第三十節 来訪
「……秋光」
「……ああ」
永仙たちの撤退から数秒ほどの間を置いて、リアさんと秋光さんが短く言葉を交わす。
時が動き出したかのように此方を振り返る二人。何時の間にか、あの奇妙な四体の生き物も俺たちの周囲から掻き消えている。
「あんたたち、状態は?」
「……俺は大丈夫です」
「僕も、大事はない」
答える俺とジェイン。俺はともかく、ジェインは無理な動きをしたためか全身にかすり傷、所々には切り傷や打撲の様な痣もできている。魔力消費も考えれば相当に消耗しているはずだが、それでも敢えてジェインは〝大事はない〟と言った。……なら、俺が口を出すことでもないだろう。
「後ろの娘は?」
「魔力を使い果たした……らしくて」
言う途中で気付く。そうだ。先輩にも言われたように、早くフィアを安全なところで休ませなければならない。
「そりゃいけない。早く休ませてやんな」
そう言ってリアさんは、倒れているリゲルの方へ歩いて行く。
「ほら、しっかりおし!」
「ちょっ……!」
言いつつリゲルをぴしぴしと掌で軽く叩いている。仮にも倒れたままの人間をまるで気遣っていないようなその対応に、思わず声を上げかけるが……。
「……うっせえな……。大丈夫だっての……」
その声を聞いたことでリアさんが叩くのを止める。安堵と共に吐き出す息。
「なら、早いとこ自分で立って見せな」
「……ちっ」
悪態を吐き、少し緩慢な動作ながらも、二本の足で立ち上がるリゲル。こちらも凶王を避けた際に転がったせいか、服のあちこちに汚れや擦った痕が見られる。……というか良く立てるな。
先ほど意識が有ることに気付いたときも驚いたが、ジェインと違いリゲルの消耗の原因は恐らくフィアと同じ、魔力の過剰消費による反動であるように思う。それなのにこんなにも早く意識を取り戻し、尚且つ自力で立ち上がれるまでに回復するとは……。
「怪我はないか?」
やや離れたところでは、秋光さんが立慧さんたちの容態を尋ねている。……そうだ。
先輩は――。
「あー……そうだな。無事っていやあ無事ですが……」
「私たちは大丈夫です。だけど」
「――分かっている」
頷く秋光さんの元に現われたのは、先ほど消えたはずの馬。見ればその背中には傷付いた先輩を乗せている。……運びに向かわせていたのか。服の上からでも分かるほど滲む緋が、嫌でも目を引く……。
「……息はある。障壁で衝撃を緩和したようだな」
「――それじゃあ――!」
「処置はしたが、早めの手当てが必要だろう。本山へ戻らねばならんな」
既に応急措置までを終えていたらしい。そう言って秋光さんは此方を振り向いて。
「リア! 一足先に戻っていて欲しい。頼めるか?」
「任せときな! あたしがこいつらを安全確実に送り届けとくよ」
「……頼む」
「――あんたたち! 一瞬で済むからくれぐれも吐くんじゃないよ!」
「何が――」
――起こるのか。
そんな疑問を吐き出そうとした瞬間、不意の眩暈と消失感を感じ、フィアを背負ったまま思わず膝を付く。高速で回転するような、身体が宙に浮くような不安定な感覚。それに耐えられず、思わず目を閉じる――。
「――ッ」
――次に目を開いたとき。俺たちがいるのは、見たこともない建物の中だった。
「ここは……?」
「……新しいゲートだな。相手方に位置がばれてるってことで本山の方で新しく開き直したんだろう。流石に開いたばっかのゲートの場所を知る方法はねえはずだからな」
田中さんがそう解説してくれる。……俺たちが来たのとは別の位置にあるゲート。
「さあ、とっとと入んな! 怪我人もいることだし、さっさと本山に戻るよ!」
リアさんの気合いの籠った声に半ば押されるようにして円陣に入る俺たち。周囲を囲む表所は正に一難が去ったあとのもの。皆どこか疲れ果てた顔つきだ。
「――【帰還】――」
リアさんの一言と共に、俺たちの眼前から建物の景色が姿を消した――。
「――」
リアの空間魔術により、黄泉示たちがゲートまで帰還したあと。
秋光はただ一人、その場所に辿り着いていた。……魔道具を通しての葵からの連絡。その魔力の発信源。葵が凶王と対峙し、恐らくは矛を交えた場所。
――一見すれば何も変わりない、ただの町の一角と思える平穏な景色である。だが魔術師としても特別に優れた魔力感知の技能を持つ秋光の感覚からすれば、数多の残留魔力が視認可能と錯覚するほどに色濃く存しているそこは、魔術師同士の苛烈な攻防の跡が見て取れる戦場に他ならない。……いや、実際には攻防でなく、抵抗と言った方が正しかったのかもしれないが。
葵からの連絡。あれがなければ自分は何が起きているかにも気付けず、そうと知り得たときには全てが手遅れになっていたかもしれない。凶王を相手に切迫した状況でよくぞ、あの通信を行えたものだ。
言うまでもない事だが、櫻御門葵という魔術師は強い。秋光がその実力を見初め、賢者補佐官という特例を用いてまで抜擢した逸材。無論直接に推したのは秋光当人であるのだが、それも彼女の実力が他の四賢者一同に認められてこそ初めて叶った事態である。彼女の力が何れ自分たち亡きあとの協会を支える力になる。そのことを秋光は信じて疑わなかったし、だからこそ今回の任務、黄泉示たちの護衛の一人として葵をその任に就けたのだった。
均衡状態が長らく続いていた反動もあり、今の協会員に不足している何よりの要素は実戦での経験であると秋光は踏んでいた。間違えればリスクのあるような戦闘はできることならない方がいいとはいえ、力と共に己自身を磨くためには必要であり、特に三大組織と凶王派を取り巻く事態が不穏の様相を見せ始めた今、一刻も早くそれを積ませなければ手遅れにもなると。
――まさか彼らを殺す為だけに凶王と永仙双方が来るなどとは、思いも寄らず。
「……」
油断ない視線で秋光は視界に映る物全てへと目を凝らす。……敵は凶王。既に当人は去ったとはいえ、どのような罠が仕掛けられていてもおかしくはない。
窮地に陥った味方を助けようとする心理を利用して新たな犠牲者を罠に嵌める手は、殺し合いの場での常套手段だと言っても過言ではなかった。例えどのような事情があろうとも、部下の身を案じるばかり自分がそれに絡め取られるようでは本末転倒。協会の長としては失格である。
――故に警戒せざるを得ない。そう結論付けている自分が、秋光にはどうしようもなく歯痒くて仕方がない。
……確かに葵は強い。実戦経験の薄さと若さゆえの熟達の不足は已む無しだが、次代を担えるに相応しいだけの才気を持ち、数多の魔術師を抱える協会の中でも充分に上位と言える術師。
しかし、それもよりによって凶王が相手では――。
「――ッ」
そして遂に、秋光の目は探し求めていたそれを捉える。覚悟はしていた。するよりなかった。どれだけの無残な光景がそこにあろうとも、その全てを自らの責と受け止めるだけの覚悟を持って。
「秋光……様」
――だからこそ、その声は秋光をこれ以上ないほどに驚愕させたのだ。
「――葵ッ!」
「……う……」
微かに声を上げる姿に駆け寄る。幸運なことに、秋光の慧眼は周囲に魔力を用いた罠などがない事を一瞬の内に見抜いていた。膝を付く葵を両腕で抱き留めると、その身体の軽さに少なからず驚きながら容態を素早く確認する。
――両手足、脇腹、肩、頭部、蟀谷――。
複数箇所に出血を伴う損傷が見られるものの、何れも命に至るような傷ではない。……生きている。そのことが今の秋光には何よりも信じ難い奇跡に感じられた。いや、事実奇跡と言って憚らなかったことだろう。
「……よく」
心の奥底から絞り出すような声。
「よく、生きていてくれた」
胸に湧く思い。――同時に秋光は微かに指先を動かし、先ほど送り返した四霊の一体、麒麟を傍らに出現させる。
「返したばかりで済まないが、ゲートまで頼む。怪我人に響かぬよう、なるべく速く、かつ揺らさないようにして欲しい」
「……」
求めるところの多い秋光の要望に麒麟は頷くような所作を見せ、乗れと言う風に口元で背を指し示しつつ、自らその長い足を折って屈む。
「……秋光、様」
葵を抱えたままその背に跨った秋光の耳に届く、か細い声。
「今は喋らずとも良い。本山に着くまで、ゆっくり休んでくれ」
「……はい」
葵が目を閉じたのを確認してから秋光は身を伏せ、麒麟に頷きを送る。それに応えるようにして麒麟は立ち上がると――。
「――」
四本の足で以て空を駆ける。……一般人が目にすれば航空機と見間違うかのような速度でありながら、背に乗る秋光たちに振動の類は殆んど伝わっては来ない。風圧から二人分の身を守りつつ。
「……」
麒麟がゲートに到着し、二人が本山に戻るまで――。秋光は自らの腕で眠る葵の表情。その蟀谷に刻まれた傷を、ただひたすらに見つめ続けていた。
「……」
――未だに慣れないゲートでの移動により、本山に帰って来た俺たち。会話もないまま、全員が黙々とホールへの道を歩いている。
「……」
一刻も早い治療が必要だと言う先輩、そして魔力の過剰消費で倒れたフィアを連れて移動したリアさんを除いて、立慧さんと田中さんも一緒だ。立慧さんは先輩について行きたい様子だったが、リアさんに止められていた。曰く。
〝あんたらの受けた仕事はまだ続いてる。千景はこっちで必ず何とかしとくから、何かあったときの為にそいつらに着いて行ってあげな〟
……とのことだ。俺としてもフィアのことは心配だったが、意識を失うほどでないとはいえ、俺自身も相当に疲労している。今は、自分の身を休めるのも大切だろう。
――心身共に疲弊しきっているとはいえ、死者はゼロ。見せ付けられた凶王、そして永仙の力はまだ俺の脳裏に悪夢の如くこびり付いている。……あれを前にして全員の命が助かったことを思えば、それは充分に幸運な、奇跡的とさえ呼べるような事態であったのだということは理解できる。本来ならそのことを喜んでもいいはずで。
だが、そんな理性的な判断とは反比例するように、心の中にある感情は暗く、重い。
浮かんでくるのは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた先輩の姿。膝を付くジェイン、崩れ落ちるリゲル。そして、渾身の一撃を素手で受けとめられた俺自身。
――浮かれていたのかもしれない。
そんなことを思う。先輩たちに修行を付けて貰って、郭との模擬戦で結果を出して、それで何かが少しでも変えられたような気になっていた。詳しい事実も知らないままに、これで一歩日常が取り戻せる日が近付いたのかもしれないと、そんな期待を抱いてさえいた。
……考えてもみなかった。いや、考えていたのだとしても、分かっていなかった。
あそこまで絶望的な力の差がある人間が、俺たちを殺そうとしているなどということは。
あんな奴らを相手に、どう戦えばいい? ……何をすればいい? 何を希望にして縋ればいい?
――俺たちに、何ができる?
「……」
「……なんだぁ? この声」
考えの最中。聞こえてきた田中さんの声で、気付く。俺たちの向かう先から伝わってくる気配。
本山の中が、何やら慌ただしい――?
「あっ……支部長殿‼」
此方の姿を見止めた協会員と思しき人間が走ってくる。随分と慌てているようだが……。
「……どうしたの?」
そのただ事ではない様子に、沈み調子だった立慧さんも思わず尋ね返す。
「は、はい。実は――」
「――遅えじゃねえか。待ち侘びてたぞ!」
――協会員が答えようとした、その後ろから響いたのは、聞き慣れた声。
「……っ⁉」
見遣った俺たちの目に――歩いてくる一人の人間が映し出される。足早に。大股で堂々と姿を現したのは。
「……」
「……誰、こいつ?」
眉を顰める立慧さん。田中さんも、やや警戒しているような面持ちでその人物を眺めている。……五十台程度の男性。どことなく無頼漢のような雰囲気を漂わせる出で立ちは、間違ってもこの場所にマッチするものではなく。
だが俺としては、別種の驚きで頭が一杯だった。なぜなら目の前のその相手は、俺が良く知っている――。
「――小父さん⁉」
「よう黄泉示! 元気でやってるか? 万一にも病気や怪我なんかしてねえだろうな」
笑いながら言う小父さん。いやそんなことより、どうして……。
「……日本にいたはずじゃ」
「お前が厄介事に巻き込まれてるってのに、日本でのんびりしてられるかっての。すっ飛んできたんだよ、飛行機で」
……その連絡をしてから、既に一カ月以上経っていると思うのだが。
「なんだ? お前さんの知り合いか?」
「……夜月、東……?」
田中さんの質問に続き聞こえた小さな呟き。見れば先ほどまで不審人物を見る体で眉を顰めていた立慧さんが、今は何かに気が付いたようにその目を丸くさせている。
「……本物?」
「お、何だお姉ちゃん。正真正銘の本物だぜ? ほら――」
「――ッ‼」
「うおッ⁉」
何気ない一言のあとに放たれた、覇気。掛かる圧力に飛び退きそうになっているリゲル。
「な?」
「……っ」
――な? じゃない。こっちはさっきまで死にそうな戦いをしてきて疲労困憊なんだ。どうにか立てているリゲルはともかく、ジェインは今ので体勢がよろめいて崩れそうになっている。……俺も。
「――本物だわ。直ぐに上に伝えないと――!」
「おい待てよ立慧! このおっさんを俺に押し付けて行くんじゃね――」
「馬鹿! そんなこと言ってる状況じゃないことくらい分かってんでしょ! いつも怠けてるんだから、それくらい役に立ちなさい!」
「――お、おう。……任せとけ」
危うく崩れかけた。珍しく剣幕に押された田中さんをあとに残し、立慧さんは足早に階段の方へ向かっていく。今までにないほどの速さで階段を駆け上がり。
――俺たちの前から、姿を消した。……小父さんを残して。




