第六節 悩み
――午後。
昼飯を済ませた俺たちは、何を言うでもなく自然に行先を分ける結果になった。……先ほど小父さんたちから受けた話。その内容について考えが纏められていない。
きっとリゲル、ジェインの二人もそうなのだろう。今の段階で俺たちの間に交わせる言葉がないことなどは、昨日の時点で分かり切ってしまっているのだから。
――戦わなくていい。
「……」
耳にした内容をもう一度心の中で繰り返す。……そう告げられたことに、確かに困惑している自分がいる。――もっと晴れやかな気分でもいいはずだと。そう言い聞かせても何かしらが噛み合わない。
何かが腑に落ちずに、俺の中で抗議の声を上げ続けている。だが、その内容が見えてこない。焦燥にも似た不快感がひたすらに蓄積していく感覚。……このままここにいても駄目だ。少しでも気持ちを整理しようと、俺がホールから自室に戻ろうとしたとき――。
「……?」
奥の通路。丁度俺がこれから向かうことになるその場所で、壁に手を突きながらふらふらと彷徨うように歩いている人影が目に入る。その足取りは重く、俯き気味な顔からは苦しげな印象が拭い去れない。……誰だ? 傍から見ていてもやたら危なっかしい足取りだが――。
「――⁉」
正体を見極めようと、少し近づいて――気付く。遠目でも分かる。あの、真っ白なドレスにも似た衣服は――。
「――フィア!」
それを認識した刹那、意識より身体が先に動いていた。
「あ……黄泉示さん」
駆け寄った俺に対し、声に反応して顔を上げるフィア。俺の姿を見て、力無さ気に目を少し見開き。
「……良かった。無事、だったんですね……」
「っ!」
崩れ落ちそうになるフィアの身体を支える。以前にも思ったように驚くほど軽い。それだけでなく、今は全身に力が籠っていないように感じられる。
「どうしたんだ? ――体調は?」
ぐったりとした身体。微睡むような瞳。喜びより懸念の方が前に立ってしまう。何とか歩けてはいるものの、どう見てもまだ魔力払底の影響が抜け切っていない。こんな身体で部屋から出て来るとは――。
「……目が覚めて、黄泉示さんの部屋に行ったんですけど、留守みたいで……」
力無く俯いたまま。呟きにも似た形で、フィアが言葉を紡ぐ。
「皆さんの部屋もノックして、誰もいないみたいで。……少し、不安になってしまって……」
「……!」
――それで、ここまで来たというのか。
「俺は大丈夫だ。リゲルも、ジェインも」
言葉を続けようと息を継いだ間に過ったのは、今も治療室にいるであろう先輩の顔。
「……皆元気だ。だから、もう少し休んだ方が良い」
「そう……ですか」
呟くフィア。その声からもやはり覇気が感じられない。辛うじて伝わってくるのは心臓の鼓動ではなく、弱々しい息遣い。早く部屋に戻らせなければ――。
「――何やってるの?」
掛けられた声。いつの間に来ていたのか、立慧さんが俺たちの後方に立っていた。
「ちょっと、その娘――」
「立慧さん、フィアが――」
一見して状況を理解したらしい。足早に歩み寄ってきた立慧さんは何も言わないままフィアの頭に手を当てると、何かに集中するように目を閉じる。
「……魔力はほぼ回復してるみたいね」
「本当ですか?」
「嘘吐いてどうすんのよ。ていうか、レイガス様が治癒に当たったんでしょ? なら大丈夫よ」
「――」
完全に忘れていた。治療後にレイガスが〝明日には目が覚めるだろう〟と言っていたことを今更ながらに思い出し、同時にあのレイガスでも協会員から信頼されているとの事実に言い難い感情を覚える。しかし目が覚めたのは確かだが、この状態はどう見ても――。
「――ただ、身体の方が回復してない」
答えを待たず立慧さんは着々と見立てを口にしていく。
「多分体力までは回復しなかったのね。魔力の回復に加えてそっちまでやると被術者への負担が大きいから、やらなかったんでしょうけど……」
――絶対わざと治癒しなかったに違いない。そう確信する俺の前で、立慧さんがフィアに話し掛けた。
「起きられるようになったのは良かったけど、まだ寝てなさい。風邪と同じでこういうのは治り掛けが肝心よ」
「……分かりました」
弱々しくフィアが頷く。……立慧さんの言葉に反発したりせず、素直に頷いたところを見ると、流石に今の体調に自分でも違和感は覚えているのだろう。それでも不安の方が勝ったからこそ、こうしてその身体でここまで必死に歩いてきた――。
「連れてってあげなさい。こういうときこそ、甲斐性の見せどころよ」
「――はい」
――言われずともだ。脚と首辺りに手を差し入れ、横倒しにするようにしてその身体を持ち上げる。
「……あっ……」
「済まない。我慢してくれ」
いきなりの所作にフィアが声を上げるが、敢えて止めることはしない。ここまで来ただけでも無理をしていることは明白。支えていなければ立っていることさえ既に辛そうな状態なのだ。
幸いフィアの体重は軽過ぎると思ってしまうほど軽いので、俺としてもそこまで負担はない。……前科も既にある。ここは一つ耐えて貰って、大人しく運ばれて貰うとしよう。
「……へえ。てっきり肩を貸すくらいかと思ってたのに。意外だわ」
「……」
そんな素で驚いたというような反応をされると困るのだが。なんにせよ今は――。
「――立慧さん」
「何、どうしたの?」
フィアを休ませることが肝心だと。そう思って歩き始めた直後。まだ何か話したいことがあったのか、徐にフィアが顔を後方に向ける。体調を気遣ってか、尋ね返す立慧さんの声はいつもよりも少し優しい。
「千景先輩や、田中さんは……」
「――っ」
「――」
――フィアの口から出されたのは際どい問い掛け。それを聞いた立慧さんは、見つめる俺の予想通り一瞬表情を強張らせ――。
「――大丈夫」
直ぐに元の表情を取り戻し、……きっぱりと、その言葉を言い切った。
「私らは支部長よ? 心配されるのなんて、百年早いわ」
「――」
それについて、フィアはどこかほっとしたような雰囲気を浮かべたあと。
「良かった……です」
小さな声で、そう口にした。
「――行こう。フィア」
安堵の息を吐くフィアに声を掛け、移動を再開する。後ろで立慧さんがどんな表情をしているのかは、前を向く俺には分からなかったが――。
〝良かったです〟
発されたその言葉。耳に残る柔らかな声が、いつまでも俺の胸に痛く響いた。
「……はぁ」
不機嫌を形にすべく黙りこくっている自らの前で、憚ることなく溜め息を吐いているこの男。
「……」
――リゲル・G・ガウス。それを前にして、郭詠愛は実に困っていた。
師であるレイガスにしては珍しく、二日続けての自主練習を言いつけられたこの日。当然その言葉に背くこともなく修練に励んでいたのだが、何を間違えたのか、中途でこの男がまたも部屋に闖入してきた。一応言っておくと、前回とはまた別の部屋にいたにも拘わらず、だ。
「……どこでこの場所を知ったんです?」
尋ねる。この場所。今ここに自分がいることを知っている人間は、協会内でもそれほど多くはないはずだが……。
「あの婆さんが教えてくれたぜ? 歩いている最中にたまたま会って、訊いたらここにいるってよ」
――また、あの人か。
郭は内心で閉口する。四賢者の一人、リア・ファレル。協会では随一の古株であり、師とて一目置いている違うことなき実力者。本来は尊敬の対象であって然るべきはずなのだが、実際のところその考えは郭にはよく分からないことが多い。自分自身で言うのも何だが、よりによって賢者見習いの居場所を一介の部外者に知らせるなど何を思ってのことだろうか?
しかも歩き回っている中途で出会ったということは、この男からリアを尋ねて行ったのではなく、リアからこの男の前に現われたということになる。……四賢者にたまたま会うなどという戯言を信じるつもりは、実際にその中の一人を師に持つ郭にしてみれば毛頭なかった。
「それで? 今日は何の用で来たんです?」
この男を手っ取り早く追い出すには、さっさと本題を終わらせるに限る――。
前回の遣り取りを経て郭はそのことを確信していた。下手に帰そうとすれば却ってこの男に取られる時間が長くなるだけだとの、手痛い経験を踏まえていたからこその対応でもある。
「そうやっていつまでも溜め息を吐かれていると、僕としても迷惑なことこの上ないんですが」
「いや……な」
「……」
言い淀むその姿勢。間を置いてなお二の句を継がないでいるその口振りが郭の苛立ちを加速させる。……わざわざ人の邪魔をしてまで話をしに来たなら、とっとと内容を言えばいいのだ。その程度の礼節も弁えていないのだろうか、このゴリラは……。
「俺って、弱えんだな~って思っちまってよ……」
「――は?」
思わず声が出る。そんな当たり前のことを、この男は何を今更口にしているのか。
「それがどうかしたんですか?」
「いや、そんだけだけどよ……」
「……」
訪れてくる沈黙。開いた口が塞がらないとは正にこのことなのだと、そんなどうでもいい認識だけが追って郭の頭に浮かび上がって来ていた。――思わず。
「――馬鹿馬鹿しい」
口を突いて出たのは考慮を重ねての皮肉ではなく、これ以上ないほどに率直な感想。
「悩む間もなく死んでいく人間も多いというのに、そんなことで悩める貴方は充分に幸せですよ」
「……つってもなあ……」
「そんな戯言を言っている暇があれば、その分修行に精を出した方が余程有意義だと思いますがね」
「……そりゃ、そうなんだろうけどよ……」
皮肉も通じない。前回で分かっていたこととはいえ、此方の言うことを聞き流して愚痴を零している目の前の男を見ていると沸き上がってくる苛立ちを抑え切ることができない。
――何だ、この男は。
模擬戦のときはあれだけ威勢の良い台詞を口にしておいて、少し壁にぶつかればこの様か? 侮辱に対して怒っていたあの居丈高な態度。前回自分と口論を交わした熱意は、どこへ――。
「……ま、才能があるとはいえ、貴方では所詮そこ止まりでしょう」
自らの苛立ちを誤魔化すように嫌味を吐く。……なぜ、こんなにも自分は苛ついているのか。それが郭には良く掴めていない。
「なにせ碌な師も付いていないのですからね。僕のような本当に優秀な人間は、自ずと最高峰の師に恵まれるものです。ついでで支部長に教わっている貴方たちとではレベルが違うんですよ」
「――っ」
修練の時間を邪魔されているからか? 話に来ておきながら一方的に愚痴を吐くだけの態度が腹立たしいからか? 漸く口にしたその内容が、余りにも馬鹿馬鹿しいものであったからか?
――違う。そう郭の本能的直感は告げていた。無論、それらのこともあるにはあるのだろうが――。
「……そうか」
思考に耽り掛けていた中途。不意にリゲルが発した声に、郭は慌てて意識を引き戻す。
「……何ですか?」
「……なるほどな……」
平常を意識して問い掛けたその声に、リゲルはただ呟きを返すのみ。……珍しく思案気な表情は、何か、思い付いたことに意識を集中させているようにも思える。
「――だな。ま、駄目元だとしても……」
耳に届いた小さな呟きからは、その思い付きの全容を把握することはできず。
「――ありがとよ。お蔭で、考え事が進んだぜ」
「……はい?」
――こんな男でも、考え事というものをするときがあるのか?
言われた台詞にそんな風な感想を抱きつつ、差し出された手を無意識に見つめる羽目になる。荒事を潜り抜けてきたことを物語る、無骨で節くれだったその手。
「っ……と。いけねえな。つい……」
それが引き込められる。見つめる郭の前で、リゲルは立ち上がると。
「――ありがとな。助かった」
「――」
普段の態度からは考えられないほどに、真っ直ぐに礼を述べてきた。その似つかわしくない、余りに晴れやかな笑みに――。
「……っ⁉」
遅れて思わず一歩退いてしまったが、これは極めて正常な反応だろう。――何なのだ。
この男は。目の前の男の余りの意味不明さに、今が皮肉を言う格好の機会だということすら郭の意識からは消え去っていた始末。その間にリゲルはすぐに表情を戻し。
「よし。じゃな!」
「――常識を疑いますね」
走り出していく。その背に向けて飛ばした声。
「一方的に押しかけて来たくせに、何を勝手な――」
「――悪いな! 借りは返すからよ!」
残された台詞を置いて小さくなっていく駆け足の音。少しずつ訪れてくる静けさが、望んでいたはずの時間が遂に到来したことを明らかにしている。……暫しの間を置いて。
「……全く、何を考えているのやら」
開け放たれたドアを【施錠】の術式で閉め直し、意識を修練に切り替える為に息を吐く。
――その表情から先ほどよりほんの少しだけ険が消えていることに、郭自身は終ぞ気付いてはいなかった。




