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第一節 治癒の裏側

 

「……」


 夜更け――式秋光は、一人扉の前の椅子に腰掛けている。廊下からドア一枚を隔てた部屋の中。


 重苦しい表情で手を組み、自らの膝に肘を付いているその姿は、仮に一般の協会員が見れば組織を脅かす事件でもあったかと恐々とする光景だろう。扉に続く診療室が直接廊下に面していないことは、多くの協会員たちにとって真に幸運な事態でもあった。


「――ふう」


 前触れなく、秋光の前面に位置する扉が開かれる。中から姿を現したのは、――レイガス。常に緩むことのない厳しい目付きを湛えたその双眸にも、二時間を超える施術を終えた今は幾許か疲労の色が見受けられる。


「……レイガス」


 秋光が声を掛ける。自らに向けて顔を上げた、そんな秋光へレイガスは一瞬目を遣り。


「滞りなく済んだ。……全てな」


 それだけを告げると、部屋の脇に置かれていた魔具から水を含む。喉を潤し。


「……葵は――」

「――私が不得手を打つとでも思っているのか?」

「――」


 苛立ちの色が覗くレイガスの台詞を耳にした其処に来て漸く、秋光は安堵に表情の厳しさを崩した。


「お前から治療役を申し出てくれたと聞いた」

「……」

「感謝する。レイガス」

「……私が治癒を買って出たのは、櫻御門ほどの術者を失うことが今の協会にとって余りに重みのある損失だと考えたからだ」


 答える声は硬く、不機嫌を含んでいる。


「それにどの道あのレベルの症状を如才無く治癒できるのは、今の協会には私しかいまい」

「……そうだな」


 秋光は頷く。――事の始まりは今を遡ること、数時間前。


 蔭水黄泉示たちの外出時に発生した凶王との戦闘。終息後に秋光が発見した葵は奇跡的に一命を取り留めてはいたものの軽くはない損傷を負っており、早急な治療が望まれている状態であった。直ぐさま協会へと連れ帰られ、当然の成り行きとして当初は本山専属の治癒師たちに治療を依頼することとなったのだが。


 ――正に治癒が始まろうとするその直前、葵の容態について奇妙な点に秋光が気が付いたのだ。治癒師たちの魔力が葵を取り巻くに連れて、葵の身体から極々僅かではあったが……葵本人とは異なる、何かしらの魔力が熾っていることに。


 秋光の判断を受けて治癒は一度中止。東への応対へ向かうため秋光自身は直後にその場を離れたが、後に行われた精密検査によりある事実が判明する。葵の負わされている外傷は数こそ多いといえ、どれも命を脅かすようなものではない。上級魔導師まで行かずとも中級の術師が何人か揃えば快癒が可能なレベルであり、手負いの葵を目にした秋光も初めはそう見立てていた。しかし――。


 ――それ自体としては命に関わらない諸々の負傷。その全てに、極細の糸が挿入されている。


 至近であればごく僅かな魔力にも反応し、激しい動きを以て肉体を傷付ける糸。仮に治癒を行うために肉体に魔力を注ぎ込めば、反応した糸が傷口を瞬時に裂断。取るに足らないはずのどの傷をも治癒不可能な深手に至らしめるという、悪辣極まりない致命罠(デストラップ)


 もしあのとき焦りから、葵の治療を断行させていたならば――。


 それを思うと秋光とて寒気が走る。当然と思えるような安堵と気遣いに付け込む悪夢。葵を相手取った凶王は涼やかな笑みを浮かべながら、最悪と呼べる形で既に罠を張り終えていたのだ。


 結果としてその糸を取り除き、尚且つ怪我本来の治療を行うには並みの高位魔導師でも至難と呼べる有りさまだった。協会最高峰の腕を誇るレイガスとて、全てを完璧な形で終わらせるには事実こうして二時間近くを費やし、万一にも集中が途切れぬよう外野を払うだけの手間を要したのだ。


 凶王の悪意と技量。その双方が並々ならぬものであることを痛感させられる。秋光がレイガスに心から感謝の意を述べたのも、無理からぬ事態だったと言えただろう。


「――つくづくしてやられたものだ」


 頑として腰掛けず。自らが行った治療を振り返るように、呟きを漏らすレイガス。


「もう一人重傷を負ったと言う支部長の方はどうした?」

「問題ない。既に七割がたの治癒は終えているとの報告があった」


 秋光は答える。……そう。凶王との戦いで傷付いたのは、何も葵だけではない。


 ――黄泉示たちの担当を任せていた支部長の一人、上守千景。


 彼女もまた同一の凶王の手によって、かなりの深手を負わされていた。葵の方とは異なり種別としては単純な打撲及び骨折だが、こちらは誰が見ても一目で大怪我と分かるような重傷である。リアに頼んで真っ先に治癒を受けさせなければどうなっていたかは分からない。


「被術者への負担が大きいせいで明日(みょうにち)との二回に分けて行うらしい。……後遺症の心配はないとのことだが」

「……ふん。まあ及第といったところだな」


 厳しい口調でレイガスは言い切る。弟子を取る以前まで学術院で指導に励んでいたレイガスからしてみれば、自分以外の治癒師は全て彼の手解きを受けた教え子のようなもの。離れた今でも自然とその出来が気になるようだった。……現役時代に『鬼教師』との異名を受けていただけあって、その評価は決して優しさに満ちたものではなかったが。


「――これは明らかに、奴らから我々への挑発だ」


 区切りが付いたと見たのか、レイガスが話の方向を切り替える。


「その気になれば殺せたものを、敢えてここまで入念な仕込みをして嘲笑っている。まるでこちらの手並みを拝見するといった具合にな」


 言葉に宿るのは怒り。滾るような双眸が秋光を向いた。


「ここまでされて、まだ手を(こまね)いているつもりか?」

「……」

「……理解できんな」


 ――沈黙。何を返すまでもなく黙り込むことを選んだ秋光に、レイガスは失望とも取れるような重い溜め息を発する。


「近年魔術協会に所属する術師はレベルが下がる一方だ。治癒師にしても今回のような事態でまともに対処できるのが私一人となっては、ほとほと先が知れる」


 ――そう。


 秋光と同じように、レイガスもまた昨今の協会員たちの練度の低さを憂いてやまない一人であった。協会と他組織との間で戦闘が起こり辛くなった現在では、重大な負傷そのものに相対する機会が極端に少なくなってきている。学術院において優秀な成績を収めた本山勤務の治癒師と雖も、経験が足りていないのだ。型に沿った講義の内容だけでは多様に変化する実務の状況には対応し切れない。


「お前もそう思っていたからこそ、あの補佐官に今回の任務を任せたのだろう?」

「……その通りだ」

「ならば尚更だろう。今回の件で、我々協会の戦力が如何に零落しているかが明らかになった。……凶王が相手とはいえ、中で最も格の低い『賢王』を相手にこのざまでは……」


 語尾を重く落とし込みつつ言うレイガス。今回深手を負った千景も葵も、共に決して惰弱な術師ではない。むしろ事実としてはまるで対極である。


 葵は最上級魔導師の中から秋光が特別に抜擢した術師。今の協会内では少なくとも賢者見習いに比肩する程度の実力はある。千景にしても彼女は支部長。上級魔導師の頂点に立つ人員であって、協会でも有数の戦力と言って良い。それが強大な敵とは言え、一人の術者にこうも容易くあしらわれるようでは……。


「……このままの状態を続ければ、凶王は愚か、何れ他の二組織にも追い抜かれる日が来るかもしれん」

「――だから戦端を開けというのか?」

「実戦に必須となる経験は実戦の中でしか掴めない。分かっているはずだ」


 葵に務めを任せたのなら……と。何を言わずとも、突き付けられる眼差しが雄弁にそれを語っていた。


「夜月東を迎え入れたそうだな」

「……致し方なく、な」

「そのことについて是非を問うつもりはない。奴が常識で自らの行動を決めるような人間でない事は私とてよく知っている。バーティンには相応の処分を下すべきかと思うが……」


 話が脱線し掛けていると見たのか、一度言葉を切り。


「――これは好機だ」

「……東を駒として使えと言うのか?」

「駒としてではない。戦力としてだ。幸いなことに奴が動く要因は整っている。組み入れることはそう難しくあるまい」

「あの四人をダシに使えと?」

「奴がここに来た理由が本当ならば、強いらずともどの道動くことになるだろうな。息子が凶王に狙われているとなれば――」


 ふん、と。感情の読めない表情でレイガスは鼻を鳴らす。


「守るために戦うことは至極、真っ当な動機に違いない。奴と我々の利害は一致している。現状を打開するのにこれ以上の好機がどこにある?」

「東を積極的に戦力として用いるようなことがあれば、他の二組織が黙っていない」

「始めのうちはそうだろう」


 その反論も織り込み済みだというように、秋光の言葉に対しレイガスは頷いてさえ見せる。


「だがそれも、我らが主導の下に永仙と凶王を討ち取ったとなれば直ぐに消える。――迷うことなどないと思うがな」

「……それでは、何も変わらない」


 言い出した台詞。頑なに否を示す秋光に対して。


「――絵空事を描くのは大概にしろ。式秋光」


 本気で苛立っているように、レイガスは言葉を突き付けた。


「今のお前は協会を率いて行かなければならない立場にある。己の夢を協会そのものに引き摺らせるような、身勝手な真似はするな」

「……」

「――例え望まずとも、状況は動いていくぞ」


 言葉のない秋光に対し、レイガスは見切りを付けたように立ち上がる。閉まる扉に向けて歩いていき――。


「――レイガス」


 呼び止めに対して止まる足取り。向けられた髪は、振り返ることはなく。


「彼らに関して、頼みたいことがある」

「……それは筆頭としての言か?」

「そうだ」

「……」


 秋光の断言に。レイガスは小さく息を吐いて視線を遣った。


「ならば断る余地はないな。――私に、何をしろと?」



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