第一.五節 東の動機
――夜月東は心配だった。
「……」
何が、と言われると困る。差し迫っている恐怖とは別として、不安とは往々にして具体的な内容を欠いてこそ齎されるものだからだ。
友の――秋光の手腕を疑っているわけではない。
出会った当初から、仲間として共に戦ってきた時分から、彼は高潔な人間だった。そうした事柄に背を向けた自分とは違い、あの戦いの後も四賢者として永仙と共に魔術協会を盛り立ててきたのだし、永仙が協会を離反して以後、裏切り者の友人との汚名を受けながらも自ら先頭に立って協会を立て直したのもまた彼であると聞いた。
言動における誠実性という意味ならば自分などより余程秀でた人間であり、信頼に値する人物。そのことは僻みや妬みなどではなく、ごく単純な理解として東の内にある。
――しかし、そうは言っても不安なものは不安なのだ。
「……」
ガラリとした家の中。元から一人ならば然したることも無いが、二人だったものが一人に変わったとなれば些か心持は変わって来る。
面倒事に巻き込まれた、とは聞いた。それが解決の日の目を見るまでは、黄泉示たちを協会で保護するのだとも。
――最初に秋光から連絡を受け取って以後、自分から連絡を取るような真似を東はしていない。協会の筆頭として舵を取る今の秋光の立場は重々承知の上。中立勢力として微妙な立ち位置にある自分があからさまに干渉することになれば、協会そのものはともかくとして他の二組織が良い顔をしないだろう。
そのことは引退した今となっても容易に想像が付けられた。……下手をすれば黄泉示たちを保護している協会それ自体が微妙な立場へと追い込まれるかもしれないということも。
それを防ぐためにも自分が極力干渉しないという判断は正しい。秋光からもそのように頼まれたのだし、東だってそう思っている。
――だがやはり、気になるものは気になってしまう。
「ふーー……」
考えを落ち着かせるため、一服を吸おうとして……東は伸ばし掛けた手を止める。かつて愛用していたはずの煙草のケースは、どこを見渡しても今の机の上にはない。
黄泉示がこの家に住むようになって以来、彼の健康を考えて東は煙草をきっぱりと止めたのだった。黄泉示の前ではそれは保たれているのだが、一人になるとどうやらそうもいかないらしい……。蘇ってくる昔の感覚に苦々しいものを感じつつ、ない煙草を求めて宙を彷徨った右腕をポケットの中に突き入れる。……片腕だけでは具合が悪かったのでそのまま左腕もぶち込み、かくしてここに実にガラの悪い中年男性の像が出来上がることとなった。
――さて、どうするか。
頭の中でいつもの疑問を反芻する。……自分には義務がある。それは明白だ。
彼が一人の人間として、自らの居場所を見つけ、少なくとも自らの足で人生を歩んでいけるようになるまでは――。
彼らによって果たされるはずだったその役割を、代わりに果たし続けなければならない。
だが秋光に掛ける迷惑を考慮した場合、果たしてそれでも自分が赴くことが良い判断だと言えるのか?
「……行くか」
直後、無意識にそんな言葉が自身の口から零れ出ていることに気付いた東は苦笑する。……こういうのを、世間では親バカと言ったりするのだろうか。
いや。この場合には、過保護の方が正しいのかもしれない。
そんなことを益体なく想像しながら、東は椅子から立ち上がる。――まずは荷物を纏めなければ。
面倒事に巻き込まれているなら入り用な物も幾つか出てくるし、協会までの渡航券も必要になる。何しろ最初に連絡を受けてからもう一月も経っているのだ。準備を始めるなら早い方が良いだろう――。
「――ってなわけで、協会にお邪魔してたんだが……」
「……」
協会に到着し、葵を治療室へ運び込んでから十五分。
「やっぱ不味かったか?」
「……そうだと言っても、帰るつもりはないのだろう?」
「まあな」
「……」
東が来訪しているとの報告を聞いた秋光は、即座にそちらの対応へ回ることを余儀なくされていた。……憚ることなく息を吐く。今日起きた一連の労苦を思えば、せめてそれくらいは赦されて良いはずだ。
所属の無い技能者四人――黄泉示たちを保護したことだけについても現在協会は微妙な立場に置かれている。そこに逸れ者として誰もが目を付けている東がやって来てしまえば面倒事の発生は最早必然。対凶王、永仙向けに協定を結んでいてもそのことは変わらない。
「一応訊くが、どうやって中に入った?」
事前連絡なしでの来訪など本来なら門前払いされて然るべき。本山にこう易々と侵入を許すようでは、何のための【大結界】か分からないだろう。
「暫く窓口で粘ってたらバーティンとかいう奴が入れてくれたぜ。俺のファンだっつって、サインやったら喜んでたけどよ」
「……」
――頭痛。
予想の斜め上を行く回答にこめかみを押さえる。四賢者が許可を出したのではただの協会員にはどうにもならない。バーティン以外の三者が出払っていたことが、こんな形で作用するとは……。
「……こうなった以上、何とかするよりないな」
幸いと言うべきか。
手を下げつつ思う。凶王・永仙の同盟を前にして追加の戦力が欲しいのはどの組織も同じこと。平時であればいざ知らず、連携が必要なこの状況下でそれほど強い糾弾は為されないはずだ。無論、態度と言い分は十二分に用意しておかなければならないが――。
「頼むぜ大賢者サマ」
そんな内心を知ってか知らずか、茶化し気な調子の東。返答代わりに溜め息を吐きつつあとでよくよくバーティンに言い聞かせておくことを誓う秋光の耳に。
「……悪いな。迷惑かけちまって」
ポツリと、そんな言葉が届いた。
「できることなら、事前によくよく考えてから動いて欲しかったものだ」
「いや、悪いとは思ってんだよ。本当に」
やや棘を帯びた口調に対しバツの悪そうな表情を浮かべる。――嘘ではない。ここ十年来交流が途絶えていたといえ、それくらいのことは秋光にも容易く理解できた。
東が協会を訪れたのは偏に養子――蔭水黄泉示の身を案じたが故。不自然さはなく、尚且つそれが当人にとってどういう意味を持つかを知る秋光からしてみれば、例え迷惑間違いなしの行為であるとしても強く咎める気になれないというのが実情と言える。
「まあ、来てしまったものは仕方がない。――これからのことを考えねばな」
「そう言って貰えると助かるぜ。ホントは様子だけ見て帰るつもりだったんだが、凶王に生命狙われてると知っちゃあ、んな真似は逆立ちしたってできねえからな」
――口調は平易。
だが声に混ぜられた深刻の色を秋光が聞き逃すはずもなかった。そう。東の来訪が如何に問題であろうとも、やはり核心はそこにあるのだ。
「凶王と永仙が前に出るとは、徒事ではない」
一応の誤解を避けるため、言葉を選ぶ。
「心当たりはないのか?」
「……まあ、あるって言っちゃああるな」
頭を掻いた、その理由は秋光からしても大凡察しが付けられる。……今でこそ《救世の英雄》として名高い東、レイル、エアリーの三者。
秋光らとパーティを組む以前、彼らは何れも凶王派と諍いを起こした過去を持つ。レイル、エアリーは所属組織の任務上。東は全くの偶然で、全て東たち側から仕掛けたもの。それほど大事には発展しなかったが、少なからず恨みを買っていることは確かだろう。
「ただ、今更恨み言でわざわざ大将が出てきたりしねえだろ。警戒態勢を取ってる協会の保護下にあるのを、無理矢理襲ってるわけだしな」
永仙と凶王の同盟から続く一連の経緯。
旧友にそれを説明するに当たって秋光は一切の隠し立てをしなかった。黄泉示たちが正に事態の渦中にあると分かった以上、関係者である東に事情を明かすのは当然の事。魔術協会の長として以前の問題だ。――返された東の答えは、秋光が推測していた物と変わらずに。
「……フィア・カタスト」
そのことを念頭に置き、予定していたもう一つの核心へ言葉を進めた。
「彼女については何か聞いているか?」
「あの嬢ちゃんか。向こうに来たその日に倒れてるのを見付けたらしいぜ。技能者絡みっぽかったから保護したとか言ってたな。記憶喪失だとも」
「そうか」
思考の内で反芻する内容。これまで得た情報と何一つ変わらない。元より東では位置が遠いため、然程の期待はしていなかったが……。
「確かに相当アレだが、とっくに調べは済んでんだろ? 俺が頼んだときよりもよ」
「……まあな」
三大組織の一角――協会の情報網は一級だ。
学園に潜入していた千景からの報告書。及び協会滞在後の本人への調査で、危険がなさそうだということは既に分かっている。本人の気質、才能を踏まえてもそのことには恐らく間違いがない。
「だが、素性は不明なままだ」
協会の諜報網は世界有数。しかしそのネットワークを駆使してでも、蔭水黄泉示に保護される以前の情報が皆無と言うこと。
「そこが少し気になっている」
「なるほどねえ……」
納得の面持ちと共に背を預けた――ソファーが独特の音を立てる。
「ま、今の時点じゃ何も言えねえわな。他になんかやることがあれば言ってくれよ。できる範囲でなら手伝うぜ」
「下手にお前に何かして貰うと、それこそ他から糾弾されかねない」
「……そうなるのか。相変わらず組織ってのは色々と面倒くせえな……」
そう言って頭を掻く東の姿に。
「東」
「なんだよ」
――記憶の中の戦友の姿は、重ならなかった。
「変わったな」
「――だろ? これでも炊事洗濯掃除と、一通りの家事は一応こなせるようになったんだぜ?」
冗談めかして言ってのける。その表情に、かつて相対する敵を震え上がらせた剣士としての面影は微塵もない。
「そう言うお前は、相変わらず変わりねえみたいだな」
「そうか?」
「ああ。久々だからちっとは変わってるかと思ってたんだが……」
そう言って改めて秋光を一瞥すると、東は言葉を続ける。
「相変わらず苦労してんだろうなってとことか、人が好さそうなところなんかは昔のまんまだ」
「……それは褒めているのか?」
「勿論さ」
気負いのない口調。当然の如く出されたその台詞に、心のどこかで安堵している自らがいることに秋光は気付かされる。……変わらない。いつの間に自分は、その言葉をこれほど重く受け止めるようになっていたのだろうか。
「いや、でもよく見てみれば皴とかが増えたか……?」
「……十年も経てば、老けるのは当たり前だろう」
「にしてもよ。鏡見てみろよ鏡。言っちゃあ何だが目じりとか皴がすげえぜ? お前」
茶化すような台詞の後に、それまでより少し真剣な声で訊く。
「やっぱ組織の取り纏めってのは、それなりに手間が掛かるもんか?」
「そうだな。どうして中々苦労させられることばかりだ」
「そうか……そうだろうな」
神妙に頷いた後。
「――あいつが協会から離反したって話は、少し前に聞いてた」
「ああ」
続けられた言葉に、秋光は首肯する。咄嗟の反応。
「力になれなくて、悪かったな」
「……いや」
言葉を濁す。――そうでもする以外に、どうしろと言うのだ。
「――ま、こうなっちまった以上は、俺も一枚噛ませてもらうぜ」
ソファーから立ち上がりつつ、言った東。
「いないよりは幾分かマシだろうしな。……ただ飯食らいってのも何だから、目え付けられない範囲で何かあればじゃんじゃん言い付けてくれよ。窓拭きとかなら慣れたもんだぜ?」
「言い付けずとも、そのときが来れば嫌でも手伝ってもらうことになるだろう」
「はっ、違いねえ」
笑いながら踵を翻す。その背中に。
「――東」
「お、どうした?」
「……まだ、終わってはいないのか?」
掛けてしまった言葉。言葉の選択が間違っていないことを祈りながら、秋光がそう口にした。
「……」
一瞬。東の顔からそれまでの色が消え失せる。白昼の夢だったのかと自問するほどに短い間の変化。だが例えその口から次にどんな言葉が零れ落ちたとしても、それだけで秋光は自身の問いに既にある程度の答えが得られたような気がしていた。
「――ま、せめてあいつが独り立ちできるようになるまではな。……あいつらからしても、それくらいの節介は許されんだろ」
「……そうか」
秋光は頷くしかない。ただ頷いて、声に出さなかった言葉を奥に呑み込む。……〝お前のせいではなかった〟。
そんなことを今更言ったとして、何になるのか。遅過ぎるのだ。
何かをしようと思うのならば、あのとき既にそう声を掛けるべきだった。それに自分がそんなことを言ってのけたところで、東はそれを受け入れることをしないだろう。
――自分もまた、永仙のことについてそうであるように。
「じゃな。……時差ボケやら何やらで眠くて仕方ねえよ。ったく……」
そう言って東は部屋を出て行く。残る静けさに束の間、身を浸したあと――。
「……」
秋光もまた、ゆっくりと立ち上がる。――いつまでもここにいるわけにもいかない。
夜月東が協会に入ったとの情報は早ければ今日中。遅くとも明日には二組織へと伝わっているはずだ。……言い出される前にこちらから、両組織に弁明の意を伝えておく必要がある。
重傷を負った二人の容態も気になる。……特に葵の方は、万一を考えれば自分が立ち会った方が無難か。
「……」
そう考えを纏めると、為すべきことを迅速にこなすべく、秋光は先に友が出て行った扉を潜り抜ける。
扉が閉じたあと。室内にはただ、痛いほどの静寂だけが残されていた。




