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第十八節 修行の成果

 

「――っ……!」


 目を開ける。ゲートによる移動、リアさんの空間魔術による移動。そのどちらにも似ていて、それでいて異なっている感覚。


「――ッ」


 即座に周囲を見回す。――フィア、リゲル、ジェイン。全員が全員しっかりと生きて立っているという、そのことに安堵させられる。……胸中に湧く情感のせいで認識が一瞬遅れたせいか。


「これは――⁉」


 ――俺たちを取り囲む光景の異様さに気が付いたのは、そんなジェインの反応を耳にした後だった。


「――」


 ――広い、空間。先ほどまで俺たちが立っていたはずの本山の内装と一分も違わない。……この一か月半、幾度となく目にしてきた景色。壁に施された装飾も、磨き上げられた大理石の床も、必要以上に高く感じられるほどの天井も、何一つ。記憶の中で目にしていた光景と変わるところは無い。


 いや。正確に言えば、一目見て分かるような、致命的な違いがそこにはあった。一つは決闘場からの場所の移動。そしてもう一つは――。


「どうなってやがる……」


 ――いない。……小父さん、レイルさん、エアリーさん、立慧さん、田中さん。先ほどまで俺たちと一緒にいたはずの彼らが、いずこにも。人気すらないのだ。確かな非常事態であるにも拘わらず、どこを見回しても冷え込むような無音があるだけ。これは……。


「……皆さんは、どこに……?」


 恐怖に霞む弱々しげなフィアの声。……違う。根拠はないが、そのことを直感的に理解する。彼らがどこかに行ったと言うよりも寧ろ、俺たちの方が――。


「――思ったより落ち着いているな」

「――っ‼」


 届く声。聞き覚えのある、忘れもしないその声に、本能が反射的に正しい方向へ身体を振り向かせる。──俺たちの眼前。十メートル程離れた位置で静かに佇んでいる、一人の老人は。


 九鬼、永仙――。


「……前に、似たようなものに遭ったことがあるのか?」


 呟きを耳にして気付く。――そうだ。これはあのときの、レイガスに幻を見せられたときと同じ。


 それを意識した瞬間、隣にいるはずのフィアたちが急に頼りない存在のように感じられる。……まさかこれも、永仙の魔術に依る幻像なのか?


「幻覚ではないな。残念ながら」


 俺の思考を読んだかのように――いや、恐らくはレイガスと同様に、表情からこちらの考えをある程度読み取ったのだろう。永仙が笑いを含んだ口調で声を飛ばす。


「ここは私の作り出した【世界】の内。事が終わるまで、誰一人としてここからは出られん」

「……異位相閉鎖領域か」


 意図せずして発せられたようなジェインの言葉に、永仙はほう、というように目を開いて。


「博識な者がいるな。――ならば、より理解できるだろう」


 芝居がかった仕草で、空間を見渡して見せた。


「自分たちの置かれている状況の深刻さを」

「――説明任せた」

「……大体は察せるだろうが、此処は奴――永仙が魔術によって生み出した空間だ」


 リゲルの声を受けて話し出すジェイン。魔術によって、空間を生み出した――?


「僕たちは今、その中に囚われた状態に在る。予め存在する異空間への接続、転送ではなく、新たな他位相空間の構築と展開――」


 その言葉に引っ掛かりを覚えるが、尋ね返している暇はない。永仙を見据えながら、ジェインは俺たちに現状の理解を促すよう言葉を続けて行く。


「掻い摘んで言えば、恐らく永仙が術を解くまで外部から此処に侵入することは不可能だ。……例えそれが四賢者であったとしても」


 ――別の空間への接続、転送。


 魔術についての専門的な知識はまるでない俺だが、それらの言葉にはある程度思い当たる節がある。外から本山までを飛び越えるかの如く一息に行き来するゲートや、俺たちを一瞬にして別の場所へと運ぶリアさんの魔術。これまで何度か目にしてきたそれが、恐らくジェインの言っているものなのだろう。しかし。


 空間を新しく作り出す――即ち今俺たちが置かれている状況は、それとはわけが違うということか。イメージとしてだが、俺たちが今いる空間そのものが永仙の影響下にあるということなのかもしれない。だからこそリアさんや秋光さんでも、外部からの干渉が難しくなっている――。


「……協会の中と、景色が変わらないのは……」

「……僕にも分からない。ただ、この空間全体が既に以前とは別の物、永仙の支配下にあると思った方が良い」


 フィアの疑問に答える。やはりと俺が自分の考えを再確認したところで――。


「素晴らしい理解力だが、案ずるな。この領域そのものに仕掛けは無い。この場を用意したのは、あくまで秋光たちからお前たちを切り離す為だ」


 わざわざ補足を入れてくる永仙。……窺えるのは圧倒的なまでの余裕。外には小父さんたちや秋光さんたちもいるはずだが、それらによる妨害もまるで視野に入れていないかのような綽綽(しゃくしゃく)とした態度が感じられる。――その気になればいつでも殺せる。


 言葉には出さずとも、そんな思惑が透けて見えるかのようだった。


「……さて。状況の整理も済んだ。思い残すことは無いな」


 何気ない一言。しかしそれを皮切りに、永仙の纏う気配が変化するのが分かる――!


「お前たちには、ここで確実に死んでもらう――」


 ――肌を刺し貫くような強烈な殺気。小父さんたちから向けられたものに、勝るとも劣らない。半ば条件反射的な反応で、俺とリゲルが身構え、ジェインが魔術を発動し掛けた――。


「――ま、待って下さい」


 ……瞬間。殺気の束の中で上げられた声に、この場にいる全員の意識が集中する。


「……」


 永仙と対峙するように俺の隣へと踏み出たのは、フィア。放たれる殺気の強烈さに当てられながらも、その目は真っ直ぐに永仙へと向けられている。


「――フィア――⁉」

「カタストさん、危険だ‼」


 俺とジェインがほぼ同時に声を出す。……手筈通りなら、フィアはジェインと同じく後衛となる立ち位置。間違っても俺やリゲルと肩を並べて敵と相対する役割ではない。――何を。


「……どうしても、話しておきたいことがあるんです」


 そう言ってフィアは一瞬目を伏せた後、再び永仙に向き直る。――間違いなく圧倒的な力量差のある敵を前にしているこの状況で何を考えているのか。


「……あのベンチで会ったとき、見せてもらった写真」


 そう思うが、俺まで下手に動いては更に布陣を崩すことになり兼ねない。……幸い永仙はこの機を突いてくる所作を見せていない。何か動きを見せれば直ぐにでもフィアの前に飛び出す腹積もりで、俺は二人の挙動を注視する。


「あの人が、永仙さんの大切な人なんですよね? ……色褪せた写真を、大事に取っておくくらい」

「……」


 その声に、永仙は答えない。否定とも肯定ともつかない、一切の変化を消した沈黙を守るだけだ。


「私にはお二人の事情は分かりません。でも、もしあの人が生きていたら」


 自分が見た物を縁に。信じるところにおいて、訴えかけるように。


「あなたがこんなことをすることは望んでいなかったんじゃないかと、……そう、思います」

「……」


 言葉はない。フィアの訴えかけに対し、永仙が選んだのは不気味なほどの沈黙。暫し口を閉じ――。


「……一度殺され掛けた相手を前にして説得とは、大した精神力だな」


 再度重たげに開いた。僅かに感情の起伏が込められたようなその声の意図は、嘲笑か皮肉か。


「――お前の言う通りだ」


 そう思っていただけに、次の一言に驚愕させられる。同時に、あれだけの威圧感が瞬時にして消し去られたという、そのことについても。


「彼女なら……このようなことは望まなかったかもしれない」


 穏やかな口調、語るその瞳、打って変わった雰囲気はまるで別人で。どこか遠い昔の物語を懐かしんでいるようにも感じられた。


「――だが」


 転調。永仙の言葉に、覇気が戻る。


「これが私の、選んだ道だ」


 言い切った。前を向いた視線は最早、フィアに合わせられたものではなく。


「その為にもお前たちを此処で殺す。誰の邪魔も入らぬこの【世界】で、今度こそ確実に」

「……そう、ですか」

「……下がれ。フィア」


 応じて俺たちの取った対応。フィアの前に立つリゲルと俺を目に、永仙は鷹揚に頷き。


「それでいい。声の通じぬ相手となれば、残る手段は一つ――」


 ――再度、身を貫くような殺気をその身体に纏わせた。


「……」


〝危なくなったら逃げろ〟


 小父さん、レイルさん、エアリーさんから幾度となく聞かされてきた言葉。自分たちでは、九鬼永仙や凶王には敵わない。


 だが、そうだとしても――。


 逃げる道が閉ざされたなら。選び取る術は一つだけ。


「――やるぞ。皆」

「――おう。任せとけっての」


 隣に立つリゲルの応答。後ろに下がるフィア、戦況を見渡すジェインの緊張を背中で感じながら――。


 ――俺たちと九鬼永仙との戦いが、幕を開けた。








「――【時の加速――・二倍速】‼」

「――ッ!」


 ジェインからの【時の加速】を合図に、俺とリゲルが前に出る。――永仙が何を使えるのかは分かっていない。


 前の邂逅から割れているのは当時のジェインの魔術を瞬時にレジストし、リゲルの【重力増加】を防ぐだけの魔術の腕と、【魔力解放】状態の俺の【無影】を素手で受け止めるだけの身体能力。いずれにせよ隙が無い強敵ということだけだ。持ち手が不明な相手――。


 具体的な対応策が分からない相手には、慎重に慎重を重ねて動くべし。それが自分たちより圧倒的に力量の高い相手であれば、尚更の事。


 この三週間で何度も叩き込まれてきた意識。俺もリゲルも互いに相応の距離を取って永仙と対峙する。……お互いのフォローも考慮に入れ、動きの中でも互いに離れすぎないように気を配りつつの話。今の俺たちには【時の加速】がある。まずは対応できるこの距離を保ちつつ、相手の出方を見極める――。


「――」


 全ての動きの速度が半分になった視界の中、永仙が懐から何かを取り出すのを目にする。――あれは何だ? 何かが書かれた、紙切れのような――。


「――火行符――」


 呟きと共に投げ付けられる。碌な厚みの無い紙切れは、その形状からは不自然なほど真っ直ぐな軌道を描いて俺たちの足元へ飛び――。


「躱せッ!」


 ジェインのその声に、俺とリゲルが大きく紙切れから距離を取った。


 ――直後。


「――ッ!」


 紙片が前触れなく炎を纏う。――炎、などという言葉で表されるようなものではない。核となる紙切れの大きさからは予想できないほどの、人数人を丸ごと呑み込める巨大さを持った火炎の塊。二倍速とはいえ僅かに反応が遅れれば手遅れだった。俺とリゲルの命を救ったのは相手の術の性質を見抜く知識。ジェインの磨き上げた分析力。


 ――だが安堵してばかりもいられない。今の魔術に依る攻撃――恐るべきは二倍速で動く俺たちに永仙が平然とその狙いを定めてきたこと。しかも放たれた攻撃はこれ以上ないほどに的確で、ジェインの素早い指示が無ければ俺もリゲルをも焼き殺せていた。……魔術の腕もそうだが、それを支える身体能力と判断力とがずば抜けている。


「――」


 視界の中で永仙が更に三枚の紙切れを取り出す。――マズイ。仮に先ほどと同じものであるとすれば、あれだけの範囲を備えた攻撃を三連続で躱し切ることは――。


「――二人とも、寄れッ!」

「――!」

「おうッ‼」


 ――できないと。そう思った最中に飛ばされた指示に迷うことなく距離を詰める。全力で駆け走る中途で、ジェインの考えが俺にも理解できていた。……生み出された炎は自分をも焼く。あれだけの範囲と威力を持つ攻撃ならば、尚更そのことは必然となるはず。


 永仙の身体能力が脅威であることは事実だが、今何よりも封じなければならないのは絶大な威力を持ったその魔術。接近戦にまで持ち込めれば、永仙もおいそれと先のような術法を使用することはできない――。


「――」


 互いに異なる方向から、一直線に距離を詰めに掛かった俺たち。【時の加速】にて倍加した身体速度。あの地獄のような訓練を経た俺とリゲルの脚力からすれば、目の前の永仙との距離を詰めるのには数秒も掛からない。


 ――その僅かな間に、永仙は既に新たな紙切れを放ち終えていた。近接戦に持ち込もうとするこちらの意図を見越していたかのように淀み無い挙動。三枚の紙切れはそれぞれ俺たちの足元、加えてその間を埋めるようにして放たれている。迎撃としてはこれ以上ないほど完璧な一手。このまま走り込めばあの魔術の餌食になることは確実。


「ッ‼」


 ――更に速力を上げて駆け進む。俺たちを見る永仙の眉が、一瞬不意を突かれたように上げられたのが見えた――。


「――」


 瞬間、投げられた紙切れがその効力を発揮する。――雷撃。先の炎に匹敵するような雷の渦が、俺の視界全域で唸りを上げて迸る――‼


「オオッ‼」


 ――叫びと共に、衝撃を感じたのは一瞬のこと。電流をその身に受けた俺は足を止めることなく、無傷のまま永仙の下へ到達する。……視界の端に映るのはリゲルの姿。やや髪の端が焦げてはいるものの、遅れることなく俺とほぼ同じタイミングで永仙の眼前へ辿り着いた。


【魔力解放】。立慧さんとの度重なる特訓により遂に自らの意志で終わりを決められるようになったこの技は、今の俺にとって貴重な防御技として機能するようになっていた。物理的な攻撃には然程意味を成さないが。


 今のような魔術による重量のない攻撃であれば、身に纏った魔力を緩衝材としてその被害を抑えることができる。多少の衝撃は受けるが、小父さんの攻撃を受け続けた身からしてみればそれしきで足を止めることは無いと言って良い。……三分という合計の持続時間自体は変わっていないため、決して乱用は出来ない。それでもここぞという機会以外でもその恩恵を受けられるようになったことは、俺の動きの更なる幅を広げたと言えた。


 無論、【魔力解放】だけで今の雷撃を防いだのではない。それだけでは俺の場合はまだしも、【魔力解放】が使えないリゲルは今ので消し炭になってしまっている。俺たちを、永仙の魔術から守り切ったのは――。


「……っ」


 ――フィアの展開した障壁魔術。立慧さんとエアリーさんの修行を乗り越えたフィアの力は以前と比べて飛躍的に向上している。魔力の浪費が減ったことで全体として継戦時間が伸びたこともそうだが、単純に扱える障壁魔術などの効力が格段に上がったのだ。前ならとても防げなかったであろう今の魔術も、力を集中すればほぼ完璧に防ぐことができるほどに。


「――オラッッ‼」


 気合いと共にリゲルが永仙に殴り掛かる。もし前以て障壁を展開されていたならば、続けて俺が仕掛ける素振りを見せてリゲルが退くための隙を作る――。


「ウララララララッッ‼」

「――!」


 そう構えていた俺の姿勢は取り越し苦労に終わる。――障壁は無い。攻撃を受けた永仙は以前と同じように素手で以てリゲルの攻撃を捌いている。鍛錬で練り上げた身体能力を更に倍加させたリゲルの動きに対応する反射神経と動体視力。……やはり格闘戦においてもこの老人は化け物だ。


 こちらを見ていないはずなのに切り込める隙が無い。リゲルの相手をしながらも、常にこちらに幾分かの意識を注いでいるのが伝わってくる。訓練の最中に見た小父さんたちの動きにも、引けを取らないと思えるほど。


 ――だが、決して受け止められてしまうようなことはない。


 対応はされている。それは確かだ。だがそこに圧倒的な差があるわけではなかった。寧ろ攻撃を捌くだけの永仙の側が、リゲルの猛攻に押されているようにも見える。これならば――!


「――ぬおッ⁉」


 ――突如。それまで一切反撃の挙動を見せなかった永仙の手捌きにリゲルが不意を突かれる。相手の力を利用して関節を絡め取るような独特の動き。咄嗟のところで反応はしたものの、対応し切れなかったリゲルの姿勢が矢庭に崩される。敵を一人消す絶好の機会を前にしたせいか、永仙の意識が一瞬、リゲルへと集中し――。


「――ッ‼」


 その機を逃さず、仕掛ける。【魔力解放】を用いた全力の踏込み。リゲルが崩されたことが契機となって、結果的に永仙から俺への気が僅かに逸れた。小父さんとの訓練で掴んだ隙を突く感覚。今なら分かる。ここが、千載一遇であろう永仙の隙――!


「ッ⁉」


 刹那に判断の誤りを悟らされる。リゲルへ意識を移していたはずの永仙が、余りに淀み無い所作でこちらへ振り向いたからだ。――フェイント? リゲルに止めを刺すような気配を見せたのはそれが本意ではなく、機を窺っていた俺を誘い出す為――。


「――【重力四倍】ッ‼」


 脚はもう動き出している。――行くしかない。刹那の時間の中で覚悟を決めた俺の耳に、確かな叫び声が届いた。


「――っ」


 不意に増した自らの重量に顔を顰める永仙。体勢を崩しながらも口元に笑みを浮かべているのは、リゲル。――【重力増加】。鍛錬を重ねた今、その効果は確かに永仙に届いている。例え直ぐに対処されるとしても、その前には既に俺の一撃が届いている――。


「――‼」


 手、腕、肩、胴、腰、脚、足。上半身と下半身を連動させた、完璧な姿勢で【無影】を放つ。今日まで何万回と行ってきた型の素振り。過つはずもない。今までで最良と言える一撃が、狙い通りに永仙の胴体を薙ぎ討つ‼


 ――漆黒の刀身が老人の体躯に届く寸前、俺は、俺たちの勝利を確信していた。



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