第二十一節 協会の師弟
「くそっ……」
決闘場を出て、誰にも己の言葉を聞かれる可能性のない離れの廊下まで辿り着いたとき。そこにきて漸く郭は本心を言葉として自身の外に出し、拳を冷たい石壁に打ち付ける。……先の試験で相対した四人。
彼らの素性は一般には秘匿という扱いになっているが、四賢者のレイガスを師として持つ郭は今回の試験に当たり、大まかな事情を師から内密に聞き及んでいた。……裏切り者の九鬼永仙、そして凶王に命を狙われるとはこれ以上ないと言えるような不幸中の不幸。
その点に関して言うなら力無き者と謂えど、いや、力無き者だからこそ同情の余地はあったし、実際にそうした感情が郭の中に多少なりともあることは確かだった。――協会にいち早く保護されていなければ、瞬く間に野晒しの死体が出来上がっていたことは想像に難くない。
「……ッ!」
しかしだからこそ。その自らの幸運、守られているが故の平穏を自覚せず、身のほども弁えていないような要望を出し始めたと聞く彼らに、郭は快い印象を抱いていなかった。……羊は羊らしく、大人しく草でも食んで過ごしていればいい。守る側の労苦も知らず、火事場を凌げば直ぐに自分たちの立場というものを忘れている。
守られる側の理解が無ければ守る側は実に立場を動きにくいものにされるという、そんな基本的なことさえ理解できていない。……彼らの身勝手な主張が、どれだけ今の協会に負担を強いていることか。
そもそもそれを受け入れるような場をわざわざ設ける、秋光も秋光だと郭は考えていた。無論郭は己の立ち位置を重々弁えている。声に出して言うようなことは口が裂けてもしないが、少なくともその点で言えば自らの師であるレイガスの方が余程協会の指揮を採るに向いている。日頃よりそんな確信が郭にあったのは事実だ。……穏健派という立場からも分かることだが。
式秋光という人間は甘い。ただの四賢者ならそれは寧ろ賢者として相応しい美徳かもしれない。が、更に上に立つとなれば話は別だ。
とはいえ、当の秋光もそれが分かっているからこそ四賢者筆頭などといういかにも曖昧な立場に収まっているのだろうとは思う。――トップである九鬼永仙の離反を受けて揺れに揺れた協会。その騒ぎが漸く治まり、今度は新たな大賢者の選出という爆弾の導火線がじわじわと長さを縮めてきたその危機に、秋光はこれまでにない新たな立場を仮の指導者として設けることで火を消し止めてみせた。その手腕は見事。
しかし元はと言えば、事は穏健派の主軸であった九鬼永仙の離反に端を発している。収拾の手際がいかに優れたものであったとはいえ、身内の撒いた種を刈り取っただけのことであることに変わりはなく――。
ゆえに師であるレイガスから今回の一件を聞いたとき、郭は二つ返事で了解の言葉を返した。元より弟子である自分には拒否権などないも同然だが、それでも自分の意思で明確に賛意を返したことに意味がある。
――必要とはいえ、師匠も酷なことをする。
連絡を受けたあと、内心で郭はそんな皮肉げな感想を浮かべてさえいた。……クリアできない課題。郭をわざわざ試験官として抜擢した理由を鑑みれば、その理由はこれ以上ないほど明確になると。
――外出許可など、与える気はないのだ。九鬼永仙と凶王派の狙いに繋がる重要な糸を握っているかもしれない彼らを、下らない用件で外に出して殺させてしまうわけにはいかない。そもそも彼らを外に出す必要性など事態の解決という観点からは何処にもない。そのような些事に護衛として協会の戦力を割かない為にも、ここで毅然とした決断を下す。
――そう、思っていたはずなのに――。
「僕も、まだまだ……か」
叩き付けた手を壁に置いたまま、郭は言葉を漏らす。……必要以上に相手を侮り過ぎた。せずともよかった挑発、付け加えなくともよかった言動。そうしたモノの一つ一つが積み重ねとなって、あの失態を招いたことは間違いがない。
――特に、幻影を見破られた直後の攻防は最悪だった。
冷静に対処していれば良かったはずだ。今になってあのときの状況を想定してみれば、対処法などそれこそ山のように頭に溢れかえってくる。自身の立ち振る舞いの完璧さを信じて疑わなかったが故に、それが崩されたとき、あそこまで脆さを曝け出す羽目になってしまった――。
「くそっ……!」
憤りを込めた拳で、もう一度郭は壁を叩く。――しくじってはいけなかった。
師であるレイガスの思惑。それもある。自らもその方針に賛同していた。無論それもある。
だが何より、自分は負けてはならなかったのだ。あの男――。
――三千風零がいる前では、絶対に。
師のレイガスが蔭で何と呼ばれているか、郭は知っている。曰く、四賢者として最長老でありながら大賢者にはなれなかった〝才能枯れ〟であり、挙句の果てに十数歳年下の秋光にも筆頭の座を譲り渡した〝四賢止まり〟。曰く、伝統派として時代遅れの風潮を掲げ叫ぶ〝頑迷老人〟である。……それらの多くは師と立場を異にする者たちの、支部長にすらなれなかったような者たちの嫉妬から来るものであることも分かっている。いつの世も力ある者は下から嘲り揶揄される運命にあるということ。それは充分に理解していたし、仕方のない事だとも思っていた。
それとは対照的に、誰もが誉めそやすのは秋光のことだ。穏健派としてのその姿勢に異を唱える者はあれども、少なくとも彼の人格に不評を付ける者は魔術協会では愚か、他の二組織においてさえ皆無と言って良い。その信頼があったからこそ、盟友九鬼永仙の裏切りという大事を受けながらも、四賢者筆頭という立場に就くことができたのだろう。
――そしてその構図は、弟子である自分たちにまで及んでいる。
共に四賢者を師とする賢者見習い。立場は言うまでもなく同等。歳は自分の方が若いとはいえ、力量でも劣っているとは思えない。
だがそれでも、期待と称賛を浴びるのは常に零の方だ。そう、少なくとも今まではそうだった。
このところ彼が伸び悩んでいるとの評判は郭も聞いていた。師である秋光も様々な問題の処理に追われており、ここにきて漸く自分たちが前に立てるチャンスが来たと。
――見せ付けてやればいい。周りでとやかく言う輩などにではなく、当人その者に。
示してやれば良い。レイガスの弟子である自らの力を。そして、自らの師であるレイガスの力量を。
――自身と師が面目を躍如する絶好の機会。それを見据え、先に待つそれしか目に入らなくなっていたために、足元にある陥穽に気付けなかった。それで好機を見す見す逃したかと思うと、自身への後悔とやるせなさは計り知れない。
――しかし――。
しくじれないことと、失態を更に見苦しくすることとは違う。そのことだけは、郭の中で最後まで譲れない一線として保たれ続けていた。
……必ず落とせると思っていた。
四賢者見習いと言えば、次代に於いて世界最大の魔術組織である魔術協会を担っていく立場に就くことが半ば決定している人間。模擬戦とはいえ、一月前までただの学生であった者四人がそれに挑もうという図式は本来なら鼻で笑って取り合わないほどナンセンスなものだ。極め付けには突出した才能もない人間が半数を占めるという愚かしさ。いかな才能が有ったとしてもそれが前提条件に過ぎぬ場で、そんな重荷を抱えた連中が課題をクリアできるわけがないと。
今となってはその認識を改めないわけにはいかない。自分の側に手落ちがあったことを認めたとしても、その隙を好機とできるだけの何かしらをあの四人は確かに備えていた。頭抜けている才能者二人だけでなく、あとの二人も……。
単純な力だけではないにせよ。それが彼らの積み重ねの成果だとするならば、あの局面での郭に、出せる答えは一つしかなかったのだ。
「――郭」
誰もいないはずの廊下。唐突に響いた自分の名を呼ぶ声に、郭は機敏な反応を見せる。
「――師匠」
瞳が向いた先。……白地のローブに身を包んだ、老齢の男性。その風貌は否応なく過ぎ去ってきた年月を感じさせるものの、双眸に宿る光には確かなものが宿っている。
「……合格を出したと聞いた」
「……はい」
あくまでも静かな師の声に、郭は恥辱を以て答える。……師のこんな声を聞くのは、郭が覚えている限りではここ数年来無かったことだった。
「何が足りなかったか、分かっているか?」
「――はい」
確信と誠実さを以て郭は答える。……そうだ。失態のあとにすることは後悔ではない。その原因を分析し、先へと繋げること。
「ならば良い。――行くぞ。今日の修行は、一段と厳しいと思え」
「はい――」
そのことを思い出し、師の声に今度こそ前を見て。――先を歩く賢者の背中を、郭は追い掛けるようにして歩いて行った。




