第十九節 外出試験 後編
――ほら、動いた。
相手の挙動を目にして、郭は内心でそんな感想を口にする。打開の手立てが見付からない以上、こちらから急かすような行動に出れば必ず何らかの反応を示すと思っていた。
どうせこのまま終わってしまうならという判断なのだろうが、郭からしてみればその選択は浅はか極まりない。……逃げるのを止め、攻めに転じるために振り向こうとする瞬間。その一瞬が敵にとっても相手を仕留める絶好の機会になり得るのだということを、全くのこと理解していない。
ウロチョロと厄介に動き回る相手ではあったが、予想通りこの辺りで片が付きそうだ。……凡そ自身の思い通りに進んでいく戦況に、郭は内心で苦笑を漏らす。元より期待などしていなかったとはいえ、まさかここまでの体たらくとは。
――とはいえ郭と雖も、全く目の前の連中の力を認めるつもりがないわけではない。幾ら本気でないとはいえ、僅か一か月程度の鍛錬でこの攻めを耐え抜くのは本来なら有り得ないほどの快挙である。……まあそれも、才能ある二人に支えられてのこと。
そう郭は内心で皮肉げな笑みを零す。こうしてみると、役に立つ者と立たない者との差は案外大きいということが目に見えて分かるから面白い。戦いが始まってから今に至るまで、目立った行動を起こしたのはあのサングラスと眼鏡の男だけだ。あとの二人――凡庸な羊は、二人の手を借りて逃げ回ることしかできないでいる。
さて、どれで仕留めようか――。遠からぬ決着を前にして自らの持ち手を吟味できるほど、今の郭には余裕があった。まあ、弱者をいたぶる趣味はない。二、三日程度動けなくなる程度の損傷を負わせれば充分だろうと判断を下す。それでこの連中も、少しは身のほどというものを思い知るはずだ。
「――?」
そんな郭の目に映り込んだ、奇妙な光景。
それまで時間魔術を頼りに駆け回っていた彼らが。不意に立ち止まり、動くのを止めたのだ。
――どころか掛けられていたはずの魔術さえ解除している。あの状態では、先ほどまでの雷撃でさえ躱せるかどうか怪しいところだというのに。
ここに来て遂に魔力切れと言うことだろうか。見立てではもう少し持つと踏んでいたが故に、どこまでも期待外れだと郭は嘆息する。必要があれば躊躇わぬとはいえ、進んで嘘を吐くような真似はできればしたくなかった。――これで名実ともに心置きなく、言い渡せるというものだ。
「もう終わりですか? 呆気なかったですね――」
不合格の判定を。無意識に浮かぶ嗜虐的な笑み。狩りを締め括る狩猟者のような笑みを覗かせた郭が、茶番劇を終わらせる一節を唱えようとした――刹那。
「――オラァッッ‼ 【重力四倍】ッッ‼」
魔術師であれば誰もが耳を疑うほど乱雑な詠唱――それは詠唱と言うより最早掛け声の類だったが――のせいで、僅かに反応が遅れる。
「……ッ……!」
同時に膝から崩れ落ち、咄嗟に付くこととなった両腕。プライドから声を上げることは堪えたものの、全身に拉げそうなほどの過剰な負荷が掛かっていることを今の郭は文字通り肌で感じていた。――自身の筋力では長く持ちそうにない。重力魔術。なぜ今になって――。
――なるほど。
身体を軋ませる圧力と苦痛に耐え、その視線を床に固定されながらも、若き天才は相手の意図を一瞬にして汲み取っていた。……空間に直接作用するこの魔術であれば郭の障壁を擦り抜けて本体にまで影響を届かせることができる。そして当然のことながら、映し出している幻影には痛覚がない。
起きる反応の差によって、両者を見分けることができると考えたのだろう。加えて同時に身動きも封じられるのであれば、それは正しく一挙両得の好手。終始追い込まれていた彼らが逆転の希望を託すに相応しい一手と呼んで差し支えなかった。
「――だが――甘い――!」
重さに耐える自らを鼓舞する意味も兼ねて、敢えて郭はその台詞を声に出して呟く。
郭が生み出した幻影は、確かに原型では術者の姿を模倣した影を生み出すだけの魔術に過ぎない。それは端的に言えば空間に指定した人間の図像を映し出しているようなものであり、実戦では本来なら一時凌ぎとしかならないような粗末な代物だ。
だが幻惑系統の魔術を得意とする郭は、水の塊を幻影の背後に設置したのと同様、その呪文を実戦用に完成させるべくもう一つの術式を組み入れていた。――幻影が写し出す術者の姿は、術者本体の動きと時間的な誤差を挟まずにリンクすることが可能となる。
即ち今郭が示した一連の反応は、周囲の幻影も同じように再現しているということだ。反応から真贋を見分けることなど不可能であり、それを今までの観察から読み取れなかったとは目の付け所に関しても甚だなっていないと言う他なかった。
そして、もう一つの点に関しても――。
「――【身体強化】――」
呟きと共に淡く発光する郭の身体。全身を取り巻いた光をそのまま支えのように使い、崩れ落ちていた体勢を郭はゆっくりと、しかし着実に立て直す。
強化系統の魔術は郭の得意とする分野では無かったが、それでも四賢者を志す者として一応、中級レベルのものであれば嗜み程度に扱うことは出来た。四倍化された重力の中で身体を動かすことは肉体を強化しても決して楽な取り組みではないが、それでも一応可能にはなる。――これで、相手方の思惑は完全に瓦解した。
「これで――」
今初めて使ったことからしても、この重力魔術がかなり消費の激しいものであることは間違いない。幾ら支配者の適性を持つとは言えそう長くは持たないだろう。結果として揺らぐことが無かった自身の優位を確認し、郭は再び余裕に満ちた笑みの浮かぶ面を上げた――。
――瞬間。
「そこ――かァッッ‼」
――顔目掛けて真っ直ぐに飛来する何かを捉える。黒光りする物体。正体を見極めるより以前の反射的な動作で。
「ッ……⁉」
首を捻り飛んできたそれを躱す郭。元より一定基準には鍛え、魔術の強化を受けた動体視力は自身のこめかみの真横を通り過ぎるサングラス、その表面の反射光までを逃さず捉えていた。賢者見習いを嘗めてもらっては困る。例え術師の身であろうとも、強化を施していればこの程度の不意打ちを躱すことはでき。
――いや。
「――ッ!」
――違う。直後に見張らされた眼。千載一遇の好機を逃すかとばかり猛然と駆け走って来る、刀を手にしたあの男。
「……ッッ!」
思わぬ失態に頭に血が上る。本来なら避ける必要のない投擲を反射的に躱して見せてしまったあの瞬間。郭は、自らの行為によって本体の位置を露呈してしまっていたのだ。――だがそれ以前に問題となるのは、なぜサングラスを投げ付ける段階で本物の自分の居場所が分かったかということだ。
あの投擲は紛れもなく郭自身の位置を定めた上で為されていた。あれが単に見当違いの幻影に向けて飛ばされたものだったなら、郭は相手の無駄な足掻きを一笑に付すと共に自らが纏わせた障壁の威力でも見せ付けてやっていたことだろう。本来起こり得ないはずのことが現実のものとなったからこそ、不意討たれた郭も思考が追い付く前、反射の領域から事が移る前に生き物として当然の対応を見せてしまったのだ。
そしてそれに関して、考えられる可能性は――。
「――」
馬鹿な――という声がする。
有り得ない――という思いもある。
見破られる要因は無かったはずだ。全力でなかったとはいえ、自身の戦術は完璧で、たかが素人に毛の生えたレベルの相手に破られる可能性など万に一つも無かったはず。
だが郭が賢者見習いとしての自身の知識を総動員した結果としても、本体を見極められるに至ったその原因は一つしかなかった。
――術使用時の、魔力感知。
先ほど重力魔術に動きを縫い止められた郭は、その打開策として新たに身体強化の魔術を使った。当然魔術の発動には魔力消費が不可欠であり、それに伴って魔力の流れというものが発生する。……その際の魔力の動きを、仮に感知されたとするならば……。
辻褄が合う。どうしようもないほど明確に。はっきりと。
幻影はあくまで動作を本体と連動させているだけだ。見た目の反応は同じでも、魔力の起こりまで再現することは出来ていない。表面的な行動をシンクロさせるのとは違い、魔力の流れまで再現するとなればそれは技術的にも数段レベルの高いものになるが故。
――だがそれは郭の能力的な問題と言うよりも、手間暇を掛けてまでその部分を再現する可能性を、郭が感じていなかったからと言った方が良い。
……馬鹿な。
もう一度、脳裏に同じ声が響く。特別な念を入れていなかったとはいえ、賢者見習いたる自身の魔力隠匿が見破られるなど。
――そんなことが――!
「――ッ‼」
――気付く。男は既にあと数歩で郭をその射程に収めるところにまで迫っている。加えてそこまで来て漸く、郭は視界に収めた相手の出で立ちに変化が生じていることを把握する。
――これは――。
体内の魔力。それを外側へ放出し、身に纏わせることによる一時的な身体能力の強化。普通の術師を相手にしていれば見ることのないその技法だが、分かる。これは郭の知識に照らしてもかなり特殊な部類に含まれる技であり、即ちこの男の切り札。そして練度という観点から言えば、今自分の目にしているその技は――。
――何かの冗談かと疑うほど、稚拙なものであると。
先に本体を見極められたと察したそのときから対処していれば、間に合わないことは無かったかもしれない。考察を脇に置いて現状の理解を優先し、迫る相手がひとまずの脅威であると認めてしまっていれば。……充分に、対処できるだけの実力差はあるはずだった。
――こんな子ども騙しの技を拠り所に、賢者見習いたる自分に勝負を掛ける――?
だが郭の心中に沸き上がったのは警鐘ではなく、生理的な嫌悪感。今ここに於いてなお、迫り来る男を脅威だと認識することを郭は心から拒んでいた。――しようとさえしていなかった。自らにとって重要なのはなぜ自らの策が破られたのかであり、目の前の男が自分にとって脅威になろうなど、そんな事実を認めるわけにはいかない。
なぜなら自分は――。
――賢者見習い。協会の行く末を担うに足る人間なのだから。
窮地に至ってもなお押し進める思考。それは郭が並外れた思考訓練をしてきた成果として初めて可能となったものであり、正しく彼のプライドの源となる努力と修練が齎した賜物。
賢者見習いとして見ても、この若さでその位置に至った郭の実力は確かに高いと言える。プライドを持てるだけの実力はあったし、また持ったとしてそこに何らの不思議もない。
――だが結局は、そのプライドが郭の最大の隙となった。
「――ッ‼」
――駆ける。ただ全力で、今の俺が成し得るだけのことを成し遂げられるよう。
リゲルが作り出してくれた千載一遇のチャンス。――仮に幻影だったならあの投擲を躱す必要はなかった。あの挙動は間違いなく、狙われたのが郭本体であったからこそ生まれた動き――!
その好機を無駄にはしない。それこそが今の俺の役割。全力を尽くしたリゲルの魔力はもう消耗し切っている。【重力増加】の効力は終わり、郭もその本来の身動きを取り戻す。
――なればこそ、相手が反応するそのコンマ一秒でも前に、郭の懐へ。
今の俺が目指すのはそれだけだ。【魔力解放】は既に発動し終えており、これが今の俺に出せる全力。――あとは純粋な、速さと時間との勝負。
「――」
事前の予想に反して一切の反撃を受けぬまま、驚愕冷めやらぬといった表情をした郭の眼前に到達する。――行ける。本体を見切られた衝撃からか、間近に映る郭の挙動には未だ明らかに精彩がない。これならば――!
「――っ」
一歩踏み込んだ俺の前に立ちはだかる、雷の障壁。やはり幻影と同じものを展開していたか。だが、今の俺なら。
「――ッ【始動】、【合成】――」
――破れると。更に踏み込もうとした俺の耳に、届く詠唱の声。だがもう遅い。俺は既に【無影】を放つ準備を終えて。
「――⁉」
そう思った俺の前で、雷の行く手を阻む雷の障壁が姿を変える。――出現したのは大量の水。それが郭を俺から隠すように、電流を纏いつつ回転する高速の流れを作り出した。
――雷を内に含み込んだ、猛る水流の障壁。
前に見せた二つの障壁を、組み合わせて展開したのか。そのことに一瞬驚き掛けるが、直ぐに気を取り直す。……水の障壁はリゲルが最初に破って見せた。電流に関しても、今ならば――。
「――ッッア‼」
叫ぶような息と共に終月を抜き放つ。――居合【無影】。狙うは郭のその胴体。切っ先が障壁に触れるより前に、標的を察知した電水流が俺を呑み込もうとするが――。
「――」
フィアが予め掛けておいてくれた障壁により、襲い来る水流が完全に遮断される。三秒もあれば充分。弾ける電流も俺の身を焦がすことはなく、障壁の上を走り虚しく音を立てるに留まる。――行ける。
最後の一枚。続く手応えを突破しに掛かる。郭は、〝これをクリアできれば試験は合格にする〟と言っていた。
その言葉をそのまま受け取るなら、必ずしも攻撃を当てる必要はない。攻撃が当たっていたと言うことを理解させればそれで済むはずだ。障壁を突破した時点――そのままならこちらの攻撃が確実に決まっていただろう事が分かりさえすればそれで充分。……寸止めで決める。
そんな俺の想いに応えるように、力を受けた漆黒の刀身が郭の障壁を切り進んで行く。――突破したところで終月を止めなくては。その考えの下、タイミングを見計らって――。
「――⁉」
――不意に消失した抵抗に反応出来ないまま、一気に終月を振り抜いてしまう。……しまった。
感情が先に立つ。幾ら魔術の腕が優れているとは言え、あの線の細さを見るに郭自身は恐らく肉体的な鍛錬など殆んどしていないはず。……一刻を争う中で障壁を破るには加減などしていられないが。
【魔力解放】状態の俺が放つ【無影】には未熟とは言えそれなりの威力がある。幾ら終月が刃を持たないといっても、まともに喰らえば骨の一本や二本が折れることは避けられない。そこまでの怪我を負わせることはしたくなく、だから直前で終月を止められるよう注意を払っていたのに。
「……?」
振り抜いてしまった――焦りと共にそこまで考えを進めたところで、気付く。……俺の攻撃が郭に直撃したのだとすれば、当然何らかの手応えがあるのが当たり前だ。
刃を持たない終月で間違っても振り抜けるなどということは起こらないはず。
――とすると――。
「――!」
破られた障壁が消滅していく。電流と水流が共に掻き消えた、その視線の先。
「……」
立っているのは、郭。咄嗟に激しい所作を取ったためか、髪はやや乱れ、頬も上気しているものの、依然として健在だ。……その姿をよく見れば、衣服の胸下辺りに切れ目が入っていることが分かる。――今の一撃を躱したのか? 【魔力解放】状態の俺の一撃を、どうやって――。
「――さん」
郭が小声で何かを呟く。余りに小さな声だったため、何を言ったのかはよく聞き取れない。
「――赦さん――!」
その言葉。こちらを見返した双眸に滾る怒りの色を目にした瞬間、無意識に震え出す全身。逸らそうとする目は竦められたように、郭の両目から視線を離させてくれない。――前に向けられた凍て付くような殺気とは違う。
本能的な恐怖を感じる中で、どうにか目の前の状況を理解しようと努めていた脳の一部分。――より荒々しく、より端的に、こちらを焼き焦がそうとする意気。……これは。
怒気――?
「――逃げてッ‼」
「【時の加速――三倍速】‼」
悲鳴にも似たフィアの叫び――それに続けて、ジェインが非常時にと温存していた【時の加速】が俺に掛けられる。――自分が今どれだけ危険な状況にいるか。射竦められた状態でそのことだけは嫌でも本能的に理解できた。早く、この場から自身を逃さなければ――。
「――ッ⁉」
震えながらも足を動かそうとした俺の動きが、止まる。……動かない。いつの間にか分厚い氷によって動きを封じられていた俺の足。力を込めても微動だにしないそれは、正しく鉄枷に等しい。これでは――。
「――【二重合成】――!」
逃げることさえも。絶望的な心境の中で遊びなど微塵も感じさせない声色の詠唱につれて、郭、そして俺の周囲を強大な力の波動が取り巻いて行く。先に幾度も耳にした弾けるような音。そして、滾るような熱気。
「――【炎と雷の炸裂】‼」
怒号と同時。最後に俺が目にしたのは眩むような閃光と、焼けつくような肌の熱さだけだった。




