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※旧版につき閲覧非推奨 彼方を見るものたちへ  作者: 二立三析
第四章 魔術協会での生活
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第十七節 外出試験 前編

 

「――オラァッッ‼」


 戦いの火蓋を切って落としたのは、当然真っ先に先陣を切って行ったリゲル。脇目も振らず一直線に郭との距離を詰めて行くその姿は、黒いスーツの色も相俟って目標に突っ込んでいく砲弾、もしくは重機関車を思わせる。


 ――速い。単純にその速さに驚かされる。俺が当初予測していた速度を遥かに超える動きで瞬く間に郭との距離を無くしていくリゲル。修行で当然身体面は成長しているだろうと思ってはいたが、まさかここまでとは――。


 魔術に比べれば発展が遅いはずの肉体的能力。それをここまで鍛え上げていたことに驚かされている俺の前で、両者の間合いは早くも数メートルにまで縮まろうとしていた。――それはリゲルが本領を発揮する、拳の射程内。


「――【水泡の壁】――」


 ――耳に届く郭の詠唱。結びの一言と同時、周囲に薄らとした膜のようなものが出現したかと思うと、リゲルが一撃を放つより先に郭の全身を包み込む。


 これは――。目にして直感する。形態は違うが、恐らく魔術による防御、障壁の類。脳裏に蘇るのは、俺の刀とリゲルの拳が二人して止められたあの苦い記憶。


「知恵の足りない獣は真っ直ぐ跳び出すことしかできませんね。呆れるばかりです――」


 攻撃態勢に入ったリゲルを前にして嗤う余裕さえ窺わせる郭は、そう言いながらも既に迎撃の手筈を終えているようだった。……障壁で守りを固め、一撃を防いで動きが止まった瞬間を狙い撃つ。


 正面から猛突したリゲルにまるで動じることなく的確な手法を選択し、易々とそれを実行してみせる。性格はともかくとして、目の前にいる相手が正に実力者と呼べる術師であることは疑いようがないと言って良い。このままでは、リゲルが――。


「【時の遅延――二分の一倍速】!」


 そんな郭の対応を前に旗色悪しと見たのか、俺が不味いと思ったのと同じタイミングでジェインが援護を飛ばす。掛けられたのは【時の遅延】。郭の動きを阻害し、リゲルが動ける機会を増やすつもりだろう。


 ……だが――。


「――こ の 程 度の魔術が僕に通じるとでも? 嘗められたものですね」


 苦笑と同時に【時の遅延】が抵抗(レジスト)されたことが分かる。紡がれる台詞がその途中で通常の速度へと戻ったからだ。……郭は涼しい顔。リゲルが新たに行動を起こすことも無く、状況が好転したようには思えない。


 ――そうでなくとも、今のジェインの判断には疑問があった。


 確かジェインは以前に、相手に直接【時の遅延】を掛ける場合は持続時間が相手の抵抗によって短縮されてしまうと言っていたはず。無理に維持しようとすれば魔力も普段以上に消耗する羽目になり、結果としてリスクに見合うだけのリターンが得られない悪手だと。……相手は魔術協会の賢者見習いであり、いわば魔術については俺たちより遥かに先を行っていると思われる人間。


 そんな相手に対し、なぜジェインは【時の遅延】を掛けるなどという手を選んだのか? 冷静なジェインが、焦りの余り打つ手を間違えたとは思いたくなかったが――。


「――ラァッッ‼」


 頭の中で生まれたそんな疑問に答える間もなく。【時の遅延】が破られたのとほぼ同時に、リゲルの拳が真正面から障壁へと打ち込まれていた。……本来ならこの時点で既に反撃が決まっていたはずだが、その一撃を予測していただろう郭も遅延を受けたせいか、迎撃に際し数瞬の遅れを余儀なくされる。――とはいえ。


 その遅れは本当に僅かなもの。障壁が機能すれば充分に取り返せる時間差であり、大した問題ではない。……結末は同じ。あとは動きの止まったリゲルに応じる形で、迎撃の呪文を放つだけ――。恐らく郭もそう考えていたはずだ。


「――ッ‼」


 ――マズイ。この状態でいきなりリゲルが戦線を離脱することは、俺たちの敗着にしか繋がらない。そう感じた俺が、間に合わないと知りながらも援護に跳び出そうとした刹那。


 ――不意に、俺は先ほどのジェインの行為の意図を理解する。


「――⁉」


 郭の余裕然とした笑みが、凍り付く。――止まらない。放たれたリゲルの拳は進路を遮る障壁に一瞬その速度を鈍らせたかに見えたが、次の瞬間には障壁ごとねじ込むようにしてその抵抗を無視し、その拳を標的に向けて無理矢理押し込んでいく。


「――チッ」


 このままでは相打ちと見たのか、舌打ちと同時に後方に下がり、再度迎撃の間を作ろうとする郭。――だがリゲルもその機を逃そうとはしない。既に悲鳴を上げていた障壁を身体全体でぶつかるようにして押し破ると、勢いもそのまま飛び退いた郭の身体に更に追い縋る――!


「――【緊急発動】!」


 叫ぶような詠唱が響く。差し迫るリゲルに冷静さを乱されたのか、余裕が消えた郭の表情から伝わってくるのは、目の前の敵をどうにかしなければという焦りだけだ。


 ――しかし――。


 叫びに似た詠唱も虚しく、確かに郭が言葉を終えたその後も。……何かしら戦況に変化が訪れる気配はない。


 まさか、ここに来て郭のミスか――?


 そんなことを思う俺の視界で、リゲルの拳が遂に郭をその射程に捉える。魔術も発動させていない無防備な肉体へ向けて放たれた一撃が、郭の鳩尾を正確に打ち抜き――!


「……んっ⁉」


 ――かと思われた刹那。リゲルの表情が歪められたかと思うと、その拳が不意に全く別の方向へ切られる。何もない空間に向けられた拳は当然の如く、一切を捉えないまま空を切るだけに留まった。


「――どうした⁉」


 その傍目から見ても意味不明な挙動に、ジェインから声が飛ぶ。……本当にどうしたんだ? 今の一瞬は、誰の目から見ても完全な好機だったはず――。


「……」


 無言のままバックステップを踏み、俺たちの傍まで戻ってきたリゲル。その真剣な表情に、迂闊に声を掛けるのを躊躇っていたとき。


「あっ!」


 俺の隣――戦況を見守っていた、フィアが声を上げる。その視線の先。リゲルに鳩尾を打ち抜かれる直前のまま佇んでいたはずの郭の姿が、水面に移る影のように揺らめいたかと思うと溶けるようにして空中へ消えていく。――郭が、消えた……?


「……!」


 耳に届く間の長い拍手の音。今しがた姿が消えたその場所から数メートルほど離れた位置。先ほどリゲルが拳を振るった方角に姿を現した郭が、諸手を使ってリゲルに拍手を送っていた。


「……大した馬鹿力だ。素手で【水泡の壁】を突破するとは。驚かされましたよ」


 言葉通りに目を丸くし、どこか感心したような眼差しを向ける郭。


「それに勘も良い。どうして幻影だと分かったんです?」


 ――幻影――? 脳裏に先ほどの郭の詠唱が思い返される。……何事も起こらなかったと思っていた呪文は不発に終わったのではなく、誤りなくその効力を発揮していたということか。


「へっ、田中のおっさんに鬼ごっこで散々振り回されたからな! 姿だけずらして見せたところで、本体じゃねえことくらい分かるんだよ!」


 それに対して自分から盛大なネタばらしをしていくリゲル。姿勢としてはいっそ清々しかったが、敵として相対している人間にそれを言うのはどうだろうか。


「……なるほど。気配を読む技術(スキル)は大したものですね。視覚に惑わされることなく、気配のみで対象の存在を認知できる域まで達している」

「てめえこそ、何だあの妙な障壁は? 硬えと思って殴ったらぶよぶよしてんじゃねえか!」

「ああ、あれは水の障壁ですよ。貴方はいかにも後先考えずに全力で突っ込んでくるタイプだと思ったのでそれなりに耐久の高いものを使わせてもらったんですが、まさか素手で破られるとは思いませんでした」


 軽く受け答え。


「――そして貴方も。中々に良い判断をする」


 郭の声がジェインへと向けられる。


「仲間でなく敢えて僕の側に魔術を掛けたのは、悪手と思われる手を打つことで僕に心理的な隙を作るためですね? 見事に引っ掛けられましたよ。あの一瞬で素晴らしい手際だ」

「……」


 リゲルとは逆に、こちらは無言だ。尤もそれが正解だったとしても、普通は敵から言われたことにはいそうだとは答えないだろう。


「――さて。これである程度お互いの手も知れたことですし、そろそろ本番と行きましょうか」


 ――台詞と同時。目に映っている郭の姿が消えたかと思うと、一瞬でその数を増した。


「なっ⁉」

「ええっ⁉」


 決闘場に散らばるように広がる郭の姿。手早く数えただけでもその数は優に二十を超える。先ほどと同じ、視覚的にはほぼ見分けのつかない虚像であることは想像が付いた。


「……リゲル。気配でどれが本物か掴めるか?」


 尋ねられたリゲルは――渋い顔。


「……いや、さっきの奴とは違えな。見えるあいつの姿全部に、何かしらの気配を感じやがる」


 ――何――?


「……実体、若しくは、何らかの質量を背後に持たせた幻像ということか」


 ジェインのその台詞、最後に吐いた溜め息が俺の思考に影を落とす。――どうすればいい? これでは本体を狙おうにも、見分けることさえ――。


「――ほら、休んでいる暇はないですよ」

「――っ⁉」


 部屋全体に反響するように、何処からとなく響いてくる郭の声。それに応じるようにして、俺たちの頭上から何かが連続して弾けるような、危険な音が響いてくる。


「――【時の加速・二倍速】!」


 周囲の時の流れが二分の一倍速になった俺の目に、上から降り注いでくる光が映る。――あれはまさか、雷――⁉


「ッ!」

「きゃっ!」


 リゲルとジェインの二人は自力。フィアは俺に手を引かれる形になったが、全員何とか落ちてきた雷を躱す。【時の加速】、そして後数瞬でもタイミングが遅れれば間違いなく回避は間に合わなかっただろう。弾け飛んだ閃光と轟音が、落とされた雷撃の威力をそのまま物語っていた。


「……おいおい。殺す気かよ」


 ――以前襲ってきた男の比ではない。事前に聞いた説明の通り、あれだけの落雷を受けても驚くことに決闘場の床には傷一つない。だが、直撃すれば模擬戦のレベルでは済まないだろう怪我を負うことが容易に想像される威力の魔術を目にして、流石のリゲルも頬が引き攣っている。


「――安心するといい。こんなもので人は死なない。仮に直撃したとしても、数週間ほどベッドから出られなくなる程度の怪我をするだけですから」


 また何処からともなく聞こえてくる郭の声。――基準がよく分からないが、それは魔術師にとっても充分に重傷と言える傷ではないだろうか?


「……洒落にならないな」


 ジェインの呟きが耳に届く。先ほどから声が聞こえてくるのにその発生場所が分からないのも、恐らくは郭が何か特殊な技法を使っているからだろう。――何か考えなければ。このままでは、打つ手が見当たらない。


「ハッ! だったら取り敢えず、片端から全員ぶっ潰しちまえば――」


 そう言ってリゲルが手ごろな郭の姿に跳び掛かる。――が、その判断はどう考えても無謀だ。先ほどリゲルに一撃を加えられそうになった郭が、そんな原始的な方策への対処を怠っているはずがない。


「止めろ、リゲル!」

「リゲルさん!」


 ――追うようにして発された、俺とフィアの叫び。


 だがそのときには既に、リゲルは郭の姿に攻撃を仕掛けてしまったあとだった。


「お……らぁッ!」


 一応別種の障壁が展開されていることを想定したのか、明らかに先ほどより気合いの込められた一撃がリゲルから放たれる。――当たれば過たず郭を仕留める。そんな覇気さえ感じられるリゲルの攻撃に、俺が一抹の期待を覚えながらも拭い去れぬ不安を抱えていた、直後――。


 ――拳が向かう郭の姿。その足元で、何かが閃いたのが見えた。


「――ッ下がれ、リゲルッ‼」

「――っ――⁉」


 無我夢中で叫ぶ。その俺の声にただ事でない何かを感じ取ってくれたのか、リゲルは慌てて拳を引き、身体を戻そうとする。


 しかしその優れた反応を以てしてもなお、既に飛び込んでしまったリゲルが被害を避けるには、一足遅かったのだ。


「うおッ!」


 身体ごと飛び込んだリゲルを迎撃するように、郭の幻影を眩い電流が包み込む。咄嗟に退いたリゲルは、その電流の直撃を避けることは出来ていたが――。


「グッ!」

「あっ!」


 苦悶の声。――弾けた放電部分が、リゲルの手足を絡めるようにして掠めた。


「――リゲル!」

「リゲルさん!」

「――貴方ならそう来ると思っていましたよ」


 スーツから上げられる白い煙。俺たちの声が上がる中で、再び郭の声が響く。


「馬鹿の一つ覚えとはいえ、片端から幻影を潰されては適いません。なので、単純な(トラップ)を仕掛けさせてもらいました。一定距離に異物が接近した際に発動する、雷の障壁……」

「……ぐっ」


 黙るしかない。言い返せないでいるリゲルを前に続けられる、郭の言葉。


「一応当たれば即行動不能になる程度の威力にはしておいたんですが、幸運でしたね。まさか羊に命運を救われるとは。臆病で牙を持たないだけあって、慎重さだけは優れているということでしょうか」

「……チッ。こんなもん、屁でもねえよ」


 手足を振るい強気な台詞を吐くリゲル。……幸いと言うべきか、その動きはこれまでと比べて極端に鈍っているようには見受けられない。言葉通り大事には至らなかったようだが。


「まあ頑張ってください。これを攻略することができれば、試験はクリアということにしておきますから」


 にこやかに嗤うような声。……絶対にクリアさせるつもりがないな、これは。







 ――面倒なものだ。


 逃げ回る彼らを見て、郭はそんな内心の愚痴にも似た響きを漏らす。


 時の概念魔術とは相当に奇特なものを使う。知識として魔術協会の歴史、その中で名声を上げた様々な魔術師を知る郭でも、それを扱ったとされる者の名には二人として心当たりがない。生まれつきの才能として持っているのであれば、それはまさに天に選ばれた才と言って良いだろう。……その冷静沈着な判断も踏まえて。あの男は間違いなく此方側の人間だ。


 だが生憎のところ、それだけでは何にもならないと言うのもまた事実。


 先ほど効力を受けたときに既に分かっていたことだが、あの魔術はどうやら指定した対象に付随する体内時間、一般的な時間ではなく、あくまで対象に属した時間に影響を及ぼすものらしい。いかに時間という大仰な名と特質を持っていたとしても、それならば干渉型の魔術の宿命として対象には抵抗(レジスト)が可能となってしまう。つまり、術師として遥かに練度が上の郭に対し、あれで影響を及ぼすことはほぼ不可能だ。


 初見ゆえ先は幾許かの遅れを取ったが、一度感覚を掴んだ今は違う。もし同じような攻防を仕掛けて来ても、次は数瞬の猶予も与えず破ることができる……。そのことを郭は確信していたし、仮にそう来るならどんなに手間が省けることだろうとも今は思っていた。


 ――とはいえ、相手は目下のところ逃げ回るだけ。賢明さ故の英断か、それとも臆病さ故の幸運かは微妙な線引きだったが、とにかくより長く生き残れる選択肢を選び取ったことには違いない。まあ、攻撃の要となるであろうゴリラが負傷しているのだから当然とも言えたが――。


 ……面倒だ。重ねて郭はそんな思いを心中へと零す。


 郭が推定する彼らの行動速度は、凡そ平常時の倍。元より身体能力に優れている者がいることもあり、動き回る彼らを仕留めるのは確かに容易ではないだろう。……今用いている、この魔術によってなら。


 ――面倒だ。三度目になる思いも口には出さず、胸の奥に留めて呑み込む。


 敢えて彼らに限界まで足掻かせ、なす術がない事を悟らせた上での敗北を与える。そうでなくては郭の――ひいてはこの試験を郭に任せた師であるレイガスの、思惑を果たすことにはならない。


 それを理解していながらも苛立ちを抑えきれない自らについて、郭は心の内で苦笑を漏らす。……この場には三千風も来ている。彼の前で自分が醜態を晒すのは恥辱の極みだ。間違っても、無様を晒すことは出来ない。


「……」


 ――そんな苛立ちから意識を逸らそうとしたのか、逃げ回る彼らを見る郭の脳裏に、ふと益体のない考えが過る。


 獅子は兎を狩るのにも全力を尽くす。いつかどこかで聞いた言葉の中に、そんな台詞があったように思う。


 ――あからさまな嘘だ。郭は初めてその言葉を耳にしたときからそう思っていた。


 獅子が兎を狩るのに全力を出す心積もりになど、なるはずがない。四方に跳び回られればそれは確かに目障りかもしれないが、だからといって本気を出させる理由にはならない。精々体力が尽きるのを待って、それからゆっくりと仕留めればいいだけの話だ。


 そして何より、それ以前の問題として――。


 例え獅子が全力を出そうとしても。獅子が全力を出し切るその前に、兎は死ぬからだ。



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