第一節 一夜明けて
――朝。
「……」
何をするでもなく布団の中で目を開ける。目に映るのは白い天井の壁。頭に浮かんでくるのは、昨日の襲撃。
――あのあと。俺は少しの間意識を失ってしまったため覚えていなかったが、フィアに依れば支部から帰還してきたレイガス、アルさんを中心に協会内に潜伏している敵がいるかどうかの大捜索が行われたらしい。結果的に残党が一人もいないことが明らかになった時点で緊急警報が解除。形の上でも事態は終息を済ませたということだった。
そのあと辺りにエアリーさんの治癒を受けて目を覚ましたのだが、正直それからのことも良く覚えていない。……小父さんや立慧さんたちからの安堵と労いの言葉。秋光さん直々の質問に答え、レイガスによる身体と精神状態の確認も受けた。結果として問題なしとのことだったので安心していいだろう。
――とにかく何かにつけて目まぐるしく、慌ただしい時間だった。その後宴会騒ぎの様な夕飯を食べ、当然修行もすることなく自室に戻ってきて寝たわけだ……。
「……」
思い起こされる。俺たちを前にした、九鬼永仙の言動。……あの言葉。
あれらの行動の意味は、果たして何だったのか。
以前にもリゲルが言っていた違和感。俺たちを殺すことだけが目的なら、外出した時の襲撃で俺たちは殺されていてもおかしくはなかった。今回の襲撃でも。
一時的とはいえ、永仙は自身と俺たち四人とを外部から完全に隔離することに成功していた。……俺たちを殺す気なら簡単にできたはずだ。幾度となくその機会はあったはずだし、秋光さんを前にして見せた力の一端からしてもそのことは容易に推測できる。だが……。
「……」
永仙は俺たちを殺さなかった。いや、そもそも殺す気がなかったように思えた。最後の方の台詞など、まるで俺たちが成長することを望んでいるようにも――。
「……ああ」
考えて頭を掻く。――分からない。最初に俺たちを襲ってきた二人の男は、どう考えても俺たちを殺す気で来ていたはず。そしてあの男たちは、永仙と凶王の差し金で来ていたはずだ。
外出時に遭った凶王とてその態度は同じだった。……今でもはっきりと思い出せる。息をするように自然に、あの女性の凶王は俺たちを殺す気でいたのだから。
「……」
……起きるか。
決着の付かない脳内の考えを打ち切って。俺は、気だるげな身体をベッドから起こしに掛かった。
「……」
――遅起きした昼。東たち三人は、サロンの一角にたむろしていた。
黄泉示たちには修行が休みであることを伝えてある。……凶王を相手にした後では、流石の三人と雖もある程度疲労が残る。ましてや黄泉示たちは永仙を相手に大立ち回りを繰り広げたあと。消耗を考えれば今日を休日にするのは妥当な判断と言えた。
「なんっか嫌な感じがすんだよな……」
三人は三人とも指導の方針はスパルタだが、それは常に無理を強いるということではない。無理は必要な時にこそするもので、そうでない時には寧ろ休息が必要なのだとは心得ている。眠気覚ましのコーヒーを啜りながら。
「思わねえ? お前らも」
「思わない、と言いたいところですが……」
言った東に対し、紅茶を片手に答えるのはエアリー。
「そうだな。確かにどこか不安の種はある」
続くレイル、こちらは東と同じく、コーヒーのカップを手にしている。とはいえ甘みを嫌い常にブラックを嗜む東と、エスプレッソに砂糖を加えて楽しむレイルとではやはり好みは違う。寧ろコーヒーという括りで統一されている分、互いの嗜好の話となればこの二人の間の方が争いはより激しかった。
「あの様子じゃ、永仙と凶王の方は大丈夫だと思うんだが……」
「それを確信するのは裏付けが取れてからの方が良い。気が変わってしまっては元の木阿弥だ」
「そうですね。それよりも、彼らがなぜあんなことをしてきたのかが気になります」
カップを置く。飴色の液体を、ティースプーンでゆっくりと掻き混ぜて。
「あの様子じゃ、凶王共々三大組織に喧嘩吹っ掛けるために来たわけじゃなさそうだしな」
「……元々同盟を組んだ動機もそうでなかったということでしょうか。となるとわざわざ宣言をした事情が解せませんが」
「――お前んとこに何か情報とか入って来てねえのかよ」
東がレイルに振る。――首を振るレイル。
「生憎凶王の内部事情を探ろうとするほど、私は死に急いではいないのでね」
「ちっ。肝心な時に抜けてやがんな」
いつもなら間違いなく咎める台詞だろうが、今はレイルも沈黙を守っている。東の台詞がレイルへの苛立ちと言うよりは、黄泉示たちを巻き込んだ状況の理解ができないことへの不甲斐なさから来るものだと知っているからだ。付き合いが長い分、衝突の仕方も洗練されているというわけだった。
「……分からないなら――」
「備えだけでもしとくべきか」
レイルの声に東が呟いた、その時。
「……鳴っていますよ」
不意に鳴り始めたのは軽妙奇怪な着信音。おどろおどろしい、そうでありながらどこか無機質な音階が、場にそぐわないメロディを奏でている。その主。
「困ったね。掛けるなと言っておいたんだが……」
レイルはやれやれと言う風にわざとらしく表情を作ってみせると、大仰な身振りで懐から携帯を取り出す。通話状態にし、耳へ。
「ああ、私だ。どうしたんだい?」
電話越しであれど変わらない。いや、東たちと話していた時よりも寧ろにこやかに見える笑顔を浮かべていた。
「……なに?」
表情が、僅かに変わる。声色も低く。慣れていないものには見分けられなかったかもしれないが、様子を目にする二人にはそれが数少ないレイルの心情を示す所作であると分かっている。
「――分かった。また連絡する」
「どうした?」
二言三言を交わして通話を終えたレイルに、尋ねる東。
「……私のいない間に、敵対組織の幾つかが手を組んだらしい。これ以上はどうしようもないと、部下が泣き言を零していた」
「それ、不味いんじゃねえのか?」
「全くだ。そこまで愚かだとはね。私を消したわけでもないのに、何を調子づいているのだか……」
「いえいえそうではなくて。どうにもならないなら、早くあなたが戻ってあげた方が――」
訂正の言葉を口にするエアリーだが。
「あら……?」
その言葉を流れ出したメロディが遮る。……重々しく厳かな鎮魂歌の旋律。
「電話だな」
「はい。バーネットですが……」
促されるままに電話に出るエアリー。はあ、と何度か相槌を打ちつつ、徐々にその表情が困惑したものへと変わっていく。
「……ふう」
「そちらでも、何か問題発生かな?」
「……留守を頼んでいた人間に泣き付かれてしまいまして」
溜め息を吐くエアリーに、レイルは表情の読み辛い顔で声を掛ける。
「子どもたちの世話はきちんとこなして貰わないと困るのですが、最近の若者は情けないですね」
「……ご愁傷様だな」
心底参ったと言うような仕草だが、東たちは騙されない。……エアリーの事だ。できると思ったから任せてきたのではなく、できるようにしてきたから任せていたのだろう。交渉という経緯にしても実際にはそれが名前を変えた脅しであり、内訳の半分以上を暴力が占めていたことは二人からしてみれば容易に想像のつくことだった。
「早く戻ってやった方が良いんじゃねえか? その、誰かさんの為にもよ」
「そのようですね。流石に子どもたち何かあるようでは困りますし……」
――世話役の方は心配しねえのか。そう思う東だったが、どうせ無駄だと思ったので口には出さないでおく。哀れ体の良い召使として使われてしまったであろう相手に、心の中で手を合わせながら。
「やれやれ。戻ったら、部下たちの鍛え直しだな」
合わせてレイルも零す。――こいつの場合は戻らない方が部下も幸せなのではないだろうか。そんな考えが二人の胸中に過るが、やはり口に出されることはない。言ったところで意味が無いことなど分かり切っているからだ。
「そうなると、秋光に戻る旨を伝えなければいけませんね。ジェインたちにも……」
「早い方が良い。今からでもそうするとしよう」
「……ちょっと待て」
立ち上がり掛けた二人を、東が呼び止める。
「俺も行く。一旦日本に帰らなきゃならねえからな」
「おや、あれほど過保護だった君が、どういう風の吹き回しかな?」
「……ブーメランだからな。それ」
「……さっき言っていたことですか?」
「ああ」
東は頷く。備えだけでもしておくべき――今回の事件を踏まえて出した結論だ。確証もなしにただ勘で動くなど愚か者のすることだと揶揄されてもおかしくはなさそうだが、東は経験則からして自らの直感にどれだけの信頼が置けるかを知っていた。……大抵は当たる。それも、悪い予感のときは特に。
「確かに私たちと違い、君なら元の得物の入手も容易だからな。羨ましいことだ」
「事情を知ってるくせに、よく言うぜ……」
――得物。そう。それが今回帰国を決めるに至った最大の動機。
昨日の凶王との戦い。本物の殺し合いでなかったとはいえ、今のままではあの狂覇者にさえ結果的に遅れを取っていたことは紛れもない事実。この予感がどのような方向で当たるのかは定かではないが、それなら一層最悪を考えて行動した方が良い。十年というブランクは今更どうしようもないとはいえ、使える得物だけでも全盛期の物に戻しておくことは必須。
――尤も、それも一筋縄ではいかないだろうが。
「今の私が聖宝具を入手するのはまず不可能ですからね……」
「ま、それに関しちゃ仕方ねえだろ」
かつての得物を懐かしむように言うエアリーに気休めを口にする。元々フリーの身だった東と違い、レイル、エアリーの両人はそれぞれ三大組織の一角である国際特別司法執行機関、及び聖戦の義に属していた。平穏無事に引退できたことが既に彼らが《救世の英雄》と呼ばれるに値した証とは言え、その際組織から支給されていた物品は全て回収されてしまっている。それらを今更取り戻すことは、現時点ではどうあっても無理が過ぎる。
「何とかしたいところではあるが、それはぼちぼち考えるとしよう。今は片付けねばならない問題もあることだしな」
「じゃ、行くとするか。あの様子じゃ暫くは黄泉示たちも安泰だろうし、問題はねえだろ」
そう言って、東は二人と共に立ち上がる。
自らのその言葉が万一にも覆されないことを、胸の内で願いながら――。
――永仙と凶王は、何がしたかったのか。
執務室。このところ恒例となった思案を、今日も秋光は巡らせる。
狙いが三大組織の壊滅などというものに無いことは最早明らかだ。先日の襲撃も、今回の強襲も。確実に協会の力を削ぎ落とせただろう時に彼らはその選択をしてこなかった。
「……」
一人であるにも拘らず、秋光は重苦しい表情を崩さない。……唯一目的として確かだと思えていた、黄泉示たちの殺害。それすら今回の件で筋が通らなくなったことも秋光の思案に重荷を付けている原因だった。
真に永仙と凶王が黄泉示たちを殺そうとしていたならば、【世界構築】に彼らを隔離した時点で勝負は決していた。……幾ら才能を持ち、過酷な訓練を積んできたと言っても、やはり戦いに身を投じてからの日にちが浅過ぎる。数秒あれば充分用が足りただろう。永仙が、彼らを殺すつもりだったのなら。
だがそこで初期の事実と矛盾が生まれる。初めに彼らを襲った脱秩序者二名は、共に凶王派に組するものであることは調べが付いている。となれば当然単独での行動ではなく、凶王の意向を受けての行為であったはずだ。
先日の襲撃の際もそうだ。思えばあの時から、凶王が彼らを連れ去ろうとしていたという情報は耳にしていた。同時に殺そうとしていたとの話も入っている。いずれにしてもその行動には食い違いがある。
――何かしらの要素が基準となって動いているのか? だがそれを見極める手掛かり、思い当たる事柄は秋光にはなかった。……分からない。一つ三大組織として重要なのは、彼らの同盟が必ずしもこちら側との対立を見据えてのものではないということだろうが……。
この件に関しても、取り扱いは難しい。……凶王が三大組織最大の敵であることは最早常識とも言って良い事実。それを魔術協会が然したる被害を受けなかったからと言って、敵対の意思なしと説得することができるかどうか……。
――それに。秋光は思い返す。永仙も凶王も、少なくともこちらとの友好関係を望んではいない。そうではなく、何か、違う目的の為に一時の処置として三大組織を敵から外しているように見受けられる。
だとすればその狙いは――?
「……」
……分からない。
息を吐く。……判断材料が少なすぎる。憶測は立てども、それで協会を動かすわけにもいかない。それに。
「……」
――もう一件。秋光には、考えねばならないことがあった。
凶王と九鬼永仙。余りに強大な勢力に命を狙われていたからこそ、保護していた彼ら。
――蔭水黄泉示たちの処遇を、どうするかを。




