第二十節 無力 後編
「まずは手負いの者から――」
「――ッ」
永仙がその双眼に見据えたのはリゲル。見る限りでも先の魔術を破るのにかなりの体力を消耗している。――俺の最高速度は既に見せてしまっている。
「させ――るかッ‼」
分身に戦わせ蔭から俺たちの戦いぶりを観察していたのなら、万が一にも見逃されているということはないだろう。ここからは俺もリゲルと同じ前衛の一人として戦うと、その意気で永仙の前に飛び込んだ――‼
「邪魔だ――」
「⁉」
俺に対し。迎えるのはまるで危険性を感じさせない、さり気無い挙動。地面を踏みしめた脚に割り込むようにして永仙の足が入り、構えていた終月を抵抗感すら覚えないままに退かされる。――しまった。
「黄泉示ッ‼ ――うっ⁉」
膝を付かされた俺を目にリゲルが永仙に跳び掛かる。だがその所作を見越していたのか永仙は掴んだ刀身ごと俺の身体を後方へ払うと、即座に接近したリゲルへと応対。全身の力を制された感覚にたたらを踏みつつも踏み止まる。早く――‼
「カハッ――」
「――え?」
駆け出そうとした脚をその場に打ち付けたのは、肌を震わす凄まじい衝撃。咳き込むような声。立ち尽くす俺の視界で、リゲルの足元に広がっていく鮮やかな紅の色。
「……嘘……」
零れ出たようなフィアの呟きが届く。展開された障壁を正面から粉砕して叩き込まれていた永仙の掌底が、リゲルの身体から引き剥がされる。支えを失ったリゲルは声も出せないまま――。
「――ッ」
膝を付き、倒れ込んだ。――暴虐とも言えるエアリーさんの修行に耐えてきたリゲル。俺たちの中で耐久力なら随一を誇り、並大抵の攻撃ではびくともしない。そんなリゲルが。
「……」
一撃で? 消耗した状態にあったとはいえ、魔力も使っていないのに。俺たちの動きを止めるのは何よりもその事実。フィアと俺とを左右に見る形になった永仙が。
「――ッ!」
此方を向く。全身に纏わりつく底知れない威圧感。静かに歩を進めてくるその姿に、終月を構えた俺が思わず一歩後ずさった。
――そのとき。
「待ち……やがれッ……‼」
「……!」
リゲルが立ち上がる。……両手足を使って。受けた一撃の威力のせいか、糊の利いたいつもと違い皺だらけになったスーツ。吐き出した血で汚れた口元を拭い、永仙を双眸に捉える。
「……まだ、意識があるか」
「……へっ……! 姐さんの拳を受けてきた俺が、この程度で参るかっての……っ」
強がりを口にするリゲルだが、明らかに足元が覚束ない。口調もいつものような覇気の籠ったものではなく、虚ろなもので、無理をして絞り出しているのは目に見えている。半ば――。
「せめて一撃くれてやるまで……俺は、倒れねえぜ……!」
「リゲルさん……ッ!」
「……加減は出来んな」
意識が飛んでいる? 本能で立っているのか? 治癒を掛けているフィアの声も今のリゲルには届いていない。歩みを止めた永仙がリゲルに向き直る。――止めろリゲル。
それ以上やれば、もう――!
「――喰らいやがれッッ‼」
「――」
「止めろッッッ‼」
無理だと分かっていても叫び、走る。互いに距離を詰め合った二人が、一瞬彼我の間合いを完全に無くし。
「――」
「リゲルッッ‼」
「リゲルさんッッ‼」
――永仙の掌底をまともに受けた、リゲルが大きく吹き飛ばされる。俺たちの後方へ。後を追う叫び。吹き飛ばされたリゲルは重々しい音を立てて床にぶつかり、引き摺られるような形で距離を進んだのちに止まる。打ち付けられたその姿勢のまま……。
「――」
「――そんな――っ!」
「……」
動かなくなった。そのことを覚えて走る震え。リゲルを仕留めたことを確認したのか。一瞬そちらの方に視線を遣った永仙が、再び目線を遣る。俺たちの方へ。
「――ッ」
本能的に構えを取る。互いにじりじりと近づき、フィアと寄り添い合うように。そんな俺たちの様子を暫し見つめたあと。
「……」
永仙はゆっくりと、ジェインの方に歩き始めた。
「――ッ!」
――マズイ。ジェインを見遣る。相変わらず抵抗はしているようだが、まだ動けようになるには至っていない。今この状況で永仙の接近を許せば、それは間違いなく即座にジェインの死を意味する――。
――それが分かっているはずなのに、動けない。
「ッ……!」
分かっているからだ。俺では何もできない。あの老人の前に立って見せたところで、それは死体を二つに増やすだけだということ……。
何をすればいい? 答えの出ないその問いで、頭の中が埋め尽くされている――。
「う……くッ……っ」
届いた声に我に返る。ゆっくりと歩みを進めていたはずの永仙の姿は、いつの間にか動きを止めるジェインの目の前に到達していた。
「……見事な意志力だな」
永仙が言葉を紡ぐ。今から殺す者の前にいるとは思えないほど穏やかで、残る敵に睨まれている焦りなど微塵もない、落ち着き払った口調。
「加護があると雖も、その苦痛に耐えるのは並大抵の事ではないだろう」
「待――!」
――響いたのは何かが潰れるような、鈍い音。空気と肌を震わせるのは、先ほどと同じような衝撃の波。
「――」
胸元に掌底を喰らったジェインは吹き飛ばされることなく、固まった妙な姿勢のまま押されるようにして床に倒れ込む。……衝撃が突き抜けたかのように。数秒前まであった呪縛に抵抗する動作も、今はもう見られなくなっていた。
「……ジェイン」
声だけが口を突く。……何もできなかったくせに。ただ、無力に立ち尽くしていることしかできなかったくせに――。
「――これで、残るはお前たちだけだ」
振り返った永仙が俺たちを見て――息を零す。それは苦笑のような、呆れのような、明確な区別の付け難い、それでいて意図だけはこれ以上なく理解できる動作。
「……どうした? 震えて動けんのか?」
「……」
小馬鹿にしたような永仙の言葉。それにすら、今の俺は何も言い返すことができない。ただ、構えていることだけしかできない。
二人が死んでしまった? こんなにも容易く、何もできないでいる内に?
分かってしまったからだ。どうしようもないまでの自分の無力さ。思い描いていたものよりも遥かに唐突に、余りに呆気なく訪れてくる――。
――全てを埋め尽くす、絶望と言う事柄を。
「……」
永仙がこちらに近付く。……嫌だ。俺には何もできない。今すぐに背を向けて逃げ出したい。だが、それはできない。
「……」
また一歩、永仙と俺との距離が縮まる。――俺の後ろには、同じように動けなくなっているだろう、フィアがいるから。
「よ、黄泉示さん……っ」
震えた声。それだけでもフィアが痛いほどの恐怖に晒されているのが分かる。今となっては、そのフィアのいることだけが――。
「――違うな」
俺を、この場に縛り付けてくれていた。歯の音がカチカチと音を立てる中で、永仙が発した言葉。
「違い過ぎる。奴らの息子なら、多少の気概はあると思ったが……」
一つ鼻を鳴らす。永仙の瞳に映るのは、失望の色。
「目の前にいながら仲間を守れず、仲間が死してなおこうして立ち尽くすばかりとは。……何とも情けない人間に育ったものだ」
「――ッ」
言葉が胸に突き刺さる。そしてそれと同じくらい、気になった中身があった。
「奴の、息子……?」
「お前の両親。蔭水冥希と、紫音のことだ」
それだけを拠り所にして訊き返す。言い渡された名前にするのは息が止まるような思い。……なぜ。
「……二人を、知っているのか……?」
「知らされていないのか? ――この私は、《救世の英雄》が一人」
此処でその名前が。目の前に立っているのが敵であることも忘れて、なおも問い掛ける。対して圧倒的な自負に満ちている永仙の声は、何も知らないでいる俺を馬鹿にしたように。
「秋光や東、レイル、エアリー。そしてお前の両親と共に、かつて『アポカリプスの眼』との戦場を駆けた身だ」
「――!」
「え――⁉」
……まさか。
告げられたのは衝撃の真実。事情を知らないフィアが声を上げる。それを気にするだけの余裕も、今の俺にはない。
「大した技能者たちだった。如何な状況下でも可能性を信じ、諦めることなく仲間と戦う。自らの力尽きる、最後の瞬間まで」
想い出を蘇らせているような永仙の口調。一瞬遠くを見ているように細められていたその双眸が、次の瞬間に鋭く俺を射抜く。
「――今のお前とは、似ても似つかぬほどにな」
「ッ――」
――その通りだ。
頭のどこかで永仙の言葉を肯定する声が響く。……俺は一体、なんだ?
後悔したくないと言っておきながら。自分が戦うのだと言っておきながら、いざそのときを迎えてみれば、絶望に動けないでいる。抱いていた理想を失い、自分が否定することですらその通りには果たせない。……俺は。
どれだけ――。
「――違います」
――全てを塗り潰すような自責の中で。
失意を破る声は、意外なところから響いてきた。
「情けなくなんかありません。……黄泉示さんは」
――フィア。俺の後ろにいたはずの彼女が、今隣に出てきている。はっきりと。
「それでも私の前に、立っていてくれています」
「……っ」
「……立っているだけで何ができる?」
永仙を見据えて。その態度を物ともしない永仙の台詞。
「望みを捨て。いざと言うときに動けないでいる人間に、何ができると言う?」
「――」
――そうだ。
思い起こす。……戦いを始めるときの、俺の誓い。フィアの。仲間たちの信頼に、応える為に。
それこそが――。
「……黄泉示さんは」
「――そこまで言うのなら、見せて貰おうか」
「きゃッ――⁉」
「――フィア⁉」
――刹那。それまで静かにフィアの話を聞く素振りを見せていた永仙が、瞬きする間もなく俺たちとの距離を無くす。その姿に向けて。
「く――ッ!」
終月を振るう。が、疾風の如く動く老人を、強張っていた身体では捉えることができず――。
「――フィアッ‼」
フィアの喉元を掴んだまま、再び俺との距離を取り終える永仙。その腕を引き剥がそうと駆け出そうとするが。
「‼」
こちらを一瞥した永仙の眼差しに、その場で反射的に身構えた俺の足が止められる。――何て殺気と、威圧感。
これまでのどの瞬間とも比較にならない。大口を開けた龍の顔面を前にしているかのような、そんなどうしようもない無力感が俺の身を苛んでいく。……あのときと。
「――」
あのときと同じだ。頭のどこかで、他人事のようにそんな声が響く。……レイガスに見せられた幻影。リゲル、ジェインが血を流して事切れ、フィアを見す見す目の前で殺された。何もできずに動きを止めたまま、直後に俺も。
「――」
何も変わらない。幻想は現実になる。そのことを受け入れさせられようとしていた時、――確かに見た。
「……!」
ただ見ることだけしかできないでいる視界の中で。……あのときと一つだけ違っているもの。喉元を掴まれ、いつ殺されるかとも分からない中で俺を見返す瞳。どこまでも俺を信じてくれている。
フィアの――ッ‼
「……っ‼」
――蹴る。固い石の床を、ともすれば踏み砕きかねないほど強く。後戻りできないように。立ち止まることなど、決して選べないように。
刹那の内に【魔力解放】を発動する。……分かっている。
リゲルでさえ対応しきれなかった高度の技。二倍速の俺たちに対応し、二撃内の直撃で確実に相手を仕留めるその威力。かつて魔術協会の頂点に立ったと言うこの男は、近接戦闘に於いても俺たちを明らかに上回っている。幾ら【魔力解放】があったとしても、ジェインの援護も無く、隣に立つリゲルもいない今、勝機は望めない――。
――それでも、だ。
それでも。何もできずに死んでいくくらいなら、俺は、せめてフィアの信頼に応えたい。
死の淵に在りながらも俺を信じてくれている、真っ直ぐなあの瞳に――‼
――走りながら【無影】の姿勢を整える。培った感覚が無くとも分かる。駆け出す以前からこちらを見ていた永仙には、当然の如く隙など欠片もない。焦りもない。ただその冷厳な双眸で、駆け寄る俺を見据えたまま。
最高速度は見切られている。繰り出される技も知られている。永仙の腕ならば、片腕でも捌くことが容易なのだろう。フィアを掴んだ腕を離さないことが雄弁に物語る事実。
――だからなんだ?
我武者羅な理屈で己を鼓舞する。最高速度が見切られているなら、繰り出す技が知られているなら。
――それを超えるものを、今ここで撃ち放って見せるのみ。
土壇場で技を変えられるほど俺は器用じゃない。前の自分を超えるのは単純にその速度。【無影】という居合いが、永仙の身に辿り着くまでの時間――‼
「ッオオッッッ‼」
此処しかないというタイミングで終月を抜き放つ。集中した意識の働きで極度に圧縮された時間。その中で、俺の刃を目にした永仙が――。
「――」
僅かに口元を上げて、フィアを掴んでいた手を、離したのが見えた。
「――あ――っ」
「フィア‼」
無理に位置を変え、落下しそうになっていたフィアを受け止める。体勢を大きく崩しながらも全霊を込めて振り抜いた刀身は永仙の身体を捉えたが――。
「っ⁉」
振れたと思った直後、煙のようにその身体が掻き消える。宙を木の葉の如く舞い落ちるのは、文字が書き付けられた一枚の符。これもまた、分身――⁉
「……けほっ! こほっ‼」
「! 大丈夫か⁉」
咳き込むフィアの方へ反応を向ける。こうしてフィアを再び間近にしていることが、信じられない……!
「は、はい。……なんとか……」
「――良い一撃だった」
弾かれるように後ろを向く。先ほど言葉を交わしていたときと変わらない位置に立っている永仙の姿。……俺たちに強襲を仕掛けてきた永仙それ自体が分身で、本人は初めから一歩も動かず俺たちの様を眺めていたと言うことか――。
「……」
「先に比べれば見違える気迫だ。――だが」
構えと共に見据えた俺の前で、永仙は軽く笑みを零して。
「これは防げまい。――【連携符術】――!」
永仙が取り出すのは新たな四枚の符。――しまった。見せ付けられた余りの技量に、相手の本来の本領が魔術であることを失念していた。……この距離では、永仙のあの術を止めることができない――‼
「――⁉」
身構えた直後。直接的に俺たちを狙ったのではない符の動きに戸惑う。――各々が躍動感に満ちた動きを見せながら天高く舞い上がる四枚の符。時間差で攻撃を仕掛けてくるつもりか? 躱し切るのは困難だが、【魔力解放】状態の今ならフィアだけでも――。
「――【飛炎】」
「ッ‼」
合図となった声と同時に、四枚の内の二枚ずつからそれぞれ炎と暴風が飛び出す。互いに互いを高めるようにして燃え盛り、その結果――。
――部屋全体を埋め尽くすほどの炎の輪が、俺たちの頭上に姿を現していた。――これは。
「――ッ」
一目見て状況を理解する。考えてみるまでもない。
――無理だ。肌に伝わるこれだけの熱気。暴発させた郭の魔術でさえ優に上回る火と風の勢い。例え今の俺でもフィアを連れた状態でこの規模の炎から逃げ切ることは不可能。纏う魔力による軽減すら機能しないだろう。全身の血肉を焼き焦がされ、苦痛にもがき苦しみながら死んでいく自らの姿が脳裏に浮かび上がる――。
「――終わりだ」
「――っ」
取り巻く熱気の中。息苦しさを追い遣るように息を吸う。――頭の上から迫ってくる炎の輪。
……大丈夫だ。それだけで焼けてしまうほど熱い空気の中でそのことをもう一度確かめる。覚悟も決意もした。
〝自分の芯を見失わないことさ〟
――固有魔術。私の中にある力。リアさんから言われたことを思い返す。……それが、私の思いによってできるのなら。
〝それを貫けば――〟
「――」
――必ずできる。
抱くこの思いに一片の曇りも嘘も無い。私は――。
「……絶対に」
――必ず黄泉示さんを、守ってみせる‼
「――終わりだ」
「――黄泉示さん」
死神の宣告のような永仙の声。それを、隣に立つフィアの声が遮る。
「ありがとうございました。さっきもまた、私を助けてくれて――」
隣に立っているフィア。迫り来る炎を見据えるその横顔は、紛れもなくいつものフィアで――。
「……今まで助けられてばかりでしたけど」
いつもと少しだけ、何かが違っているように感じられた。
「今度は私が――」
炎の輪はもう数メートル手前にまで迫っている。全方位を完全に囲まれたこの状況で、逃げ場はない――。
「――守って見せます!」
強い意志の込められた叫びと同時に、俺たちの周囲を眩い光の膜が覆い尽くす。
「これは――!」
気付く。あのときにも目にした、永仙を退かせたあの輝き。覚える俺の驚きと共に。
「――‼」
「――ッ‼」
一際輝きを確かなものにした純白の防壁が、迫り来る炎の渦と激突した――‼
「……」
自らが放った炎が、通路と空間の大半を埋め尽くす中。
その中心にある光のぶつかり合いに永仙の眼差しは向けられていた。全てを嘗め尽くし無に帰そうとする、殺意に満ちた紅い光と、その中に置かれてなお輝きを失わない、純白の光。
光の内側に立つ人影。青年と共に、必死な表情で、どこまでも懸命に力を維持しようとしている少女の姿が映る。その姿に――。
「……」
思い出す。かつてこれと似た光を、一度だけ目にしたことがあった。目に映る色こそ違ったが、直視するには眩し過ぎる、どこまでも暖かい輝きは見間違いようが無い。
「……ルディア」
懐かしい音が零れる。この数十年一度足りとも口にしていなかった、二度と会うことの無い彼女の名を。
「答えは明らか……か」
苦笑しつつ永仙は呟く。よりにもよってあの光を思い起こすことになっては、認める他ない。
この二人。この四人ならば、きっと――。
「……」
目の前で変わらず続く光の衝突を見つめながら。
その外側に一人、静かに永仙は佇んでいた――。




