、事前に決めてあった合図。逃走の。
「――ッ」
外に出ればまたあの鬼たちと出くわすことになる。だがそれも得体の知れないこの相手よりは恐らくマシだ。三倍速を受けた俺たちと三倍の重力を受けた相手とではその速度は雲泥の差。結界の張られた出口さえ抜けてしまえばこちらのもの。十メートルほどしかないその距離を全力で駆け抜けて。
「――⁉」
――いた最中。自分の向かう扉の横に、一人の人物がいることに気付かされた。
「きゃ――ッ⁉」
「っ――ッ⁉」
先行するフィアとジェインとが足を止める。たたらを踏み、思わずよろけるほど無理矢理の急停止。あからさまな隙を晒してしまうことになるその行為も、今この状況下では止むを得ない。……そう言わざるを得ない。
――まさか。
「……」
俺たちが目にしている、有り得ないと言いたくなる光景。閉ざされた扉の真横に佇んでいるのは、ローブを身に纏ったあの人物。……音一つ立てず、息一つ切らすことなく――。
「……マジかよ」
三倍の速度で動く俺たちより先に扉へと到達した。圧し掛かる重力増加から抜け出でて。尋常ならざる目の前のその事象に、リゲルも息を呑む他ない。狼狽えて動けないでいる俺たちを。
「……」
ローブの人物は眺めるように佇んでいる。――刀を持ったまま。格好の機であったはずの今の瞬間にも、切りつけてくる様子はない。……なぜ。
「……っ!」
「……」
気を取り直したように。フィアとジェインが俺たちのところまで下がってくる。……それ以上誰も動かない。動き出すことができないでいるのだ。得体の知れない、この相手を前にして――。
……一体。
「……」
「……目的は何だ?」
手探りの思考を遮った声。暗中にて声を発するのは、ジェイン。
「要求があるのなら聞かせて欲しい。場合によっては応える用意が此方にはある」
……正面からの戦いでは分が悪いと見て、交渉に持ち込む腹積もりか。
冴えたやり方ではない。苦しい対処法と言わざるを得ないが、俺としてもそれ以外に思いつける手はなかった。……あの状況で直ぐに切りかかって来ないなら。
「……」
話し合いの余地はあるはず。その俺の希望的な予測を嘲笑うように、ローブの人物は立ち尽くしたまま姿勢を崩さない。……なぜ動かない。
「――だんまりじゃ分かんねえだろうがよ」
此方の言動が全て空隙に空ぶっているような。そんな手応えのなさに否応なく不安が湧き上がってくる俺とは逆に、膠着した状況に業を煮やしたようなリゲル。なおも続けての無言に、苛立ちをぶつけるようにして言った。
「いい加減、何とか言ったら――」
――瞬間。
「うおッッ⁉」
眼の端を閃く白刃。応じるようにして二度三度と続けて打ち出されるリゲルの拳撃。突如として目の前に現れた男の斬撃に対して紙一重の精緻さで捌き切り、返しの一撃を叩き込む――‼
「ぐッ‼」
「きゃあッ‼」
そう思われた刹那、前触れも無く横へと跳んだジェイン、尻餅を付いたフィア。首筋を狙ったと思しき刃は【時の加速】を受けた反応速度に目算を狂わされて空振り、振り下ろされた刀身は展開されていた障壁に阻まれて止まる。何が起きているのかを理解するより先に。
「ッ‼」
視界に映り込んだ剣閃。鋭い逆袈裟の一撃を諸手を用いた終月にて受け止める。小父さんとの訓練で骨身にまで染み付いていた条件反射。漆黒の刀身が銀の刃と競り合い、数瞬の抵抗を受けて弾き返した――‼
「……っ⁉」
直後。今正に相手取っていたはずのその相手がいないことに不意を討たれる。視界の何処にも。まさかと思いつつも、振り向いたその先で。
「……」
刀を身体の横に下ろすのは、あのローブの人物。俺たち全員に切り付け駆け抜けた姿勢のまま、腰にあると思しき鞘に抜身の刀身を静かに収めた。……反転し。
「――中々に良く鍛えられている」
初めてその口から発せられた声。ローブの下から出されたその声音はややくぐもってはいるが、間違いなく男性のもの。手にした日本刀の如き冷たい落ち着きを持った……。
「悪くない仕込みだ。あの三人ならば、そのくらいはできて当然だろうが」
「――っ⁉」
「……えっ?」
三人――。
口にされたその単語に胸騒ぎを覚える。……三人とは間違いなく小父さんたちの事。だが、それを知っているとはどういうことなのか。
「テメエは……」
俺と同じ疑問を持ったらしい、リゲルが何かを尋ねるようにして言い淀む。その態度に共感を覚えると同時に。
「……」
――俺の心に、それとは別のある思考が浮かんでいた。……今し方受けた一刀。
全身を使い流れるように切り上げる刀身のブレのなさ。競り合いから一拍を置いて刀を引くあの動作には、覚えがある。
「……」
あの声にも。沈黙を守り続ける男の前で、次第に呼び起されてくる記憶。だが、それに素直に沿う心持ちには俺はなれない。
「あなたは……」
――知っているからだ。その一致の示すところ、あり得ることのない帰結を。その予感を確かめるように、声が口を突いて出た。
「――誰だ?」
フィアたちの視線が集まるのを意識しながら結んだ言葉の終わり。答えが返って来ないとしても、問わずにはいられない。俺の言葉を受け止めて、ローブの人物は数秒沈黙を維持した後――。
「……確信は持てないか」
――やはり。
呟かれたその声音。脳裏で頷いた自身に理性が頭を振る。ローブの下から発せられるために聞き取り辛くはなっているが、間違いない。その声、その口調は間違いなく――。
「ならば――」
俺たちの目の前で男がローブの肩に手を掛ける。特別な反応を示す間もなしに、次の瞬間、その手が身に纏っていた覆いを一息に脱ぎ捨てた。
「――」
言葉を失う。……露わになったその姿。短く揃えられた黒髪に、細身の体格。
腰に刺げられている二振りの長刀。伝わってくるのは明白な強者の気配。――秋光さんや小父さんたちにも似た、しかしそれよりも更に静かな気配だ。永仙や凶王――。
「――っ」
今までの強敵を連想させられたのか、リゲルたちが構えを取る気配が伝わってくる。……それが分かっていながらも今の俺は声を掛けることができない。それだけの余裕、思考が今の俺からは欠落している。惨劇の最中にある協会の一室で、俺たちと対峙しているのは。
「……父、さん」
――亡くなったはずの俺の父。……蔭水冥希、その人だったのだから。




