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第十四節 目覚める者たち

 

 ――


「――じゃ、今日は此処までだな」

「……」

「……あ、ありがとうございました……」


 最後にエアリーさんからフィアが治癒を受け、俺たちは一息を吐く。……今日もまた、どうにか乗り越えた。


「よく休んで、疲れを残さないようにして下さいね」

「……うっす」


 結局のところ、予定されていたパーティでの訓練は今日の時点では行われなかった。……フィアが回復担当に変わったこともあり、昨日より俺たちに残された疲労の度合いが大きい。疲労に慣れて回復を早めるため、そして個々人のレベルが一定に上がるまで、お預けになったというわけだ。とはいえ――。


「済みませんレイルさん。この部分で質問が――」

「……立慧さん」

「ん? どうしたの?」


 一度は経験しているせいか。全体として昨日よりはやや早く終わり、夕飯まで多少の時間がある。ナニカされていないジェイン、魔術の修練が主だったフィアには質問をするだけの余裕もあるほど。尋ね返した立慧さんに、フィアは気になっていたんですけど、と前置きして。


「その、上守先輩は……」

「――」


 控えめに問われた内容に立慧さんと俺の表情が変わる。……そうだ。


「……」

「――千景は、今――」


 そのことについてはまだ伝えていない。俺とフィアの見つめる前で、先輩が唇を開き――。


「――失礼します」


 内容に踏み込む矢先。背後から響いてきた声が、その場にいる全員を振り向かせた。


「范支部長様と田中支部長様に報告が」

「お?」

「――なに? 手短にお願い」


 二人の反応にはい、と答えたのは若い協会員。きびきびとした所作で立慧さんたちに近付くと一枚の書面を渡す。それを見た――。


「――ッ」


 立慧さんの目が見開かれる。……なんだ? その表情に一瞬、嫌な予感が過り。


「どうしたんですか?」

「……千景が」


 尋ねたジェインに。微かに震える声で、立慧さんは答えた。


「目が覚めたって。治癒室で」

「――えっ?」


 ――先輩が⁉ 舞い込んだ衝撃に疲労の吹き飛ぶような思いがする。それは……。


「そいつは――」

「……面会はできるんですか?」

「……ええ。無茶は駄目だけど、少しの間くらいなら」


 訊いた俺に、その部分を読んだらしい立慧さんが言う。――ならば。


「范さん、僕たちも」

「行かせてくれねえっすか? 見舞い」


 忘れられるわけがない。千景先輩は、俺たちを庇って凶王に吹き飛ばされたのだ。……俺たちを守ろうとして。答えを待つ俺たちの態度に、立慧さんは一瞬考えるように目を伏せ。


「……そうね。いいわ。行きましょう」

「ま、騒がなきゃ大丈夫だろうしな。暴れたりするんじゃねえぞ」

「勿論っす」

「――フィアも」

「は、はい」


 事態の飲み込めていないフィアを連れて。俺たちは、治癒室へと急いだ――。





「……これはまた大所帯ですね」


 来る中途でフィアに事情を説明し。到着した直後に俺たちを出迎えた協会員。五人という人数に幾分驚いたように。


「見ての通りだけど、大丈夫?」

「まあ、中で騒ぐようなことがなければ問題ないでしょう」


 頷いた女性。……服装が違う。先ほど連絡に来た協会員と異なる白を基調とした衣服は、まるで病院にいる看護師を思わせるもの。


「上守様は先ほど目を覚まされたばかりで、まだ疲労が残っています。体力の消耗を招かないよう、余り長話などはなさらないように」

「はい」

「おう」

「は、はい」

「では、こちらへ」


 返事を確認したのち、並んで廊下を歩く。少し歩を進めたところで、立ち止まったのは一個の扉の前。


「この中です。私はここで待機しています。五分経ったら声を掛けますので」

「……了解。五分ね。急ぐわよ」


 そう言って俺たちに道を譲るように、扉の脇に立った。意識を引いたのは指定された時間の短さ。俺たちの返事も待つことなく、立慧さんが静かに、しかし素早い手付きで扉を開けた。


「――っ」


 中に入る俺たち。……フィアの息を呑む声。ベッドの上に見える先輩は――。


「……」

「……千景? 聞こえる?」


 ――幸いというべきか、そこまで痛々しい姿ではない。着せられているのは白い患者衣。真新しい包帯が布団の上に置かれた両腕に綺麗に巻かれている。……目を閉じていて、眠っているようだ。さっき目が覚めたばかりと言っていたが……。


「……立慧、か?」


 もしかして寝てしまったのか? そんなことを思う俺の前で、立慧さんが恐る恐ると言った感じで掛けたその声に。僅かに目を開けて先輩が反応を示す。先輩……!


「千景……!」

「……ああ。ありがとうな。わざわざ、見舞いに来てくれて……」


 語尾を消え入らせ。そこで先輩は僅かに首を動かし、俺たちがいることにも気が付いたらしい。


「お前たちも来たのか。……暇な奴らだな」

「……先輩」


 応えて掛けた声。声色に不安気な感情が滲み出てしまっていたのか。


「……大丈夫だ。怪我の治療はもう、済んでるからな」


 背もたれを支えに上体を起こして、先輩は微かに笑って見せる。それまでより少しだけ、気合を入れたような声……。


「寝てれば治る。休暇だと思って、ゆっくり休むだけさ」

「……はい」

「……それで、どうなってるんだ? 今は……」

「それが大変なのよ。こいつらの保護者の、『救世の英雄』が押しかけてきてて――」


 そのあと暫く現状を説明する立慧さんの会話が続く。先輩は台詞に合わせて頷いたり、都度相槌を打ったりしていたが。


「――失礼します」


 コンコンと。硬いノックの音に続き、開いた扉から淀みなく室内に姿を現したのは先ほどの治癒師。あくまでも事務的に。


「退出をお願い致します。――お時間ですので」

「は、はい」

「……分かりました」


 かなり短い気もしたが、五分というのはそんなものだろう。後ろ髪の惹かれる思いをしながら、治癒師の促すように見守る中で俺たちは順番に部屋をあとにし――。


「――早く元気になんのよ」


 その中途。振り向いた立慧さんが、部屋の中へ声を掛けた。


「治るまで何回でも来てやるんだから。毎日ね」

「それは……困るな」


 此処からでも分かる。先輩の口元に小さく浮かべられているだろう、苦笑い。


「立慧の仕事が滞らないように、早く体調を戻さないとな……」


 静かに消え入る。――そのやり取りを最後に、俺たちは先輩のいる治療室をあとにした。










「……良かったです」


 部屋を出て。治癒棟の中を暫く歩いてきたところで、フィアが言う。


「上守先輩。目が覚めて……」

「――ホントね」


 今回ばかりは心配だったのか。大きく一息を吐いた立慧さん。俺としても、今はそれ以外に思えることがない。本当に……。


「今回ばかりは、あのレイガス様にも感謝したい気分だわ」

「え?」

「――どういうことですか?」


 なぜここでレイガスの名前が? 訊いたジェインに、言ってなかったっけ、と。


「レイガス様は昔、治癒師の纏め役をしてたのよ。今でも治癒師としての腕前は協会トップで、今回の千景と葵の治療にも携わってるわ」

「――」

「マジかよ」

「ええ。今いる治癒師の殆んどはレイガス様の教え子だし。鬼教官、鬼試験管って評判だったみたいだけど」


 フィアの治療をしていたときのことを思い出す。……あれは正に、協会ができる最高の処置だったということなのか。暫し横並びに歩き――。


「――じゃ、私は行くわね」


 連絡通路へと出たところで、前へと進み出る立慧さん。


「一旦支部に戻らないといけないから。ついでにちょっと、千景の支部の方も見て来ようと思って」

「仕事を手伝うってことっすか?」

「まさか。様子を見てくるだけよ。――じゃ、またあとでね」

「――はい」


 服の裾を翻し、足早に歩き去っていった。……俺たちの修行に付き合っているだけでも忙しいだろうに、支部の仕事に、千景先輩の支部の見回りまでもを合間の時間でこなす。


「……絶対面倒まで見る気だよな」

「だろうな。まあ、ある程度は慣れているんだろうが」

「……どうしましょうか」

「――俺は一眠りして来るぜ」


 凄い人だ。問題提起をしたフィアに、腕を伸ばしつつ答えるのはリゲル。口を突いて出た欠伸。


「夕飯までにな。相変わらずあの神父、容赦がなくてよ」

「……僕も流石に図書館へ行く気力はないな」


 今日だけでも数日分の本を読んだ気分だ、と。二人とも流石に覇気がない。かくいう俺としても、重りを外し忘れたかのような疲労感が全身に圧し掛かっている。今はとにもかくにも、休みたい気分だった。


「……俺も寝て来るかな。フィアはどうする?」

「私は――」 


 フィアも疲れているだろうが。見つめる俺の前で、フィアが唇を開いた。


「へ――」

「――こんなところにいたのかい」


 そのとき。聞き覚えのある声が紡がれようとした台詞を遮る。反射的に目を向けたその方角に――!


「うおっ⁉」

「ッ⁉」


 現われていた人物。……先ほどまで誰もいなかったはずの場所。触れるほどの距離にいることになったリゲルとジェインが吃驚して構えを取っている。……この人は。


「探したよ。まさか治癒棟にいたとはね」

「リアさん……⁉」


 俺たちの注目を浴びつつ。腰に手を当てて立つのは、長い白髪をした傍目にも壮健な老婆。――リア・ファレル。


 四賢者の一人。永仙と凶王に狙われた俺たちを、助けてくれた――。


「ビビったぜ……婆さんじゃねえかよ」

「転移法か……」

「ガウスんとこの鼻たれに、バーネットのところの小坊主……」


 正体を認めて警戒を解いた二人に構うことなく、俺たちを見回すリアさん。


「それに、夜月預かりのガキんちょか。揃いも揃って覇気のない面だね」

「……さっきまで修行をしていて。それで疲れているんです」


 いきなりの言い草に、多少カチンと来つつもわけを話す。相手は命の恩人だ。


「修行? ――ああ、飯事のことかい」

「……っ」

「……ああん?」


 ――飯事。俺たちの苦労を切って捨てるようなその台詞に、不機嫌そうな声を漏らしたリゲル。ガンを付けるような目つきに。


「ファレルさん。僕たちは――」

「実際に敵と戦うでもなく、建物の中で身内と遣り取りしてるだけ」


 懸念を覚えたのか。冷静に話そうとしたジェインに対し、聞くまでもないと言うように威勢よく遮ってくるリアさん。はんっと顎を上げて。


「それが飯事じゃなきゃなんだって言うんだい。悔しかったら、早く戦えるだけの実力でも身に付けてくるんだね」

「……言ってくれるじゃねえかよ」

「……ま、出たくても出られないでいるって点には、同情しなくもない」


 言い返せないでいる俺たちに向け、息を吐きつつ零された険のない声。


「そっちの方はあたしらがどうにかするさ。――それで、用事があるんだ」


 気を取り直したように一人を見据えるリアさん。……フィア?


「――フィア・カタスト。永仙との邂逅で見せた、あんたの力についてね」

「え――」

「――」


 ――力。


「は? なんだよそりゃ」


 聞くと共に脳裏に蘇るのは、あのときにフィアが見せた謎の光。……リゲルとジェイン。半ば意識を失っていた状態の二人は、理解が追い付かないようだったが。


「てなわけで、借りてくよ」

「ッ、――待っ」


 リアさんが宣言したことに嫌な予感がする。待って下さいと言おうとした、俺の声と同時。


「――っ⁉」

「はっ⁉」


 一瞬で。……俺たちの目の前からその姿が消え失せる。二度三度眼を瞬かせたのち、反射的に周囲を見回すが。


「……!」

「おいおいおい――⁉」

「どこへ――」


 いない。足跡も手掛かりも何一つ残すことなく。


 ――フィアが、リアさんに連れ去られた。







「――っ」


 空から落ちるような慣れない感覚。一瞬視界が暗くなったのち、……気が付くと、そこは。


「――さあて」


 ――見たこともない部屋の中。見渡す私を迎えたのは、壁際に設置された本棚に並べられている幾つもの分厚い背表紙。棚に置かれている色々な、何に使うのかも分からないような道具たち。室内の景色と物品に目を奪われていた間に。


「始めようか。試験ってわけじゃないから、楽にして構わないよ」


 回り込み、木で作られた重厚な机に腰掛けるリアさん。……椅子ではなく、机の方に。敢えてバランスを崩すように片足を床に着けつつ座っているその姿勢は、とてもいい齢をしたお婆さんだとは思えない。大胆不敵……。


「何から訊こうかねい。幾つかあるんだが、まず――」

「あ、あの」


 ――流されてはいけない。


 頭に浮かんだそんな印象に、(つばき)を飲み込んで何とか声を出す。……黙っているだけではと。


「この部屋、入口はどこにあるんですか……?」

「ないよそんなもん」


 真っ先に気になった箇所を尋ねた私に、返されたのはバッサリとした回答。……え。


「な、ない?」

「此処は私の部屋だからね。私と私が許可した奴以外は入れないようになってる。――それで」


 聞き間違いとさえ思った予想外の答えに、二の句が継げない。助けを求めるように彷徨った私の視界に、質問を手早く打ち切りにして再び腰を据えたリアさんが映り込む。……駄目だ。


「一つ目の質問だ。――あんた、怖くないのかい?」

「え――」

「あんな経験をして、まだ戦うことがさ」


 逃げられない。袋小路の中で口にされた言葉にそこまでの威圧感はなく、確かめるような口ぶり。


「戦えるように修行をしてるんだろう? あんたたちは。望むなら、あたしらに任せとくって選択肢もあるってのに」


 そう言ってリアさんは、透かすように私のことを見る。


「直に永仙に殺されかけておきながら、よくそんなことができる。怖くないのかと思ってね」

「……」


 その言葉に浮かび上がってくる気持ち。……そう。


「……怖いです」


 怖くないはずがない。……確かに私は怖がっている。レイガスさんに見せられた幻。永仙さんの手が伸びてきた時の恐怖。


「今でも。ただ……」


 今でも思い出す。忘れたわけではない。消え去ったわけでもない。殺されるかもしれない場所に自分の身を晒すことに対しての恐怖心は、確かに私の中にあって。


「ここで何もしなかったら、……きっと、後悔すると思うんです」


 それでも。黄泉示さんたちと一緒に修行をすることを決めたわけを、リアさんに告げた。


「何もしないまま失ったら。だから私も、戦います」

「……そうかい」


 私の答えにリアさんは何気なく呟いて。少し間を置いたあと、再び両目を合わせてくる。


「それじゃ二つ目の質問。こっちが本題だ。――永仙を退けたとき、なにをした?」

「……分かりません」


 分からない。……考えても返せるのは、黄泉示さんに訊かれたときと同じ答え。


「あのときは、とにかく必死で……」

「必死で、何を思った?」


 終わらない。曖昧な私の返答を受けて、リアさんは更に問い掛けてくる。……なにを。


「あんたがそれだけ必死だったのは、何の為にだい?」

「……それは」


 考える。私に無言で問い掛け続けている、深い緑色の眼差しに向けて。


「黄泉示さんに、……死んで欲しくなくて」


 ……そう。


「黄泉示さんが殺されると思ったら。必死で……」

「嘘じゃないね? その言葉」

「っ、は、はい」


 あのときは本当にそうだったのだ。あの瞬間、私はただそれだけの思いでいた。――決して厳めしくはない、けれどその双眸から覇気を放っているような視線に、一瞬身を震わせながらも答える。……この枯れ木のような身体の。


「――なら、再現してもらおうか」


 どこにそんな力があるのだろう? そんなことを思っていた最中、出し抜けに言い放たれた言葉に虚を突かれる。……再現?


「え、えっと……?」

「一度はやったことさ。できるはずだろう?」


 言い渡される。相手の真顔に冗談で言われているのではないということを理解し、血の気の引く思いのする顔。不安と緊張で蒼白になっているだろうことを自覚しつつ。


「それは……」

「――あんたの発した力が何にせよ」


 覚える気持ちの悪さに左手で右手首を握り締めた私に、掛けられたのは静かな声。


「その発露は当時の状況に起因してる。思い出してみな。さっきあんたが自分で口にした、そのときの気持ちを」

「っ――」


 力のこもったその声に促されて。……あのときの状況を思い返していく。飛び出した黄泉示さんの動きが止まり、その頭に向けて伸びていく手――。


「思いを。もう一度ね」

「……」 


 ――嫌だ。


 そう、頭の中で声が響いた気がした。……黄泉示さんは。


「――っ」


 死なせない。――そうだ。


 守るのだ。その身を傷つけ殺そうとする何もかもから。


 私が、黄泉示さんを――‼


「――っ⁉」


 その思いに気が付いた瞬間、自身の掌に変化が起きたことに気づく。……これは。


「……」


 ――淡い燐光。仄かに明滅しているそれは見つめる私とリアさんの前で少しの間ゆらゆらと揺れ動くと、対象を見付けられなかったように、掌に吸い込まれるように静かに消えた。……目にした光景に暫し言葉を失う。今のは……。


「――固有魔術だね」


 耳を打つ声に顔を上げた。机から降り、今しがた見た物に頷いているリアさん。固有……。


「永仙の奴が退くわけだ。分かりやすいって言っちゃあ分かりやすいもんだが……」


 一人で納得したように顎を撫でて。改めて、払うように私へ手を振った。


「ご苦労だったね。正体は分かったし、もう帰っていい――」

「――あ」


 ――駄目だ。


「あの! その……」


 ここで踏み止まらなくては。……さっきの二の舞にならないよう、決心して声を出す。これまでのやり取りで緊張し切っていた、喉はカラカラで。


「……これを。この力を、使えるようにするには……」

「……」


 さっきの光のせいなのか、少しだるいような感じもする。私の質問に見返してくる視線。問い掛けが空ぶったような答えのない時間に、否応なく居心地の悪さを覚え――。


「――詳しいことはあとで、担当の支部長から連絡させる」


 沈黙の末にリアさんが口にしたのは、そんな事務的な台詞。


「悪いがこっちも忙しいんでねい。――ただ覚えときな。そいつを充分に扱いこなせるようになるには、どうしたって時間が掛かる」


 どうしても、と。一心に見つめる私の目を見たリアさんが、ふっと力を抜いた気がした。


「自分の芯を見失わないことだよ。例え、何もかもが上手くいかないときでも。それを貫ければ――」


 その言葉を最後に。リアさんが右手を回した途端、弾かれたようにして私はその部屋の中から遠ざかった。



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