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第六節 不意打ち 前編

 

 ――某日某所。


「――レイガス・カシア・ネグロポンテ殿」


 ビル。会議室のようなその一室にて、レイガスの名が口にされる。――穏やかな声。


「このような場所にまでご足労いただき、真に有り難く思っています」

「心にもない世辞はいい。私はここに、持て成されるために来たのではないからな」

「おや、皮肉と受け取られてしまいましたかな」


 突っぱねた台詞に軽く微笑んで見せる。付き合いに対して人一倍厳しく偏屈と言われるレイガスであっても、凡そ咎める点を見出せない練達の応対。


「礼儀の為に少しばかり誇張した点はありますが、その中身は本物です。あなたに来ていただき、私としてはとても光栄だと思っていますよ」

「……それはこちらの台詞だな」


 社交的な遣り取りでは分が悪い。踏まえてあくまで率直な物言いを通しつつ、レイガスは今一度相手を捉え直した。


「時代の今を行く機関の№2にそう言って貰えるとは、栄誉以外の何物でもないだろう」

「それは買い被りというものでしょう」


 ――ヨハン・カフェニコフ。国際特別司法執行機関のナンバーズ、その№2を務めている老人。ロマンスグレーとなった短髪の下に穏やかな微笑を湛えつつ、意趣返しの意図を多少含んでいたレイガスのその言をサラリと流す。


「なにせあなた方からしてみれば私たちの組織は、百年にも満たない若造ですから。それで、そちらの方は……」

「弟子の郭だ」


 師の声に答え、それまで控えていた郭ははっきりとした会釈を見せる。……僅かの体軸すらぶれぬよう。


「後学の為に同席させた。――今話し合うべきは我々とは言え、これからの時代を担うことになる人材だ。早い内からこうした空気に慣れさせておいた方が、互いの為になるのではないかと思ってな」

「それはそれは。いや実に耳が痛い。私など供も付けずに一人で来てしまいましたからな」


 後学などあったものでもありません……。そう言ってヨハンはニコリとした笑みを郭へ向ける。


「若いのにしっかりした目をしてらっしゃる。今日は存分に学んでいって下さい」

「……ありがとうございます」


 再度頭を下げる。表面上こそ好意的だが、裏では何を抱えているか分からない。相手は執行機関のナンバー2。万が一にも気を抜くことなどあってはならない。


「さて――では、本題に入りましょうかな」


 これまでの遣り取りで暖まった空気を引き締めるようなヨハンの言。


「確か今回は、そちらから何かお話ししたいことがあるという話でしたな」

「その通りだ」

「伺いましょう」


 待ちの姿勢。それを受けて、レイガスは用意していた文言を口にし始めた。


「先日の凶王と九鬼永仙に依る協会襲撃の件について、機関の一部に不穏な噂が流れていると耳にしている」

「と、言いますと?」


 内容の促し。……惚けているのか。掴んでいないことはないはずだが、表情、声色から一片たりとも真意を読み取ることができないのは流石と言うべきだろう。


「協会に重大な被害がなかったことを槍玉に挙げて、凶王派たちとの結び付きを疑っているらしい。……呆れたことにな」


 小さく息を吐いて見せる。まずは、この場面でどう出て来るか。


 状況だけから言えば協会は分が悪い。事実、そう考えられてもおかしくはないような要素は揃っているのだ。


「なるほど……事実とすれば、確かにそれは問題ですな」


 合わせるように頷くヨハン。


「三大組織の連帯が必要なこの時期に、そんな根も葉もない噂を流すとは。秩序を守る者としての自覚を持って貰わねば」

「そう言ってもらえると助かる」


 ひとまず相手方の見せた同意に、警戒しつつもレイガスは乗ることにする。


「あなた方まで判断を誤るようであれば、あの裏切り者と凶王との思う壺だからな」

「まさか。はっきり言ってしまいますと、私どもは魔術協会と凶王らが蔭で繋がっているなどとは全く考えておりません」


 見せるのは悠然とした笑み。


「あれだけ錚々たる面子を揃えての襲撃で然したる被害が無かったというのは意外ではありますが、アリバイ作りとしては余りに陳腐ですからな。仮に一部の執行者からそう言う声が上がっていたとしても、直ぐに消えるでしょう。《救世の英雄》も去ったことですし……」


 眼に笑顔を浮かべるヨハン。細くなる薄いブルーの瞳が、レイガスを正面から見る。


「後始末を終えて、事態が全て正常に戻れば。その頃にはよもや、そんな噂を口にする者などはおりますまい。何処にも」


 ――そう来たか。


 内心で舌打ちを零しつつレイガスは思う。……対応としては予想できた。


 そもそも今回の一件自体、機関と聖戦の儀とが手を組んで協会を叩くというシナリオを回避するために協会が取った対応策。状況の始めからして抜かりがあるのは此方側であり、向こうは苦しい立場にはない。――その状態で。


「……なるほどな」


 何も譲らずに此方の言い分を聞けというのが無理な話だ。将来の戦力として期待のできる有望株、彼らの取り込みを防ぎに来た。……行く先を見据えて。


「どうでしょうかな。見たところレイガス殿と我々とは、同じ見解に至れるのではないかと思いもしますが」


 再度郭を見る視線。……ここで折れるのは難しい。今後の協会の行く末を考えれば、彼らは何としても確保しておきたい人材。止むを得ず要求を呑むにしても、その飲み方を考えなければ――……。





 


 


 ――同日別所。


「――悪いね。待たせちまったかな?」


 悪びれない様子でそう言って室内に入るのは、リア。年代を経た落ち着いた色合いの調度品の並ぶ室内。中世に舞い戻ったかと思うような古風な照明と装飾も相まって、実に彼らの好みそうな場所選びだ。


「待ったかと問われれば待ちましたが、時間通りです。私から何か言うことでもありませんね」

「現在進行形で言ってる最中だと思うんだが、それについては見解の相違って奴なのかねぃ……」


 目の前の人物。部屋の中央に立っているその人影に向けてリアはぼやく。――聖戦の義の第二使徒、ヨハネの座を務め、《黙示のヨハネ》の二つ名を持つ女性、――アイリス。


 ともすれば十代とも思しきその若々しい見た目に反し、リアとは彼女が四賢者に着任して以来の付き合いがある相手でもある。その頃から既にアイリスの側は既に使徒として活動していたのだが……。


「きっとそうでしょう。では、話を始めましょうか」


 淡々とした口調でリアの言葉を流す様。――第一使徒である《神聖のペテロ》と同じく、彼女もまた聖戦の義の秘術により不老不死になっているとの噂があった。不死はともかくとしても不老については幾許かの信憑性がある。この七十年近くの間、アイリスの外見は全くの変化がないのだから。


「そうだね。こういう話は早い方が良い」


 つまりはそれだけ手強い相手だと言うことでもある。準備運動となる前置きは程々にして、リアが意気を入れた。


「あんたも聞いてるとは思うが、そっちの一部でよくない噂が立ってるって聞いてねい」

「……それで?」

「揉み消して欲しいのさ。今は――」


 そこでジェスチャーをして。


「――連携が大事な時期だからねい。下らない噂の所為で後々騒ぎ出されることにでもなったら、お互い面倒だ。そうだろう?」

「……」


 リアの問い掛けにアイリスが視線を移す。暫し沈黙を守る薄紅色の唇が、リアの前で小さく開かれた。


 


 


 


 


 


 


 


 


「――この前の外出は中々だったな」


 昼食のあと。サロンへ向かう途中でそんな感想を言い出すのは、ジェイン。


「胸のすく思いがした。出会った時の借りは、これで返せたな」

「おー恐い恐い。外面じゃあ無害そうな面して、これだから陰険眼鏡は困るぜ」

「女だと分かった途端掌返しをするような軟弱は言うことが違うな。大体あのときの提案については――」


 久々のギスギス。蒸し返しから綺麗に言い合いへと発展した二人を置いて、息を吐く。このところはのんびりとした日々が続いているが。


「あの件についてはどうなってるんだろうな」

「……どうなんでしょう」


 俺たちの処遇の件。先輩たちと外出をしてから数日が経つが、未だに協会側からのアクションは訪れていない。……先輩や立慧さんも、そのことについては知らされていないようだ。


「まあ、なんとかなるだろうよ」

「そうだな。あの様子なら悪いことにはならないだろう」


 ――そうだ。


 あれ以来大きな変化は訪れていない。レイガスや郭も思ったよりは好意的なような気がする。これならば、きっと。


「だよな――」


 ――大丈夫だ。そう考えて足を進める。厳しい修業の無いせいか、このところは一日がやけに長く感じられていた。こうしてゆっくりと日々を過ごすのも悪くない――。


「――?」


 そう思いつつ過ぎた視界の端。見慣れた協会の景色の中に、ふと違和感を覚える色合いを捉える。……赤。


 赤銅のようなその色が、動いた気がした。……影の内。目立たない箇所で。


「どうしました?」

「いや……」


 ……気のせいだったのだろうか?


 フィアの声を受けつつ視線を動かすが。……見つめる影の内からもう色は消えている。見間違いだったのかもしれないと、そう言い聞かせて視線を戻し――。


「――ッ」


 その場所に現われていた巨体。……赤褐色の肌。伸ばされている腕。


「フィアッ‼」


 ――上げられた叫び、地を蹴り出す感触。


 それがこれから続くことになる悪夢の始まりだった。


 


 


 


「――切り離しは完了した」


 中空にて煌々と照り輝く幾重もの法陣。手元の術式に今し方極大の魔力を送り込んだ事実を額に流れる汗一筋で表し、誰かに向けて男はそう言う。


「後は君たちが存分に力を振るってくれればいい」

「――分かっている」


 答える低い声。その声は、肉声として発されたものではない。


 男の周囲に浮かぶ六枚の映写幕。魔術によって生み出された幻燈幕の一つが、声の主の姿を映しだしていた。……その他の映像から。


「手際は上々。後は、我らが各人の役目を果たすのみ……」

「その通りですね。――待ち侘びていましたよ、この時を」

「……」


 主の異なる声が続けて響く。沈黙を映し出している一枚。その反応に。


「――あら? 緊張しているのかしら? 媛神のお嬢さん」

「……違うから放っておいてくれよ」

「あー、皆、分かっていると思うけど」


 六つの幕前にいる男の発言が遮る。


「なるべく早く頼むよ。限りなく無限に近いとはいえ、僕の力が有限であることには変わりない。実際結構疲れるからね、これは」

「……善処はしよう」


 男を気遣ったとは思えぬそんな冷ややかな声を最後に、六枚の映写幕が掻き消える。通信を終え、それぞれの仕事が始められたのだろうと。


「……ふう。さて、どうなるかな……」


 冴えない中年の男は独り言ち。


「――貴方もそう思わないかな?」


 不意に、あらぬ方角へ向けて台詞を飛ばした。


「九鬼永仙」 

「……」


 それまで誰の姿も無かった箇所に、忽然と露わになる男の姿。……呼ばれた名に相違なく。


 初となる両者の邂逅は、あくまでも静かに始められた。




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