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第二十二節 賢者の戦い

 

「――」

「――秋光……さん」


 目の前に立つ、その人の名を口にする。俺の声に、老人は一瞬だけこちらを向いて。


「――」


 直ぐに、その視線を相手へと戻した。


「……【世界構築】を突破するとは」


 呟くのは永仙。……気のせいかその声音には、どことなく喜色が込められているようにも思え。


「周到だな秋光。……本気、ということか」

「……」


 秋光さんは答えない。――その周囲の空間を埋め尽くすのは、巨大な鱗を纏った帯。


「――っ」


 ――龍。巨大な全身を蜷局を巻かせるようにして通路に収め、秋光さんの頭上に鎮座するようにして永仙と対峙している。……その巨大さ。威圧感に対して驚くほどの静寂を保っている様が、却ってその力の強大さを示しているように感じられる。展開する光景を目に。


「――ッ」


 胸中を迷いが過る。……永仙が、敵であるかどうか。


 先の様子を見た限りではとてもそんな単純には思えなくなってしまっている。敵であるにせよ、何かしら事情があるはず。……ならば伝えるべきか? そのことを、秋光さんに。


 しかし――。


「……」


 秋光さんと永仙が相対する。その間の張り詰めた空気に、口を出すことが憚られる。……今の二人に対し俺如きが口を差し挟むことはできないと、直感でそう思わされた。


「……麒麟」


 その直後。秋光さんから零された一言。一瞬遅れて、俺たちの前に何かが疾風の如く割り込んでくる。現われたのは――。


「――!」


 以前にも見た、馬に似た四足の獣。いつの間にそんなことをしていたのか、倒れたままだったはずのリゲル、ジェインをその背中に乗せている。……ヒトとは違う。しかし同じかそれ以上に理知を感じさせる瞳で、何かを促すように俺たちを見た。


「連れて下がってくれ。万が一にも傷付けることのないように」


 秋光さんのその言葉に、目の前の獣は頷くような素振りを見せ――。


「うおっ!」

「きゃっ!」


 その角で俺たちを器用に掬い上げて背まで運び、静かに、だが有無を言わせぬ速度でホールの端まで後退する。――その様を見届けて、秋光さんは静かに目を閉じると。


「……永仙」


 毅然とした表情で、改めて双眸を開いた。


「始める前に、一つだけ、お前に問いたい」

「問い?」


 答える永仙の口調はやや呆れるよう。


「この期に及んでか? 忘れるな秋光。私はお前たち協会を――」

「――あの日私たちは、誓ったはずだ‼」


 不意を衝く遮り。戦いの前とは思えぬほど朗々と声を張り上げた秋光さんに、永仙が沈黙する。


「今は亡き紫音、冥希。志の道半ばにして散っていった、友の為にも――!」

「――ッ」


 上げられた名前は。……俺の、父と母の――。


「他ならぬ私たちが‼ 彼らの無念の分まで、世の秩序を守り通していくのだと‼」


 進むにつれて強まっていく語調。其処に果たしていかほどの思いが込められているのか。傍から見ているだけの俺には、決して窺い知ることのできない深み。


「あの日の誓いまで――嘘だったと言うのか?」

「……」


 秋光さんの問い掛けに、永仙が目を閉じる。時間に直せば十秒にも満たないだろう沈黙が、その何十倍にも引き伸ばされているような感覚。次に、その目が見開かれたとき。


「――前にも言ったはずだ。秋光」


 その瞳に最早、迷いの色はなかった。どこまでも変わらない口調で、撥ねつけるように。


「それは、お前の知るところではない」

「……そうか」


 以前と同じ言葉を告げた永仙に対し、呟いた秋光さんが雰囲気を変える。……深く。


「ならば私も、友としてではなく――」


 遣る瀬のない悲しみを力へと変えるように。毅然と前を向いたその背中。


「現行の協会の長として、お前を止めよう」

「――それでいい」


 動き出した巨体。壁床を揺らすその動きを前にして永仙は笑う。どこまでも不敵に。


「――」

「違えた道は戻ることはなく、お前も、私も――」


 轟く咆咻を上げた龍が永仙に迫る。開かれた口は身の丈を遥かに超える死出への門。間近に迫り来る脅威を目に、懐を弄り取り出した何か。


「とうに、己の道を進むより他ない」


 ――剣。古びた鈍い輝きを放つ一本の長剣。そのことを見て取った瞬間。


「――ッ⁉」


 溢れ出た光と共に。凄まじい重量物同士が激突したかのような重々しい衝撃と振動とが空間を駆け巡る。――思わず頭部を庇った腕の下から覗く視線の先で、見えない壁に阻まれたかの如く弾かれている龍の首。仕掛けていた突進の衝撃が全身を撓ませ、意図しない方向にその身体をぶつけていく――!


「っ!」

「きゃあッ⁉」


 尾に砕かれた壁面から一面に降り注いでくる瓦礫。――全てを素早い所作で回避していく麒麟。高速で移動するその背中に何とか身を乗せたまま、変わらず永仙の立っているその場所を凝視した。


「――」


 視界に映り込んだのは、衛星のように永仙の周囲を巡っている八つの光。……いや、星々の煌めきにも似たそれは、よく見ればただの光ではない。


 ――金色の欠片。各々が刃のようにも見えるソレ。……俺でさえ分かる。その欠片の刃の一つ一つに、離れている此方の身を震わせるほど強大な力が秘められていることが。あれが、あの巨大な龍の突進を防いだのか……?


「――」

「――黄龍!」


 フルフルと頭を振り。早くも体勢を立て直した龍の背に秋光さんが――落ちるようにして飛び乗る。宙を駆ける龍。戦いが始まった――。


「――っ」


 そのことを理解していながらもただ。目の前の光景を、圧倒されたように俺たちは見つめていた。








 

「――油断するな。黄龍」


 自らの何百倍はあろうかという大きさを持つ龍の背に乗り、秋光は確かに何者かに向けて声を掛ける。……返されるのは低く轟く唸り。


 ――秋光と黄龍。互いの意思は違うことなく通じている。幼少の頃より霊獣・神獣と慣れ親しんできた秋光は、例え人語を解さずとも彼らの意思表示を汲み取ることができた。常に友としてあり、共に戦ってきた戦友であるからこそ。


「――」

「……そうだな」


 顎の上でくぐもるような唸りを上げる。その中に込められた複雑な音階の重なりを聴き分けて、秋光は肯定の頷きを返す。黄龍の言う通り、秋光がこうして彼らを戦いの場へ再び喚び出すようになったのは至極最近のこと。


 十年前のあの戦い以来。その間に起こった出来事の多くは小規模の小競り合いであり、霊獣・神獣たちの手を借りなければならないような事態は発生していなかったのだ。……あの日までは。


「……」


 脳裏に蘇るのは前回の苦い記憶。リア、レイガスと共に当たりながら、覚悟が足りない為にみすみす協会を去らせる羽目になった。


 その結果が、今自分たちを取り巻く状況に繋がっているのなら――。


「……あれは神器だ」


 ――今は、違う。


 自戒に近い思いを噛み締め、秋光は黄龍へ分析を語る。待ち受ける永仙の周囲に煌めく八片の光刃。


「性能は分からないが、注意だけはしておいてくれ」

「――」


 黄龍から返される了解。――神器。通常の魔具とは一線を画す強大な力と霊格を秘め、所有者を選ぶ起源の不明確な魔道具。


 現在までに確認しているところでは八つが出土済みであり、うち三大組織が管理しているものは三つあった。今永仙が手にしているそれは元はと言えば聖戦の義が保有していたものであり、協会離脱後に奪取されたもの。永仙以外に所有者が現われなかったため、効力の詳細は分からないが――。 


「――【五行相克・木剋土】」


 神器を攻め手の軸にはしないらしい。永仙より放たれた符。術者の精密な操作により異なる軌道を描いて迫る四枚のそれが、黄龍の巨大な身に張り付き木行の気を発し始める。……威容を示す大きさは時として不利。この状況下で回避はできないが。


「――」


 この程度で脅威とはなり得ない。――陰陽五行の思想において黄龍に割り当てられた行は土。相克の法則が成り立つ以上、木行の気を秘めた神将符は当然苦手とするところではあるといえ、神将の力の一部を借りる符と神獣の本体とでは力の大きさに差があり過ぎる。このままなら問題は。


「〝相和するは吉将青竜〟――【比和】」


 防御手段である神器を如何にして突破するか。考えを巡らせていた秋光の耳を響く永仙の詠唱が打つ。同時に余りに強大な標的を相手に効力を失いつつあったはずの神将符が、突如として爆発的な木行の気を放出し始める――!


「――」

「――黄龍!」


 ――しまった。痛みに身を震わせる黄龍。叫ぶ秋光の視線の先で、新たに取り出され投げ打たれたのは三枚の霊符。


「――【七曜併せ縛り】」


 神将符と霊符による併せ技。大賢者にまで上り詰めた術師の術法を受け、秋光と黄龍の動きが凝った。……永仙が用いた符は『霊縛符』。


 霊格の高い異形を縛ることに特化した霊符であるが、黄龍ほど大霊格の神獣からしてみれば本来は歯牙にも掛けるようなものではない。身の一振るいで微塵に紙吹雪と化すような代物。


「……ッ!」


 しかしその使い手が九鬼永仙と言う男であった場合、事情はたちまちにして大きく相貌を変える。――純粋な気、魔力によって錬成される霊符はそれを作る術者の力量が効力に及ぼす影響が極めて大きい。


 対応する神格の力を借りる神将符の場合、重要なのは符の作成段階よりも寧ろ術者がそれを使用する段の方になるが、霊符は逆にその作成段階こそが最も重要であるとされているほど。強力な霊符になれば使い熟すのが難しくなるのは確かだが、どれだけ霊符の扱いに長けていたとしても符そのものに込められた力が弱ければそれを用いての術法はどうしても脆弱なものに終わる。これについて永仙の場合を言うならば。


 その作成者としての腕前は文字通りずば抜けていると言って良い。彼の霊縛符は一枚で四霊クラスの霊獣の動きを完全に封じ、三枚であれば四神クラスの神獣であっても一時的にその動きを縛ることができる。――言わずもがな式家の術理において黄龍は四神の上位に位置する異形であり、霊格もそれらと比較して高い。永仙の霊符が如何に強力であったとしても、それだけで動きを制限することはできない。


 だがそれが、黄龍と相克関係を持つ木行符との併せ技であったなら――。


「――」

「――ああ、構わない」


 抵抗する黄龍から慮るような声を受けて秋光は答える。……このままでは破るまでに時間がかかる。今でこそ術法の維持に集中を割いている永仙だが、状態が安定すれば次の手を繰り出してくるだろう。――それまでに。


「――ッ」


 魔力の流れる感覚と共に、黄龍の気が一段と膨れ上がる。永仙の術法に依る抑えを振り払い、巨躯が更に大きさを増したかと錯覚させるほどの勢いで捻転し――!


「……ほう」


 バラバラに引き裂かれ散り落ちる七枚の符の残骸を目に、永仙が呟きを零す。眼前に立ちはだかるのは、完全な意気を取り戻した秋光と黄龍。


 ――間接召喚。


 位相の異なる異形を直接現世に喚び寄せるのではなく、術者が用意した核を媒体として投影する召喚法。直接召喚と比べて術者には消費魔力の低下と制御の容易さ、召喚対象には万が一にも殺されることがなくなるという恩恵があるが、反面発揮される対象の力は核となる媒体の出来に依存し、最大でも本来の八割ほどの能力と霊格しか発揮できないとされる。


「――」


 しかし、彼らと【盟約】を結ぶに至った秋光の場合は違う。召喚対象となる彼ら自身から受け取った身体の一部を素材として錬成した特別な式符。それを核として使用することで、喚び出された霊獣・神獣は本来の能力を余すところなく発揮できるようになるのだ。……秋光から式符への魔力の供給が続く限り。


「――ここまでだ。永仙」

「併せ縛りを弾くとは流石だな。やはり手こずる」


 黄龍の問い掛けは秋光への負担が増す力の解放を行っても良いかというもの。久しく味わう強烈な魔力の消費にこめかみを一筋の汗が伝う秋光に対し、なお不敵に笑う永仙。


「このままお前たちの相手をしていても良いが――」


 そう言った永仙の視線が、どこか秋光でない方に怪しく向けられた。


「――こちらの方が手早いか」

「――! 黄龍ッ‼」


 刹那にその狙いを見て取った秋光は黄龍の身を矢庭に翻す。一瞬早く永仙によって投げ撃たれた霊符は予測通り秋光でなく、眼下の麒麟、蔭水黄泉示たちへ投げ込まれ――。


「〝六合木行、天后水行〟――【晃霏(おうひ)】」


 その射線へ割り込んだ黄龍の体躯が螺旋を巻いた盾を作るのと、放たれた符が力を解き放つのとはほぼ同時。水行符と木行符とを組み合わせた連繋符術――‼


「く――ッ!」


 水、氷結、雷撃が一体となり、範囲内のもの全てに仮借ない苛烈として降り注ぐ。例え麒麟の背に乗っているとは言え、一度掠めでもすれば餌食となるこの術法に彼らを晒すわけにはいかない。永仙の狙いを見越して自ら盾となった秋光と黄龍へ。


「――〝相和するは吉将青竜、並びに凶将玄武〟」

「――〝盟約者、式秋光の名において令を発す〟」


 紡がれる詠唱にぶつけるようにして秋光もまた詠唱を紡ぐ。背に手を当て刻む呪によって呼び起こすのは自らの魔力ではなく、式符と接続されている黄龍の魔力。


「――【比和】!」

「――【強化霊装・黄龍】!」


 勢いを増す水撃凍結雷撃の雨に対し、黄龍の鱗全てに梵字が浮かび上がる。攻撃を受ける直前に纏わされていくのは魔力の鎧――黄龍自身の力から構築された同等の霊格を誇る外殻。最高位に匹敵する術法の威力を正面から全て受け切り踏み越えて。


「――ッ‼」


 ――轟咆。放たれた大気を震わせる猛りに永仙の動きが凝る。その一瞬を見逃さず――!


「――‼」


 突貫し。身を翻した黄龍が鱗と鎧とに覆われた尾を打ち付ける。加速による突風を纏い、それだけで圧し潰すような風圧を備えた超重の鞭。堆積岩に覆われた山肌を難なくこそげ落とすだけの威力を有しているそれを。


「――ッ⁉」


 受け止めたのは八片の輝き。――神器。所持者である永仙の動きが止まっているにも拘わらず、過たず完璧な挙動を見せたそれらに秋光が眼を見開く。……重量を持つ尾自体の打ちつけだけでなく、纏わされた鎧の鋭利な棘までもをずらすようにして防いでいる。その隙に体勢を立て直していた永仙。懐から符を取り出さんと構えた口元が、尾の下で怪しげに歪んだ。


「――【黒符二十八符】ッ‼」


 ――危険。直感した秋光が即座に用いたのは式家の秘伝である黒い霊符。通常の霊符の数倍近い魔力を込められたそれらが術式を受けて盾を作るように黄龍の前へと立ちはだかり。


「――」


 続く閃光が黒の防御陣を打ち貫く。止まらぬ勢いのまま黄龍の尾を保護していた鎧を溶かし、鱗を砕いた衝撃に飛び散ったのは透き通る黄色の破片と鮮やかな飛沫。――上げられる咆咻。


「――【快癒・黄龍】!」


 続け様に叫ばれた秋光の詠唱に応じ――黄龍の負った手傷が瞬間的に完治する。ただ単に傷口を塞いだのみならず、吹き飛ばされたはずの鱗と鎧までもが元通りに再生しているそれは、間接召喚の持つ強み。


「……」

「――見事な手際だ」


 術者の魔力と本体の体力とが続く限り、召喚対象はその負傷を完全に回復させることができる。核となる霊符自体が損壊されない限り、何度でも。黄龍から痛みの残滓が消えるまでの機を使って秋光は先の一撃について分析する。……太陰符の力を受けた永仙の術法。黒符の守りを貫いてなお黄龍にダメージを与えてくる凄まじい突破力と威力。――あれは恐らく。


「一撃がない以上は消耗戦だな。お前たちが神器の守りを破れるかどうか、興味はあるが……」


 術法の正体を推測した秋光の前で一瞬視線を他へ移し、――宣言するよう、高らかに永仙は告げた。


「――ここまでだな。今回も、また」



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