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※旧版につき閲覧非推奨 彼方を見るものたちへ  作者: 二立三析
第四章 魔術協会での生活
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第二十七.五節 賢者たちの攻防

 

 ……風を起こさない攻撃はない。


 魔術であれ武術であれ弾丸であれ。あらゆる攻撃動作は最終的には空気の乱れ――風を引き起こす。ごく僅かな物に限るのなら呼吸、瞬きや身じろぎすらもそうだと言え、【風の支配者】の適性を持つリアはその全ての動きを察知できる。法則から外れる物は大半が魔力の熾りを伴うため、優れた魔術師であるリアからすれば風以上に容易な感知が可能。


 ――では、先ほどのソレは何だったのか?


「……」


 数秒前の光景を回想する。喉元へ近付いた黒い凶器。一切の風圧を起こすことなく、どこからともなく現われた。


 殺られていたかは分からない。余裕のない反射的な所作だったとはいえ、無詠唱に依る回避呪文(スペル)はあのとき既に完成していた。凶器自体の停止が無かった場合、逃れられていたかは五分と五分。それほどまでに際どい交錯。


 だが仕掛けられた一手は紛れも無く、四賢者たるリアに久方振りの死を予感させるものだったのだ。


「……」


 眼下に現われたそれに対して、リアは苦虫を噛み潰したような表情を露わにする。見下ろすリアの視線の先に留まっているのは、黒い影のような何か。


「……」


 人型を保っていること、微かにこちらに向けられる視線のような何かを感じることから、それが辛うじて人間なのだということが理解できている。


 ――そう。目の前の人物からは、気配というものを感じなかった。いや、気配だけではない。


 殺気は愚か、それがそこにいるということの証明……存在感が妙に希薄だ。砂漠に浮かぶ陽炎の如く捉えどころが無く、影かと見紛うほどに厚みがない。


 却ってその余りに独特の雰囲気から、リアは相手の正体を大凡推測することができていたほど。そうでなくとも彼らを護衛する自分たちの前にむざむざ姿を晒しに来る者など、考えられる可能性は限りなく少ない。


「凶王の一人――《冥王》かい?」


 中途で言葉を付け足す。影の纏うその雰囲気が、明らかに相手がただの反秩序者(アウトオーダー)でないことを物語っていたからだ。大枠で見た雰囲気の類似性から恐らく相手は分類として暗殺者に属する者。そうなればそれらを束ねる長、冥王という答えは自ずと導き出される。


「……」


 影は否定も肯定もしない。だがこの歳に至るまで培ってきた直感で分かる。自身の判断は、事実から決して遠いものでないことが。


 ――となると問題は、なぜ暗殺者たる冥王がわざわざ自分にその姿を見せてきたのかだ。


 暗殺を生業とする者なら特に奇襲を掛けた方が余程有利だったのではないかと思うのが常識的。それでも思考の末、想定できる理由は幾つかあるとリアは考えていた。


 一つは単純に、姿を見せないことができなかったのだという可能性。不意打ちを受ける危険性を考慮し、リアは風属性魔術を用いて上空凡そ数十メートルの位置、近辺のあらゆる建物から離れた空間の内に留まっている。冥王と雖も足場のない場所に生身で接近することは不可能であり、かといって近付くために魔術を使用すれば四賢者たるリアには居場所を知らせているも同然となる。……結果として奇襲が不可能であれば、正面から姿を晒すより他にない。考えられる可能性としてはまずこれが一つ。


 そして次には、姿を見せること自体が相手のメリットになるという可能性。幻術や呪いなど、一部の特殊技能には術者自身の姿の視認を発動の条件としているものもある。そうした技法の効力を十全に発揮させようとすればやはり、正面から挑むのが例外的に上策となるだろう。姿を晒して挑むのも決しておかしなことではない。


 だが、今のところリアは自身へのそういった力の干渉を感じてはいなかった。そも相手は暗殺を生業とする暗殺者、リア自身は魔術を極めた四賢者である。幻術や呪いの類で挑めば不利を被るのは言わずもがな相手方。戦術の一端として使うとしても陽動か牽制程度であり、決してそれを本命として用いてくることはないはずだった。


 ならば、目の前の影が自身の前に姿を現した理由は何なのか――。


「……」


 それを判断する必要もある。そう考えたリアはひとまず牽制の為、細心の注意を払って自身の魔術を展開しようとし――。


「――!」


 ――そこで意図せずして、相手の思惑に気付かされた。


 伝う汗を拭いたくなる気持ちを抑える。背筋を走った悪寒。あの黒い人影は今、敢えて抑えられるはずの殺気を一瞬だけ解放した。


「……」


 なるほど、とリアは思う。……これで相手の狙いは分かった。しかしそれは、決して事態の好転を招くものではない。


 あの影は、自分と此処で膠着状態を生み出すために姿を現して見せたのだ。目的は足止め。これ以上ないほどにはっきりしていて、これ以上ないほどにシンプルな解答。


 ――そしてだからこそ、突き崩すのはほとほと困難に尽きる。


「参ったね、こりゃ……」


 憚ることなく愚痴を零す。――()られる。魔術を始動しようとしたあの刹那、間違いなくリアの直感はそう告げていた。……理屈は分からないが、恐らくあの相手はあの距離からでも自分を殺す何かしらの手段を持っている。


 リアとて四賢者の一人。現行では最年長にして最も経験を積んできたという自負もある。言わずもがな魔術の腕に自信はあるし、それが相手の技法に劣っているなどとは露とも思わない。が、どうやら分の良くない賭けであるらしいことも確か。


 第一知古であり魔術協会の長であった永仙を味方に引き込んでいるということは、当然此方の情報もある程度相手方に漏れ出ているというのが想定すべき事態である。その上でこの相対を計画してきたのだとすれば。


 ――あの影の持つ手段が、自らの魔術(それ)に対抗できるだけのものであることは疑い様がない。


 そもリアの推測が正しいのなら彼女が今対峙している相手は凶王の一角たる『冥王』。元よりそれだけの技術を擁していることに違和感はなかった。


「……」


 無論、それが事実であるかどうかは分からない。情報が漏れていたとしてもここに来るのが自分だという情報まで事前に知られていたかと問えば、それには疑わしい余地がある。こちらがそう考えるのを読んだブラフという可能性もある。この相手が《冥王》であるという客観的な保証もなく、最悪の場合、全てがリアの独り相撲である可能性も捨てきれない。


 だが、既にそう想定せざるをえない状況を作り出された時点で――。


 リアは自身に残された対抗手段がないに等しいことを認めていた。……流石は冥王(仮)といったところだろうか。魔力の起こりを極限まで消したはずの自身の魔術に反応する感知能力に、放たれた殺気の鋭さと鮮烈さ。どれをとっても今までリアが相対してきた暗殺者とは比較にならないほど研ぎ澄まされている。――難敵。そのことだけは、確信に満ちた予感となって皺だらけの眉間にヒシヒシと伝わってくる。


 そしてこの状況では、先に動きを見せた方が不利。……先手を取れる有利はあるが、互いにその有利を極限まで消し去るだけの反応速度と、先出しされた相手の狙いに応じて手を変えられるだけの判断力とを持っているからだ。つまり仕掛けによる隙の創出が致命となる現状における最善手は相手が痺れを切らして動くのを待ち構える態度であり、それは即ち睨み合いという相手が望んだであろう状況を維持することに他ならなくなっている。


「もう少し年寄りを侮って欲しいもんだよ。全く……」


 ――のんびりとはしていられない。


 脳裏で回る冷静な思考。自分がこうしている間にも、相手方の思惑は達成されようとしている。それを防ごうとすれば、まずこちらの目論見を短時間で崩さねばならない。


 ――警戒を途切らせるわけにはいかない。対峙する影を飄々とした視線で迎えつつ、リアはこの難攻不落の空牢からいかにして脱出するかを思索し始めた――。









「――おや」


 リアと別れること、数時間。


 対象の行動時間が終わる間近。ヴェールに包まれた中で、葵は聞こえてきたその声に警戒を一挙に引き上げる。


 九鬼永仙と凶王派に命を狙われた者たちの護衛――。直ぐ十数メートル先では彼らが、支部長らと共に行動しているはずだ。


「こちらの方が外れでしたか」


 姿の見えぬ声。だが明らかに自分を捕捉している。そう葵は判断する。空気を伝うその音響は紛れもなく、葵自身の方角へと向けられていたからだ。


「ふむ。……四賢者の庇護――。視覚的な認識を遮断する、風のヴェール」

「……」


 姿は見せないまま、此方の状態を的確に言い当ててくる。敵ながら見事と言わざるを得なかった。そしてそんなことができるのは――。


「悪くはない仕込みですが……まあ月並みに、相手が悪かった、とでも評しておきましょうか」


 葵が気配を探り当てていたのと寸分違わぬ位置から姿を現す、影。


 葵の目に映ったのは、人形の如く整った顔立ちをした一人の女性。艶やかに、しかし悠然と立つその姿から、葵は拭い去り難い難敵の気配を感じ取る。――強い。何をせずとも分かる。ただそこにいるだけで伝わってくるもの。――存在威圧。


「ああ、動かないように」


 声に反応して葵は熾しかけていた魔力の流れを止める。


「貴女が何も仕掛けて来なければこちらからも仕掛けるつもりはありません。何と言っても今日は、殺し合いの場に赴いたわけではないのですから」


 読まれている。その事実に底冷えする。こちらの挙動を、これ以上ないほど完璧に。


「……凶王の口にすることを、信じろと?」


 黙っていることが最早用を成さないと悟った、葵が問い掛ける。……力の隔たりは大きい。優れた術師である葵にはそのことが否定できない事実としてよく分かっていた。真正面から戦いを仕掛けても相討ちが精々だろう。今は出来る限り、目の前の相手から情報を引き出す。


「おやおや。早計ですね。私が凶王であるなどと、一体どこから知り得た知識であるのか」

「……」

「……まあ、その健気さに免じて答えてあげるとしましょう」


 勿体をつけた言い回しのあと、女性は不敵な笑みを口元に浮かべ、凛然とその名を口にする。


「私の字名は、《賢王》」


 ――賢王。


 召喚士や人形師といった魔術師の中でも直接的な攻撃手段を持たない使い手らを束ねる王であり、五人の凶王の内最も戦闘能力が低いとされている称号。その名に恥じず策謀と知略には長けているらしいが、他の王と比較して脅威の度合いは少ない方だと見做されている。


 そんな相手が自分の前に現われたことを、幸運と呼ぶべきかそうでないか――。


「先ほども言いましたが、余り非礼な動きはしないように。弾みで誤って首を刎ねてしまえば、互いにとって余りにも詰まらない幕引きであると思いますので」

「――!」


 どこまでも落ち着き払った言動。まるで敵と相対しているとは思えないその気品に、優雅さ。殺気も闘気もまるで感じられない相手を前にしながらも、葵は確信していた。……今の言は本物だ。


 こちらが妙な挙動を一片でも見せれば、この相手は本気で自分を殺す気でいる。――それも弄ぶような真似はせず、一瞬で。


「……騒動の元凶である当の人間に動くななどと言われるとは、中々に得難い経験ですね」

「そうでしょう? 後相手に先に名乗らせたのですから、次はそちらから名乗るのが礼節かと思いますが」

「……」


 ――この場は相手に合わせるしかない。そう葵は判断する。この相手のことだから、既にこちらの素性に確信を持った上でそう問いかけて来ているのかもしれない。先の発言……。


〝こちらが外れ〟ということは、少なくともある程度自分たちの素性に予測を付けてきたということだ。首を刎ねるの言といい、今ここで正体を誤魔化すことはリスクが高過ぎる。一つの深呼吸で息を整え、首元に刃を突き付けられた心持で、葵は言葉を口にした。


「……魔術協会特別補佐官、櫻御門葵」

「そうでしたか。かの賢者筆頭である式秋光の懐刀と対峙できるとは、今日は久方ぶりに運が巡っているようですね」


 ――白々しい。葵は心の中で苦々しげな台詞を吐く。……今の物言いで確信した。この相手は間違いなく尋ねる以前から自分のことを知っている。もし虚偽を述べていたならばどうなったかなど尋ねるまでもない。答えは明らかだ。


「……ここに来ているのは貴女だけなのですか?」

「さあ? どうでしょう。ただ、来ていたとしても――」


 言葉は平然と。


「あの男の用は別にあるようですので。……今は、貴女たちに用はないとのことですよ」

「……」


 笑みを返す賢王。真偽も分からぬ言。しかし相手自らがこの状況を作り出してきた以上、それが相手方にとって何かしらの利を齎す状況であることは歴然だ。今のままペースに乗せられているだけでは意味がない。何かしらの対抗策を講じなければ――。


「ですから少し、――話でもしていきませんか?」

「――ッ‼」


 肌を指す魔力に反射的に跳び退く。――殺気は無かった。だが、尋常ではないその威圧感。


「私も時間までただ立っているだけでは退屈ですし。――そちらも」


 目線が送られる。


「虐殺でなく凶王と手を交えることができるなど、滅多に得られる経験ではないでしょうから。――ね?」

「……」


 涼しい顔つき――。先ほどまでと別次元の威圧感を発している身とは、とても思えない。無言のまま懐から鉄扇を取り出す。纏わりつくような空気の重さ。


 たったそれだけの行為にすら、全力を出し尽くさねばなせないかのような疲労が付き纏っている。……勝機は薄い。そのことを葵は更なる確実さを以て意識する。全霊を持って臨んだとしても、果たして一割に届くかどうか。


「……はあ」


 何を思ったか。そんな葵の仕草を見て、賢王は一つ大きく溜め息を吐いて見せる。……そんな気を抜いていると思えるような行為の間にも、葵は全神経を集中させなければならないというのに。


「詰まりませんね。そんな堅苦しい表情で来られては、せっかくの愉しみがふいになってしまいます」

「……」


 戯言は耳にも留めず、葵はただひたすらに目の前の相手に対し意識を振り向けることに終始する。力量で劣る以上、上に立てる見込みが僅かでもあるのは心のみ。相手の態度に振り回されるなど以ての外だ。冷静さを保ち、それにより死中を穿つだけの活を、必ずや見出して――。


「――流石はあの秋光の側仕え。主人も主人なら、刀も刀。物も碌に切れぬ鈍ということですか」

「……どういう意味ですか」


 不意に聞こえてきた台詞。その内容に、思わずして問い直す。


「言葉通りの意味ですとも。何も深い意味合いなどありません。誰もが皆、心の内で知っていることでしょう?」


 強張る葵の声に向けて、嗤うように賢王は言葉を紡ぐ。


「式秋光は無様にも旧来の友人に裏切られた挙句、なお友好と共存などという馬鹿げた絵空事を掲げる大愚であると――」


 賢王が正面から嘲りの言葉を投げ放った、――刹那。


「――ッ!」


 見るに艶やかな着物が目にも留まらぬ速さで真軸をずらす。その姿の残滓。虚像たる賢王の眉間を貫いたのは、一筋の点。


「……これはこれは」


 感心したような、期待が叶えられたような。そんな愉しげな感情が声に入り混じる。……攻撃を躱したはずの賢王の頬。その陶器の如く白く滑らかな肌に切れ目が走ったかと思うと、鮮やかな色をした液体が汚れ一つない白を紅く、じわりと染めていく。


「――口を閉じなさい。賢王」


 変わらぬ静かな声。だがその中に含まれているのは、状況を見極めようとする意図でも、隙を穿とうとする冷徹さでもない。


「如何な力を持とうとも、決して口先で汚してはならない物がある」


 ――怒気。今賢王が感じているのは、正に凍て付くような怒りの情。


「貴女は今、私のその一線を越えました」

「ただ縮こまるだけの鈍では無かったようですね。――結構結構」


 自らの肌を伝う鮮血を指で掬い……その色を確かめるようにしてから、賢王は葵を双眼に見据える。


「鉛の刀でも、一度は物を断てると聞きます」


 楽しみを前にしたような興の乗る声。


「その刀としての価値が本物であるかどうか……退屈凌ぎの一環として、試してみるとしましょうか」



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