第二十一節 状況変化
――無限にも思えた時間の後。
不意に、周囲を覆い尽くしていた炎の波が消える。少し遅れて、それまで形を保っていた光の膜も、力尽きたように最後に輝きを放って消えた。
「――」
信じられない思いで目の前の光景を見る。……焼け焦げた床。所々が黒に染まり、崩れた装飾を辛うじて保っている壁面。この惨状からも俺たちを覆い尽くしていた炎の威力が見て取れる。――あれだけの炎を、永仙が放った魔術を、完全に退けた――?
「――っ」
「フィアッ‼」
不意に開けた視界に当てられたかの如くよろけたフィアを支える。もしや、今の攻防で魔力を使い果たして――。
「だ、大丈夫です。魔力は――」
「――見事だ」
そう思った最中に掛けられた声に、俺たち二人の動きが止まる。――九鬼永仙。俺たちを此処まで追い込んだ元凶である老人が、まだ目の前に悠然と立ちはだかっている。身を震わせる脅威。
だが……。
「……」
ここに来て、俺の中にも疑問が浮かび始めていた。……これまでに見せた永仙の言動。
本当に俺たちを殺す気であったなら、明らかにおかしい点が幾つもある。これほどの力量差があるのなら、何度も俺たちを殺せただろうし――。
「この短期で自覚的に固有魔術を発動させるとはな。――治癒魔術も覚えているのだろう? そちらの方の練度は知らないが……」
わざわざ父の話を出す必要も無い。思う俺の前で、そう言って永仙は倒れたままの二人を視線で示す。……やはり。
「早く治してやると良い。命に別状はないとはいえ、二名とも……特にレイルの息子の方は相当に消耗しているはずだからな。意識がなくともあの状態では厳しいだろう」
二人が燃えていない。空間のほぼ全域を炎が埋め尽くしたにも拘わらず。フィアの出せる障壁では、あの炎は防げなかったはずだ。……つまり二人は、生きているということで。
──良かった。
「え……えっ?」
「……フィア。できれば二人に……」
くしゃりと。思わず表情が崩れそうになる安堵の中、事態が呑み込めず混乱している様子のフィアに声を掛ける。中途で考え直し。
「……リゲルから治癒を掛けて来てくれないか? できる範囲で……」
今まで自分たちを殺そうとして来ていた相手が、ここに来て急に態度を豹変させたのだ。……混乱するのも無理はない。かく言う俺も、内心ではまだ些かの疑問はあったが……。
「でも、その……」
「……大丈夫だ。頼む」
敢えてそう言い切る。どの道俺たちにもう余力はない。先ほどの一撃で【魔力解放】の持ち時間はほぼ使い果たしているし、あれだけの芸当を熟したフィアも消耗しているはず。抵抗それ自体が無意味なのだ。少しの逡巡のあと……。
「……はい」
決意したように、フィアが俺の傍を離れてリゲルの方へ駆け寄っていく。途中、ちらりと永仙の方を目にしたが……。
「……」
永仙は特に反応を見せない。ただ、俺の方を向いて静かに立っているだけだ。吐く息と共に――。
「……何がしたかったんだ」
悪態を吐くように問う。例え本当に殺す気がなかったとしても、目の前の老人がリゲル、ジェインを傷付け、俺とフィアを限界まで追い込んだことは事実。そのわけを。
「――未熟だな」
訊かないわけにはいかない。俺の問いには答えずに、永仙はあくまで一方的に言葉をぶつけてくる。
「仲間がいなければ何もできぬに等しい。特化した一技もあの程度の威力ではまだまだ信頼性が足りん。気概の方も、あの程度の威圧に怯んでいるようでは先が知れる」
……こちらの鍛え方まで完全に見透かした上での駄目出し。何て厄介な老人だ。だが言葉の大半が的確なものである以上、言い返すこともできない……。
「……だが」
声の調子が、変わる。
「その努力と、最後の心意気だけは見るものがあった」
俺を見る表情。それはまるで、昔に目にした――。
「――私がそのつもりならば、お前の友人は死んでいた」
懐かしさを覚えた直後、厳格な台詞が俺の心臓を揺さぶる。……分かっている。
「思いがなくては動けず、思いだけで守れはしない。精々力を付けることだ」
動けなかったことの重さを。守れなかった自分の無力さを。決して忘れぬよう、消えぬように心の内に刻み付けて――。
「この先、後悔のないようにな」
「……言われなくても、そうするさ」
「そうするといい」
笑いながら言われる。……不思議だ。さっきまで敵として対峙していた相手であるはずなのに、なぜだか怒りや憎しみが湧いてこない。こんなにも打ち解けて言葉を交わせている。俺が傷を負っていないからかもしれないが……。
「忘れるな。自らの初めの気持ちを」
それだけではない気がする。俺の前で、更に続けられる永仙の言葉。
「迷うときも、嘆くときも。それを見失わなければ、再び立ち上がることができる」
「……ああ」
「そしてその覚悟は時として、お前と同じ恐怖を他者に強いることをな」
「……?」
「――黄泉示さん!」
よく分からない。疑問を覚えたのとほぼ同時、フィアがこちらに戻ってくる。二人の治癒を終えたのか――。
「――大丈夫だったか?」
「はい。二人とも、見た目ほどには深い傷ではなくて。私の残りの魔力でも――」
「悪くない腕だな」
安堵の気持ちの込められた、フィアの言葉を遮って声を掛ける永仙。
「だがあの固有魔術を持っているのなら、更に上に行くことができるだろう。仲間共々、一層精進を積むことだ」
「は、はい……」
「……それで」
委縮しているようなフィアの反応を見つつ、永仙に尋ねかける。
「どうするんだ。……これから」
「――それは」
このままこうしているわけにもいかない。永仙が何かを言いかけたそのとき。
「――」
唐突に感じた違和感。……なんだ? 耳にどこからか、軋むような音――。
「――時間か。まあ、よく約束を守ってくれたというところか」
「なに――」
呟いた永仙の言葉に俺がその意味を問い掛けた間際。
「――ッ‼」
何かが砕け散るような破砕音と共に。――俺たちを包んでいた空間が、形を失った。
「……嘘でしょ」
立慧の呟き。微かに震えるその発言はしかし、東たちの本領を知ったが故のものではなく――。
「――どうしました? よく回る口ほどには、手足が活きよく動いていないようですが」
――真逆。自らが相対している敵の力の大きさを、目の当たりにさせられたが故のものだった。
「……なるほど。これは参った」
応えて零すのはレイル。身を包んだスーツの端々は、戦闘で被ったと思しき埃や傷で汚れている。言葉の最中に自らに向け撃ち放たれた銃撃を、賢王は身動きもしないまま爪弾くように微細な所作を以て弾き飛ばし。
「賢王とはいえ、腐っても凶王が一人。やはり通常弾だけで相手取れるほど甘くは――」
「――誰が腐っていますか」
声。それと同時、見えない何かから逃れるようにレイルがその身を翻す。……一度だけでは終わらない。コンマの時間の中で次々にアクロバティックな動きを披露して行くその様は紛れも無くレイルの身体能力の高さを示してはいるものの、まるで相方を失いながら雑劇を続けさせられている曲芸師のように滑稽な挙動とも見える。先に銃弾を弾いたのと同じ仕掛け。
「全く、死に掛けの蠅のようにしぶといですね」
対する賢王は言葉にこそ険が見られるものの、その顔つきは至極涼しい。汗一つ浮かばない陶器の如く滑らかな白い肌は、戦いの始まりから時が経っているとは思えぬほどに元の完全な様相を保ち続けている。――一方的な攻防。傍目から見る者の目にも、それが読み取れるような構図。
「――ッ」
「……」
首筋に走る痛み。紙一重と言うべきタイミングでエアリーは自らに掛けられた死神の手を振り払う。返しとして贈るは万力の如き握力での掴み取りだが。
――手応えはない。気付けば冥王はまた、何事も無かったかのようにエアリーの視線の先に立ち尽くしている。……その黒い影の如き姿からは未だ一切の言葉が発されていない。エアリーの攻撃は、ただの一度もその影を脅かすことができないでいるのだ。
「……参ります。相性は悪くないはずなのですが……」
刻まれた傷は刹那に癒える。服に残された数々の血の跡が、これまでに二人が幾度となく同じような攻防を繰り返してきたことを示していた。視線の先の相手を睨み付けつつ……。
「やはり聖宝具無しでは、いかんせん力が発揮し辛いですね……」
愚痴を零す。手傷を癒して見せたところで、それが然程大きな意味を持たないことは自明の理。……冥王の攻撃は全て必殺を狙ったものであり、僅かでも集中を乱せばそれまでの負傷などとは無関係に命が落ちる。それら二つの戦況とは異なり――。
「――ちっ‼ ……めんどくせえなあああああああッ‼」
「ハハハハハハハッッ‼ やはり楽しいな! 夜月東‼」
互いに恐ろしい速度で刀と拳を交わしているのは東と狂覇者。……目にも留まらぬ凄まじい攻防。一見して互角、ともすれば得物を持つ東が優位なようにも思え、実際に負わされている傷の数が多いのは狂覇者の方。それも攻防を重ねるごとに、明らかに狂覇者の傷の方が増えていくという事態。
「――ッ」
にも拘らず、戦いの中で押されているのは東の方だった。――こいつは何かがおかしい。
自らの予想が当たっていたことに心中で東は重ねて舌を打つ。身体能力はほぼ互角。だが近接戦闘の技術では自らの方が勝っており、経験は自身が優勢だと告げている。理屈の上でも負ける要素はなく、食らい付かれていても何れ決着が付く――そのはずだ。
「ハハハハハハハハハハハハハハッッ‼」
それが予想を超えてここまで粘られている有様に、先ほどから東の本能が警鐘を打ち鳴らしている。――長引かせては不味い。可能な限り迅速に蹴りをつけなくてはならないと思いつつも、打ち切ることのできない殺り合い。
「《救世の英雄》でも、無理だっていうの……?」
絶望を示しているとも言える立慧の声。その横に立つ田中もまた、沈黙を守っている。劣勢の戦況を目にしたまま。
「――いや」
よっこいせっと。石床に座り込み、悠然と胡坐をかいた。
「そうでもねえみてえだぜ。――多分な」
「……ふむ」
――他の戦場から遠く離れた、メインゲートへと続くホール。零された声は、想像する戦いの雰囲気からはおよそ隔てられたもの。
「深いな。リア・ファレル」
対峙する四賢者に対して魔王はそう感想を告げる。動きの余韻でばさりと髪を靡かせる所作。継続する戦闘にも拘らずその幼い肢体は息一つ切らすことなく、肌には愚か服の端にすら一片の損傷も見受けられない。
「先代の魔王が言っていた通りの人物だ。技能者として、その積み重ねに敬意を表そう」
「……そりゃどうも」
その完全体に対して肩で息をしつつ、苦笑気味にリアは答えを返す。……二人掛かりでさえ突破を許されなかった魔王に対し、短時間とは言え単体で戦いを演じた。
リアと雖もその疲労は軽いものではない。仮に空間魔術を得意の術法としていなかったならば、攻撃を避け切れず高い確率で殺られていただろう――。
「魔王に褒められるなんて長生きはしてみるもんだね。全く、人生何が起こるか分かりゃしない」
「世辞は良い。私が如何に強くあろうとも、お前の積み重ねがそれで卑下されるものではない。……寧ろ」
真顔のまま、にこりともせずに言葉を続ける魔王。
「正面からお前の相手を務めるには、やはり私の方が時期尚早か」
「……その殊勝な姿勢がどの口から来るんだか」
「ただの事実だ。――あの男についても」
魔王がその紅玉の如き瞳を僅かに流す。ここにいない人間に対して向けられた視線。
「術法を破れないことも考えていたが、杞憂だった。その点は流石、現四賢者の筆頭といったところか」
「……どうして秋光を行かせたんだい?」
「時間だったからな」
リアの問いから間を置かずに、平然と答える魔王。
「今回の襲撃に当たり奴とは取り決めを交わしていた。事前に指定した時間以上、我々が奴のために動くことはない」
「一応同盟を結んだんだろ……? あんたら」
「そこまで温い関係を結んでいるわけではないからな。理があると思えば手を貸すくらいのことはしてやるが、そこまでだ。後は我々が好きにやる」
「……難儀な奴と同盟を組んだね、あいつも……」
息を吐く。力量はこれ以上ないほどとはいえ、仲間として見るならば扱い辛いことこの上ない。力で従わせられないというだけ厄介なこともある。
「元は敵同士ということを踏まえれば自然だろう。それに……」
そこで改めてリアを見た魔王の眼が、幾分光を増した気がした。
「そういうお前も、中々に苦労しているのではないか?」
「……何がだい?」
「――甘いな。あの男は」
当然の如く惚けてみせる。そんなブラフは効果が見込めないということをよくよく分かっているリアの前で、下された評価は冷厳。
「私との戦いの最中も、殺意を殆んど感じ取れなかった。あれだけの力を振るいながら、寧ろ自分のその力に恐れさえ抱いているように感じられる」
「……」
魔王の口から紡ぎ出されるのは日頃から秋光を目にするリアとも殆んど違うことのない分析。……見透かされている。そう判断するよりない。大体、この状況で蔭水黄泉示たちの命を救いに【世界構築】を破りに行こうというのが、あからさまな行動に過ぎるのだ。
当然リアとて彼らを見殺しにして良いなどと考えているわけではないが。……四賢者として、何より戦場に身を置く者として、考えなければならない思考がある。彼らと永仙との力の差は歴然であり、外部の邪魔が入らない環境を整えた以上は既に殺されていて順当。
そう考えるのがこの場での妥当な判断であり、逆に魔王への戒めを緩めるという方があり得ない。本来ならば。
「あれがかの魔術協会の筆頭では、周囲もさぞ苦労したことだろう」
「……回りくどいね。何が言いたいんだい?」
「さてな。ただ残る三人の中で、最も苦労させられたのは誰かと思ってな」
「……」
暫しの沈黙。リアも、魔王も。数秒前までの遣り取りが嘘だったかのように、一言も発さないまま互いに相手を眺めている。静けさの中で――。
「――この茶番も直に終わる」
言葉を発した魔王が、再び身に魔力を滾らせた。
「それまで精々役者として踊ろうではないか。リア・ファレル」
「……やれやれ。若いもん同士の面倒を押し付けられるってのは、年寄りの辛いところだねぇ……」
不平を零しながらもその態度に応じるリア。……応じない訳にはいかない。老女の全てを以てしてでなければ、とても目の前の少女の相手を務めることなどできないだろう。
抑えるべき相手に覚悟を決めて。リアは、戦いに向けて笑う――。




