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※旧版につき閲覧非推奨 彼方を見るものたちへ  作者: 二立三析
第一章 新しい日々の始まり
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第六節 不器用な二人 前編

 

「ただいま……っと」

「た、ただいま戻りました……?」


 ――夕飯を済ませたあと。なぜか疑問符を付けて言うフィアと一緒に、何事もなく俺は部屋へと戻ってくる。手に持ったのは買い物袋。帰宅ついでに近所のスーパーで買ってきたものだ。パンと卵だけだが、まあ朝食用としては充分だろう。


 二人して靴を脱ぎ、うがい手洗いを済ませてからリビングへと向かう。


「……ふぅ」

「……失礼します」


 買ってきたものを冷蔵庫に入れ、ソファーに座る。フィアもそれに倣うようにして、対面のソファーに腰を下ろした。


「……」

「……」


 ――沈黙。食事のときは日本のことについて話していたし、時々会話が途切れても自分の料理を食べるのに集中していればよかった。だが、他に誰もいない空間で向かい合っているとなるとそうもいかない。……何かないか? すべきことは……。


「……そうだ」


 呟きに、視線を彷徨わせていたフィアがこちらを向く。


「まだ、どこで寝てもらうか決めてなかったな」

「わ、私、ソファーで全然大丈夫です」


 何も言ってないうちに宣言してくる。……これは、初めに言ったことを忘れてるな。


「いや、部屋はある。空いてるのが四つあるから、どこを使うか選んでほしい」

「あ。……分かりました」


 言われたことを思い出したのか、少し気恥ずかしそうな仕草で黙る。反応しづらいその態度を脇において、立って歩き出した。


「取り敢えず順番に見て行くか」


 フィアが後ろから着いてくるのを意識しつつ、廊下に出る。一本道の廊下には左右に各三つずつの部屋があり、浴室が一つ、トイレが一つ、俺の部屋が一つで、今は丁度半分埋まっている計算になる。


 あとはどこを使ってもらっても構わないわけだ。フィアと一緒に見て行くが、どの部屋も広さに大きな違いはなく、入っている荷物もまだベッドだけ。違うと言えば、せいぜい位置くらいのものだった。今となっては幸いと言うべきか――。


 住まいを決める際に出資者である小父さんの熱い要望が取り入れられた結果、一人暮らしとしてはかなり余分な広さと部屋数のある物件になっている。曰く、〝友人が来たとき全員で泊まれた方がいいだろ?〟とのことらしい。……正直無用な心配であり、さぞかし無駄なスペースを持て余すことになるだろうと思っていたが。


 世の中なにが役に立つか分からない。その事を実感させられている気分だ。どこも同じように殺風景な部屋たちを、それでも終始真剣な眼差しでフィアは見て回り。


「……じゃあ、この部屋でもいいですか?」


 少し考えてからそう告げてくる。……俺の部屋から見て斜向かいになる一部屋。何処でもいいと言った手前もあるし、特別断るような理由はない。


「ああ、構わない」


 そう言うとフィアはまた安堵したような顔をする。……何かフィアなりに拘りでもあったのだろうか。まあ、決まった以上は関係のないことだが……。


「……それじゃ、今日からこの部屋を使ってくれ。私物とかも好きに置いてくれて構わないし、空いているスペースも自由にして貰っていい」

「わ、分かりました。ありがとうございます」


 ――それから。


「……」

「……」


 互いに何を話すでもなく黙ったまま、なんとなく気まずい雰囲気だけが俺とフィアの間を流れていく。少ししてからテレビでもつければよかったと気付くが、このタイミングで電源を入れるのも急なような気がして結局は思っただけに終わる。


「……」


 居心地の悪さを感じているのはフィアの方も同じなのか、先ほどから何か言おうと口を開いてみては結局閉じるといった動作を繰り返している。記憶喪失ということに加え持ち分の遠慮がちな性格が災いして、何を話せばいいのか分からないのだろう。先の食事である程度話してしまったということもあるし。


 俺としては相手のことを根掘り葉掘り詳らかにするような不躾な質問が飛んでこない、というだけでも充分有り難いことではあったが、フィアはこれから暫くの間生活を共にすることになる相手だ。快適な生活を過ごすためには、多少無理をしてでも何か話しておいた方がいい……そのことは理解していた。


「……」


 それが分かっていながらも、俺は特に自分から話し出そうとはしないでいる。下手に慣れない会話をしようとしてぼろが出るよりは、気まずい程度の今の空気を保っていた方が無難。


 そんな態度が今までで身についてしまっていたせいかもしれない。どの道相手を気軽に楽しませられるような話題は持っていなかったし、俺から質問しようにもフィアは記憶喪失だ。あと話せる事と言えば俺自身の事くらい。


 が、これもわざわざ他人に聞かせるような話ではない。不幸話を聞かされて喜ぶ人間などいないだろう。……つまり、俺から話すようなことは特にない。


 そんな思考で沈黙を守っていた俺。そうしている間にもフィアは何か話題を見付けようとしているらしい。あらぬ方向を向いたままの俺に向けて懸命に話し出そうと努力している。……目の前にいる相手が積極的に会話をする気など更々無いことなど、露も知らずに――。


「――風呂を沸かしてくる」


 そう言って立ち上がると、少し足早にフィアの前から離れる。……積極的に会話をするつもりなどない。


 その心情は変わらなかったが、これ以上俺のせいで無駄な努力を続けさせるというのも忍びなかった。そんなフィアの姿を見ていることに耐えられなかった、自分の為に席を立った、という方が本当は正しかったのかもしれない。


「あっ、は、はい」


 返事をしつつも少ししょんぼりした様子を見せるフィア。その姿に僅かな心の痛みを感じつつ、俺は風呂場へと歩いて行った……。






「……はぁ」


 黄泉示さんが扉の向こうへ姿を消したあと。重くなった気分に押されてつい溜め息を付いてしまう。……食事のときは黄泉示さんともそれなりに会話が弾んでいたように思えた。


 黄泉示さんの人となりを少しでも知れたように感じたし、そのお蔭で初めに抱いていた不安感のようなものも今ではもう大分薄れつつある。これから暫くは一緒に暮らすことになるのだし、帰ってからもお話をして、黄泉示さんのことをもっとちゃんと知っておこう……。そう思っていたのも初めのこと。


 二人してソファーに座ったあとは、なぜかさっきのように上手く話すことができなかった。黄泉示さんがお風呂を沸かしに行ったのもなんだか唐突だったように思える。気まずくなった空気に耐えかねて出て行ってしまったのかもしれない。……会話一つ満足にできない自分が、情けなく思えてくる。


「……」


 ――やっぱりあのことが気になってしまっているのかもしれない。


 私の頭に浮かぶのは、私たちが出かける前。私の無理な頼みが聞き容れられたあとに見た、黄泉示さんの目。……あのとき。


 その瞳の奥に、なんだかとても寂しい輝きが映った気がした。――思うに何かしらの事情を抱えているのだろう。


 黄泉示さんはこの国に留学に来たと言っていたけれど、だからといっていきなり海外に一人で住む気になるものだろうか。先ほど日本のことを話してくれたときに感じた違和感……住み慣れた国ならではの美点や、感慨深さ。


 そういったごく普通であるはずの思いが、黄泉示さんの言葉からは伝わってこなかった。感情が籠っていない、というのも少し違う気がする。あれはどちらかと言うと、もっと負の方向に傾いた――。


「……」


 自分が良くない想像をしているのに気が付く。黄泉示さんが目の前にいたときは、踏み込んでいいのかどうかあれだけ迷っていたのに……一人になった途端頭の中で想像を膨らませている。そんな自分の変わり身の早さに呆れてしまう。


 けれどそれでも私は。黄泉示さんのことを、私を助けてくれた人のことをもっとよく知っておきたかった。これからの生活のこともあるし。


 相手のことが分からなければ受けた恩をどうやって返したらいいか分からない。そこまで考えたところで、また先ほどの思いが私の心に重く伸し掛かってくる。……今のままでは駄目だ。


 ――助けてくれた人の負担になってばかりでなく、少しでも恩に報いることをしなくては。そう思ってみるものの、この状況で私にできることというのがまるで思いつかないのも事実。……自分が記憶喪失だというのが恨めしい。できたはずのことも、覚えていたはずのことも、何一つ今の私には残っていない。


 それでも、何か――。焦る気持ちでリビングを見渡す。その視界に、畳まれて置かれている何着かの服と、段ボール箱が映る。出て行くときには気が付かなかったけど、これはなんだろうか。


「……?」


 段ボール箱の外枠を眺めて側面に書かれた文字に気付く。……黄泉示さんの荷物だろうか。


 そう言えば目が覚めたとき、黄泉示さんは何やらこの辺りでゴソゴソしていたような気がする。届いた荷物を整頓中のところを、私が起きたことで中断させてしまったのだろう。


「……」


 見落としていた事実に少し落ち込む。――何か――何かないだろうか。今の私にでも、できること――。


「……!」


 見回した視線の先に食卓と思しきテーブルが映る。その上においてある、真新しいティーポット。


 ――これだ、と思う。……うん、大丈夫。お茶くらいなら入れられるはず。そうと決まれば、黄泉示さんが戻って来る前に――。


 ソファーから立ち上がると、私は決意を込めてテーブルの方へ歩き出した。


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