第二十四節 レイガスの思惑
「……」
「……」
魔術協会総本山の、とある一室。
四賢者であるレイガスに与えられた、賢者以上の入室許可が得られなければ入ることのできないこの部屋。そこに今、一人のあからさまな部外者の姿があった。
「……」
――リゲル・G・ガウス。確かそう記されていたはずだ。七十も終わりに差し掛かるこの齢まで研鑽を積み重ねてきた成果として、レイガスは特別の意図を持たずとも一度目を通した資料の内容を遺漏なく記憶に留めおくことができた。……秋光が抱え込んだ四人の情報源。凶王と永仙の狙いを見通す糸口になるかもしれないという、重要な役割を持った参考人。
その内の一人であるこの青年が、何ゆえこの部屋を訪れることになったのか。レイガスはその理由について心当たりはなかったし、今も思い当たる節はない。何か接点があるとすればそれは昨日彼らの試験官役を請け負った郭であるはずなのだが、隣に座る弟子はレイガスと同じく、不可解といった表情で眉を顰めて青年を見つめているばかりだ。……やがて。
「……どうして貴方がここにいるんですか?」
弟子、郭が口を開く。抱くことに違和感のない真っ当な疑問。
「いや、さっきも言った通り、途中で出くわしたやたら元気な婆さんに教えてもらったんだけどよ……」
「……」
青年の言葉を受けて郭が判断を仰ぐようにレイガスを見遣る。……早くこの闖入者を追い出し、修行に戻るように。そんな言葉を待っている風でもあった。
「……」
かく言うレイガスとて、当然このようなアクシデントが予定に含まれていたわけではない。幾ら重要な参考人とはいえ部外者であるこの青年に自分と郭がここにいることを知る術はないはずだし、またそれは本来なら許されていないことでもある。仮にこの場に二人がいることを教えたのが秋光やバーティンであったなら、弟子の期待通り、レイガスは直ぐにでもそうしていただろう。
「……」
しかし今レイガスがそのような方針を採るに至っていないということは、即ち事情がそれとは異なっているという何よりの証でもある。――リア・ファレル。
現四賢者の中でも最年長の魔術師であり、どころか二位とも圧倒的な差を付けて歴代最長年数を誇る古豪。他から見れば充分に古老と言われる立場のレイガスであっても、彼女を前にしては若造扱いされる定めから逃れられていない。……だからと言ってレイガスの方が苦手意識を持っているというわけではなく……。
寧ろあの年齢を感じさせないエネルギッシュな姿勢、衰えることのない向上心と意欲に一定の敬意を払ってすらいるというのが現状だった。劣るとはいえ、レイガス自身も既にそれなりにいい歳ではある。先達として見習うべきところは大いに見習っていかねばならないだろう。
「……」
そのことを念頭にレイガスは先ほどの青年の答えを思い返す。レイガスたちがここにいることを把握しており、尚且つ〝婆さん〟などと呼ばれ得る人間をレイガスは一人しか知らない。つまり青年がここまで辿り着いたのは、少なからずリアの意向を反映した事態でもあるということ。
立場こそ異なる中立派であるとはいえ、歴を積んだリアの考えにはレイガスも今までに度々感心させられることがあった。一見して不用意にと思えるこの事態も、その裏にリアの思惑が隠れているのであれば。
――予定に無かった出来事とはいえ、無下にこの青年を追い払うわけにもいかないだろう。
「……」
今一度目を遣る。視線の先の青年は先ほどから居心地悪そうに立ち尽くしているだけ。四賢者を頼りとしてまで此処に来たはずの動機を、一向に晒そうとはしない。
そして何が青年にそうさせているのかということにも、レイガスはとっくに気が付いていた。……青年の意識は主として郭に向けられている。郭自身には心当たりがない事を踏まえたとしても、やはり昨日の件で何か話す内容があって来た。そう考えるのが自然だろう。そうでありながら青年が用件に入らないのは。
「……」
軽く息を吐く。……このままでは青年がここに来た意味が失われる。それはつまり、背後に置かれているリアの思惑も果たされないまま終わると言うことだ。その意図とやらがどういったものなのかは予測が付かない。レイガスとてそのことが気に掛からないはずもないが……。
「……まあいい」
「え?」
呟いた師の一言に、思わず素で発されたような郭の声。珍しい反応だ。
「少し席を外す。適当に相手をしておけ」
「し、師匠⁉」
師の突然の行動に面食らったような弟子の声を後ろに、レイガスは部屋を出る。……これで郭も、あの青年と話をせざるを得なくなる。
無論、リアの意向だけを重んじて弟子を一人部屋に残すほどレイガスは蒙昧ではない。……郭は術師としては実に優れた才能を持つが、その年若さ故か未だ感情の制御が不得意な一面がある。
適切なプライドを持つことは優秀な術師として必然の事柄であるとはいえ、いつまでも怒りに身を任せているようであればこの先重要な局面で事を仕損じることになり兼ねない。予定とは幾許か違う形となったが、不意打ち気味な精神面の修行と捉えればいい経験にはなるだろう――。
そう思いつつ、レイガスは歩を進めていく。部屋の中の会話は敢えて確かめることをしていない。その気になればレイガスにとっては容易いことだったが、あの程度の輩が相手であれば、仮に何かあったとしても危なげなく対処できるだけの実力が郭にはあると、その点においてレイガスは自らの弟子の力量を信頼していた。
「……」
思わぬタイミングで空いてしまった時間。とはいえ、活用する算段がなくはない。……先日郭が務め上げた試験。そこで郭に力を認めさせた、例の四人。
直接的に関わることはしていないとはいえ、レイガスも協会の趨勢を採る四賢者が一人である。務めの一環として彼らのデータには目を通してあるし、監視役である支部長からの報告も一読してある。内二人、類い稀な才能を持つ二者に関してはレイガスの思うところはない。修練の方向性と努力とが伴えば僅かとはいえ可能性はあると、事前よりそう判断していたからだ。
しかし、残りの二人――。
「……」
試験の結果を聞いたときから、それがレイガスの心に一抹の懸念の影を落としていた。弟子である郭の判断を信じていないわけではない。……だが、時と場合によっては受かってしまったと言うことも、有り得なくはない。郭の問題ではなく、あくまでタイミングの問題として。
思えばレイガスは今までにその四人とやらを直接自身の目で見ることをしていなかった。先ほどはその一人と予期せぬ形で出会ったわけだが、あれが才能持ちなのかと勘繰りたくなる体たらく。そのせいもあるのかもしれない。
――降って湧いてきたようなこの時間。ついでとして、参考人について一度自身の目で確かめてみるのも一興か――。
そんな考えを抱きながら、レイガスはただ一人、静寂の満ち渡る廊下を歩いて行く。
……今は郭と一戦を交えた翌日。戦闘の影響が残り、かつメンバーを一人欠いた状態で修行に励んでいるとは考え難い。この時間帯なら宛がわれた個室か、或いは――。
泰然と歩を進める白い老人の姿。その背中は数秒の後に突き当たりの扉を潜り、閉じられた木造りの板の向こう側へと消えると、完全に廊下側からは見えなくなった。
「……どうするかな」
「……どうしましょうか」
――本山の一階。例の立体地図があるホールにて。
俺とフィアは地図の前に立ち並び、二人して途方に暮れている。いつもここに来るのとは異なった時間帯。周囲により人がいないせいもあってか、普段と比べてやけに静かなような印象を受ける。
――猛ダッシュで郭を探しに行ったリゲルは言わずもがな。ジェインの姿も、今この場にはない。
どうやら多少の疲労くらいでは旺盛な知識欲には歯止めが掛からないらしく、立慧さんたちと別れてのち、本を漁りに今日も書庫とやらへ行ってしまったのだ。……思えば書庫にまだ俺とフィアは行ったことがなかったので、初めはそれなら着いて行こうかとも考えた。
だがジェインに依れば、書庫にある本は大半が魔術の理論や研究に関わる学術書のような文獻であるらしい。……疲労感が付きまとうこの状態で小難しい文章を読む気にはなれなかったし、そもそも魔術の素養が薄い俺がそんな本を読んだところで何かの役に立つとも思えない。――そういうわけで同行を断念し、ジェインを見送ることにしたのだ。……フィアも。
「……どうしましょう」
「……どうするか」
意味がないと知りつつ、先ほどと同じような遣り取りをもう一回繰り返す。リゲルとジェインがいなくなり、残ったのは俺とフィアの二人だけ。……そこで困ったのは。
俺たちのどちらも、特別行きたい場所ややりたいことなどがあるわけではなかったということだった。これまでの滞在期間で行ける場所には大抵行き尽くしているし、疲労もあって少々怠い。
「……部屋に戻るか?」
「……でも、戻っても……」
フィアが言い淀む。寝るだけになる、との言葉の先は俺にも読むことができる。あの部屋は良くも悪くも寝泊りする為だけに用意されている部屋のようで、テレビなどの娯楽用品はない。であればいても暇なだけだ。……凄まじく時間を持て余してしまっている。俺も、フィアも。
「サロンにでも行くしかないか……」
「そうですね。そのくらいしか……」
行きつくのはそんな結論。こうしていると、如何に最近の俺たちが先輩たちとの訓練で時間を使っていたのかを実感させられるな。頷くフィアを見て――。
「――」
――ふと、思った。……この状況。
「じゃ、行きましょう。えっと……」
素晴らしく自然な状態で二人きりだ。夜に治癒魔術の訓練でフィアを迎えてはいたが、あれはあくまでも訓練。互いに自分のやることに集中していたし、終われば疲れていて直ぐ帰るので、特別話をするようなこともなかった。――だが。
「――なあ、フィア」
「はい。何でしょう?」
今は違う。なにか話をするには絶好の機会だ。フィアと並んでサロンに向けて歩く最中、そう思って掛けた声に。
「……」
――躊躇う。……郭との模擬戦のこと。
これを口にするのは、下手をすればとんでもない自惚れかもしれない。自意識過剰かもしれない。だが……。
「どうしました?」
フィアが訊いてくる。その台詞に促されるようにして。
「……フィア」
「はい」
「フィアは――」
滑り出た言葉の中途で浮かぶ逡巡。……止まっていても仕方がない。迷いながらも、俺がどうにか言葉を絞り出そうとした――。
「――ここにいたか」
――そのときだった。
「――っ」
「――」
俺たち以外には誰も居なかったはずのホールに、響く声。明らかに俺たちに対して向けられたであろうその声を耳にして、俺とフィアが同時に振り返る。
「……」
――白い。荘厳な感じのするローブに身を包んだ、老人。長い顎鬚。皺だらけの顔の中にある二つの焦げ茶の瞳は、古い樫の木の如く揺るがぬ強い意志を感じさせる。
「……二人か」
「――」
唐突な台詞に一瞬反応が遅れる。……二人、とは即ち、四人ではないという意味か? だとすれば目の前のこの老人は――。
「ど、どなたですか?」
俺たちの事を知っている? 疑問を覚える俺の隣で、その雰囲気に気圧されながらも問い掛けたフィア。
「……そうか。名乗るのも久方振りだな」
独り言のような呟き。老人は言われて気が付いたように、意味深な台詞を口にしてから。
「――私は、レイガス・カシア・ネグロポンテ」
酷く厳粛な、一つの儀式のような面持ちでそう言った。
「この魔術協会を導く、四賢者の一人だ」
「――っ⁉」
――四賢者――⁉
何よりもまず意識を奪われたのはその単語。……それでは目の前のこの老人は、秋光さんと同じ――。
「え……⁉」
「あとの一人――ジェイン・レトビックはどうした?」
衝撃から立ち直るより先に投げられた質問が耳を打つ。――ジェイン? 直後に老人は、何かに気が付いたように続けて口を開いて。
「ああ。隠し立てをする必要はない。私は四賢者として、君たちがここに来ることになった経緯を知っている。単に彼が今どこで何をしているのか、知りたいだけだ」
「……」
……答えない選択肢があるはずもない。
「……ジェインは今、第一書庫に」
「書庫? ……なるほど。読書家とは聞いていたが、そこまでとはな。殊勝なことだ」
「あの……」
「ん?」
「どうしてジェインさんなんですか? リゲルさんのことについては……」
言われてみれば尤もなフィアの疑問。それを聞いた老人……レイガスさんは、ああ、という風に頷いて。
「君たちはそれも知らないのだったな。私は、君たちが昨日戦った郭の師匠だ」
「――⁉」
「郭さんの、師匠――⁉」
初撃に勝るとも劣らない衝撃が駆け抜けて行く。……郭の師匠。ならリゲルの居場所を訊かなかったということは、つまり――。
「リゲルさんは、郭さんに会えたんですか?」
「ああ。……今頃は丁度話でもしている頃だろう」
「良かった……」
確認したフィアが安堵の息を吐く。……同感だ。それにしてもよく、郭の場所を探し当てたものだ……。
「口振りからするに、君たちはなぜリゲル・G・ガウスが郭を探していたのか、知っているのか?」
俺の思考を、レイガスさんの言葉が遮る。
「良ければ教えて欲しい。何も聞かずに部屋を出て来たが、師としては知らずにいるのも不安なのでね」
……まあ、別段話して問題のあるような動機ではないだろう。
「……リゲルは、郭――さんに、謝りたいと」
「謝る?」
「その――」
はたと言葉に詰まる。――しまった。よく考えてみれば、リゲルが郭に謝ろうという気になった事情は少し説明し辛い。言いあぐねた俺を――。
「昨日郭さんとの試験の最中に、色々あったみたいで……」
「……ふむ」
フォローしてくれたフィア。――助かった。目で感謝を伝える俺の前で、老人は軽く頷くと。
「なるほどな。まあ、大方郭の側が何か礼を失するような振る舞いでもしたのだろう。君たちもそれで不快な思いをしたのなら、済まなかった」
「あ、いえ、そこまでは……」
止める間も無く頭を下げられてしまい、戸惑う。まさかあの郭の師匠が、弟子の振る舞いについて直々に謝罪してくるとは……。
「だ、大丈夫です。私ももう、気にしてませんから……」
「それは有り難い。師として感謝させてもらうとしよう」
そう言って老人――レイガスさんはニコリと笑う。……あの郭の師匠、ということで勝手にマイナスのイメージが働いていたが。
話してみればそんなことはない。郭とは違ってよくできた大人という印象を受ける人物だ。やはり四賢者ともなる人間だと、その辺りもきちんとしているのだろう。というかフィア、それだと郭が俺たちに何か言ったと口を滑らせているようなものなんだが……。
「――ところで」
切り出すレイガスさん。
「君たちは昨日、郭が監督を務めた試験で合格を勝ち取った。それは間違いないな?」
「は、はい」
「勝ち取ったというか……」
内容自体は実質的に敗北だったし、結果的には郭が認めてくれた故。ギリギリの合格だ。合格には違いないだろうが、勝ち取った、という言い方をするのは違和感がある。
「そのときの様子を詳しく教えて貰いたい。師として郭がどんな戦い方をしたのか気になるのだが、やはり相手の方から話を聞くのが公平だからな」
……なるほど。
わざわざリゲルが郭を尋ねに行った事情を訊きに来ただけではないだろうと思っていたが、そういうことか。師匠である以上、弟子の戦いぶりが気になるのは当然。俺の方としても断る動機はない。どうせ時間を持て余していたのだし……。
「分かりました。……ええと……」
「……どこから話しましょうか」
「そうだな。前置きは飛ばすとして、君たちと郭との戦いが始まった辺りから話してもらえると嬉しい」
「は、はい」
頷くフィア。俺たちの話を聞く体勢に入ったレイガスさんに向けて、俺とフィアは、昨日の試験について語り始めた。まずは……。




