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※旧版につき閲覧非推奨 彼方を見るものたちへ  作者: 二立三析
第一章 新しい日々の始まり
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第十節 替え服狂騒曲 終演

「……黄泉示さん、遅いですね」


 浴槽の中で、不安を紛らわすように私は一人そう呟く。やはり、何かあったのだろうか。そうでなくとも買い物に苦労させられているという、そのことはどうやら確かなようだった。


 ……もしかすると、そろそろ洗濯が終わっていたりしないだろうか。


 タオルを巻いた状態で、脱衣所から外に出る。目の前にあるのは唸りを立てて動いている洗濯機。……確かに黄泉示さんの言った通り、このままなら洗濯だけでもまだ時間が掛かってしまう設定のようだった。


「……?」


 ――だけど、なぜだろう。


 さっき簡単な使い方を教わっただけなのに、なぜだか、どう操作すればいいのかが分かる気がする。頭の中にイメージが浮かんでくるような。


「……」


 その感覚に促されるようにしてボタンを押す。……まずは今やっている動作を止めて、その次に――。


「……あ、あれ?」


 気付けば、パネルに表示された時間は驚くほど短くなっている。……このままいけば、あと十分くらいで乾燥まで終わらせられるだろう。


「……どうしましょう」


 帰ってきた黄泉示さんに何と言えばいいのだろうかと。そのことを思いながら、私は回り続ける機械を見続けていた。





「……ただいま」


 品の良いロゴの入れられた紙袋を手に、空いている右手でドアを開ける。……着替えのないフィアはまだ風呂場にいるはずだ。


 答えが返ってこないことは分かっているのだが、それでも帰って来ると習慣でついそう言ってしまう。誰かが待ってくれていることに慣れ過ぎているのかもしれないと、そんなことを思いつつ、しかし今はフィアに服を渡すのが先決。……店員のお蔭で物はいい物が決まったと思うが、時間は当初見込んでいたのより遅れてしまった。待たせていないといいが。


 靴を脱ぎながら早く服を届けようと思っていると、下を向いている俺の耳にこちらに向かって駆けてくる軽い足音が届く。


「……?」


 今この部屋には俺と、それから着替えが来るのを待っているフィアしかいないはずだが。


 泥棒なら足音はなるべく消そうとするはずだ。疑問を抱きながらも音の主を確かめるために顔を上げた。


「お帰りなさい――黄泉示さん」


 そう言って小走りに出迎えてくれたのは、紛れもないフィア本人。風呂場から出てまだ間もないのか。


 頬は少し上気しその長い髪にはまだしっとりとした艶のある質感が見て取れる。……なぜかホッとしたような表情をしているのが、少し気になったが……。


「……」


 ――それより俺の注意を引きつけたのは、目の前の彼女がきちんと服を身に付けていることだった。……いや、勿論それは至極真っ当。当たり前のことなのだが、その着る服がなかったからこそ俺が買いに出て行っていたはずで。


 そもそもこの服はまだ洗濯中のはずだ。困惑して携帯で時間を確認するが、流石に出て行ってからそこまでの時間は経っていない。致し方なしに――。


「……その服はどうしたんだ?」

「……えっと……」


 浮かんだままの疑問を口に出した俺に対し。何と言ったらいいのか言葉を選ぶように、フィアは少し言い淀む。


「洗濯機のボタンを見ていたら、なんだか操作が分かるような気がして……それで弄ってみたら、こうなりました」


 ――少し気まずそうな笑顔が付け加えられた、フィアの返答。


「……そうなのか」


 それを聞いた俺はと言えば、そんな風に答えるよりない。初めて見た洗濯機の詳しい使い方が分かるとは妙な話だとは思ったが、こうしてフィアが元の服を着ている以上、嘘ではないのだろう。以前に使ったことがあってその動きが体に染みついていたのかもしれないと、多少強引に自らを納得させ。


「ごめんなさい……その、せっかく買いに行ってもらっていたのに」

「いや、別に。解決したならそれが一番だ」

「……すみません」


 そう言って再度謝ってくるフィア。……確かに多少の肩透かしは喰らわされたが、どの道このあと寝るのにも寝間着は必要なはず。無駄足だったということにならないし、まあ、よしとしよう。苦労を思うと釈然としないものはあるが。


「それよりも……その、大丈夫でしたか?」


 それを思っても仕方がないと考えている俺の前で、フィアがなんだか世にも微妙な表情で話し掛けてくる。呆れているのとも違う感じがするし、〝大丈夫〟とは一体。


「……」


 ……ああ。


 そういうことか。少し考えてから思い当たる節があることに気付く。確かに他人の服を買うのだから、それは問題だったが。


「……まあ、多少苦労はした。けど親切な店員にも手伝ってもらえたし、一応問題なく買って来れたとは思う」

「ほ、本当ですか⁉」


 俺の返答にフィアは驚いた様子を隠そうともしない。――彼女が言っている〝大丈夫〟とは多分、服のサイズや種類についてのことだろう。


 確かに女性物の服を買うなんて経験は俺自身初めてだったし、男であれば姉妹でもいない限りそう経験することじゃないはずだ。だから正直確実と言えるだけの自信はない。それでも。


 じーーー……

「……」


 俺との比較でフィアの身長はある程度分かっているし、その点は店員にも訊かれた。なのにこうまで、何と言うか……妙な視線を向けられているのはなぜだろうか。疑惑――とは違う。警戒――それも少し違う気がする。単純に信用されていないのか……。


「……まあ、取り敢えず」


 多少の困惑を覚えながらも、そう言ってフィアに紙袋を差し出す。俺が持っていても仕方がない。一応フィアの為に買ってきたのだから、今使わないにしてもフィアが持っておくのが筋というものだろう。


 目の前に差し出された紙袋を見て、これまたなぜか困っているような微妙な表情を見せたフィア。そのまま一瞬視線が宙を彷徨ったが……。


「……ありがとうございます」


 そう言って紙袋を受け取ったことに内心安堵する。……予想外の費用が掛かってしまっているこの寝間着。


 会計のときに驚いたのだが、どうやら俺が入った『ギムレット』という洋服店はこの辺りでもそれなりに有名なブランド店だったらしい。至って普通の寝間着一着を選んだつもりだったにも拘わらず、中々にいい値段を取られてしまった。……まあその分、モノは良いってことなんだろうが。


 ――そうだ。


 そんなことを考えている最中、ふとあることを思い付く。大丈夫だとは思うが、俺としてはこのことは確認しておかなければならない。


「……良かったら開けてみてくれないか? 店員と一緒に選んだから大丈夫だとは思うんだが、万一合わないようだったら困るか――」

「――ええっ⁉」

「ッ⁉」


 ――言葉の途中で上げられた声に意識を持っていかれる。見れば、フィアは信じられない台詞を耳にした、といった顔でこちらを見つめたまま固まっていた。……自分で言っておいてなんだが……。


 そこまで驚かれるようなことだっただろうか? 予想外の反応にこちらの方が驚いたくらい。相手の為に買ってきた服を本人に確認してもらうのだから、別におかしなことではないはず。


 それに俺としては、あの店員が本当に〝普通の〟服を選んでくれたのかが少し気に掛かっている。なにせ最初にさり気なくネグリジュを薦めてくるような店員だ。


 俺が見た分では別段変な服だとは思わなかったが、実際に着る人間でなければ分からないこともあるかもしれない。もしそうならすぐさま返品に行くためにも、今ここで服を確認してもらうことはかなり重要なことなのだ。


「……」


 当のフィアは相変わらず何か驚いた姿勢のまま固まっている。……未だに正体不明の衝撃から抜け出せていないよう。


 どうにも帰って来てからフィアの様子がおかしい気がする。これまでも別段和気藹々としていたわけではないが、それ以上に少し距離を置かれているような……。


「……大丈夫か?」


 動きのない静止したままのフィアを見ていると段々不安になってきたので、一先ずそう声を掛けてみる。少し間が空いてから動き始めたフィア。


 ぎこちない動作で手に持った袋に目を向け、それからまた錆び付いた機械が無理矢理動くような感じで頭を動かして、そこで漸く俺へと視線が戻ってくる。……声掛けが功を奏したようだが、まだどこかおかしいな。


「ほ、本当に、ここで開けるんですか……?」


 ――挙げ句によく意味の分からない質問をしてくる。なぜそんなことを確認する必要があるのか。


「? ああ。そうしてもらった方が良いかと思うんだが……」

「~~‼ ……ッ⁉」


 俺の答えを聞いて何やら紙袋で顔を隠して悶える。――かと思うと、今度は突然紙袋から顔を離した。両手をいっぱいに伸ばして袋を遠ざけ、何か強い訴えの籠められた目付きで俺に視線を送ってくる。……いや。


 そんな目で睨まれても、正直何が起きてるのかさっぱりで。


「……」


 ――暫しの間続けられる無言の睨み合い(?)。そしてやけに長く感じられた時間が、過ぎ去ったあと――。


「……分かりました」


 ――なぜか若干涙目になったフィアが消え入りそうな声で呟く。諦め切った様子で紙袋から包みを取り出していくその姿は、どことなく完膚なきまでに打ち負かされた敗残の将のような雰囲気を漂わせていた。


 何もしてないよな……?


 流石に何かあるのかと思い今までの遣り取りを思い返してみるが、思い付く限りでは見事なまでに何もない。ごく普通の会話だったはずだ。


 ……なのになぜ、あんな酷い辱めを受けたような表情をしているのか?


 分からない。首を捻っている間にフィアは紙袋から出した服の包みを剥がす作業に移っており、気付けば既にその最後の覆いを剥ぎ取るところに来ているところだった。手を止めて。


「ふーー……」


 心を落ち着かせるように息を吐く。また妙な所作を……と思ったが、これ以上変になられても困るので黙っておく。……次の瞬間、フィアは決意したように一気に。


「――」


 ――外装を剥がし取った。……中身を見て取ったフィアが、そのままの姿勢で動きを止める。


「……」


 続いて剥がした外装を目の前で裏返して確認し、丁寧な仕草で脇に置くと、続けて畳まれている服を手に取って広げて見る。上から下まで。


「……?」


 ――何か疑問に思うところがあったのか、今度は合点がいかないと言った顔つきで服をバサバサと振っている……?


「……何をやってるんだ?」


 突っ込む気はなかった。だが頭に?マークを浮かべながら服を振るうその様子が余りに俺の理解から遠いところにあるものだったこともあり、つい思ったままの疑問を口にしてしまう。それに対し。


「……あの、これは……?」


 返ってきたのは答えになっていない別の問い。どうやら今のフィアは服のことで頭が一杯で、俺の言葉は耳まで届かなかったらしい。大丈夫か?


「買ってきた服だが……」


 ――もしや、やはり妙なチョイスだったのだろうか?


 真っ先に警戒したのはそのこと。俺からは普通に見えても、フィアから見ればおかしな点があったのかもしれない。そうだとしたらあの店員を目一杯恨むことに決めて、ひとまずその場合の対処について考えを巡らせる。……弱みに付け込んで妙な服を買ってくる奴だと思われては堪らない。


 素直に店員の薦めで買ったのだと言って、返品に向かおう。それでフィアが納得するかどうかは微妙なところだが……。


「……もしかして、気に入らなかったか?」

「あ……ち、違いますっ」


 この訊き方なら他意があったわけではないということが伝わるはずだと、台詞に込められたそんな俺の不安は、しかしフィアの次の言葉を聞いたことで拭い去られる。


「そ、その……私の好きな感じの服だったので、つい、見入ってしまって……」


 多少言葉に詰まりながら、あたふたしつつ感想を言ってくるフィア。その態度に何となく、何かを誤魔化すような素振りが見られる気がしないでもなかったが。


「……そうか。なら良かった」


 そう言っておく。本人が良いと言っているのなら、それで良いのだろう。またしても俺に気を遣っているのかもしれないが、単純にデザインの好みであれば我慢してもらうしかない。こればかりは。


「は、はい。……ありがとうございます。黄泉示さん」


 フィアは僅かに頬を紅くして、なぜか少し恥ずかしそうに礼を述べてくる。余りに変な服なら流石に言ってくるはずだから、妙なチョイスではなかったに違いない。心の中で疑った店員に詫びを送り、服の件はこれで一件落着──。


 ――としていいところかもしれないが、やはり気になることは気になってしまうものだ。


「……でも、どうしてさっきはあんな表情をしてたんだ?」

「……!」


 俺の質問に対してフィアの頭がビクリと揺れる。……そう。


 服を気に入ってもらえたのは良かったことだが、フィアがなぜあんな妙な素振りをしていたのかは結局分からない。ジト目をしてみたり、紙袋で顔を隠したり、服を揺さ振ってみたり……。あの奇怪な一連の行動の動機は一体なんだったのだろう。見ている分には百面相みたいで面白くなくもなかったが。


「そ、それは、……その……」


 気にはなる。何だか物凄く言い辛そうにしているフィア。スルーしなかったことに多少罪悪感はあるが、やはり好奇心が先に立った。……これまでとは全く違った行動。


 面と向かって言い難い事だとしても、ちゃんとしたわけがあるのなら俺としては言ってもらった方が良い。そんな風に内心で自身の問いかけを補強しつつ。


「……」

「……」


 ただ待つだけの時間。それがきっかり十秒ほど続いたのちに。


「……し」


 ……し?


 辛うじてといった感じで、フィアが最初の一文字を絞り出す。……なんだ? 〝し〟から始まる言葉でこの場に相応しいような言葉を探すが、思いつくようなものはない。


「し、した……」


 ――下?


 下に何かあるのか? 思考に釣られて一瞬目線が下を向く。……あるのは素っ気ない床板だけ。フィアにあんな素振りをさせるようなものが潜んでいるとは到底思えず、直ぐに顔を上げて戻した視線の先。目一杯頑張っているようなフィアは──。


「……ひ、秘密でお願いします……」

「……そうか」


 ……まあ、そうまで話したくないなら無理強いはできない。だがやっぱりどうもよく分からないな……。


 縮み入るフィアを見てそんなことを思いつつ、俺は内心で溜め息を吐いた。



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