第五.五節 賢者たちの思惑
――不味い。非常にマズイ。
執務室にて秋光は痛む頭を抱える。……夜月東を迎え入れたことだけでも大事だ。それに加え、まさかあの二人まで協会に居座ることになるとは……。
元から中立の立場である東と違い、レイル、エアリーはそれぞれ異なった組織に所属していた経歴の持ち主。九鬼永仙と凶王という脅威を間近に抱えた今の三大組織が容易に対立構造に入ることは考え辛いが。
全てが終わったあとのことを考えるとどうしても気が重くなる。……件の四人をダシに他組織の内部情報を握ろうと画策したのでは、などとの疑いを掛けられても反論の仕様がない。協会だけでなく、情報を漏らした可能性のあるレイル、エアリー自身の印象も各々の組織にとって良くないものとなるだろう……。
「……」
――悩んでいても仕方がない。
東たちを追い返すことは不可能だ。息子たちが窮状にある以上、彼らが梃子でも動かないだろうことは秋光自身がよく分かっている。その件についてはやるべきことをやるしかないとして……。
「……」
思考を纏めるのは先日の戦いについて。万全の態勢を敷いて許可したと判じていた外出だったが、結果的に見れば協会側に負傷者が二人。あの四人も殺され掛けていたことを踏まえれば、正しく言いわけの出来ぬ失策だったと言って良い。
――つまりは読みが甘かったということだ。稀有な才能を持つメンバーがいるとはいえ、現状での力量を考えたならば、蔭水黄泉示たちの一件は凶王派と永仙にとってそれほど優先順位の高い事柄ではないだろうと秋光は考えていた。協会の保護を受けたとなればなおさら。よしんば凶王か永仙が出て来たとしても、リアを始めとした護衛たちによって退けられる……と。
だが、蓋を開けてみれば見当違いも甚だしい。凶王二人に加えて九鬼永仙まで出てくるとは、完全に秋光の想定の埒外である。黄泉示たちの抵抗、支部長の犠牲。葵の健闘にリアの手腕。
いずれの要素が欠けていてもあの場は相手の思惑通りに進められていたに違いない。そのことを思うと秋光は今でも肝の冷える思いがしていた。……賢者筆頭が聞いて呆れる。自分はあと一歩で、幾人もの命を見す見す奪わせるところだったのだ。友との約束すら果たせずに……。
「……ふぅ」
自嘲と気疲れから来る息を吐き、目頭を揉みつつ、秋光は思考を先へ進める。……なぜ永仙と凶王派は、それほどまでに彼らに執着するのか。
あれだけの損害とリスクを負ったにも拘らず、そのことは未だ全くの不明だった。一抹の望みを託していたレイガスの報告も実りはあったとはいえ、現状を打破するものではない。秋光の前に依然として、それは謎としての形を保って残り続けている。……加えて。
「……」
今回で生まれた矛盾。賢王が黄泉示たちを連れ帰ろうとしていたとの報告は、彼ら自身が黄泉示たちを殺そうとしていた事実と反目する。
当初は殺すつもりでいたが実際の力量を見て気が変わったということか? それとも連れ去ろうとする言動自体がブラフであり、殺すという方針は変わっていないのか。若しくは――。
「……」
冷めかけていた茶を含む。……ただ分かっているのは、彼らはまだ黄泉示たちを諦めたわけではないだろうということ。
「……」
――何ができる?
この状況下で、自分たちに。……得られたものはある。凶王の戦闘様式は覇王を除いて基本的に情報が少なく、うち二人、冥王と賢王の力量を一端とはいえ見られたのは大きい。今後直接矛を交えるときが来るとすれば、今回の経験は大いに生きてくるはずだ。
気になるのは彼らの動機。そしてレイガスの眼力を以てしても掴めなかったという、フィア・カタストの力。事態を少しでもマシな方向へ導くために。その為に自らにできる努力を――。
「……」
その志を胸中に。秋光は一人、執務室で考え続ける。
「――【結合開始】」
「……」
唇から零される詠唱に伴って繋げられていく術式。弟子の研鑽を視界に収めながら、レイガスはここ数日の間に起きた変化について考えていた。
――夜月東、レイル・G・ガウス、エアリー・バーネット。
何れも《救世の英雄》として名を馳せた技能者たち。その三人が、何の因果か今この魔術協会に集結している。
直接的な理由は明白だ。……九鬼永仙、そして凶王に不幸にも命を狙われている四名。記憶を消去されているフィア・カタスト以外の三人の保護者が、たまたま救世の英雄だったということに過ぎない。それを偶然の産物と言い切ることにはレイガスとて抵抗があるが、事実としてそうなっているのであれば、今目を向けるべきなのはその点ではないと言えた。
「……」
眼前で繰られていく魔力の色。保護者として子どもを守りたい気持ち……それが果たしてどのようなものなのか、終身独身を貫いてきたレイガスには分からなかったし、分かろうというつもりもなかった。ただそれが三人を動かし、協会にまで足を運ばせたということが事実。
無論、対外関係という視点から事を見れば、中立であるはずの『逸れ者』が三人も協会に集まっているこの状況はとても褒められたものではない。うち二人が元々は他の二組織に属していた人間と言うのも問題だ。とはいえ発端が情に由来するものである以上、理詰めの論陣で彼らを追い返そうとすれば徒な消耗を被るだけだろうとの推測は、半ば確信に近い確実さを以てレイガスのうちにある。
ならば三人が居座ることは最早致し方ないこととして、問題はその処遇。《救世の英雄》の称号を得ているとはいえ、その偉業の全ては過去の話だ。
担当でないレイガスは三人の具体的な動向については知らないが、それでも三人が三人とも技能者としての第一線から遠ざかっているという話は耳にしていた。――命の遣り取りにおいて十年のブランクは決して軽いものではない。かつて実力者であったことが確かとは言え、現時点で戦闘に於いてどれほどの活躍が見込めるかと問われればそれは怪しいところ。
「……」
だがそのことを差し引いたとしても。三人が今なお有数の力量を誇る技能者として三大組織からマークされてきたことは確か。個人差はあるが、当時の《救世の英雄》たちの力は少なく見積もっても三大組織の幹部に匹敵するほどだった。ブランクを踏まえてもそれが丸きり落ち込んでしまうとは考え辛く、またブランクが問題であるのなら取り戻せばいい話。そうレイガスは考えを纏める。いつも通り修練に励む、弟子の姿を目にしつつ――。
「――三つ目の術式を展開しろ」
「はい――」
〝……それでも〟
「単純な接続に甘んじるな。常により有意義な、適切な繋ぎ方へ切り替えることに思考を――」
〝それでも、私は……〟
指導の文言と共に脳裏に浮かび上がるのは、あの日秋光が口にした台詞。意識していないつもりでも、やはりそれなりの重さは認めてしまっているらしい。
――あの言葉に振り返るべきところなどない。ただ傍から見て滑稽と思うほど愚直で、寧ろ狂気にも近い純粋な信念であるだけのことに過ぎない。どういうわけかは知る由もないが、それを奇跡的な確率でここまで持ち続けて来られてしまっただけの事。
尤も、単にその確率から幸運と言うよりは、極めつけの不運だと言った方が良いのだろうが。
それもここまでだとレイガスは考える。不確実な要素があるとはいえ、それだけの戦力を見す見す使わないなどというのは愚の骨頂。己の手で捨て去ることができないのなら、他が手放させてやるしかない。……フィア・カタストの件を踏まえても。
「……」
あの一件。直接の治癒と調べとに当たったレイガスには分かっていた。フィア・カタストの抱えるソレは、ただの記憶喪失と呼べるものではない。
――記憶の抹消。フィア・カタストが有していたはずの記憶は、蔭水黄泉示との出会い以前から断崖のようにスッパリと途切れ落ちている。……支部長の手に負えないわけだ。
何かしらの影響で記憶の引き出しを開ける鍵が歪んでいるのではなく、戸棚ごと消失してしまっているのだから。少なくともレイガスの探ることのできる階層には記憶の断片は愚か、僅かな手掛かりすらも確認することはできなかった。
そしてレイガスにとっての問題は、その事態が如何にして引き起こされたのかということに尽きる。積み重ねた過去の集積……。
物語としての己の来歴全てが消失したにも拘らず自己崩壊や常識の喪失にまで至っていないことを鑑みれば、あの事態が通常の要因によって引き起こされたとは考え辛い。……魔術的な手段。それも極めて高度な、専門的な技術によるものであることは明らかであり。
「……」
そのことがレイガスの憤りを強く煽る。……魔術とは、決して私利私欲のために振り翳して良い技法ではない。
尋常では為し得ぬことを為す理を扱う者であるからこそ――それが準じる目的は相応のものでなくてはならない。力に伴う責務を自覚し、それを果たす為だけにのみ魔術を振るう。
それこそが魔術師。魔術師と呼ばれるに相応しい人間だ。本来であるならば、だが……。
「二番目の術式の縛りが甘い。調整しろ」
「はい――!」
現実にはレイガスの思考はただの理念に過ぎない。……協会でさえあるべき魔術師の在り方を選び取らない者たちのいる中で、一体世にたむろする技能者たちのどれほどが自覚を以て動いていることだろうか。
「……」
自覚がないだけならまだしも、敢えてねじ曲がった方角に志を持つ者たちさえいる。凶王派を始めとした反秩序者たち、逸れ者、特殊技能犯罪者、そして九鬼永仙。フィア・カタストの一件に関しても、そうした愚昧な者たちの手によるものであることは疑いようがないのだ。
そのことを踏まえてレイガスは思惟を進める。……あの三人がどれほどの力を持っているか、延いては今協会がどれだけの戦力を扱える立場にいるのかということを詳らかにできたならば、秋光とて、いや、例え秋光が固持したとしても、他を動かすことは以前より遥かに容易となる。
――理想を追うことは自由だろう。
個人としてそれを追い、一人で潰れることをレイガスは否定しない。だが立場によってはその道のりは、自分のみならず他者をも傷付けることがあるのだと――。
その現実には、いい加減気付いて貰わねばならない。




