第十五節 胎動
「……ふう」
一人の執務室。誰もいない空間を前に、秋光は息を吐く。……葵の意識が戻ったとの報告を聞き、直ぐさま治療棟へと駆け付けたのが数時間前のこと。
〝……申し訳ありません〟
全身に痛々しい包帯を巻かれながら。秋光に向け、謝罪してくる葵。
〝大役を任されておきながら、……みすみす、凶王に……〟
〝――謝ることはない〟
偽らざる本心から秋光は頭を振る。最上級魔導師である葵と雖も、凶王との力の差は歴然として埋め難い。危機的なあの状況下で、葵は己のすべき最大限をやり切ってくれた。責められるべき罪過などなく。
〝今は休め。休息を取ることも、補佐官としての務めだ〟
寧ろ謝るべきなのは自分の方だ。……本来ならば。悔恨に震えそうになる声を抑えつつ、なるべく穏やかに言った秋光に。
〝……はい〟
葵は静かに、そう頷いて眼を閉じた。
そして……。
「……」
今秋光の前にある書類は、先ほど上がってきたリアからの報告。永仙を退かせたフィア・カタストの力の正体、――固有魔術。
非常に稀有な力だ。定着は難しそうだとはいえ、永仙が退いた理由も秋光には理解ができた。……固有魔術には、未解明の部分が多い。
千年以上に及ぶ時を経て協会に蓄積された知識と理論、分析があってなお、その構造は殆んどと言っていいほどに把握できていない。呼称として〝魔術〟の名を冠してはいるものの、発揮される効力の特殊性は理論化され体系化された通常の魔術とは似ても似つかない。……魔術の原型と言える原始魔術、どちらかといえば、魔法にさえ近いような。
通常の魔術理論では不可能だとされるような効力を持つものさえある。実際に発動してからの見極めによってしかその効力の仔細は掴めず、故に発現した直後では如何なる適切な対応も意図的には取り得ないのだ。天秤を引っ繰り返される可能性は如何ともし難くあり。
故に、大事を取って永仙は退いたのだろう。そこまでは秋光とて推測することができた。そしてその上で浮かんでくる問題は……。
「……」
――支配級の適性に【時】の概念魔術、そして今回発現した固有魔術……。
……知っていたのか?
相手方。永仙と凶王たちとは、このことを。
通常であれば不可能だ。秋光たちの生きる現代において、固有魔術の発現は如何なる技法、知識、能力を以てしても予見できない。当の本人でさえそのときになるまでは分からないのだと、そうリアが言っていたことを思い出す。
だが……。
「……」
九鬼永仙。凶王派に組した元大賢者は、自身も固有魔術の発現者である。……それとは別に凶王派の中にも一人二人、発現者がいたとしてもおかしなことではない。
有力な特殊技能集団としての歴を持つ凶王派は協会とは異なる独自の知見を蓄えてきている。もしそれらの協力を得たことで、現状不可能とされる事象の確立に成功したのなら。
「……」
脳裏に過るそんな思考。そして、秋光には気掛かりとなることがもう一つあった。
凶王派と永仙に命を狙われた四人のうち、三人までが稀有な才能を示してみせた。単純な確率としてはかなり低い。これが偶然でないとすれば。
――あるのだろうか?
残る一人にも。まだ分かっていない、なにかが……。
「……いかんな」
一つ息を吐き、取り留めのない想像に耽っていた自らを秋光は引き戻す。……仮にそうだったとしても、今の時点では確かめようがない。
聞くところに依れば目下のところ、彼らは東たちの手による非常に厳しい修練を受けていると言うことだった。……身内相手とはいえ、あの東たちならば指導がどれだけ程度の激しいものになるのかは秋光とて想像がつく。彼らの置かれている状況を考えるならば、尚更それは厳格なものになることだろう。眠っている力があるとすればそこで詳らかになるはず……。
「……」
溜め息を吐く。どれだけ目覚ましい成長を遂げることになったとしても、彼らが凶王派と渡り合えるようになるというのは現実的な考えではない。最大限に上手くいったとして逃げる程度。
それほどの違いがある。蔭水黄泉示たちが永仙と凶王に狙われているという事態を解決しない限り、彼らが本山の外に大手を振って出られる日は訪れないだろう。早期に解決するには、やはり三大組織間の結束が不可欠だが――。
形の上では協会側が押し掛けられているといえ、結果として魔術協会が東たち強力な技能者三人を抱え込むことになっている現状に対して他の二組織の反応は芳しくない。相対している脅威に乗じて協会が二組織を出し抜く為の戦力を着々と整えているというような噂さえ、一部ではまことしやかに囁かれているということを秋光は耳にしていた。……馬鹿馬鹿しい。
思わず失笑が漏れる。東たち三人が戦力として仮に加わっているとしても、永仙、即ち大賢者が抜けた穴はそれで補えるほど小さくはない。そんなことは幹部たちならば分かっているはずだが。
「……」
本題でない事柄に手間を取られて、事態の収拾を遅らせるわけにはいかない。そう考えて秋光は残りの仕事を片付ける為に、淹れ損なった異様にえぐみのあるコーヒーを口に含んだ。
――夕飯時。
「なるほど。固有魔術……ですか」
手元のカモ肉を切り取りつつ。リアさんに攫われたフィアの話を聞いて頷くエアリーさん。食堂の大テーブルにて立慧さんたちの横、俺たちの正面に座っている。
「超レアな技法だってことで有名な奴だな。――俺も使い手はほとんど知らねえし」
「私もだ。そうなると効力の詳細も気になるところだが――」
「……あの」
同じく食事を進めつつ話している小父さんたち。詳しい人たちが揃っているこの場で、フィアから話を聞いたときには分からなかったことを訊く。
「固有魔術っていうのは、どういうものなんですか? 普通の魔術とは何が――」
「あー、それがだな」
「私たちもあんまりよく知らないんですよね」
実は、と。ぶっちゃけるエアリーさんたち。……そうなのか?
「支部長さん方ならご存じなのでは? 本職ですし」
「あー、すいやせん。ということで立慧」
「ったく。――固有魔術っていうのは一応魔術って名前にはなってるけど、実際にはよく分からない技法なのよ」
手を上げた田中さんのあとを継いで説明に入った立慧さん。支部の仕事を見た上でこの場にきてくれているのだから、とにかく頭が下がる。
「発現の条件も不明で、意識的な修得はまず不可能。詠唱も必要なかったりするみたいだし、あくまで便宜的に魔術って呼んでいるに過ぎないわ」
「――なるほど」
「〝魔術〟という言葉を本来の意味合いで使ったということだろうね。つまりは〝よく分からない技法〟だと」
「な、なるほど……」
ジェインとフィアとで温度差のある反応。……分からないということが分かっただけなのか。解説してもらってあれだが、煙に巻かれたような、何とも言い難い気分になる。
「でもそれだと、訓練の方法とかは分かんないんじゃねえすか?」
「――それについてはリア様から書状を預かってきてるわ」
三杯目のスープを飲みながら指摘したリゲルに、安心しなさいとばかりに立慧さんが懐から紙を取り出す。えーっと、と言って広げ、中身に目を通した。
「……」
「なんと書いてあるんだい?」
尋ねたレイルさんに対し、無言のまま全員に見せてくる立慧さん。……心なしか微妙な表情。疑念を覚えつつ覗き込んだ先には――。
「どれどれ? 〝とにかく気合いを入れて、できると信じる〟……」
「〝己自身をつかむまで反復と反芻あるのみ。頑張りな〟。……」
読み上げられた文言は、一昔前の根性論のような内容。具体的な訓練内容が一切書かれていないことに沈黙する。流石に――。
「……ざっくばらんだな」
「説明になってねえな。大丈夫かよ? あの婆さん」
「き、きっと、それだけよく分かってないんですよ。リアさんも――」
「まあ、この方針を踏まえるかは考えるとしまして……」
なんというか。エアリーさんが空気を執り成す。
「先ほども言いました通り、固有魔術は実に稀有な力です。使いこなせれば間違いなく、今後の貴方たちにとって武器となってくれるでしょう」
「――はい」
「かといって気負い過ぎないことだ。モノになれば儲けものだと、それくらいの気持ちでいた方が楽でいいよ」
笑みを見せたレイルさんが食事に戻る中。周囲からは陰になっている膝元で、フィアが小さく拳を握り込むのが見えた。
「――事実のようだな」
朧気な明かりの照らす薄暗闇の中。厳粛たる音色を一体のものとした、魔王の声が響く。
「夜月東、レイル・G・ガウス、エアリー・バーネット……」
読み上げられていく。名前はかつて、九鬼永仙と共に《救世の英雄》と呼ばれた強者たち。
「この三人が魔術協会に滞在しているらしい。……動機は、言うまでもないな」
「……」
魔王の眼が捉えるのは、思案顔をした永仙。同じ卓には付いているものの、場の雰囲気からは彼一人に対する警戒と敵視とがヒシヒシと感じられる。
「――だから言ったではありませんか。あの機を逃した以上、状況が更に悪くなることは目に見えていました」
殊更に。永仙の失態だということを盛り上げるようにして言い立てる賢王。……現に三人が三人とも動くことになるとは賢王とて予想外だったかもしれないが、例えそうであろうとも攻め手を休めるつもりは一切ないという話振り。そんな――。
「……問題はない」
賢王の言を受け、永仙は暫し閉じていた口を開く。
「人数を変える必要はあるだろうが、それ以外は予定のままクリアできる。……大事には遠い」
「ほう。ということは、俺も駆り出される必要が出て来たということかな?」
湧き出る喜悦に目を光らせる狂覇者。今からでも、既に強敵と戦う自らを想像して喜びに討ち震えているさまが伝えられるほど、生き生きとした話し方だ。
「かの《救世の英雄》。相手とするならば不足は無い」
「問題がない? 音に名高い《救世の英雄》三名が加わったことに、何の障害もないと?」
「当然だ。逆に尋ねるが、お前たちは――」
続く狂覇者の台詞をまるで無視し、重ねて永仙に問いをぶつけていく賢王。淀みなく答えた永仙の瞳が、宅に座す影たちを一瞥した。
「――戦いの場から十年も離れていた連中に、遅れを取り得ると思うのか?」
「……」
「……」
――沈黙。何よりも迎えるそれが、彼らの内心を表している。雄弁な静けさを――。
「……だが、数は確かに問題になる」
断ち切ったのは魔王。あくまでも冷静に。
「本山に在中している実力者はこれで七人。我らが出るとしても、些か多い」
「そのときはそのときだ。前にも話したように、場合によっては私を置いて先に出て行ってくれて構わん。何なら初手の段階で離脱してもな」
「そのような場当たり的な判断で事を上手く進めるつもりなのですか?」
「無論だ。――付け加えて言うなら、四賢者は常に四人が四人とも本山に待機しているわけではない」
明かすのは協会在籍時代に得た知識の一端。
「うち何人かは外に出ているのが通例だ。一人でも六人、二人なら五人。となれば少しは無理のない数字になるだろう」
「……この狂犬が暴れ始めでもしたら、当初の目論見全てが崩れることにもなり兼ねませんがね」
「――それについては既に話ができている」
鼻を鳴らす賢王へ向けた言。――不意に射し込まれた事実に、当事者と冥王とを除く二名が反応を示す。
「今一度訊いておくか。ここを耐えればより鮮烈な戦いが得られるとのお前の言、嘘偽りはないな?」
「ああ、約束しよう。ここを忍べば、お前にはより大きな戦いが控えている」
「素晴らしい答えだ。――だ、そうだ」
「……舌先で丸め込まれていますね。狂覇者の名が泣きますよ」
喜色満面と言った様子の狂覇者。警告を飛ばす賢王に対し。
「――言葉だけではない」
若さに似つかわしくない、威厳のある笑みを見せて狂覇者は言った。
「決め手となっているのは俺自身の直感だ。俺のこの勘が、先に待つ戦いを予見している」
「……」
「……話になりませんね」
頭を振る賢王。影は相変わらず、黙ったまま。
「決行は?」
「早い方が良い、用意ができ次第、始めよう」




