第二節 忠告 前編
――朝。どうしようもない気分のときであっても、それは構うことなしに訪れる。
「……」
気を抜けば溜め息を吐きたくなる気分を抑えつつ、着くのは朝食の席。一月振りの外出に、凶王の襲撃、小父さんの来訪……。
様々なことが一度にあったせいか、昨日は自室に戻ったあと何をするでもなく直ぐに寝てしまった。泥のように眠りこけていたところを目覚ましに叩き起こされ、慌てて身支度を済ませて飛び出してきたのがつい十分ほど前の事。……身体は重いが、それも内心の感情に比べればまるで気にならない。一晩という時間は昨日の衝撃を拭い去るための間隔として言えば、余りに短過ぎるように思えた。
「……」
黙々と食事を口に運んでいく。いつもと同じ周囲の席に着いているのは、リゲル、ジェイン、立慧さん、それに田中さんの四人。小父さんは昨日会ったきりでどうしているか分からず、ノックはしたものの反応のなかったフィア、治療室に運ばれたままの先輩は姿を見せていない。
そのことも場の空気を重くしている原因だろう……。いつもは大体何かしらの話題で賑やかな食卓も、今日に限っては世間話をしようとする人間は誰もいないのだ。普段騒がしいリゲル、田中さんも今日は静かだし、立慧さんなどは喋らないだけでなく明らかに食べる量自体が減っている。皿の上には手付かずのままのトーストや、目玉焼き、ハムなどが残ったまま。かく言う俺も正直余り食欲はない。普段と変わらないように見えるのは、ジェインだけだ。
フィアに関しては一応容態を診たあと、リアさんが部屋まで運んでくれたらしい。尋ねたところでは〝安静にしてりゃ治る〟とのことだったので、今はその言葉を信じて待つしかないことは分かっている。……見舞いに行きたいのは山々だが、俺が行っても却って休息の邪魔になるだけだということも。何もできずに待つだけの自分。それが今はただ恨めしかった。
「……ごちそうさま」
結果として誰一人喋らないまま、静寂に満ちた朝食を終えたのち――。
「――訓練はないわよ」
開口一番。俺たちに向けて立慧さんが言ってきたのは、そんな台詞だった。
「あんたらも疲れてるでしょうし。……私も、今はそんな調子じゃないの」
「あー……まあそうだな。降って湧いた休日だとでも思って、今日はゆっくりしとけってこった」
そのあとに田中さんが続く。指導役である二人からそう言われてしまっては、こちらとしても頷くしかない。
「分かりました」
「それじゃ、そう言うことだから」
答えたジェインにそう言い残して、立慧さんは俺たちに背を向けて歩いて行ってしまう。
「ま、あんまり気にすんな。お前さんたちの事、別にどうこう思ってるってわけじゃねえんだが……」
こっそり耳打ちしてくる田中さん。……失礼だとは思うが、田中さんがフォローに回らなければならなくなっているほど今が異常な事態だということか。
「あれで中々プライドが高い奴だからよ。今回の件で、自分に何もできなかったことを悔やんで――」
「――聞こえてんのよ田中」
飛ばされる叱責にもやはり覇気はない。こちらを振り向いた立慧さんは、一つ溜め息を吐いて。
「……でも、それに関しては謝るわ。悪いわね。修行を付けてくれって頼まれてるのに、それを反故にするような真似して」
「……いえ」
立慧さんの気持ちも理解できる。あんなことがあった挙句、親友の千景先輩が重傷を負ったとなれば到底修行どころの気分ではないはずだ。
「……気が乗らないのは、俺も同じですから」
俺の方も修行ができるモチベーションではない。恐らくは、リゲル、ジェインもまた――。
「……そう。まあ、仕方ないわね」
そんな雰囲気を見て取るようにチラリと俺たちを一瞥し、腕を組む。
「そんなことありっこないって思ってたけど、永仙や凶王本人に出て来られちゃどうしようもないわ。それこそ本山に閉じ籠るくらいしか手立てがない」
開いてお手上げのポーズ。普段は厳しげな雰囲気の立慧さんがやるとどこか茶目っ気がある。
「――あんたらは良くやったわ。あれだけの力量差がある相手に刀一本で突っ込む奴なんて初めて見た。……ホント、凶王の一撃を避けただけでも大金星よ」
向けられた目付きは、どこか労わるようで――。
「でも、二度はない」
言い切った立慧さんの目が厳しさを増す。
「次あいつらと出会ったなら、あんたたちは確実に殺される。私としても、死なせるために指導を付けるつもりはない」
「……待って下さい。それは――」
「そういうわけだから、訓練は暫く中断。……また事が落ち着いて、その上で必要だと思ったなら、改めて始めましょう」
ジェインの声掛けを無視して続けられた言葉。それは俺としても予想していたはずの、だが現に付き付けられてみれば、予想よりずっと重い宣告で――。
「あんたたちも、気持ちを整理する時間が要るでしょうし」
「――っ」
静かに放たれた台詞に、ジェインが開こうとしていた口を止めた。
「……じゃ、また明日ね」
「くれぐれも、無茶だけはするんじゃねえぞ」
今度こそ去っていく二人。……俺たちは、黙るしかない。
――こうして俺たちの一日は、陰鬱な気分で幕を開けた――。
「……」
静かに、だが確固とした足取りで廊下を進んでいる老人。時折擦れ違う協会員の多くはその姿を見ると、慌てて形式として頭を下げ、逃げるようにその場を去っていく。
だが、そんなことは今の老人――レイガスにはどうでもよかった。普段から大して気にも留めていないのだからいつも通りということもできたが、それにも増してどうでもいい。
普段なら郭に修行を付けているこの時間。レイガスが一人廊下を歩んでいるのは、偏に秋光から受けた依頼の為だった。
〝フィア・カタストを治癒して欲しい〟
昨晩秋光から言い渡された内容。あの話のあとでそんな中身を言い付けてくるとは最早呆れを感じるしかなかったが、それもそこまで重要なことではない。
依頼の受理に当たって事情を聞けば、昨晩既にリアが容態を診たとのこと。一見したところ外傷はなく、主な症状は保持魔力の枯渇。本来なら精神の防衛反応としての気絶、及びそれに伴う休息によって体調を戻すはずだが、今回は枯渇の度合いがやや激しかったらしい。同時に連れ帰っていた上守支部長、そして訪れていた夜月東への対処で充分な検診ができなかったため、大事が有っては困るという理由、名指しでレイガスを治療役に指名してきたのだと言う。
レイガスは歩みを止めないまま自らの記憶を探り起こす。……確か郭との模擬戦のときにも同じような症状を示していたはずだ。その点で言えばやはり自身の見立ては正しかったのだろう。あのとき二人を相手に行った試しの結果からして、あの少女がやはり幾らか自己犠牲的な性格を孕んでいることは明らかだ。
「……」
レイガスは更に歩く速度を上げる。協会員としての仕事である以上、溜め息は付かない。……だが、心情として多少の不満があることも事実。
言わずもがな。四賢者に選ばれるような魔術師はその前提として何れも高い魔力操作の技術を有することが条件となる。特に最長老であるリア・ファレルの腕を以てするなら、原理的に単純な魔力払底などの症状は快癒できずとも自前で緩和できて当前の事。
昨今では特に実例が少ない症状であることが確かとはいえ、多少程度が激しいくらいでそれほど労苦するものではない。支部長や補佐官と違い、治癒を急ぐ必要がないとなれば尚更そうであるはずなのだ。
にも拘わらずリアがわざわざ自分を指名してきたということがレイガスの癇にやや障っていた。……以前のように真意を推し量るまでもない。リアが秋光との仲を保とうとしてくるのはこれまでも度々あることだったが、それで本来必要のない仕事まで手掛ける羽目になっていたのではたまらない。――郭にはまだ指導することが多くある。協会を取り巻く近年の状況を見ていても、決してレイガスとて時間に余裕があるわけではない。
などと言ってみても、筆頭である秋光からの依頼と言うことであれば断る余地がないということもまた、レイガスにはよく分かっていた。無論秋光は大賢者ではない。レイガスが四賢者として対等の立場を主張し、強権を効かせれば依頼を退けることも充分に可能だろう。
しかしそれは協会の和を徒に乱すことに繋がる。大局的な方針を巡って対立しているとは言え、些事についての話は別だということを心得る必要があるのだ。自分が多少の手間を受け入れることで大勢が上手く機能するなら、レイガスにとってもそれは望ましいことだった。
――そして確かに、気になる点があることも間違いない。
聞いた報告をもう一度思い返す。……現場に居合わせた二名の支部長に依れば、意識を失う直前、確かにフィア・カタストの放った魔術が九鬼永仙を退けたということだった。
本来ならそんなことは夢物語としても有り得ない。たかが魔術を習い覚えて一月の少女が、魔術協会の長にまで上り詰めた術師を退かせるなど。
――記憶喪失。その症状についてもまたレイガスは聞き及んでいる。以前上守支部長が治療を試みた際に失敗したということも知っている。……扱う術が偏重気味な傾向はあるが、それでも以前見た限りではあの支部長の腕前は決して悪くないものだった。
少なくとも本山に所属する並みの治癒師よりは上であるはず。それが失敗に終わったということは、余程深度の深い記憶喪失であるか、或いは――。
だからこそ、という面も、少なからずあるのだろう。考慮の末にそう結論付けて、レイガスは幾らか溜飲を下げる。……いつだって、リアの考えは二つ以上の思惑を含んでいる場合が多い。今回もそうだと考えて間違いはない。
フィア・カタストの居場所は聞いていなかった。症状が緩和していないならまだ寝ていると考えるのが自然だが、休息を取ったことで多少体力が回復している可能性もある。……無駄足を避けるなら、取るべき方策は一つか。
そう考えて気を取り直すと、レイガスは自らが進むべき方向へと歩みを向けた……。




