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第三.五節 二人の保護者

 

 ――いつものように、扉の前に立っている黒服の男。


 外面は変わらない。だがその内心は今、いつ弾が飛び出るか分からない銃口を目にしているかの如く恐々としている。


「……」


 腕を組む姿勢。何かを考えるようにソファーに腰を下ろしているのは、彼のボス。先ほど情報担当からの報告を受けてから既に一時間。その間微動だにすることなく、ひたすらにこの状態が続いているのだ。


 水も飲まず、声も発しない――。役目柄待つことに慣れている身ではあるが、この状況には流石に相当の疲労を伴う。何も自分まで合わせることはないと言われるかもしれないが、それは――。


「……電話が欲しいな」

「――Yes」


 ――指示。強張り掛けている身体を一息に稼働させ、いつも通りの動きで端末を渡す。万一にも滞ることがあってはならない。絶対に。


 見向きもせずそれを受け取ったボス。流れるような指捌きで一連の番号が打たれ、その然るべき機能が果たされた。


「――ああ。私だ」


 電話口に出たと思しき相手に話し掛ける。一分前まで何か考え込んでいたとは思えない穏やかさ。歯切れの良い語り口はある種の明朗ささえ感じさせる。


 ――それが男には、何か不気味な前触れのような気がしてならない。


「なに、様子が気になってね。息災かな? 彼は」


 声に合わせ口元に軽く笑みが浮かぶ。……長らく傍でボスを見続けてきた男には分かっていた。これは前準備に過ぎない。ボスが、本命の話題に入る前の――。


「――ところで最近一つ、妙な噂を耳にしたんだが」


 ――来た。


「東がそっちに行っているという話を聞いたんだが、事実かい?」


 知らない名前。


 男は記憶を探る。……東。ここ数年間男がボスの傍にいた中で、その名前は聞いたことがない。関連して何か求められるということはなさそうだ。


「――そうか。いやなに。元から信じてはいなかったんだがね」


 答えを受けたと思しき語り口が更に明朗さを増す。その声を聞いて、男はもうこの世の終わりが来たかのような感覚を覚えていた。


「ああ。こちらこそ手間を取らせて済まなかった。――では、また」


 通話が終わると同時に素早くボスの横へ移動し、用済みとなった端末を受け取り、一分の狂いもないよう元の場所へと引き下がる。


「……やれやれ」


 予想外の反応に、一瞬不意討たれ――。


「――奴が入ったか」


 溜め息のあとに続く呟き。呼吸に混ざるようなそれは音としては余りに小さな響きで、男には聞き取ることができなかった。


「――ブラッド」

「――はい。ボス」


 答えた時点で男には既にそのあとの成り行きが予測できていた。ボスがこういった口調のときは、常に無理難題が降りかかってくるときだ。唾を飲んで男は覚悟を決める。――さあ、今度はなんだ?


 敵対組織に入り込んで情報を得て来いとでも言われるか? それとも一人で組織にとって厄介な邪魔者を消して来いと言われるだろうか。……部下と言え男にも意地がある。どんな難題であるにせよ、数年をボスの傍で勤め上げたからには最早そう簡単に驚くことは――。


「急な話だが、明日から組織の纏め役をやってもらいたい」

「――へ?」


 そんな決意はどこに行ったのか。間抜けな声が部下である男の口から発せられる。


「……ボ、ボス? それはどういう――」

「急用が入ってしまってね。どうしても私が出向かなければならないんだ」


 そこでボスは男の表情に浮かぶ様々な色に気付いたのか、にこやかに言葉を補足する。


「何、なるべく早く戻るようにはするさ。ほんの短い期間、私の代わりを務めてもらうだけだ」


 嘘だ。絶対嘘だ――! ……数年間目の前の人物を見続けてきた男の勘が、今最大音量で警報を打ち響かせていた。


「――今抗争中のあいつらはどうするんです⁉ 近々大規模な攻勢を掛けてくるって噂もあるんですよ⁉」

「そのときは黙らせてやりたまえ。あの相手如きに後れを取るような君たちではないだろう?」


 ――無茶苦茶だ。


 信頼の域を通り越して最早完全な丸投げと言えるボスの言葉に、混乱した男の頭は続く言葉を紡ぎ出せずにいた。


「では、確かに任せたよ」


 そんな男を尻目に、上着を羽織ったボスは一切足を止めることなく、部屋を出て行こうとする。


「――ボ、ボス! ちょっと待って――‼」


 男が呼び止めたそのときには、既にボスは開け放たれた扉から姿を晦ましたあとだった。











「……ふう」


 エアリーは手を止める。教会の窓に面した、小さな中庭。


 そこをエアリーは掃除しているところだった。竹箒にて掃き集めた落ち葉の数を、昨日までのそれと見比べる。


「……元気でやっていますかね、あの子は……」


 快晴の空を見上げ、呟く。ジェインが協会の預かりになってから早一月。いなくなってみると、彼が如何に自分の助けとなっていたのかがよく分かる。


 とはいえ、この教会兼孤児院の経営者は自分だ。ジェインがいなくとも、しっかり運営を熟していかなければ――。そう思い、エアリーは再び箒を手に地面を掃く作業に戻る。……二、三度、それまでと同じ要領で地面を掃き。


「――それで? 今日は何の御用事ですか?」


 手を止めぬままの問い。……中庭の隅に植えられたモミの木。その陰から、一人の人物が姿を現した。


「相変わらず鋭いことです。エアリー殿」

「また貴方ですか……」


 相手の姿を見止めたエアリーは半ば呆れたように言う。教会の地上げ話が持ち上がったときに、聖戦の義から派遣されていた男だ。どうやら聖戦の義はこの男をエアリーの監視役として固定したらしい。


「そう煙たがらないで下さい。実は、少し面白い噂を耳にしましてね。ぜひエアリー殿のお耳に入れたいと思ったものでして」

「……面白い噂?」


 少なからず興味を惹かれたようなエアリーの反応に、男は、満足そうに頷いて言葉を続ける。


「ええ。実は――」

「――あーーっ! エアリー神父、ここにいたーーっ」


 男の声を遮る叫び声。教会に通じる扉から、数人の子どもたちが中庭に飛び出してくる。


「ねーー! エアリー神父! 遊んで遊んで!」

「おい見ろよ、変なおっちゃんがいるぜ!」

「ほんとだー」

「この人誰ー? エアリー神父ー?」

「はいはい。皆、少し落ち着いて」


 一直線に自身目掛けて走り寄って来た子どもたちに対し、エアリーは手慣れた雰囲気で、自然な笑顔を浮かべながら応対する。


「私の知り合いで、お仕事でこの教会に来ている方ですよ。ほら皆、ご挨拶は?」

「「こんにちは! おじさん!」」

「こ、こんにちは……」


 こういった状況に慣れていないのか、先ほどまで流暢だったその語り口が今はどこかたどたどしくなっていた。ぎこちない笑みからは、彼が聖戦の義の使者である事実など微塵も感じられない。


「私はこの人とお話があるから。皆、もうちょっと待っててね」

「はーい!」

「早く来てね、エアリー神父!」


 エアリーの言葉に聞き分けよく子どもたちは頷くと、来たときと同じような活発さで教会の中に駆け戻っていく。その小さな背を見送りつつ。


「――ご免なさいね。昼寝も終えたあとだから、この時間はあの子たち元気一杯なんです」

「……いえいえ。こちらこそ、そんな時間に申し訳がない。次からは少し時間をずらしてくるとしましょう」


 襟元を直し。コホンと一つ咳払いをして空気を元に戻そうとした男が、どこかふと若さに似合わない遠い目をした。


「……変わるものですね」


 呟きは、風に紛れるようで。


「聖戦の義ではかの異名を取った貴女が……今は、片田舎の教会で子どもたちに笑顔を見せている」

「……まるで見てきたかのように言いますね」

「当然です。《救世の英雄》、エアリー・バーネット淑女と言えば、聖戦の義で知らぬ者はおりませんから。ところで、さきの話の続きですが」

「ああ。……何が〝面白い噂〟なのでしょう?」


 どうせそこまで大したことでもないだろう――。そう考えてエアリーは、続く男の言葉を軽く聞き流そうとして――。


「――夜月東」

「――っ」


 その一語に、全ての予想を引っ繰り返される羽目となった。


「彼が今、魔術協会の総本山にいるらしいとのことです」

「……彼が?」

「はい」


 エアリーは思案する。……東。


 もしかするととは思っていたものの。その名前を、この齢になって再び聞くことになろうとは……。


「……」

「どうですか? 少しはお役にたてる情報だったのなら、私としても貴女との交渉役を任されている甲斐が――」


 視線を伏せたエアリーを前にして、得意げな調子を増した使者の声。


「……っ⁉」


 それが急遽途切れる。――突然の所作。避ける間もなく自らの肩に置かれた手を見て、男は眉を顰める。やや身体を強張らせ。


「……どうかしましたか?」


 それまでとは違い、やや警戒の色が含まれた問い。男のその反応を受けて、顔を上げたエアリーは満面の笑みで答えた。


「――私、一つ用を思い出しまして」

「用?」


 答える男の声は硬く、やや上擦っている。それを努めて意識しないようにしつつ、エアリーは言葉を紡いでいく。


「はい。――それでですね。その用を済ませる間、どうしてもこの教会を離れなくてはならないんですよ」

「……」

「その間に子どもたちの世話をしてくれる人がいなくなってしまうのは、とっ――ても困るんです」

「……」


 ……沈黙。全てを悟ったような態度の男に、エアリーはなおも追い打ちを掛けていく。


「――貴方、私の監視役を頼まれているのでしょう?」


 言葉を耳に入れた男の見せる一瞬の動揺をエアリーは見逃さない。


「なら私がいない間、この教会の子どもたちの面倒を見てあげてくれませんか?」

「……なぜ私が? 残念ですが、引き受ける理由が無いかと」


 身動きを押さえる手。掛けられている圧力に懸命に抗っている男を引き留めつつ、逃がさないとばかりにエアリーは止めの一言を放つ。


「残念ですね。もし貴方が引き受けてくれるのなら、貴方にとって実に喜ばしい内容の話もできると思いましたのに」

「……と言いますと?」

「貴方を派遣した方たちが、貴方の貢献を認めてくれる……そんな内容のお話です」

「……」


 提案を受けた男は考える素振りを見せる。……が。


「……確かめるようですが、その約束に間違いは……」

「ええ。なんでしたら、一筆したためても構いませんよ。――どうです? 貴方にとっては、決して悪いお話ではないと思うのですが……」


 ――内心では既に結論が出掛かっている。そのことを踏まえてにこやかな笑みでエアリーは言葉を締め括る。当然〝断ったらどうなるか分かるな?〟と言う意味で、肩を掴んだ右手に力を込め、左手で拳を作るのも忘れずに。


 エアリーの剣幕と言葉に押されてなお、男は思案するような姿勢を保っていたが……。


「……分かりました」


 頭の中で損得の勘定を終えたのか。遂に折れる姿勢を見せた。


「貴女がいない間、この教会の子どもたちの面倒を見ていればいいのですね?」

「ええ。あと教会の掃除や備品の手入れ、維持管理もお願いします」

「……分かりましたよ。貴女には負けました」


 溜め息と共に肩を竦めて見せる男。その両肩を――。


「ありがとうございます。――では、始めましょうか」

「え?」


 エアリーは更に強く掴む。如何に足掻いたとしても、決して逃げられぬよう。


「まずはこの教会の設備を一通り説明して――正しい掃除の仕方と、そのあとに子どもたちとの遊びの仕方を教えますね」

「……え? え?」

「当然でしょう? 私がいない間、きちんと代役を務めて貰わないといけませんから」


 事情が飲み込めていないような男に向けて、エアリーは淀みなく言葉を続けていく。


「時間もありませんし、二時間で全部覚えてもらいましょうか。――では」


 そう言ってエアリーは、今度こそ心からの笑顔を浮かべた。


 ――その日男が生まれて初めてになる〝悪魔〟を見たことについては、残念ながら当人たち以外に知る者はいない。



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