第二十六節 外では陽気に
「……」
「……凄いな」
ギラギラと日差しの照る露店街。本山を訪れるときに使ったのとは別のゲートを経て、隔離されていると思しき雑木林の中から町へと出た。俺たちが通っていた学園のある町とは、全く違う景色……。
〝悪いが、学園周辺へ行くのはなしだ〟
出発前。ゲートに入る前に、俺たちに向けて先輩はそう言った。
〝どうしてですか?〟
〝安全のためだ。お前たちがいた場所は張られてる可能性がある。大丈夫だとは思うが、避けられるリスクは避けて行きたい〟
「――今から三時間ね」
回想を終わらせる立慧さんの声。そういうわけで、今俺たちの前の前に広がるのは全くの未知の光景。道を挟んで多くの店やビルが所狭しと並んでいるさまは、学園近くよりむしろ日本に似ている。
賑やかさでは段違いだったが。
「きっかりじゃないから十分くらいの延長は大丈夫だけど、なるべく時間通りに帰りましょ」
「どう……しましょうか」
下調べなどはしてこられなかった。どうもこうもなく、人の織り成す熱気の前に立ちすくみ――。
「――取り敢えず歩いてみるか」
「とりま行こうぜ。時間も限られてんだしよ」
同じタイミングで言ってああん? と睨み合う二人。その言葉を受けて、一歩を踏み出した。
――
「いや~……」
当てもなくブラブラと。街並みを眺めながら歩いて行く俺たち。知らない景色の中を歩くという、これだけでも割と面白いことは面白いが。
「やっぱ外の空気ってのは気持ちが良いな。新鮮で、美味い空気が吸い放題――」
言ったリゲルが思いっきり深呼吸する。次の瞬間――。
「――ゴホッ‼ ウェホッ‼」
「だ、大丈夫ですか⁉ 」
……思い切りむせた。咳き込むリゲルに狼狽えるフィア。
「ゲホッ……ああ、思ったより空気悪いな、ここ」
「そうね」
参ったと言うように言うリゲルに、立慧さんが辺りを見回しながら言う。
「排ガスとか何やらで、あんまり綺麗だとは言えないみたいね。それだけ人が活動してるってことなんでしょうけど」
――まあ、それでも外は外だ。
広々とした景色を見渡すようなことはできないが。……こうして歩いているだけでも、このところ感じていた閉塞感が溶けて薄れていくような気がする。頭上に広がる空に、どこまでも歩いて行ける空間。囲みのない場所にいるということが重要なのかもしれない……。
「あー、口直しになんか飲みてえな」
漸く息を落ち着けたリゲルが辺りを見回す。あれだけ咳き込んでいれば喉も乾くだろう。ふんふんと道の左右を眺め遣り、目を留めたのは。
「お、あれ良いんじゃね?」
一件の店。怯むことなく近付いていくリゲルに着いていく俺たち。饅頭や肉まんなど、軽食などもあるようだが……。
「おばちゃん、これ一つ!」
飲み物の写真も色々と並んでいる。オレンジジュースらしい写真を指差して威勢よく注文したリゲルに頷き、おばさんがコップを取り出した――。
「……金があるのか?」
「あ」
あとにジェインから飛ばされる指摘。……そうだ。
「――幾らだ?」
俺たちのいた街とでは通貨が違う。狼狽したそのときに出たのは千景先輩。カウンターに腕を付いて店のおばさんと何か話し、胸ポケットから取り出したカード。
「これで頼む。――蔭水たちも何か飲むか?」
「いえ、そんな……」
「遠慮はしなくていい。私のポケットマネーじゃなく、経費として協会から出てるからな」
……協会から? 見れば事態を理解しているのか、店員のおばさんも頷いている。先輩は自らもコーヒーを頼みながら――。
「今回の外出に当たって、ちょっとした買い物や飲み食いする用にな。――嫌ならいいが、どうする?」
――
「……あのカードで支払いができるんですか?」
店をあとにして。頼んだストロベリージュースを飲みながら、気になっていたそのことを尋ねる。
「ああ。使えない店では紙幣を使うんだが、今の店は使えるからあれを見せた。――専用の術式が仕込まれていて、魔力を流すことでこちらが協会員だと証明できるんだ。店側に置いてある術式にそれを翳すことで、所定の口座から――」
「……」
「――おい」
先輩の話の最中、フィアに声を掛けたリゲル。
「なんかまたぼうっとしてねえか? 大丈夫かよ」
「あ……はい。大丈夫です」
執り成したフィア。……原因には心当たりがある。
「……まあ、疲れてることもあるさ」
「つってもなあ、折角の外出の日だぜ? それに昨日はたっぷり休んだろ」
例の一件。レイガスに見せられたあの幻覚は、幻だと分かっても拭えないほどの現実味を備えていた。中一日開けているとはいえ、そう簡単には――。
「――そういや、お前さんも今日は普段より消沈してんじゃねえか?」
「――っ」
横からの指摘にぎくりとする。……まさか。
「いえ……そんなことは」
「……はっはーん」
見抜かれたか? 自分でも下手だと分かる誤魔化し。思い当たる節を得たかのように田中さんがニヤリと口の端を上げる。……嫌な予感。
「あれだな。お前ら、一昨日なんかあったろ」
「――っ」
「考えてみりゃ、二人きりだったからな。何もねえはずもねえか」
――ばれているのか? 更に核心を突く台詞に覚える動揺。レイガスとのやり取り。俺とフィアの体験した、あの一件について――。
「――告白に失敗するってのは、辛えよなあ」
「――」
……は?
「分かる分かる。経験はねえけど、分かるぜその痛み」
「ないのかよ」
「それじゃただ適当に頷いてるだけじゃない」
「いえ。そうじゃなくて……」
先輩の突っ込み。展開される会話に、苦笑いしつつ言ったフィア。……全く。
「そうじゃねえ? ――おいおいまさか、その先でしくじったなんて言うんじゃ――」
「こうら」
動揺して損をした。突き進もうとした田中さんの頭をバシリと立慧さんが叩く。
「下らないこと言ってんじゃないの。今は仕事中なのよ? 真面目にやんなさい」
「下ネタだけにってか? ――あ、イテ! 小突くな! 小突くな立慧――」
「――ったく」
聞かなかったことにしようと努める俺の隣で、呆れたように息を吐くリゲル。
「親父ギャグなんて言ってねえでよ。折角久々の外なんだから、楽しもうぜ。あー――」
空気を換えようとしたのか、先ほどと同様になにかないかと見回し。
「お、見ろよ。ちっさい公園があるぜ」
リゲルに言われて見た視線の先――本当だ。道の間になぜか設けられている空間。小さいが、確かに公園のようだ。何と言うか……。
「あー、あるわよねああいうの」
取り残された孤島。そんな印象を受けている最中、意外にも立慧さんが反応を見せる。
「名目ってわけじゃないけど、一応公園ですみたいな奴。空き地のないとこで無理に公園を作ろうって思うと、どうしてもああいう感じになるんでしょうね……」
「確かにガキどもも誰も遊んでねえしな。遊ぶどころか、見向きもされてねえ」
「遊具も二つ三つだけだからな。景観が良いわけでもないし、妥当と言うべきか」
いわゆる、あるだけ公園、という奴か。開発のときに妙なスペースでも余ったのか。余地を使って一応設けてはみたものの、ちゃんとした公園にはならなかったという事情を想像させる。なんだか寂しい気もするなと、そんなことを思い――。
「――それじゃあいっちょ、俺が遊んでくるとするか‼」
「……は?」
なにで? 呼び止める暇もなく、周りの眼も気にせずに突撃したリゲル。何の冗談かと思う俺の前で。
「――おお! すげえ! メッチャ跳ねるぜこれ!」
リゲルは躊躇いなく遊具に飛び乗ったかと思うとその上で跳ね始める。狭苦しい公園で飛び跳ねるスーツのグラサンに、あっという間に通行人から痛い視線が突き刺さる……!
「り、リゲルさん」
「うっひょー‼ 何だこの遊具⁉ 最近のはわけ分かんねえなマジで‼」
「……馬鹿が」
フィアの声掛けにも反応しない。やれやれと、呆れたように眼鏡を押し上げるジェイン。……全く悪ノリが――。
「おい、リゲーー」
「――それはこうやって遊ぶんだ‼ 最近のトレンドでは常識だろうが‼」
「えっ?」
――変なスイッチが入っていたらしい。素で声を上げたフィアの横を抜けて猛然と遊具に駆け寄ると、真顔のまま真剣に手本を示しに掛かるジェイン。……なんか。
「これが正解だ! 見ろ! この部分はそのために――!」
「うっせえな! 跳び方なんぞ個人の自由だろうが!」
「……おいおい」
「……あれは引くわね」
酷い絵面だ。勝手出鱈目な方向に跳ねるスーツと、鬼気迫る表情で垂直跳びを繰り返している眼鏡。立慧さんのみならず、千景先輩までもが顕著な反応を示している。他人のふり他人のふり……。
「――おい。見てみろよ」
そのとき聞こえてきた声に視線が向く。公園の方へ顔を向けているのは、学校帰りと思しき年若い少年少女たち――。
「あれで遊んでる奴、初めて見たぜ……」
「しかもこの人目の中……勇者かよ」
「えっと、ただの不審者じゃないかな?」
半分驚嘆、半分畏敬といったような少年たちの台詞に対し、やけに冷静な少女の台詞が絶妙なコントラストを形作る。未来ある子どもたちに間違いなく悪影響を与えているような気がするが……。
「やれやれ、困った坊主どもだぜ。――おーい、お前ら」
「時間は有限だ。二人とも、はしゃぐのはその辺にして……」
そろそろ終わりにするべきだろう。放っておけばこの世の果てまで飛び跳ねていそうな二人を引き戻そうと、先輩と田中さんが前へ出た、
「キャー!」
途端に往来から上げられる悲鳴。――なんだ⁉
「誘拐よー‼ 不審な男がいたいけな少女を‼」
「ん?」
「あん?」
……誘拐?
通行人がビシリと指している指。その指摘に従って今一度二人の構図を目にする。……小さく小柄な先輩と、五十を過ぎていてくたびれた格好の田中さん。それが二人で踏み出しているさま――。
「なんだって⁉」
「本当だ‼ 小さい子が誘拐されそうだぞ!」
叫びを受けて同調した人々が集まってくる。これだけの数の人間がどこにいたのかと思うほどの集団を、瞬く間に作り上げ。
「子どもから離れろ! この不審者め!」
「いてっ! イテッ――物を投げんな物を! 俺はコイツの保護者――」
「嘘付け! 顔立ちも雰囲気も、全く似てないじゃないか!」
「そうだそうだ!」
「大丈夫かい⁉ 早くこっちへ――」
「ちょっと待て。私は子どもじゃな――」
「……」
瞬く間に騒動に飲み込まれた二人。……悪夢かなにかだろうか? 目の前の公園へ辿り着くことさえできずに離脱してしまった……。
「あー、悪いんだけど、あっちの二人はお願い」
愕然とする俺たちの前で、仕方がないと言ったように立慧さんが踏み出す。
「こっちの悶着は片付けるから。――頼んだわよ」
「えっ……」
言い残して立慧さんは果敢に人の輪へと飛び込んでいく。当然、その流れで俺とフィアに残されたのは……。
「おい……二人とも」
やむを得ず。遊具でまだ弾んでいる二人に声を掛ける。
「そろそろ止めませんか? 人も集まって来ちゃいましたし……」
「ああ。もう少しこの遊具の工夫を分析したらな」
「案外楽しいぜ? フィアもちょっとやってみろよ」
「えっ? は、はい。じゃあ……」
「――おい」
ちょっと待てと言う前に。リゲルに誘われる形で遊具に乗ったフィアが、控えめに跳び始める。……まさか。
「あっ、ほんとう……なんだか面白いですね」
「だろ? この弾みっぷりを楽しむのが通って奴よ!」
フィアまで取り込まれてしまった。跳び続けるうちにハイになっている三人。……こんなことが起こり得るのか? もう俺の手には負えないと、やむなく踵を返し――。
「どこ行くんだよ黄泉示!」
「い、意外と楽しいですよ!」
「――っ」
掛けられた声にビクリとする。恐る恐る振り向くと、既に周囲の人間は俺を三人の仲間だと認識したようだ。
「おい……さらに増えたぜ?」
「ああ、すげえ。――俺知らなかったよ。人間ってあの歳になっても、無邪気でいられるんだなって」
「スカートとか、大丈夫なのかな……」
「――無駄だぞ蔭水!」
見つめる子どもたちから上げられる声。続き追い討ちを掛けるようにジェインから声が飛ぶ。
「もう手遅れだ! 諦めて楽しんだ方がいい! この創意工夫をな!」
「――ああ、もう」
小さく息を吐く。――恥も外聞も知ったことか。破れかぶれの心境で反転し、リゲルたちの待つ公園へと突っ込んでいった――。
――その後警官まで駆け付けた大騒ぎの一幕は、どうにか終焉を迎え……。
「……」
「……むむ」
今の俺たちには元の平穏が戻っている。目の前の露店にてフィアが選んでいるのは、アクセサリー。指輪、ブローチ、ネックレスなど――。
「――おっちゃん! なんか違う手袋はねえのか?」
「……これは今一。これは……派手だな」
様々な取り揃え。リゲルは手袋、ジェインは眼鏡をそれぞれ別の店で見ている最中だ。リゲルはともかく、ジェインの方は完全にウィンドウショッピングのようだが。
「全く……しっかりしてよね」
よく分からない目の前のアクセサリー群から目を逸らし、視線を移した俺の視界に入ってくる先輩たち。
「協会の護衛が警察にしょっ引かれるなんて笑い話にもならないんだから。千景はまあ、その……」
「……そんなに子どもに見えるか私? 服も決めて、煙草だって嗜んでるのに……」
「いやあ、感謝してるぜ立慧」
子どもと間違えられた衝撃からまだ立ち直っていないらしい先輩の横で、立慧さんに向けて田中さんがニヤリと微笑む。
「あんだけわらわら集まってた連中を一喝しちまうんだからな。大声でどやしつけられた連中の、あの面ときたら」
「あれしかなかったんだから仕方ないでしょ。集団になると話すら聞きやしないんだもの。あのままだとエスカレートして危なかったわよ」
「主に相手の方が、だけどな」
「……」
視線を戻す。……さっきから思っていたことだが。
「じゃあ、これお願い」
「はぁい。グッドチョイスだわレディ」
この露店、随分と怪しい。店員の喋り方もそうだし、服装も。どこでそんなのが売ってるんだと言うような服飾を右斜め三十七度のセンスで組み合わせたような、実に奇抜な格好をしている。何かあってからでは遅いと、半分ボディーガードのような心境で待つ俺の前で。
「……よし。これにします」
「ああら、良いセンスねプリティガール」
立慧さんから渡されたカードで支払い、ありがとうございます、と丁寧な挨拶を交わして露店をあとにするフィア。――選んだのは穴を空けないタイプ(ノンホール)のピアス。ぎらつきの少ない金色に……。
「……珍しいな」
青と白で花を象った意匠。――アクセサリーが、ということではない。居候ということでの遠慮もあっただろうが、フィアが自分で自分の物を買うというのは初めて見る気がする。バイトで稼いでいたときも……。
「マルガリータのバイト代があるので、そこからお返ししようと思って……」
「……そうなのか」
はい、と言うフィア。……日本円にして数百円くらいのものだし、個人間ならともかく協会にそれを返しても仕方ないような気はする。無論金額の大きさではなく、態度の問題だろうが。バイト代が入ったときも真っ先に俺への返済に使うと言っていたし、境遇から考えて少し気にし過ぎなような。
「……フィア」
「はい?」
掛けた声に振り向く。その横顔を見ながら、少し考えて。
「……似合ってるな、それ」
「えっ? ……そ、そうですか?」
ああ、と答える。ありがとうございます……と、いそいそと前を向いてしまったフィア。
「……」
……大丈夫だ。
その光景に身を浸しつつ、思う。……たった三時間だ。なにも起こらない。起こるはずがない。
先輩たちも付いてくれている。何かあれば俺たちも逃げられる。以前に襲われたときとは違う。レイガスに見せられたようなことなど。
きっと――。
――
―
「――じゃ、そろそろ帰るわよ」
それから少しして立慧さんから告げられた一言。
「あと五分で三時間だしね。来た場所に戻って――」
――何事もなく終わった。
そのことにホッとする。……そうだ。
やはり外出くらいで何かが起きるはずもない。あとはただ帰るだけ。それで全て元通りだと、自らに言い聞かせ――。
「――あっ」
人通りの多い通りからゲートのある人気のない通りへと戻ってくる最中。突然響いたフィアの声に、自分でも分かるほど意識をビクつかせた。
「どうした? カタストさん」
「……済みません。さっき買ったイヤリング、落としちゃったみたいで――」
素早く服を探り、足元を見回す。声からも焦りが伝わってくる。
「――探してきます! すぐ戻りますから!」
「あ、おい。落し物なら私が――」
「――良いわよ」
駆け出していくフィア。あとを追おうとした先輩を、制止する立慧さん。
「――葵が見てる。向こうに任せましょ」
チラリと往来に目を走らせた。……フィアも気になるが、今の発言は。
「……立慧さんたちだけじゃなかったんですか?」
「念のためよ念のため。あんたたちには見えないようにしてるけど、葵と、リア様も護衛についてるわ」
「マジか――?」
「先輩たちには見えているんですか?」
リゲルが周囲を見回すが、それらしい人影はない。それを確かめてからジェインが訊く。
「見えてるというか、感知だな。お互いの位置が分からないと不味いだろ」
「だからまあ正直、俺なんかが来る必要はなかったんだけどな。――補佐官サマとあの婆さんが出張ってるわけだしよ」
「またあんたはそういうこと言って……」
――ならば、大丈夫だろう。
「……」
なおのこと。角を曲がるフィアの姿に幾許かの不安を覚えつつも。俺は、そんな風に自分に言い聞かせていた。




