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第七.五節 対応

 

「――【中級障壁】‼」


 反響する詠唱。雷撃が飛び、閃光が罅割れた壁の様相を激しく照らす。


 本山の中ほどに位置する事務区画。奇襲に対し、ここでもまた鬼と魔術師たちによる攻防が繰り広げられていた。


 ――いやしかし、それは果たして攻防と呼び得るに足るようなものだったろうか。


「グギャッ!」


 一撃。振り下ろされた腕に圧し潰された身体から、凡そ人体では出し得ぬような音が木霊する。死体を踏み越え通り過ぎていく鬼の体面は焦げ付いているものの、特別その動作に障りがあるようには見られない。


 力量が不足しているわけではなかった。本山に職員として常駐することを許された上級以上の魔術師たち。時代の性として実戦経験は薄いといえ、その分修行と訓練には励んでいる。魔術協会の中心近くを形作る彼らの腕前は歴代と比較してもその戦闘力において遜色ない。


 だが、今回のケースについて語るならば……。


「あ、ああ……!」


 ――暴虐に慣れていないことが余りにも裏目に出る戦場であったという、ただそれだけのことだったのだ。


「た、助けて‼ 助けてぇッ‼」


 決して狭くは無いが充分と言える広さも無い空間で、入り乱れる敵味方。どこから敵の増援が来るかも分からない。そもそも敵の総数がどれだけいるのかも分からない。焦りと恐怖。判断は鈍り、烏合の衆と化して行く。


「落ち着けッ‼ 俺たちがここを――‼」


 奮戦と共に鼓舞する一部。その声も悲鳴と狂乱に掻き消されていく。……彼らがこれまで任務で相対してきた相手の殆んどは人間だった。事前に相対が予測され、心構えができ、扱われる技法も知識の中に収めている。それに比べて――。


 人外の種族、異形と呼ばれる者たちはその殆んどが近世以前までに姿を消し、現代で対峙するのは極めて格の低い死霊、怨霊など。凶王派との戦線が膠着化したことで亜人や召喚士の操る霊獣と対峙することさえ少なくなっているのだ。


 それがこれだけの数の、鬼。それも決して低級ではない。鬼神とまでは言わずとも、今彼らと相対しているのは通常の鬼どもを何体も束ねているような力の有る鬼ばかり。その力量もさることながら、戦い方も大いに人と掛け離れている。常識が通じない。対応策が知識にない。初めてということについて、その脆弱性を焙り出され。


「ゲゴッ‼」


 ――聞くに堪えない音と共に血飛沫が飛ぶ。壁にぶつかるのは捻じ切られた誰かの頭部。圧倒的な膂力にて放たれる鬼の攻撃は人間のひ弱な肉体を容易く抉り取り、千切り潰していく。


 それは戦場でなく、正に地獄絵図だった。日常の裏で任務として人を殺すことには慣れた魔術師たちであっても、その凄惨さの前に平静を保てる者が何人いたか。今の舞台の惨状を見れば――。


「――ヒッ」


 その答えは明らかであったと言わざるを得ない。抜かした腰を床に付けている協会員。目の前へ進み出てきた鬼が、その太い腕を高く掲げ。


「――〝水よ〟」

「ッ――⁉」


 振り下ろされようとしたその時。声に反応して振り返った鬼の首が、その中途で切断される。……いや。


 一体だけではない。ただ一言を赦したその刹那で、フロアにいた数十の鬼たちは全滅した。


「あ、ああ……っ」

「立てますか?」


 今し方死地を一度に塗り替えて見せたとは思えぬほど静かな出で立ち。協会を支える特別補佐官――櫻御門葵は、崩れたままの協会員を助け起こす。


「あ、有り難うございます! ……葵様……!」

「落ち着いて下さい。もう、大丈夫ですから」


 泣き出した彼女を努めて穏便に慰める。時間のロスだとの思考は億尾にも出さず、そのロスをなるべく縮められるような立ち振る舞い。――此処の敵は片付けた。……後は。


「――葵様」

「他に生き残りは?」


 駆け寄って来た協会員たちへ問いを投げる。先ほどまで鬼の一群と殺し合いを繰り広げていた術師たちだが、本来ここにいるべき人数の半数にも及ばない。あからさまな不足。


「分かりません。鬼どもにビビッて何人かは逃げ出しました。残った奴らも混乱していて、殺られていくばかりで……」

「……分かりました」


 ――大方は予想した通りだったらしい。


 それだけを確認し、葵は女性の身を彼らに預け、立ち上がる。


「纏まって他の協会員の援護に当たって下さい。これ以上の被害は出さないよう」

「了解しました。葵様は――」

「私は、次に行かなければなりませんから」


 ――これ以上は時間が惜しい。向けられる視線を自覚しつつ――。


「――」


 息を切らさないギリギリの速度で葵は部屋を駆け出でる。肉体的な鍛錬を積み重ねた者の動き。見送る彼らにその所作は充分に捉えられなかったに違いない。背に声を受けることもないまま。


 向かうはホールへと続く吹き抜けの階段。廊下に出て数十メートルの先にあるそれ目掛けて一直線に走り続け――。


「――ッ」


 ――片手も使わない。全身の発条を用いた跳躍で柵を越えると、そのまま階下へと飛び落ちた。


「――ッ! 何だ⁉」

「殺せッ‼」


 真下から響く耳障りな音階を余所に思考を整理する。階段上からの高さは六、七メートル。強化を施す必要はない。


 視界に広がるのはたむろする鬼の姿。……血に塗れた無骨な体躯と凶器。向けられる殺気を、嫌悪の眼差しで迎えながら――。


「――【水刃千乱舞】」


 道中用意していた術法を、過たない機会で撃ち放った。


「――っ」


 罅割れた床への着地。衝撃を分散したにも拘わらずたたらを踏む結果になったが、僅かな動きの凝りで踏み止まる。……鬼たちから反撃はない。当然だ。身を囲む静寂を省みつつ、思う。


 ――既に勝負は決しているのだから。


「……」


 動きを止めていた鬼たちの身体がずれる。……ある者は斜めに、ある者は水平に。終ぞ認識することのなかった事実から数秒遅れて、一塊だったはずの血肉は今、分かたれた残骸へと形を変えた。――【水の支配者】足る葵が撃ち出す水流。


 極限まで圧縮されたそれらは高速高圧の刃となり、自然界で最硬を誇る金剛石をも両断する威力を持つ。そこに水本来の無色性と水流を糸の如く纏める精密な属性操作の技量が加われば、繰り出される水の刃は必殺であると同時に不可視となる。葵に注意を向けたあの一瞬、その瞬間に強靭であるはずの肉体を紙切れの如くに引き裂かれ、鬼たちは何を受けたのかにも気付かぬまま絶命したのだ。


 肉塊となった鬼たちの残骸が散らばる中、葵は念のために周囲の状況を確認する。……咽るような臭気。


 ――酷い。


 眉を顰めつつ思う。……生き残っている魔術師はいない。浮かんだ感想は身を置く惨状については当然のことだったが、無残に殺されてしまった協会員たちに対してもそれは同様のことだった。彼我の力量から考えれば、対処は決して不可能ではなかったはずなのに。


 ――それが現実はこの有り様だ。実戦経験が不足していたとはいえ、彼らにも全く得心が無かったわけではない。相対したことのない異形。相手が化け物であるというただそれだけのことで、人はここまで脆くなってしまうものなのか。


 理性的な判断が下せている協会員もいることは確か。だがそれでもこのレベルの鬼を相手に、仲間たちが混乱した状態で持つことは期待できないだろう。現状の悲惨さを過たず捉えつつ、次に気配の多く感じられる区画へ向かおうとした。


「――酷いな」


 瞬間。聞こえてきた声に応じ振り返る、葵の目に映り込む姿。


「秋光様」


 現四賢者筆頭、式秋光の姿がそこにあった。既に他の部屋で鬼どもを制圧してきたらしく、跨る麒麟の角と足。続く三体の霊獣も、鬼のものと思われる返り血で汚れている。――迅速に。


「混乱のせいか、術師の大部分は正常な対応ができていません。――早急な対処が必要かと」


 葵はそのことを報告する。目の当たりにした光景だけでなく、ここに至るまでにまだ緊急術式が発動されていないと言うこともその一つの(しるし)だろう。余りの異様事態に自らがなすべき仕事を忘れたか、それとも異変の開始時に既に殺されてしまったか……。


「ああ。分かっている。それでお前のところに来たのだ」


 葵とて考えたくなどなかったが、場合によってはそう考えざるを得ないということが今回の事態の深刻さを示している。秋光の言葉の内容は葵の予測していたものと変わらない。合わせられる視線を受け。


「協会員の救援は彼ら自身と、支部長に任せる。――お前には鬼門の処理を任せたい。見付け次第速やかに破壊してくれ」

「――分かりました」


 丁重に頭を下げる葵。冥界に住まう魔物――これだけの数の悪鬼が湧き出る原因としてまず考えられるのは鬼門。当然その近くはこことは比べ物にならない数の鬼が潜んでいるだろうが、それも自分であるならば恐るに足りない。任された以上、身命を賭してその役目を果たして見せると。


「秋光様は……」

「……私は」


 そこまでの理解と覚悟をしていてなお、葵には一つの懸念があった。問い掛けられた秋光は、一瞬決意を高めるように目を瞑り。


「――根源を断つ」

「! はい」


 ――やはり――。葵は心の中で安堵と共に首肯する。……鬼門が自然発生的に出現した事例は極々稀。


 様々な偶然と特定の要素、そして何より負の気が強く充満していなければ開かない。間違っても魔術協会の中で起こり得るはずがないのだ。残る可能性は一つ、何者かに喚び出されたということになる。


 切り離されたこの空間内であれば、術者もまた近くにいるはず。葵もそれを想定して協会内の魔力を探っていたが、術師は愚か鬼門のものと思われる魔力さえ感知することは出来なかった。……相当周到に魔力を隠しているのだろう。


 葵とて補佐官を務める身。ある程度の距離まで近づけば嫌でも分かるが、遠方でかつ隠匿されているとなれば探し出すのは困難を極める。……それでも鬼門の方は何とかなる。どれだけ周到に魔力を隠されていようと、鬼門は動くことは出来ないからだ。問題となるのは術者の方だったが……。


 秋光は既にその術師の居所を掴んでいたらしい。――流石だ、と葵は思う。今の今までその気配、魔力を感知することのできなかった相手をこうも容易く見つけ出して見せるのだから。……単独で向かうということは少し気になったが、それも四賢者としての誇りと自負があってこそのもの。寧ろ自分たちが足手纏いにならないようにとの配慮に満ちた決断。


「お気を付けて」


 そう判断する。しかしてその上で彼女にその言葉を発させたのは、秋光の表情にいつもとはどこか違う影を垣間見ていたからか。


「……ああ。――任せたぞ」


 指令を受けた補佐官に一言激励の言葉を残し、麒麟に跨ったまま秋光は部屋を去っていく。後ろ姿が見えなくなるまでの、僅かな時間をその背に費やした後――。


「――っ」


 自らの役目を果たすべく。葵は、鬼どもの死体が転がる床を駆け抜けて行った。


 

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