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※旧版につき閲覧非推奨 彼方を見るものたちへ  作者: 二立三析
第一章 新しい日々の始まり
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第九節 服を買う

 

 ――目指す『ギムレット』まではそれほど距離がなかったこともあり、部屋を出て五分ほど歩いたところで店の前に着く。通りは店明かりや街灯に照らされているせいか夜といってもそれほど暗くはなく、人もぼちぼち歩いている感じだ。


 念のため、入る前にもう一度外から店内の様子を窺う。……よし。


 昼間見た通り、男物も女物も日用品らしい洋服が揃っていて、そこまで高級店らしい感じもない。ここなら俺一人で入っても全く違和感はないはずだ。――取り敢えず、入るだけならば。


「……」


 今思えばフィアと夕飯を食べに行ったときにでも買って来れば良かったことに気付くが、ここでそれを言っても何も始まらなかった。……意を決して、店の入り口に近付き。


「……」


 透き通るようなガラスの扉を押して店の中に入る。直ぐに声を掛けられたらどう対応したものかとも危惧していたが、まばらにいる店員は既に店内にいる客の対応に追われていて忙しいらしい。こちらに特に目を向けることもなく、各々客と話をしたり、品出しをしたりしている。――丁度いい。


 話しかけられても色々と面倒だ。どんな服を探しているか訊かれようものならわざわざ事情を説明させられる羽目になるし、早めに服を見て、適当なものを買って帰ろう。フィアを待たせているのだから、元より時間的にもそんなにじっくりと服を選んでいる暇はない。


 そう決めると、なるべく目立たないように、不審に思われない程度に素早く女性物のエリアへと移動する。幸いにして他の客はいないが、ここに男が一人で立っているというだけでかなり居心地が悪いな……。


 自慢じゃないが、今まで大して気を遣ったことがないせいで服には全く詳しくない。特に女物となれば全くの未知の域だ。部屋着……と思ったが。


 取り敢えず今必要なのは寝間着の方か? 取り敢えずその二つを候補にして、問題なさそうなものを見繕えばいいはずだ。


 考えながら小奇麗に棚に並べられている服を順番に見ていく。……フィアは女性としてもある程度小柄な方だろうから、サイズはSかM辺りが妥当なところか。


 ――そんなこんなで洋服を物色していると。


「――お客様。何かお探しでしょうか?」

「――っ!」


 何時の間に目を付けられたのだろう。音もなく背後から近付いてきていた男の店員に声を掛けられる。危うく心臓が跳び出すかと思ったが、何とか声は出さずに振り返ることに成功した。


 正面を向いた俺の前に立っていたのは、先ほど店に入ったときにも見えた若い男の店員。……横目で扉の方に目をやると、丁度紙袋を抱えた男女二人が店の外へ出て行くのが目に入る。


 ……手の空いた店員がこっちに回って来たのか。


 服を選ぶのに気を取られていて、周囲に注意を向けるのが疎かになっていた。というかこういう店に入ったのは初めてなので分からないのだが、服屋の店員は皆こんなひっそりと客の背後に忍び寄るものなのか……?


 気を向けていなかったとはいっても、すぐ後ろに立たれるまで全く気付けなかった。……俺も相当驚いたが、年配の客なんかには特に心臓に悪そうだ。


「よろしければ、お探しするのを手伝い致しますが」


 にこやかな笑みを浮かべたまま言葉を続ける店員。……ここで俺が変に狼狽えれば、その表情は直ぐにでも不信を秘めたものに変わるだろう。どう対応するか、俺の演技力が問われる場面。


 何も妙な意図があってここにいるわけじゃない。フィアの着替えを用意するという、歴としてまともな目的の為にこの店に来ているのだ。――変に誤魔化したりすることはない。堂々となぜここに来たのかを伝えればいいだけだと。


「……いや、その……」


 頭の中ではそう思ったものの、いきなり声を掛けられて未だ気が動転しているせいか言葉が上手く出てこない。……心臓はまだ早鐘のように鳴っている。口籠った俺に店員も? といった感じだ。――不味い。このままでは――。


 不審者として認識されてしまう。そう考えて更に慌てがちになる俺の様子を見て、内心で首を傾げていたであろう店員――……その顔が急に何かに気付いたような表情に代わると、少し俺に顔を近付け、周囲に聞こえないような声で囁いてくる。


「……もしや、彼女様へのプレゼントでしょうか?」

「――⁉」


 ――何を言い出すんだこの店員は。


 まるで見当違いのことを言ってきた店員。すぐにでも否定しようと思ったが……ふと気付く。


 ここでこの店員の言葉に乗っておけば、実にスムーズに事が片付けられるんじゃないか?


「……」

「――やはりそうでしたか。実は先日も、初めて彼女に服をプレゼントなさると言っていたお客様がおられまして……そのときのご様子が、今のお客様にそっくりだったもので。やはり初めて女性に服を送るとなると、慣れないことばかりで緊張しますよね」


 黙ったまま咄嗟にそうだという風に頷いて見せる。そんな俺を見て店員は顔をほころばせてそう言ってきた。……上手くいったらしい。


 妙な勘違いだと思ったが、そういうわけだったのか。顔も名前も知りはしないその先客とやらに、心の中で手厚く礼を述べておく。


「……そうでしたら。お品に関しまして、何かご要望などはございますか?」

「ええ……」


 問い掛けられて我に返る。そうだ。せっかく不審に思われずに服を選べることになったのだから、店員が協力的なこのチャンスを生かさなければ。


 全くと言って良いくらい知識のない俺も、店員が付いているなら怖いものはない。――部屋着寝間着の一着くらい、簡単に選んでくれるだろう。


「実はその、寝間着……みたいなものが欲しいと思ってるんですが……」

「なるほど。……では、こちらなどいかがでしょう?」


 みたいなものってなんだ、と言ったあとで思ったが、俺の言葉に一瞬考える素振りを見せたのち、店員は苦もなく手近な棚から一着の服を選び出して見せる。――流石。


 ただ寝間着としか言っていないのにも拘わらず、たちどころに服を選んでみせた。この分なら服選びも問題なく終えられる……そんな風に思いながら店員が差し出してきた衣服を確認する。


「当店でも特に若いカップルに人気のデザインでして、きっとお気に召されると思いますよ」


 ――服を見る俺の耳に届く、店員の解説。……確かに見た目は中々綺麗なデザインだ。やや高級そうな印象も受けるし、人気があってもおかしくはないのかもしれない。


 ……だが、これは……。


「……できればもう少し、普通な感じの方が良いんですが……」


 曖昧な知識しかないから間違っているかもしれないが、これはネグリジェ、とかいう奴じゃないのか? 俺が思う一般的な寝間着よりも薄手で――いや。


 とにかく薄い。なにせ服の向こう側が少し透けて見えているくらいだ。本当にカップルならいいのかもしれないが、仮にフィアにこれを渡したなら、俺に対する評価がどうなるか。そのことは目に見えていた。


「普通? それはいけません。マンネリ化こそ、カップルの熱を冷めさせる一番の要因。それを解消するためには多少の冒険も必要でしょう」


 そんな俺に対し、わけの分からない持論をのべ立ててくる店員。――ちょっと待て。だから普通ので良いんだが……。


「では、こちらなんてどうです? ――こちらはどうでしょう」


 物腰は丁寧だが、あくまでこちらの話を聞こうとしない店員。そんな店員の悉く妙なチョイスが入れられた服選びは、俺が疲労するまで続けられ――。


「――ふむ……そうですか。これならば色々と捗るかと思ったのですが、お客様がお求めでないのなら致し方ありませんね」


 十着目を超えたところで漸く店員がその言葉を返してくる。――だから、最初からそう言っている。というか、今何か要らない本音のようなものが零れなかったか?


「まあ段階を飛ばして物事は上手くいかないとも言いますし、あくまで一般的なパジャマをお望みとのことでしたら、寧ろ――」


 咎めるような俺の目付きに気付いていないのか、素知らぬ体を装っているのか。悪びれる様子もないままに店員は早くも次の選択肢を考えているようだった。……できるなら最初からそうして欲しい。


 恋人へのプレゼントだと勘違いしているとはいえ、不要過ぎる世話焼きだろう。おかげで余計な時間を食ってしまった。フィアが待ち惚けていないと……いやまてよ。


「――これはいかがでしょうか。こちらの方は良くも悪くもシンプルなデザインでして。先ほどの物

 よりもお求めやすい価格になっていますし、お客様のご要望にもぴったりかと」


 先日も同じような境遇の客が来たと言っていたが、もしかしてその客がさっきの中のどれかを買っていったからこうまで執拗に俺に勧めているのか……?


 そんなことを懸念し始めた俺の前に、店員が別の候補を差し出してくる。確かにさっきのと比べれば、こっちは大分簡素な感じだ。俺が抱いていた普通の寝間着、というイメージにもかなり合う。


「素材もガーゼですから着心地も良く、肌にも優しい作りになっております。肌触りなどについてはシルクが一番なのですが、何分維持や手入れの方が大変でして……。普通にお使いになられる分には、却ってこちらの素材の方が何かと便利であると思いますよ」


 見た目以外で今一つ良さが分からない俺に対し、追加の説明をしてくれる店員。……なるほど、聞いた限りでは使用面でも問題はなさそうだ。何よりフィアに渡すことを考えると、普通過ぎるくらいのそのデザインは丁度良いもののように感じる。


「……じゃあ、これで……」


 そう返すと、店員はにこやかな笑顔を浮かべてくる。


「お役に立てたようで何よりです。では、ご足労ですがこちらの方へ」


 そう言ってレジまで案内される。木造りのカウンターで、店内の柔らかい雰囲気によくあっている台。


「お包みしてまいりますので、少しの間、お待ちください」


 案内してくれた男の店員が奥に下がる。それと入れ替わるようにして、別の店員が電卓を手にやってきた。


「もう店長! お客さんからかうの止めて下さいよ!」

「すみません。どうも性分でして」


 ……奥から聞こえてきた声は聞かなかったことにする。店長だったのか。そういえば、値段を訊くのを忘れてたな……。


 女性の服は高いというが、ここはそんな高級店でもなさそうだし買う服はただの寝間着だ。驚くほど高いということはないだろう。


「お待たせしております。――では、会計はこちらになります」


 そう思いつつ、俺は示された電卓の数字を覗き込んだ……。


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