第十六節 招かれざる者たち
――小父さんたちとの修行の開始から、三週間が経った。
「――おらおらッ‼ そんな体たらくじゃ、直ぐ死んじまうぞ‼」
「――っ……」
取り組んでいるのはいつもの隙を見極める訓練。基礎訓練の後でも呵責なく繰り出される怒涛の攻めに、今日も俺がボロボロのまま時間を終えようとしていたとき――。
「――」
不意に、ある一点に向けて意識が吸い寄せられる。流れが遅くなったように感じられる時の中で目についたのは、何気ない小父さんの一動作。それまでと違いそこだけが何か完全でないように見える。――あくまで感覚に依るものだが、もしや、これが。
「――っ!」
沸き立つ期待に半ば無理矢理に奮い立たせた全身。攻撃を受け続けるだけだった刀身を構えへと移行し、染み込んだ体勢で抜き放った!
「おっ……!」
一閃に小父さんが上げた声。――やったと思ったのも束の間。
「――」
「あぐっ⁉」
次の瞬間には脚に強烈な一撃を貰い、もろに床にぶち当てられる。……もう、立ち上がれるだけの余力がない。倒れ込んだまま肩で息をする俺に。
「油断したな。浮かれて隙を晒しちまうってのはいただけねえが……」
掛けられた声。上げた視線の先で小父さんは、どこか誇らしげな顔つきをしていて。
「よく今の隙を見抜いたもんだ。一歩前進ってとこか」
「……!」
「倒れた後も刀を離さなくなってきたし、悪くねえ兆候だぜ」
言われて気付く。確かに俺の右手には、倒れたにも拘わらずしっかりと終月が握り締められたまま。自らの変化を自覚しつつ、どうにか起き上がった。
「ふんッ――!」
「いよし。その調子で範囲を絞ってけ」
隣から。気合いの入ったリゲルの鼻息に続き、聞こえてくる声は田中さん。
「支配級の適性があるお前は魔力容量が桁外れだからな。その分負荷を重くして鍛えるってわけだ」
「ういっす! 望むところだぜ……ッ‼」
声を張り上げる。――最近ではエアリーさんの非道なしごきにも余力を残せるようになってきている。強烈な一撃をもらって悶絶の声が上がることも少なくなり、視界の端で襤褸雑巾のように転がっている回数もだいぶ減った。目覚ましい躍進。その真向いでジェインとレイルさんがやっているのは――。
「……」
「……」
――チェス。決闘場の床に座り、盤を挟んで睨み合う二人。場違いなほど静かな、しかし他のどのペアにも勝るとも劣らない緊張感が二人の間には張り詰めている。息苦しさすら覚える静寂を破るようにして。
「……っ」
「なるほど。面白い手だね」
ジェインの手が摘まみ上げた駒を動かす。言いつつノータイムで手を返すレイルさん。……どうやらジェインの側が長考を強いられているらしい。素人目にはどちらが劣勢で優勢なのか分からないが……。
「――んな盤遊びで修行になんのかよ」
「チェスを馬鹿にしてはいけないな。将棋もそうだが、古くは戦略や戦術を学ぶという意味合いもあった」
喋りながら、ジェインが指した後に淀みなく駒を移動させる。考えている素振りを少しも見せないのは恐ろしく思考速度が速いのか、はたまた指される手の全てを読んでいるのか。
「知識だけでは宝の持ち腐れ。それらを有機的に繋ぎ合い、現実の状況に対応させられなくては始まらない。そういった力を養うのにこの手のゲームは悪くないものだよ。より勉強になるよう、独自の縛りも幾つか加えているし――」
「……チェック」
ここにきて仕掛けたらしいジェイン。レイルさんの手がふむ、と言って一瞬止まり、直後に指す。佳境に入っているらしい戦いを邪魔しては悪いと、俺が視線をずらした――。
「――」
「……」
先にいるフィア。目を瞑り、両手で胸元に見えないボールを持つようにして集中している。真剣なその様子をエアリーさんがじっと見つめているが。
「……駄目ですか?」
「……は、はい……」
眼を開けると同時にふにゃりとした表情になるフィア。……今日も、成果は出なかったらしい。
「全く、中々に手強いですね。――治癒と障壁の方は成果が出ていますから、気を落とさず続けて行きましょう」
「は、はい」
励ましに顔を上げる。――固有魔術の修練。四賢者であるリアさんからとはいえ、あんなふわっとしたアドバイスでどうにかなるのかと危惧していたが――。
「……」
案の定どうにかなるはずもなく。それについては今日まで進展のないままだった。リアさんの部屋でやらされたときには少しできたらしいが、今のところその兆候もない。……まだまだ道のりは遠そうだ。
「――そろそろ再開すっか。構えとけ」
「――はい」
小父さんの言葉に終月を構える。……息を吐き、目の前の一挙一動へと集中した。
「……?」
エントランスホール。ゲートの管理を任された女性は、不意に感じたその違和感に小首を傾げる。
本山と外部とを唯一繋ぐ道であるメインゲート(正門)。万一の際の敵性者の侵入、予期せぬトラブルの発生を防ぐため、本山側の法陣には常に見張り役が最低一人付けられることになっている。……当然魔術師とて人間。
一人で二十四時間の緊張態勢を保ち続けるなど不可能であり、その役目は二時間を基準とした交代制で行われている。今任に就いている彼女も例外ではなく、三十分前ほどに前の担当者と交代を果たしたばかりだった。……この任を勤めるようになって早五年。その間に女性は一度も敵性者の侵入を確認したことはないし、彼女が任に就く以前からも長らくその状態が続いている。
そもそも、ゲートはただ野放しに置かれている本山への通路というわけではない。いついかなる時であろうとも本山を包み込んでいる【大結界】――龍脈の中でも上位に付けられる世界有数の地脈の力を利用し、魔術協会の創始者らによって原型が構築されたという守護結界――は、ゲートを通じて本山へ入ろうとする者に対してもその本懐を損なわずに機能している。予め協会に登録されてある魔力の持ち主、若しくは四賢者以上の許可を得た者でない限り、何人たりとも本山到着前に弾かれるのだ。
ゲートによる空間跳躍中、大結界によってそのような事態が起きた場合、当人が具体的にどうなるのかを女性は知らない。噂では想定外の衝撃によって五体が弾け飛ぶ、どことも分からぬ異空間に放り出される……などの話が伝わっているが、実際にそれを試すような者は一人としていなかった。――百年以上前。魔術協会と他組織との抗争が激しかった時代には、それを実行しようとした無謀な輩も何人かいたらしい。
だが例え詳細は分からずとも、それから今に至るまでゲートを用いて本山内に侵入しようとする輩は一人も出ていないという事実が、大結界の強力さとそれによる防備の完璧さとを示している。その認識は何も彼女だけのものではなく、本山に勤務する本山員たち、延いては協会員全体に及んでいる理解であった。故にこの役職は、ハードとされる本山の仕事の中で一、二位を争う楽な仕事だとされているのだが……。
「……」
そこにあって今、かつてない違和感を覚えている自身を担当の女性は自覚していた。違和感と言ってもそれはほんの僅かなもの。巨大な絡繰り仕掛けの中で取るに足りない最も小さな歯車に何か普段との齟齬を感じたような、他に気を留めるものがあれば気付かなかっただろう、そんな微細な感覚。
――何が違うのだろう、と女性は考えを巡らせる。……魔法陣そのものに然したる変化はない。あちら側で法陣に手を加えようとする者がいれば即座に陣自体の機能が停止するはずだし、第一起動には大結界を潜り抜けるのと同質の通行許可が要る。法陣に外部者が手を加えることなど不可能だ。
大結界自体の管轄はこことは別の区域になるが、何かあれば直ぐにでも緊急通報として協会員全体に連絡が入るはず。そして大結界が正常に機能している以上、このゲートを潜って敵性者が侵入してくる可能性は皆無。……どう考えても安全を保障する要素しか浮かんでは来ない。それを理解しながらも未だ拭い去れぬ齟齬の感覚に、女性が同僚の魔術師に連絡を取るべきかどうか、悩み始めたとき――。
――不意に、法陣を織り成す術式が光を帯びる。……なんだ。
「――ふぅ」
その現象を目にして女性は息を吐く。ただ法陣が起動する前の空気を違和感として感じ取っていただけか。アル、レイガスの二者は今日の朝早くから支部に出て行ったばかりであり、こんな時間に戻るとは女性も考えていなかった。きっと自分の想像以上に早く仕事を終えられたのだろう。つくづく四賢者というものは凄いものだ……。
そんな風に自分を納得させた女性。だがそれから少しして、再び違和感に気付く。
――法陣の転送速度が、いつもより遅い。
普段通りなら、術式が発光してから数秒の間に転送されてきた人物が姿を現しているはずだった。……今は十秒以上経ってなお転送者の姿が見えないでいる。これまた女性の経験の中で初めて突き当たる現象。
もしかすると、法陣の具合が悪いのかもしれない――。女性はそう考える。自分が先に感じたものも、もしかしたらそのせいだった可能性がある。上に通達して、一度法陣のメンテナンスを要請した方が――。
職務に則り、今後採るべき対応を思考していた女性。その間に法陣の発光が一際増し、複数人の姿現れたのは全く想定内の事態――。
――であるはずだった。
「――」
法陣の中に佇んでいる、数人の人影に目を見張る。人数からして、いや、出で立ちからして既に女性が知る四賢者、協会員の物とは根本的に異なっているその姿。
法陣の光は既に消えている。それは即ち転送が完了した証であり、許可を得た転送者が正常にこの本山への入山を果たしたということでもあった。
――その決定的な背反が、女性の反応を停止させる。……そして同時に分かる。分かってしまう。
目の前のその彼らが。自分とは桁違いの、力を内に秘めていると言うことが――!
「……なッ……ッ!」
震える声。本能的な恐怖に辛うじて背中を押されるようにして、小刻みな振動を繰り返す手は無意識に、徐に通信具へと伸ばされていき――。
――そこで、女性の意識は突如途絶えた。
「――反応の鈍いこと」
倒れ伏した協会員の姿を虫けらでも見るような視線で一瞥し、侵入者――賢王が感想を吐いて捨てる。
「惰穏を貪る中で平和ボケしているだろうとは思っていましたが、まさかここまでとは。よりにもよって本山の魔術師がこの程度では、協会も高が知れますね」
「言うな賢王。本山の術師であるからこそ、大結界が意図せぬ仕方で崩されるなどとは考えていないのだろう」
「管理と認識の甘いことです。危機意識の欠片もありませんね」
術式にて対象を探る魔王が窘めるが、賢王の酷評は止まらない。それに対し――。
「返す言葉がないな」
「……叱責の遠因を作った本人が、何を抜け抜けと……」
呆気なく受け入れた永仙の言葉に呆れたように賢王が息を零す。笑みを浮かべた狂覇者が、鼻をひくつかせるようにして視線を上げた。
「上方に強い力を感じる。久々に楽しめそうだ」
「……」
「今回の目的はそれではありません。少しは弁えなさい、狂覇者」
「ああ。分かっているとも」
賢王の叱責に素直に狂覇者は引き下がる。――ここで無用な遣り取りを繰り広げずとも、ここに自分たちがいる限り何れそうなるということが分かっているからだろう。
「――場所は把握した」
魔王が告げる。沈黙しつつその方を向いた影法師、冥王。
「擦り抜けも問題なくできている。本物のようだな」
「そうですか。――本当に、お節介などこぞの連中さえいなければ、わざわざ私が出向く必要も無かったことでしょうに……」
「――賢王とはいえ、常に賢しらであるとは限らんか」
狂覇者の指摘に、賢王の整った眉根が寄せられる。
「何ですか? この期に及んで、まだ何か言うことが?」
「口元が笑っているぞ」
「――」
指摘された事実。自覚して思わず口元を隠す所作に、一つ鼻を鳴らした狂覇者。
「……なるほど。どうやら自分でも気付かぬ内に、心待ちにしていたようですね」
吹っ切れたような笑みに連れて、賢王は続く空間へと視線を流した。
「では、参りましょうか――」
「――‼」
執務室。腰掛けていた椅子を弾き倒しかねない勢いで、秋光は席を立つ。目を通していた書類が散らばり無頼に宙を舞うこととなったが、それも今の秋光の意識には留められていない。
「……これは……」
思わず独り言つ。夢であって欲しいと思うように再確認する態度を嘲笑うかの如く、秋光の研ぎ澄まされた感知能力は、否定することのできない悪夢の来訪を詳らかにしていた。
「――っ」
奪うように机上の通信具を手に取る。接続する先は、本山の防衛術式を管理する十七番部署。
「――はい、こちら十七番部署です。どうされましたか? 秋光様」
答える声。指示すべき相手を前にして、秋光は頭の中で採るべき対応についての考えを迅速かつ緻密に纏め上げる。
「――メインゲート近くに複数の敵性反応が出現した。直ちに三番から二十八番までの全ての防衛術式を稼働させ、他区画と切り離せ」
「え⁉ で、ですが――」
「同時に避難勧告を発令。協会員を近付かせるな。良いな?」
「は、はい‼」
有無を言わせぬ口調。日頃見せない秋光の剣幕に気圧されたのか、連絡を受けた協会員が即座に指示を飛ばす様子が通信機越しに伝わってくる。――それでいい。
「――三番から二十八番までの術式稼働、及び協会員への避難勧告、完了しました」
「よし。私から再度連絡があるまで、警戒態勢をくれぐれも打ち切るな」
「はい」
その点について念を押した後、秋光は通信を切る。……少なくとも四賢者クラスの力を持つ敵性者が、五人。本山の協会員は何れも上級魔導師以上の魔術師であるとはいえ、到底太刀打ちできる相手ではない。不要な犠牲を減らす為にはまずこれが最善の手――。
――九鬼永仙。それに彼と同盟を結んだ四人の凶王。問題となる敵性者の正体について秋光にはただ一つしか心当たりがなかった。となればその狙いも自ずと察せられてくる。
「――」
駆け足で部屋を飛び出しつつ、秋光は現在の状況の分析に努める。――自身が感知できたということは、当然リア、そしてあの三人も事態には気が付いているはずだ。この時間リアがどこにいて何をしているのかまでは把握していないが、本山のどこにいようともリアならば自分より早く対応策を取ることができるだろう。……東たちは黄泉示たちと共に決闘場にいるはず。彼らが事態を前にして、どのような判断を下すか――。
「――四霊召喚――【麒麟】!」
翳された式札と同時に、顕現したのは天駆ける四足の聖獣。――麒麟。跨る秋光の心情に呼応するようにして、麒麟は走るその速度を少しずつ上げていく。……飛ぶように。
――零が留守であったのは、僥倖と呼ぶべきかもしれない。
脳裏をそんな思考が掠める。賢者見習いとして責任感の強い零ならば、例え相手が凶王であったとしても、いや、凶王であるからこそ果敢として立ち向かっていただろう。以前執務室にて彼と交わした遣り取りを秋光は思い返す。
一度決意を固められてしまえば師である秋光と雖も止めることは難しかったかもしれず、修行途中にある今の零ではその態度は悲劇にしか終わらない。――いつかは彼も前に立つ日が来るだろう、だが今はまだ、それに相応しい時でない事は確かだった。
執務室からではどんなに急いでも辿り着くまでに五分は掛かる。その間の、敵味方の動きが勝負――!




