第二十節 合否の行方
「――黄泉示さんッ‼」
「――」
立った状態で覚醒する。自身の感覚より先に、その声が耳に届いたことで意識する生存。……俺は。
――生きている? 安堵感より先に立つのは純粋な疑問の念。……あの光。あの熱。
今までも何度か死を体感することはあったが、今回のそれは桁違いに暴力的なものだった。自分は絶対に死んでいるはずだと、あとになってそう確信するほど。気分としては爆発事故にでも巻き込まれた感覚というのが近いだろう。……それくらい、あの光と熱は強烈なものだったのに。
なぜ――。
「……?」
幾許か冷静さが戻ってきた俺の目に……意識が遮断される前にはなかった、妙なものが映り込んでくる。俺の目の前をふわふわと漂っているのは……。
「――」
絵本にでも出てきそうな――妖精。羽が生えた小さな少女の姿をしているそれは、何やら退屈そうに欠伸をしながら暢気に宙を彷徨っている。
「……」
少し前方の地面にいるのは、見たこともないような色をした斑模様の蜥蜴だ。鈍重そうな見た目から予想するよりも僅かに早いような速度で、周囲の状況などまるで意に介さないかのようにのそのそと床を這い回っていた。
……何だ……? これ……。
「――黄泉示さんッ!」
そちらに気を取られていた最中、駆け寄ってくるフィアのされるがままに取られてしまった腕。温もりを確かめるように。握られた個所から伝わってくる柔らかい手の平の感触が、やはり俺は生きているのだと言うことを重ねて実感させる。
「大丈夫ですか? 怪我はないですか?」
「……あ、ああ」
大きな声ではないが、矢継ぎ早に訊いてくるその剣幕に逆にこちらが押され気味になる。俺が大事ないことを確認した後で。
「良かった……!」
「無事なようだな。蔭水」
「ったく、いきなり爆発が起きたもんだから、見てるこっちが冷や冷やしたぜ……」
「……ジェイン、リゲル」
息を吐き出すフィア。続けて近付いてきた二人に目を向ける。見れば、リゲルのスーツの裾や一部には何か焼け焦げたと思しき痕があり。
「リゲル、それは……」
「ん? ああいや、ちょいと突っ込もうかとしてな」
疑問を向けた先のリゲルは、やや歯切れの悪そうに斜を向く。
「間に合うかと思ったんだが、思ったより爆発が早くてよ。――いやー、危ねえ危ねえ」
「……いや、そういう問題じゃ」
「全くだ。僕が援護を掛けていなければ、危うく丸焦げの焼死体が一つ出来上がり兼ねなかった」
郭へ【時の遅延】を掛けるはずの魔力を使ってな、と。眼鏡を上げるジェインにじろりと睨まれたリゲルは口笛と共にポケットに手を突っ込んで聞かない振り。見慣れた現実を感じさせるその遣り取り……。
「……サラマンドラ……」
――だが俺をより強く現実へと引き戻したのは、鼓膜に届いた郭のその呟きだった。……憎々しげに、しかし先ほどよりはやや落ち着いたような視線でこちらを見つめている郭。その視線は俺にと言うよりは、寧ろ俺の前をうろついている二体の生き物へと向けられているようで。
「――そこまでにしましょう。郭」
そう言いつつ俺たちの方へ歩いて来るのは三千風さん。もしやこれは、三千風さんの――?
「試験はもう終わりました。もうこれ以上、何かする必要もないでしょう」
「……ああ、そうだな」
三千風さんの声に、三千風さんの方を見ずに郭は答えを返す。
「で、結果はどうですか?」
「結果か。……そうだな」
「――」
今思い出したという風に呟いた。……そうだ。試験は――。
即座に思い返したのはここに至るまでの顛末。……戦闘中の俺たちの行動は、ほぼ逃げと様子見。最後に勝負を賭けた一手も結局は服に傷をつけただけでクリーンヒットには至っていない。郭の最後の反撃で三千風さんが介入したことを思えば、模擬戦として見た場合少なくとも俺は確実に死んでいたことになるわけで。
――それでも当初の郭の言葉をまともに受け取るなら、合格にされる可能性も決してないわけではないはずだ。郭は初めに確かに、〝これを攻略した時点で〟と言った。これとはつまりあの分身と障壁、雷撃のことであり、俺たちがそれを突破して見せたことは事実。……考慮に値しないことはないはずだが……。
「……」
何事かを思案しているような郭の表情を窺う。――それも今となっては望み薄のように思えてくる。元々好意的でない上に今までで最悪と言って良いほど不機嫌になっている今の郭が、とてもそんな判断を下すとは思えない。――また暫くは修練の毎日が続くのだろう。そんな風に俺が半ば諦めの心境で覚悟を決めようとしていたとき――。
「合格だ」
「――は?」
耳に聞こえてきた言葉に、思わず声が出る。そんな俺を鋭い目でじろりと睨むと、郭は言葉の先を続けた。
「魔術障壁を素手で撃ち破る馬鹿力に加え、感知能力に一際優れたゴリラ。……重力魔術まで扱えるとなれば、これはもう並大抵のことでは手の付けようがない」
「……ああ? ケンカ売ってんなら買うぞ、コラ」
「――補助や攪乱としては文句なしの性能を誇る時間魔術。冷静さを崩さず有効な一手を考えだす陰険な眼鏡。相手としては、これも中々に厄介だ」
「――何だと?」
郭の語り口に二人が嚙み付く。……内容は一応褒めていると受け取れないことも無かったが、言葉使いと表現が悪意に満ちているせいかどうしても馬鹿にしているようにしか聞こえないというのは、ここまで来ると最早一種の才能のように思えてくる。
「まあ、この二人はある種当然として――」
そんな二人の威嚇を軽く無視して、郭が俺とフィアの方に目を向ける。
「……及第点程度はあげてもいいでしょう。凡百の羊であることには変わりありませんが、どうやら最低限の牙と毛皮くらいは持っているようですから」
……やはり、素直に喜んでいいのか分からない。
「あ、あの、ありがとう……ございます……?」
礼儀正しいフィアも礼を言うべきなのかどうか、少し困惑気味だ。
「……ふん」
「けっ! こんな野郎に礼なんて言うことねえよ。大体なんださっきからさり気無く胸元なんか隠しやがって。どうせ貧相な身体してっからそんな――」
「――焼き殺すぞ?」
発せられた怒気に、身体全体が先ほどの感覚を呼び戻す。体格を批判されたことでなぜそこまで起こるのかは分からなかったが、そんなことを気にしていられるだけの余裕は今の俺には無かった。一旦は回避したはずの死が、今再び目の前に迫っているのが見える……!
「あ、謝れ。謝れリゲル。気持ちは分かるが、今の発言は不味い……」
「はっ、上等じゃねえか。やれるもんならやって――」
怒気にやや気圧されながらも止めようとする俺の言葉を遮って。リゲルが更に火に油を注ごうとしたところで――。
「――あー……」
これ以上は参事になると判断したのか、再度俺たちの間に三千風さんが割り込んでくる。視界の端に映るのは、あのよく分からない生物たち。
「……チッ」
それに反応してか、郭も発していた怒気を収める。睨み際にリゲルへ一つ舌打ちを飛ばすことだけは忘れずに。助かった――。
何はともあれまずはそのことに安堵する。今日だけで何回助けられたことか。これから暫くの間は、三千風さんに頭が上がらないな……。
「……」
上手く場を収めるための言葉を探しているのか、対立するように向かい合う郭と俺たちとを交互に見る三千風さん。その表情は疲労や呆れというよりは寧ろ、迷いのようにも見える。どういうわけか。
「……皆さん、何か勘違いされてるのかもしれませんが……」
漸く適切な言葉が見付かったのか。郭の方に気付かうような視線を送りつつ、実に言い辛そうな口調で三千風さんが発言した。
「彼女の下の名前は詠愛と言いまして……郭は、女性ですよ」
「は?」
「え?」
「はい?」
……女性?
郭が? 言われて思わずその姿を見返す。……確かに、言われてみればそう見えないこともない。
一人称が〝僕〟だったことと、顔立ちや雰囲気が中性的だったこと。それと……その、なんだ。分かり易い特徴が見受けられなかったためにそうと気付けなかったが……。
「――何をじろじろ見ている?」
「……いや、別に」
「……黄泉示さん?」
郭から突っ込まれたのとほぼ同時に、フィアが何か言いたげな視線を向けてくる。……いや、違う。見ていたのは事実かも知れないが、全く他意はない。確認しようと思っただけだから。
「……薄々感じてはいたが、まさか三人とも気付いていなかったとはな」
見事に三人揃って間抜けな声を上げた俺たちを余所に、ジェインは溜め息を吐きつつやれやれと首を横に振っている。……気付いていたなら、俺より先にリゲルを止めてくれても良かったんじゃないか? ジェイン。
「……ズタボロにしてやるとか言ってたと思ったが」
「僕は男女平等派だからな。基本的な扱いに差は設けない」
さらりとそんなことを言ってのけるジェイン。……以前から折に触れて考えてはいたが、何気に俺たち四人の中で怒らせると怖いのはリゲルと俺を除いた、寧ろ普段は穏やかだったり冷静だったりする人間の方であるような気がする。あれは半分事故の様なものだが、フィアも相当凄みがあったし。……今は関係ないが。
「あ、あの……」
先ほどの怒りようを目にしているからか。三千風さんの発言を受けて、おずおずと言った感じでフィアが切り出す。
「勝手に勘違いしてしまっていて、済みませんでした……」
「……」
そう言って頭を下げたフィアを、郭はチラリと一瞥したあと。
「……初対面で間違えられるのにも、もう慣れた」
「あー……」
返されたのは答えになっているのかいないのか、そんな微妙な返し。俺たちの中でも一番ショックが大きかったようなリゲルは。
「……マジで? ドッキリとかじゃなく?」
「……」
無言で睨まれる。その視線にたじろぐような素振りを見せると、リゲルはそれ以上は何も言い返さず、きまり悪そうに視線を外すだけに留まる。
「――貴女も自己紹介のときにフルネームで言えば、そんな誤解は招かなかったでしょうに……」
「ふん。本名まで名乗る理由がないと思っただけだ」
少々宥め気味の三千風さんにそう言い放ち、郭は踵を返す。
「――では僕はこれで。このあとも忙しいのでね」
それだけを言って、決闘場の出口へ向かっていく。……色々とごたごたはあったが、何はともあれ、これで――。
「……ああ。そうでした」
安心しかけた俺の耳に届く言葉。出口に向かっていたはずの郭。それがなぜか中途で立ち止まると、その切れ長の目をもう一度こちらに向けた。
「そこの羊に言っておきますが――」
再びあの慇懃な口調で話し始める郭。その瞳に映し出されているのは――俺?
「敵に加減などするな。それはあくまでも、死なない余裕のある人間がするものだ」
突き付けるような強い口調で淡々と。
「貴方程度がそれをすれば、実戦では間違いなく死ぬ。貴方レベルの人間は、殺す気でやって初めてスタート地点に立つことができる」
有無を言わせぬ眼光。酷く暴力的な言葉をぶつけられている。それが分かっていても、言葉の中身を吟味して言い返すだけの余裕が、今の俺にはない。
「……至極幸運なことに、貴方たちを狙う連中の中に、貴方が殺せる相手などいないでしょうしね」
……それは幸いと言うよりも、これ以上ないほどの不幸なのでは……?
「……では。気ばかり遣わされていて疲れました」
思ったその感想を口に出す暇も無く。最後まで皮肉げな口調を崩さないまま、郭は再び出口へ向かって歩いて行く。その姿が扉の向こうへと消えるまで――。
今度こそ郭が、俺たちを振り返ることは無かった。
「――ああ、もう君たちも帰っていいですよ」
「え?」
一瞬俺たちのことかと思って訊き返すが、直ぐにそうではないことに気付く。三千風さんの顔は、明らかに俺たちではないところへ向けられていたからだ。
「――」
それが聞こえたという合図だったのか。二体の生き物はそれぞれ一瞬今までにない動きを見せたかと思うと、微かな発光を残して消え去った。
「何だったんすか? あの妙ちくりんな生き物は」
「……風精霊。それに、火精霊ですか?」
郭も言っていたような単語を告げたジェインに、三千風さんはよく知っていますね、とどこか感心したような表情をして。
「その通りです。郭の魔術が雷と炎の二属性による複合魔術だったので、それを抑えるためにね。……威力が大きかったせいで、完全には消し切れませんでしたが……」
「……その、複合魔術というのは」
「ああ。既存の異なる二つ以上の魔術を組み合わせたものをそう呼ぶんですよ。郭は雷と炎双方の適性を持っていますので、あのような芸当ができたというわけです」
……最初と最後に見せた障壁は水、俺の足を縫い止めたのは氷に依る魔術だった。態度も併せてとても本気じゃなかったことを考えると、まだ他にも使える属性があったのかもしれない。三千風さんの解説を聞いて、俺たちがどんな相手と戦っていたのかを今更ながらに思い知らされる。
「……有り難うございました」
頭を下げる。三千風さんがあの生き物を喚び出してくれなければ、間違いなく俺は消し炭か、焼け焦げた肉の塊のようになっていただろう。……想像するにゾッとしないが。
「いえいえ。少し言いましたが、僕だけの力じゃありませんよ。君が無事だった要因の一つは、彼女の張った障壁が君を守ったからです」
「え……?」
フィアが? 疲れのせいか言葉少なな彼女を見る。確かにさっき、三千風さんは術の威力を完全には消し切れなかったと言っていた。俺は気付かなかったが、爆発の起きる前にフィアが新たに障壁を張っていてくれたのか? 障壁は、二枚までで限界と言っていたはずなのに……。
「あとは、君が纏っていた魔力による防御も少なからずありました。熱などによる間接的な被害の軽減などには特にね。――郭もそれが分かっていたから君たちに合格を出したんだと思いますよ。誰かが突出しているということではなく、四人全員に一定の実力と成長が見られたことが決め手になったんでしょう」
「……」
……そういうことだったのか。
「――では僕もこれで。何はともあれ、お疲れ様でした」
「――ありがとうございました」
軽く手を上げて去っていく三千風さんを全員で見送る。その姿が、決闘場の外へ消え……。
「――やったな」
「……そうだな」
ジェインの声に、端的な言葉を返した。
「んだよもっと喜べよ。素人みてえな俺ら四人で、あの賢者見習いから勝ちを捥ぎ取ったんだぜ?」
衝撃の余韻を消すようにおどけて言うリゲル。合格と言われただけで、勝ったわけではないと思うが……。まあそれでも郭が当初俺たちに試験をクリアさせるつもりが無かったのは明白だから、その点では喜んでもいいのかもしれない。この結果を……。
「ったく、黄泉示はクール過ぎて困るぜ。――なあフィア? お前からも何か言ってやったら――」
「はい。……そう……ですね」
言葉の途中で、リゲルの台詞が途切れる。――いや。
リゲルだけではない。俺も、ジェインも。今その視線はフィアに釘づけにされている。――フィアの目の、焦点が定まっていない。
半開きになった両目は何処か虚ろで、気を抜けば直ぐにでも落ちてしまうそうな瞼。安堵感や疲労感から来る反動。そんなものでは言い表せない、異常なふらつき。
「……フィア?」
「大丈夫です。ちょっと、疲れただけ……ですから……」
尋ねた俺の声が、強張っている。答えるフィアの声には、先ほど同様。覇気といった物がまるで感じられない、夢の中にでもいるかのような不確かな声色――。
「……フィア? どうした?」
「お、おい?」
「カタストさん?」
「――フィア⁉」




