第二節 帰還
「相変わらず美味えなここの飯は」
――夜。小父さんたちを迎えて賑やかになった食卓の風景。日常になったその景色に──。
今日は、懐かしい顔ぶれが舞い込んでいた。
「……漸く戻って来れたな」
感慨深げな顔でそう呟くのは――千景先輩。今朝方漸く大怪我の治療を終えて退棟。仕事の方に復帰したのだという。
「ほら千景。取ってあげる」
「どんどん良いぜ。退棟記念ってことでな」
立慧さんと田中さんから譲られてくるのは海老。先輩は海老が好きなようで、治癒室にいる間は食事制限などで食べられなかったということであげているらしい。……ホイホイと乗せられていく海老は、先輩の食事量からして少し多過ぎるような気もするが。
「食い切れないだろ、こんなに」
言いつつ嬉しそうにしているので大丈夫そうだ。微笑ましい光景に心の荷が一つ降りたような気分で、野菜を皿に取り――。
「――お前たち」
「ムゴッ⁉」
唐突に先輩から振られた言葉に、リゲルが頬張っていた飯を喉に詰まらせる。欲張りすぎるからだ、大丈夫ですか⁉ などの声が響く中、咳き込んだリゲルはコップから水を飲み干し。
「あー……死ぬかと思ったぜ」
「私のいない間も、色々大変だったそうだな」
「……まあ」
相槌を打つのは続けられる先輩の話。……自身の怪我の治療をしていた先輩の前で言っていいものかは分からないが、確かに大変ではあった。かなり。
「修行が中々にハードでしたね」
「そうですね……」
「――《救世の英雄》直々の指導か」
ジェインたちの声を受けて先輩が小父さんたちを見る。……尊敬を示しているような視線に、なにか勘違いが発生しているような気がしなくはないが。
「私の休んでいる間、手数をおかけしたようで申し訳ない」
「――良いって良いって」
頭を下げる律儀な先輩に、小父さんは刺した肉を持つフォークとは逆の手をヒラヒラと振ってみせる。……肉汁の付いたナイフを持ったまま。
「俺たちはあくまで息子らの手伝いをしただけだからな。礼なら寧ろこっちが言いたかったぜ」
「凶王に狙われたとき、貴女が前に立ってくれたそうですね」
フォークとナイフを置いて。修行の風景からは考えられないほど淑やかに、真っ直ぐ先輩を見てエアリーさんが言った。
「ありがとう。心から礼を言います」
「私からも、感謝するよ」
本当は謝礼でも弾みたいところだがね、と言うレイルさん。肉を頬張りつつあんがとな! という小父さんだけ何か軽いような気がするが、きっと気のせいだろう。多分。
「――よし! んじゃまあこれで、めでたく全員帰ってきたことだし」
「私たちが帰っても大丈夫そうですね」
――ん?
「は? マジでか?」
「え? もう帰るんですか?」
「もうと言っても、既に三週間近い時間だ」
共に意外そうなリゲルと立慧さん。……俺自身も同感だが、言われてみれば確かにそれくらいは経っている。特にエアリーさんとレイルさんはお互い本業のある身であって、それだけの間留守にしていれば。
「残してきた組織の方で何やら問題が発生したらしくてね。解決の為に私は外せないそうだ」
「私も、子どもたちのお世話を任せてきた方が音を上げてしまいまして……」
トラブルが発生してもおかしくはない。二人とも何やら平然と語っているが、それはどちらも割と大きな問題なんじゃないか?
「夜月さんはどうするんですか?」
「ま、ちっとしばかり野暮用があってな。戻ってくるにしてもどんくらいになるかは分かんねえから、待っててくれんなら気長にな」
「は、はい」
バチンと音のする下手なウィンクを受けて頷くフィア。……そうなのか。
押しかけて来た時には随分と困惑したものだが、いなくなると分かってみると少し寂しい気もする。……思えば小父さんたちには随分、助けられた。
「私たちも同じですね。子どもたちの世話に目処が付かないと何とも……」
「そうだな。寄せ集まればどうにかなると思っている愚か者たちを排除するのに、どれくらいの時間が掛かるかだが――」
「いやまあ別に、戻ってこなくてもいいけどよ」
笑みを消して考えるレイルさんに対し、身も蓋もないことを言うリゲル。まあ確かに、余り世話になってばかりもいられない。小父さんたちもそれぞれの生活があるわけだし……。
「まあそう言うことで、とにかく俺らは一旦帰るぜ」
「出発は――」
「この夕食のあとすぐだな」
「えっ?」
小父さんが左腕に嵌めた時計を見る。――そんなに。
「また随分急じゃねえっすか」
「なるべく早くに戻るのに越したことはないだろう?」
「早く行ってあげないと大変なことになるかもしれませんし。あ、見送りは大丈夫です。秋光が来てくれるそうなので」
急なのか。思っていたより早かったことに、ナイフを動かす手が止まり――。
「荷造りもしねえとな。意外と忙しいぜ」
「まあ、そんなに大きな荷物はありませんがね。ほとんど着の身着のままできたようなものですから」
「私は殆んど準備はないな。向こうに戻れば大抵の必要なものは揃う」
「……小父さん」
「ん?」
フィアたちを見る。リゲルにジェイン。頷いた視線は、恐らく全員が同じ思いで。
「「――ありがとうございました」」
合わせて礼を述べた。……小父さんたちが俺たちの頼みを聞き入れ、修行を付けてくれなければ。
永仙に認めさせることはできなかっただろう。例え殺す気がなかったとしても、力が足りないとして一蹴されていたはずだ。
「――ま、問題事の件は心配してねえけどよ。またな、親父」
「ああ。またね、リゲル君」
「道中お気をつけて、神父」
「ジェインも。健康には気を遣ってくださいね?」
「――まあなんだ。一応、軽い修業は続けとけよ」
正面に俺を見つつ、俺たち全員に片手を差し向けて言う小父さん。
「一応急場は凌げたわけだが……自分を鍛えとくに越したことはねえ。状況が安定するまでは気を抜くなってことでな」
「……分かりました」
「なんだ東。らしくないな」
「ほんと。似合わないですね」
「茶化すんじゃねえよテメエら」
「……」
小父さんたちの喧騒を前にしながら。食事を進める俺たちの間には、穏やかな空気が流れていた。
「……もう行くのか?」
ゲートの前にて。東たち三人を目に、秋光はそう声を掛ける。いずれも手荷物一つ程度の軽装。
「ああ。部下から引っ切りなしに連絡が来ていてね。中々に余裕がなさそうなので早めに出向くことにした」
「あの信徒がどうなろうと知ったことじゃないんですが、世話されている子どもたちが心配ですからね。なるべく早く行かないと」
「……早く行ってやれ」
雑巾のようになっているだろう信徒の不憫なイメージにそう声を掛ける。分かっているよとの答えを耳に、荷物の確認をする三人を眺め――。
「――変わらんな。お前たちは」
「なに。それを言うならお互いに、だろう?」
思わず秋光が掛けた声に、レイルから飛ばされたのは品良い笑み。
「そうですね。あなたもあの頃から全然変わっていませんよ、秋光」
「魔王をほっぽり出して黄泉示たちを助けに行ったって、聞いたぜ? 相っ変わらずお人好しだよな」
「……そうでもないさ」
秋光は執り成す。……当然変わった部分はある。先ほどはああ言ったが、目の前の二人とてそれは同じこと。――エアリーとレイル。
「ほんと。威厳は付きましたけど、雰囲気全体はそこまで変わっていないですし」
「気苦労は多そうだがな。その人の好さそうな目は相変わらずだ」
「分かった分かった」
この二人から血と戦いの気配が漂っていないなど、出会った頃では到底考えられなかった。……東とてそうだ。十年と言う時間はそれだけ大きく。
「ちゃんと息抜きもしとけよ。協会の顔だってのに、それ以上皴が増えちまうと大変だぜ?」
「……ああ」
「――まあでも安心しました」
だがそれでも変わらない事柄もある。言葉を交わしていて何よりもそのことを思った秋光に、それまでとはやや違った声音で語るのはエアリー。
「あの子たちが狙われているというのが勘違いで。――協会に誘うのでしたら、ちゃんと本人たちの意志を尊重してあげて下さいね? でないと私――」
秋光へ向けて、飛び切りのスマイルを送った。
「――一暴れしたい気になっちゃうかもしれませんから」
「止めておけエアリー。秋光には秋光の立場がある。全てが彼の一存で決められるわけではない」
「……」
レイルの発言は的を射ている。例え秋光が筆頭を務める身であるといえ、いや、筆頭を務める身であるからこそ、周囲の見解を無視することなどできはしない。彼らの処遇については――。
「まあしかし」
他の四賢者の意見も交えて決めることになるだろう。先に仲間を諫めたその口で、今度は秋光の方を向き。
「仮にリゲル君が意に沿わぬ所属を果たすことになれば、私としても黙ってはいられない。――そのことは一応伝えておこうか。交渉の材料としてね」
「……善処しよう」
「二人してんな秋光を脅すなよ。――っと、そうだ」
いけねえいけねえと、思い出したように言う東。
「葵つったっけ? 凶王と戦って入院してたっていう秘書サンに言っといてくれよ。――黄泉示たちが、世話になったってな」
――櫻御門葵。賢王との戦闘で深手を負わされていた秋光の補佐官は既に退棟し、明日が本格的な復帰の日となっている。仮にもう復帰していたとしても、礼を言われるために東たちと会うようなことはなかっただろう。〝役割に殉じただけですので〟とでも言いそうな、生真面目な彼女の性格を思い出しつつ……。
「伝えておこう」
「悪いな。頼むぜ」
「――では」
全ての用を終え、レイルがスーツの裾を翻す。
「また。息災を祈っているよ、秋光」
「機会があればお酒でも飲みましょう。四人で一緒に」
「じゃあな!」
「――達者でな」
振る手を最後にゲートから消える三人。出立を認めて秋光は本山の中へと戻る。――さて。
「……」
ここからが正念場になる。そう考えて微かに吐いた息。東たちが去ったことにより浮き彫りになる問題と、それに関わってくるだろう人物との遣り取りを、頭の中で思い描きながら――。




