第十六節 模擬戦開始
「――では、始めましょうか」
郭が言う。仮にも四人相手の戦いを始めようというのに、まるで散歩にでも出るような気軽さだ。気負いも緊張も、笑みを湛えた表情からは感じられない。
「ああ。忘れてました。その前に――」
先輩たちの方を振り向き。
「支部長の方々は外で待機していて貰えますか? 大変済みませんが」
「えっ?」
フィアが素で驚いたような声を上げる。……俺も同じ心境だが。
「……郭だったかしら。私たちは秋光様の勅命を受けて、こいつらの指導役を任されてるの」
顎でこちらを指し示す立慧さん。
「だから私たちには、こいつらが前に比べてどれだけ進歩したのか、その成長ぶりをこの目で確かめる義務があるわ」
「――聞き及んでいるかもしれませんが、僕の師匠はやたらと慎重派でしてね」
立慧さんの発言を受け流し、本心からか分からない苦笑を交えながら、郭は言葉を続けていく。
「賢者見習いとして日が浅い僕の力を、まだ一般にお披露目するわけにはいかないそうなんですよ。ほら、ここに――」
そう言って、何かを胸ポケットから取り出して見せる。
「秋光様からも了承を戴いてます。見えますか?」
「……」
それを見た立慧さんが目を丸くする。その反応は、つまり……。
「……本当だな。署名と、正式な判もある」
「疑り深いですね。こんなことでわざわざ嘘を吐くわけがないじゃないですか」
「……どういうことですか?」
「つまり、そういうことったな」
「……三千風はいいの?」
俺の問いにまるで説明になっていない田中さんの答えが続いたあと、立慧さんが至極真っ当な質問を投げかける。
「彼は同じ賢者見習いですからね。秋光様の要望でもあると聞きますし、師匠も已む無しと判断したんでしょう。僕の方も異存はありません」
スラスラと答えた郭がそこで視線を移す。……三千風さんに。
「いい機会でもありますから。彼に僕の力を見せる」
送りつける視線。見つめるその眼差しに少しだけ、今までとは違う色が浮かんでいるように見える。……ライバル、のようなものなのだろうか。言葉の端々にも三千風さんへの対抗意識のようなものが見え隠れしているような気がする。
「……そう。分かったわ」
立慧さんが俺たちの方を向く。
「――そういうわけだから。ほどほどにね、あんたたち」
「ま、頑張れや。外で茶でも飲みながら応援してるからよ」
「修行の内容を思い出して、できることをやるんだ。――無茶はするなよ」
それだけを言い残して。次々と決闘場から外へ出て行ってしまう先輩たち。俺たちが声を掛ける間もなく――。
「……っ」
重々しい音と共に扉が閉められたのち。郭と俺たち、そして三千風さんだけが中に残される。――予想外の出来事で先輩たちがいなくなってしまった、その衝撃から立ち直るより先に。
「さ。ギャラリーもいなくなったことですし、用意が整いましたね」
「……え……」
平然とそう告げてくる郭にフィアと同じく動揺する。――ちょっと待て。まだこっちは色々と準備が――!
「――いや、少し待って欲しい」
焦りに支配され掛ける心境を差し置いて、隣から上げられたのは冷静な声。
「僕らは誰が相手なのかを知ったばかりだ。四人で戦うのは久し振りになるし、多少猶予を貰っても構わないだろう?」
「まあいいでしょう。実戦では敵は待ってなどくれませんので、本来ならそこは減点すべきなんでしょうが……」
やれやれという口調で応じ、その性格を知らなければ魅力的に見える笑みを浮かべる。
「貴方たちも一月前はただの学生だったと聞きます。――今回は僕も大目に見ましょう。気の済むまで作戦でも練っていて下さい」
「――ああ。そうさせてもらう」
それが純粋な厚意などから来るものでない事は明らかだ。こちらにもはっきりと分かるほど嫌味の込められている表情を、避けるように背を向けた。
「……やるか」
四人で顔を突き合わせてすぐ、リゲルがマジな声で呟く。
「ブッ飛ばしちまえば文句も言えねえだろ。あのスカしてる余裕ぶっこいた面、殴り飛ばしてやるぜ」
「まあ待て。奴を直ぐにでもズタボロにしてやりたいのは僕も同じだが――」
郭への敵対という点で完全に一致したらしい二人。……ジェインまで物騒な事を言い出した。リゲルとの喧嘩以外でも使うんだな、そんな言葉……。
「先輩たちの忠告を聞くに、やはり作戦は重要だろう。馬鹿正直に正面から行って勝ち目があるとは思えない。まずは――」
「――まだですかね」
語り始めようとした、ジェインの声を遮る言葉。……話し始めてまだ一分も経ってないぞ。
「貴方たちと違って僕は暇ではないので。なるべく早くして頂けると助かるんですが」
「気の済むまでと言ったのはそっちだ。こっちの話が終わるまで大人しく――」
「――おい」
あくまでも冷静に対応したジェインの横から声が上がる、静かだが、内に怒気を孕んだ声音。
「さっきから黙って聞いてりゃ、やけに好き勝手言うじゃねえか。んな貧相な身体付きしてるくせして、偉そうにペラペラくっちゃべってんじゃねえよ」
闘気を秘めた烈火の如き青い眼光は、リゲル。怒り心頭と言った顔つきで、真っ直ぐに郭を睨み付けていた。
「……これはまた随分と過ぎた暴言だ。こんな人間が本山預かりの身とは驚かされますね」
いきなりの暴言にも郭は涼しい顔付きを崩さない。呆れるように小さく溜め息を吐いて。
「事実を言って何が悪いんです? あなたと、そちらの彼はそれなりの素質を持っているようですが……」
芝居がかった仕草で俺とフィアを見る双眸。見返す俺に、フンと鼻を鳴らし。
「あとは羊だ。何の才もなく凡庸で、牙も持たない。ただ僕たちに守られるだけの人間です。見向くに値しないという評価が相応では?」
「そりゃテメエの見る目がねえだけだろうが。このアンポンタンが」
だがリゲルも負けていない。挑発的な台詞に罵倒を付け加えて口にして、そこで大仰に肩を竦める。
「大体、俺らに出れるだけの力があんのかどうかはこれから試すっつう話じゃねえか。ひょっとしてあれか? なんか小利口そうな見た目してるくせに、実は馬鹿なのか? やーいやーい」
……傍から見ていても中々の煽りっぷりだ。流石、日頃からジェインと口喧嘩を繰り広げているだけはある。リゲルのその言葉の真贋はともかく――。
「……よく、僕に向けてそんな侮辱が吐けたものだ」
それまで少なくとも見た目には柔和な笑みを崩さなかった、郭の表情が変わる。静かな声は未だ一応の平静さを保ってはいるが、その裏には危うさが垣間見えているのが分かる。……薄氷一枚に支えられているように。
「貴方はその中でも屈指の才を持つと聞いていましたが、残念ながら器の方が小さすぎてそれを受けるには足りないようだ。礼儀もなっていない。まるで獣畜生ですね」
「何言ってやがる。初対面で良くも知らねえような人間を馬鹿にするような奴に、礼儀について言われたくねえっての、この下衆野郎が」
「――そこまで言うなら試してみますか?」
リゲルの付け加えた最後の一言。それが決定的な亀裂になったようだった。
「……ッ……!」
「どちらが上か。貴方では、僕に触れることさえできない」
リゲルが二の句を継ぐ前に自ら言った、郭の雰囲気が変わる。……自然体ながらも明らかに今までとは異なる気配。鋭さを増した目付きに、見つめられていないにも拘らず思わず寒気が走る。――〝赦し難い〟。そんな感情がその目の奥に渦巻いているかのようだ。そして――。
「――はっ‼ 上等じゃねえか!」
郭のその激情に一切怖じ気付くことなく、敢えて挑発に乗る形で悠然と一歩前に進み出たリゲル。……おいおい。
「待て! 感情に任せて今飛び掛かれば、向こうの思う壺――」
「止めんなよ、ジェイン」
既にあからさまな戦る気だ。ジェインの制止にも振り向かず前を、間違いなく郭をその双眸に見据えたままリゲルは言い放つ。
「思う壺だか何だか知らねえが、こちとらダチを馬鹿にされて黙ってられるほどお利口じゃねえんだよ。俺は今すぐに……」
構えを取った。左手を前に、右手を置くにして半身でステップを踏み始める。見慣れたリゲル得意のボクシングの構え。
「あいつを一発――殴り飛ばすッ‼」
「――手間ではありますが、知性に欠ける獣を躾けるのも人の仕事ですからね――」
叫びと共に駆け出すリゲル。同時にそう言った郭の両手が開く。あちらも既に応戦態勢を整えた――。
「マズイ……! 僕らも行くぞ、二人とも!」
「え、えっ?」
「……おい。作戦はどうするんだ?」
「知らん! 今はそれより突っ込んだあの馬鹿を何とかする方が先だ!」
ええ……。
リゲルのあとを追って駆け出すジェインに続き、俺とフィアも遅れを取らないよう走り始める。
こうしてなし崩しのままに、俺たちと郭の模擬戦が幕を開けた……。




