第十節 死屍累々
「――よしお前ら。とりま今日はここまでだ」
「……ッ……っ」
「……対敵した際に取る行動は三つ。まずは敵の目的と性質を見極め、前もって分析しておいた味方戦力で対処可能な戦況パターン、及び対処不能な戦況のパターンを考慮し、次に対処可能な中で危険性の高いものからリストアップして――」
「……」
――終わった。全身を床に貼り付かせる困憊の中で、ただそのことだけを辛うじて理解する。
永遠にも思えた地獄のような時間が漸く終わりを迎えた。……今の俺たちにはその喜びを分かち合う余力もない。上がって当然のはずの歓喜の声が誰からも上げられないことが、三人が三人とも似たような極限状態に陥っていることを示している。各々で症状には多少違いがあるようだが、それは些細なことだろう。
「……」
何とも貴重な体験であることに、今なら燃え尽きた灰の気持ちが分かる気がするほど。……もう、指一本だって碌に動かせない。立ち上がるなど以ての外。不随意運動であるはずの呼吸さえやっとの思いで動かしている感じなのだ。……千回。
実際に数えられたその回数だけでも充分に尋常の枠を超えているが、実際にはそこにカウントされなかった振り直しの数が加えられる。……小父さんの見立ては当初の予想以上に厳しく、体感で少しでも動きがずれたものには容赦なく駄目出しが言い渡されていった。実際には三倍近く刀を振っていた気がする……。
――しかも恐るべきことに、それで終わりではなかったのだ。
〝おせえッ!〟
素振りを終えて息も絶えつつある俺を待っていたのは、続く隙の見極めという訓練。小父さんが動き回る中で隙を見付けてそれを捉えるという、言葉だけ聞けば何の変哲もないものだったが。
〝うらッ! そんなんじゃすぐ死ぬぞ⁉〟
ただ隙を作るだけでなく、前後に激しい攻撃が待っているのだから性質が悪い。動きも俺の目で捉えられる限界ギリギリといった速さで、刀背打ちではあるが攻撃も実際に当ててくる辺り立慧さんと同じく加減は最小限度。時間の無い中で隙の見切りと守りの技術とを同時に向上させるための訓練であるとは言われたし、理屈の上では納得もした。……だが、そんなものでは打ち崩せないほどの負荷を受けたのは歴とした事実。
「……大丈夫? あんたたち……」
「良く言うぜ。そこのボウズに、散々掌打ぶち込んでたくせによ」
「あ、あれは、夜月東がやれっていうから……!」
――そして完全な止めとなったのが、仕上げとなる立慧さんによる【魔力解放】の修練。……俺が予想していたのとは程遠い内容。
〝……ねえ、ホントにやって大丈夫なの?〟
〝構わねえよ。生死に付いちゃ、俺が保証する〟
修練を始める前。半分意識が飛んだ状態で立っていた俺の前での、小父さんと立慧さんの会話が脳裏に蘇る。
〝見たとこ、黄泉示はどうも自分の魔力の制御って奴が苦手みたいだからな。そういう場合は理屈で教えるよりも、直接身体に覚えさせた方が修得が早え〟
指導者として自信に満ちた口調で話している小父さん。口にされるその内容はとても、喜ばしそうに語られるはずのものではない。
〝さっき見た嬢ちゃんの気脈操作は中々のもんだった。……黄泉示も流石にもう動けねえみたいだし、叩き込まれるだけでもある程度の感覚は掴めるはずだ〟
〝……どのくらいやれば良いの?〟
〝そうだな。叩き込むだけだと効果が薄いかもしれねえから、ざっと百ってとこだな〟
〝……〟
立慧さんが小父さんと俺を交互に見る。立っているだけで精一杯。何か言おうにも言えないでいる俺に――。
〝……死んだら、ごめんなさいね〟
――そこで意識が現実に戻された。……続きは思い出したくもない。……死ななかった。死ななかったぞ俺は……。
……今更ではあるが、生の方はともかく死についても保証するとは果たしてどういった了見なのか。
「……で、どうするの? 何か見た感じ、自分の足で部屋に戻るのも一苦労って印象なんだけど」
一苦労どころではない。肉体的な疲労が少ないはずのジェインですら、俺たちと同じように床に座り込んでいる始末だ。レイルさんにナニカされたようなので原因は違うかもしれないが、普通に動くことが困難であることに変わりはない。自分の訓練で手一杯だったので、注意を払うことはできなかったが……。
「……」
その意味ではリゲルの方は見るまでもない。立慧さんが指導している時間以外では、ずっとリゲルの断末魔が聞こえてきていたからだ。時折視界の端に地面を擦って襤褸雑巾のようになった姿が映り込んだり、宙を飛ばされていく様が映ったりしていたのが印象に残っている。後半は最早声すら出なくなっていたが、今もそんな状態だ。
「……」
かくいう俺自身も、こうして座っているのがやっとという状態。動けるようになるには間違いなく時間が掛かる。……というか。
これで即座に夕飯を食べて寝たとしても、明日の朝までに回復している気がまるでしない。確実に二日三日は残る類いの疲労だろう。こんな疲れを経験したことが無いから分からないが、下手をするといつ消えるのか分からないほどの。俺たちが以前にやって来た訓練とは、何もかもが違う。
「まあ流石にこのままでは、明日の訓練にも響くからね。ちゃんと処置は考えてある」
レイルさんの声が耳に届く。響く対象として〝訓練〟が真っ先に選ばれる辺り、やはり鬼教官としての素質を感じる。
「エアリー、頼むぜ」
「はいはい。分かっていますよ……っと……」
エアリーさんの声と同時。――半死半生の身である俺たちを、暖かな光が包み込んだ。
「……これは……」
声を出せている事実に驚いたのは、覚えのあるその感覚を口にしてから。……分かる。これはフィアに掛けられていたのと同じ、治癒魔術の光――。
「……おお?」
「……っ⁉ ここは、一体……」
……辛うじてと言う感じではあるが、リゲル、ジェインも続けて復活を遂げる。俺とリゲルだけでなく、ジェインまで回復しているとは……。
「エアリーの治癒は一級品だからな。効果もまた格別ってわけだ」
この光は肉体的な疲労や怪我と同時に精神的な疲労にまで効果が及ぶのだろうか。我に返ったようなジェインを見つつそんなことを考えていた俺の耳に、届く小父さんの声。
「自分で破壊したモノを治しているうちに身に付いた技術だというところが、実に恐ろしい話だがな」
「――ちょっとレイル。変なことを吹き込まないで下さい?」
じろりとレイルさんを睨むエアリーさん。遅れて少し身じろぎするような所作と共に、俺たちを包んでいた光が消えた。
「八割程度は回復しておきました。あとはしっかり夕飯を食べて、寝ればある程度回復しているでしょう」
「……完全には治さないんですか?」
「今日は私が治癒を担当しましたが、今眠っていると言う彼女が復帰し次第、彼女にこの役は譲ります」
思わず訊き返した俺に、エアリーさんは淀みなく答えを返す。
「治癒魔術の習得に関しては、実際に疲労している人間を相手に経験を積むのが一番ですから。勿論、そのあとで彼女自身の疲労については私が治しますが……」
「あの娘が今みたいな消耗を完璧に治せるとは思えないわね。まだ精々中級の呪文が使えるようになったばっかりだし」
「はい。ですから私もそれに合わせて、八割までの回復としたまでです」
「……なるほどな」
納得が入ったのか、頷いているジェイン。そういう事情であれば……。
「それに、魔術で完全に疲労を取り去っていたのでは肉体本来の回復機能が向上しません。貴方たちには体力だけでなく、回復力も身に付けて貰わなければなりませんからね」
訓練後の治癒でさえ修行の内容に含まれているということか。使える部分は全て利用するとでも言ったような、徹底したある種の周到さに――。
「――口じゃんなこと言っちゃあいるが、本当はエアリーからの大サービスなんだぜ? 今日の治癒はよ」
「え?」
「魔術を習い覚えて一か月の術師が、ここまでの治癒魔術を扱えるはずがない」
小父さんの台詞に思わず上がった俺の視界で、レイルさんの薄い笑みを捉える。
「カタスト君の魔術ではどんなに頑張ったとしても四割……五割が精々といったところだろう。――初日だからと言って、甘いなエアリーは」
「……貴方たちは、どうしてそう人の心遣いを積極的にネタばらししていくんですか……?」
「ははっ、お前一人にだけいい格好させるかよ!」
呆れようなエアリーさんに対し、笑って言葉を返す小父さん。……当初は犬猿の仲なのかと思わされたが、これはこれで仲が良いと言うことの一つの形なのかもしれないな……。
「……待てよ。ってことは、フィアが復帰してからは今日より更に疲れが残るってことになんのか?」
「そういうこったな。ま、仲間の腕が上達するのを信じて、お前らも根性見せろってことだ」
「……」
……フィアには悪いが、そのことを思うと如何ともし難く気が重くなるのを感じる。まあ、もしものときはエアリーさんが何とかしてくれるだろう。流石に疲労の残った状態では満足に動けないし。
……多分。
「――ま、なんにせよ、全員良く乗り越えたぜ」
小父さんから漸く労いの言葉が掛けられる。
「頑張ったあとは栄養補給。たらふく食っとけよ‼」
――食っとけよ、って。
「……親父たちは食わねえのか?」
「生憎だが、今日は用事があってね」
これから用事?
「秋光に呼ばれているんだ。明日からは同じ食卓で食べられると思うよ」
「そういうわけですから、先に失礼しますね。――お二人も」
エアリーさんが立慧さんたちに向き直る。
「ありがとうございました。また明日からも、よろしくお願いします」
「あっ、いえ――」
「仕事の一環ですから。気にしないで下せえ」
「では、お休みだな」
時刻はまだ六時台。だがレイルさんのその台詞に違和感を感じないほど、自分の全てが疲れているのが分かる。
「夜更かしなどしないで下さいね? まあ、できないとは思いますが」
「くれぐれも食事中とか、風呂中に眠ったりすんなよ!」
その言葉を最後に決闘場をあとにする小父さんたち。遠ざかりつつ聞こえてくるのは、つうか今まで突っ込まなかったけど、女なのに神父ってお前―― ――何か文句でも? などの無遠慮な会話。それも足音と共に次第に聞こえなくなり。
「……」
「……行くか」
よろよろと立ち上がったジェインに、おう、と返しつつ腰を上げるリゲル。……足に力が入ることを確認して。
「――」
二人に遅れないよう、俺もゆっくりと立ち上がった。
「――来たか」
通路の奥から姿を現した三人を見て、レイガスが口を開く。――魔術協会の歴史の中で幾度となく用いられてきた格式ある大広間。
今そこに、歴代でも早々見ることのできないメンバーが集っている。協会の頂点足る四賢者、賢者見習いたる郭詠愛を加え、その全員が揃い踏みしていることもそうではあるが。
「こりゃ錚々たる顔ぶれだな」
開かれた扉から姿を見せたのは夜月東、エアリー・バーネット、レイル・G・ガウス。――言わずと知れた救世の英雄たち。本来ならこの場に踏み入る機会はないはずの面々でもあるが故に。
「遅かったね。何処で油を売ってたんだい?」
「申し訳ありません。子どもたちの修行に、熱が入ってしまいまして」
リアに対し、エアリーは粛々と頭を下げる。普段の仕草からは考えられない振る舞いだが、年齢を考えれば却って相応とも言える礼儀正しさ。
「うむ! まあいいではないですかリア殿。可愛い息子たちの為ともなれば、思わず身が入ってしまうのも仕方のないことでしょうしな!」
「……貴様は口を慎むということができないのか?」
「で? 確認がしたいって話だったが……」
ここでもまた能天気なアル、腹立たしげなレイガスの台詞を余所に、東が用件へと移る。……目の前の一行を見渡し。
「まさか全員で戦るわけじゃねえよな? 流石にゴチャゴチャが過ぎんだろ」
「勿論だ。お前たちの相手は――」
「――然り!」
響いたのは空気を震わせるような宣言。引き起こされた一瞬の静けさの内を秋光たちを背に、東たちと相対するように歩み出たのはバーティン、そして傍らに連れ立った華奢な少女。
「このバーティン! 四賢者、アル・バーティン・ガイスが務めさせていただきますぞ! かの《救世の英雄》殿とお手合わせができるとは、正しく感極まる幸運の極み!」
「……加えて僕が」
気合いの乗り過ぎる意気込みから一拍を置いて、バーティンから一歩下がった位置へと踏み出した郭。流れるような所作で丁寧に頭を垂れ。
「郭詠愛と申します。賢者見習いとして未熟な身ではありますが、どうぞ、宜しく」
「いやいや。若いのにしっかりしているね。うちの息子にも見習わせたいよ」
「――この試合はあくまでも確認が目的だ」
やりますぞ! と。一人で意気を上げるバーティンへの釘差しも兼ねているのか、秋光が今一度共通の了解を告げる。
「有事の際に適切な役回りができるよう。お前たちの今の力量を把握しておきたい。その意味で……」
「分かっていますよ」
素直な頷きを返すのはエアリー。続いてレイルも。
「私たちも技能者としてはブランクが長いからね。こういった場を設けてもらえるのは有り難い」
「……そうだな」
レイルの言葉に秋光は首肯する。……正確に言うならば、この模擬戦の目的はそれだけではない。
他の二組織への報告という、その件についても兼ねている。協会が彼らを戦力として取り込んだのではなく、あくまで三大組織の埒外にある『逸れ者』として扱うことを示す為。三人の現段階での能力を、詳らかにしておく必要があった。
「ところで……その少女もメンバーなのですか? 付き人のようですが」
「おお! よくぞ訊いてくれましたバーネット殿! これは――」
「――余計な口を挟むな」
浮かれたように口走った、バーティンの軽口を叩く冷厳な声音。
「ここは魔術協会だ。お前たちは、こちらの要望に応えればそれでいい」
「……貴方は相変わらずのようだね。ご老人」
「――特にお前だ。レイル・G・ガウス」
混ぜ返すような台詞を寄せ付けず――彫りの深いレイガスの双眸が、射抜くようにレイルを睨み付けた。
「下手な動きを見せれば私たちが動く。そのことを忘れるな」
「……肝に銘じておくよ」
「――さ、余計な話はそこまでにしな」
険悪な空気を掻き消すように、パンパンと打ち鳴らされるのはリアの節ばった掌。
「時間が勿体ない。始めていいよ、バーティン」
「――では! 手合せお願いしますぞ‼」
「ま、入れてもらった借りもあるしな」
バーティンの仕草に合わせ、東が刀を一回しする。
「きつめの運動と行くか。久々にな」
「どうぞ、お手柔らかに」
「こちらこそ」
雰囲気を変える三人。秋光たちの見つめる最中で、五人の戦いが始まった――。




