第四節 救世の英雄 前編
――夢を見ている。
久しぶりに見る、あの夢。
私はどこかの室内に立っている。暖かみのある薄茶色の壁に取り囲まれた、広くはない一室。
視線を落として見れば、床もやはり木。木材で作られた家のようだ。内装からしてそれを専門とする人の手によるものではなく、何か趣味で作られたもののように思える。
「……」
決して見事な出来ではなく、寧ろ粗末とも言える作り。置かれている品々も必要最低限のものしかなく、一つ間違えれば殺風景と言える雰囲気だろう。
だけどその中にある確かな暖かみに、今までにないくらい落ち着いている自分がいる。……ここにいると、なぜだか安心する。
平穏さに、私が揺蕩っていたとき――。
「……!」
不意に此処に近付いて来る気配を感じて、私は身構える。……速い。人の住む土地から遠く離れた山奥にあるこの場所。そこにまるで獣のような俊敏さを以て近付いて来ている……。
ドアが開け放たれる。逆光で良く見えないけれど、今まで私は見たこともない人。
そのはずなのに、なぜか目の前の人を知っていると感じている自分がいる。……この人は、あの人の――。
「……」
手渡された一枚の書面。胸騒ぎを感じながらも、その紙を手に取る。
そこに書かれている文字。……これは、処刑の執行用紙? 決議により誰かが処刑されたことがその紙には書かれている。
一体誰の――。
記されている名前。それを意識した瞬間。
――言いようもない驚愕と焦燥が、私を襲った。
陰鬱な一日が明けた――次の日。
「……」
当然のことながら問題は何も解決していない。フィアはまだ目覚めていず、気分も晴れているとは到底言い難い。
――しかしながら。それを一旦脇に置いておかなければならなくなるような、そんな光景が目の前に繰り広げられていた。
「ほお……こりゃ旨えな。ちょっと料理人呼んできてくれねえか? 参考までに作り方を訊いてみてえ」
一番手前で料理を頬張りつつ感心したように頷いているのは、昨日から協会を訪れていた小父さん。……それはまだいい。昨日顔を合わせたあとにはどうしていたのか気になるが、この場にいたとしてもおかしなことではないからだ。
今主に問題となっているのは、其処に新たに加わった人物たち。
「ふむ。悪くない」
――黒のスーツ。品のある仕草でワイングラスを傾ける、白い手袋。
「魔術協会というくらいだから料理などには造詣が浅いと思っていたが、どうして中々。認識を改めねばならないな」
「二人ともマナーが足りませんよ。賓客として持て成されているのですから、少しは遠慮もしませんと……あ、ボトルもう一本お願いします」
いつも通りであるはずの食卓に座っている、見慣れない二人。……と言っても、幸か不幸か俺たちはそのどちらとも面識があった。
変わらぬ風格を身に纏い、ワインを片手に食事を楽しんでいるのはリゲルの父親であるレイルさん。二人を窘めつつも次々と酒瓶を空にしていくのは、ジェインが住んでいる教会の神父、エアリーさんだ。――なぜ、この二人が今ここに姿を見せているのか。
聞けば小父さんが魔術協会に入り込んだと言う噂を聞き、昨日の夜更けに二人揃って協会を訪れて来たとのこと。諸々の話は夜の内に済ませて早速小父さんと合流し、息子たちの顔が見たいということで意気投合。こうして俺たちと同じ食堂で朝食を食べることにした……らしい。突如現れた二人を目にしたときは、俺のときと同じくらい会いに来られた本人たちが驚いていたが。
「……どうして私たちが担当役なのよ」
「仕方ねえだろ……上の命令だよ。上の」
その横で小さく愚痴を呟いている立慧さんと田中さん。どうやら、俺たちの担当だった二人がそのまま小父さんたちの相手役にも回されたようだ。立慧さんなどは見るからに不満気な様子だが、人選ミスではないだろうか?
「にしても私たちじゃなくていいじゃない。もっと別の人材がいるでしょ。別の」
「全くだぜ。《救世の英雄》って度々口にしてたお前さんなら嬉しいんだろうが、俺はこんなことよりごろごろしてたい――」
「ば、馬鹿! 余計なこと言わなくていいの!」
「――お、何だ嬢ちゃん。俺らのファンか?」
小声で田中さんを窘める立慧さんだったが、既にその声はばっちりと当人に届いてしまっていた。にやりと笑いながら小父さんが声を掛ける。
「君のような粗暴な男にファンなどいるわけがないだろう。もっと常識に基づいた発言を心掛けたまえ、東」
「全く二人とも、配慮が足りないと言いますか……。彼女は私のファンに決まってるじゃないですか。同じ女性ですし。馬鹿な貴方たちががっかりしないよう、気を遣ってくれていたのですよ?」
「あはは……そんなことは、全然、ないんですけど……」
続く二人の言葉に、立慧さんは誤魔化すように笑ってみせる。……口調と表情が完全に外向けのものだが、それを責められるような立場に今の俺はない。
「……なんか、思ってたのと違うのよね」
ぼそりと呟かれた台詞が耳に届く。……まあ、否定もできない。
立慧さんが三人にどんなイメージを抱いていたのかは知らないが、日本で生活を共にしていたはずの俺だってこんな小父さんは初めて見るのだし、レイルさん、エアリーさんについても恐らくそうで、リゲル、ジェインの困惑がその証。
面識もなかった立慧さんの認識とのズレが大きいのは必然だろう。……知っていると思っていた人間の意外な一面を目にするのは中々に衝撃が大きいものだということを、今の俺たちは身を以て実感していた。
「……つうか、知り合いだったんだな。親父たち」
「……ああ」
そう。そのことにも驚かされる。今、俺たちの目の前で好き勝手に振る舞っている三人。信じ難いことに、なんと三人が三人とも《救世の英雄》、即ち秋光さんの元仲間であるというのだ。
ということはつまり、俺の父の仲間でもあったということに他ならない。……それぞれの家を訪ねたときには、そんな気配は微塵もなかったのに。
「……というか《救世の英雄》とは……。具体的には何をしたんです? 神父」
「あれ、言ってませんでしたっけ?」
大仰な称号に対するジェインの問いに、エアリーさんは実にあっけらかんとした表情で答えてくる。ワイングラスを片手に。
「俺も教えてもらってねえんだが?」
「そういえばリゲル君にはまだ話したことがなかったね」
レイルさんも平然と微笑んでステーキを口へ運ぶ。……この人たちは。
「ったく……黄泉示は知ってんのか?」
「いや……」
大きな戦いの功労者、と言うことは昔聞かされているが。
それ以上の事は全く知らない。……俺も小父さんも、敢えてその話をすることはなかった。
「確か、式さんの話に依れば十年前に起きた戦いとやらに関係しているとのことですが……」
「……そのことはもう秋光から聞いてんのか」
聞いたというか。ちらり、と俺の方を見る小父さん。意味は分かるものの、この場では答える術がない。
「あ……できれば私も聞きたいです」
「ま、ボケッと突っ立ってるよりはマシかもな」
「そうだな。こうなった以上は隠していることもないだろうし……」
立慧さんたちも興味を示す。需要の多さを鑑みてか、レイルさんが頷きを見せた。
「ええ。まさか、こういう形で話すことになるとは思いもしませんでしたが……」
「――よっし。そんじゃここは代表として、俺から話すとするか」
エアリーさんも受け入れる姿勢を見せる。意気揚々と親指で自らを指し示した小父さんに。
「誰も君を代表にするなどと言った覚えはないが?」
「全くです。貴方に代表になられるくらいなら、そこらの石ころに任せた方が幾分かマシですね」
「うっせえなてめえら‼ 少し黙っとけ!」
流れるように飛ばされた辛辣な罵倒。吠えたあと、大声にやや引いた俺たちを目にして、小父さんは誤魔化すようにニョゴリと口の端を上げ。
「――うおっほん。というわけで、俺が話をすることになったが――」
言葉の中途で、俺にしか分からないような意味ありげな笑みを一瞬だけ浮かべた。……今のは。
「ま、一々全部を話してると長くなるからな。掻い摘んで大筋だけ話してくことにするぜ」
「驚いた。聞いたかな? よりにもよってあの東が、話を要約するなどと言っていたように聞こえたが」
「ええ聞きました。――間違いがあれば私たちがバンバン訂正していきますから、安心して下さいね」
「いい加減にしとけよ、てめえら……」
「……」
怒りに震える小父さんを余所に、その気遣いに心の中で頭を下げる。……小父さんがわざわざ掻い摘んで話すと前置きしたのは、恐らくは俺に配慮してくれてのこと。
俺は自分の過去をリゲルやジェインには話していない。子細に話せば両親のことが二人にも伝わってしまうという、そのことを察してくれたのだろう。……もしかすると、あとの二人もその辺りのことを了解して小父さんに話し手を任せたのかもしれないが……。
「覚えていろとは、また怖い言葉を使いますね。気性の粗暴さが滲み出ていますよ、東」
「神父、もうその辺りにしておいた方が……」
「息子に窘められるとはまだまだだな。君たちとは違って私のように品行方正な人間からすれば、息子の手を煩わせることなど全くありはしないわけだが」
「親父。悪いけど、話が進まねえから」
……考え過ぎだな。リゲルとジェインの言葉で静かになった二人。――漸く、話が始まる。これから語られる話は。




