真実の文章
「ねー恋実ーやってやってーやってよー私たち親友でしょー」
「分かった、分かったから一子、離しなさいよっ熱苦しいっ」
抱きついてせがむ私を、神藤恋実は振りほどいた。
ケーキ盗み食い事件の翌々日の放課後。北舎四階の教室=オカルト部部室で、私と恋実はじゃれあっていた。部室には私と彼女の二人だけしかいない。
当たり前といえば当たり前で、何しろこのオカルト部は私と恋実しか所属していないのだ。
「でもこんなの、私が解く意味あるの?」
「あるよっ。私の小説読んだでしょ?ケーキ盗み食い事件の証言を書いた力作、題して「その犯人は悪魔。」」
私は、家族の証言を、前に書いてあるようにまとめ「その犯人は悪魔。」と題名をつけた。今朝、文章をプリントアウトして学校に持参し、今恋実に読ませ終えたところだ。
「一子が言う通り、ぱっと見、誰が犯人かは分からないけど」
「でしょでしょ?ほら、早く推理の準備を…」
「いや問題の難易度はともかくさ。私が言いたいのは、『ケーキを盗み食いした人は誰か』なんてどうでもいいことに、私の『力』を使うの?って意味よ。
別に誰が食べててもいいでしょ、ケーキなんて」
「よくないよー。見ての通り、家族の証言だけじゃ真相なんてわかんないし、もう恋実しか頼れないんだよー?」
私がインド人のように両手を合わせてお願いすると、恋実は頭をかいて照れた。やっぱり彼女は褒めて乗せるに限る。
「でもいい加減、私に頼りっきりじゃなくて、一子も『力』使えないの?私たちオカルト部で一緒に研究してるんだから。
ほら、親指怪我してるし丁度いいじゃない」
「あっこれは一昨日の朝、登校直前にマークにひっかかれて。
ってそんなことはどーでもいーの!いい?まず私はやったことないし。それに、私は神様なんて得体の知れないものを自分の中に入れたくないの。だって怖くない?女子高生が体を乗っ取られるってちょっとやばくない?」
「……今から私がそれをやろうとしてるんですが」
「…ごめーんうそうそ。私には恋実みたいな才能なんてないから、やりたくてもできないよう」
「目覚めたものの血、つまり私の血さえ付ければ、一子に『憑かせる』ことだってできるのよ?」
「いやあ…でもそれじゃ神様が納得しないよ。恋実みたいな美人に憑かないと、神様もやる気でないでしょ?私じゃ役不足よ役不足」
「役不足って、あなたわざと言ってるの?」
「なにが?」
「…何でもないわ」
彼女は溜め息を漏らすと、部室の脇にあった机と椅子を部室中央まで持ってきて座った。準備開始である。
恋実は不思議な力を持っている。それは、『神』を自分の体に降臨させる力だ。
青森県の恐山にはイタコと呼ばれる職業がある。イタコは、霊を体に降ろすことができる。例えば、既に無くなった有名人、歴史上の人物、誰々の祖先、依頼されればどんな霊でも自分に降ろすことができるそうだ。降ろす、とはつまり、その人の霊を自分の中に入れるということ。イタコは、霊に体を乗っ取らせることができるのだ。
恋実は、イタコと同じようなことができる。
ただし、彼女が降ろせるのは、霊じゃなく『神』だ。
彼女は『神』に自分の体を乗っ取らせて、自分の口を使ってしゃべらせることができる。なんと言っても『神』だ。全知全能だから、どんな質問にも答えてくれる。
今まで、恋実の力を使って様々な問題を解決してきた。トラブルを未然に防いだり、トラブルの解決方法を教えてもらったり。事件の真相を教えてもらったり。
このオカルト部が部員二人にも関わらず部として成立しているのも、過去、教頭先生の窮地をこの力で救ったからである。
「特殊な力と言っても、誰だってできるのよ。特にこういう霊的な能力はまわりに影響を受けやすいから、私と一緒に研究してる一子も、そろそろ目覚めててもいいはず」
恋実は机に頬杖をつきながら、突っ立っている私に言うが。
はっきり言おう。できるかどうかでなく「いや」なのである。
先程言及したが、誰かに体を乗っ取られるのがまず気持ち悪いし、乗っ取られている間はずっと白目をむいているからビジュアル的にきついし、しかも儀式には『血』が必要だから、痛い。
そう、儀式には血が必要だ。
神と水は古代から何かと関連付けられるが、どうも神を降ろすには血が重要らしく、体のどこかに『目覚めた者』の血を塗らなくてはならない。恋実は慣れたもので、よくノートの切れ端を人型に折って、自分の血をつけて神を宿らせ、「折り紙ならぬ式神ー」と言ってその人型紙と鬼ごっことかして遊んでいるが、ぶっちゃけ気持ち悪いと思う。
「さあ恋実、早く神様を呼んで頂戴!」
「…前から言ってるけど、私が降ろせるのは神じゃないし、ベルゼブブっていう名前もあるんだけど…まあいいわ。
いくわよ。一子もオカルト部として、改めてよく見ておきなさい」
彼女はそういって、右の手の甲を前歯でガリッと噛んだ。血がたらりと手の甲から垂れ、反対側の手の平でそのしずくを掬い取ると、その血を自分の頬に塗った。何も頬に塗る必要はなく、体のどこかに血をつければいいのだが。頬に血を塗る方が、気分がノルらしい。
そのまま、一分経ち、二分経ち…突然、恋実の体全体が、大きく震えた。両手を机の上に投げ出して突っ伏し、ビクっビクっと痙攣するように体を揺する。
やがて震えが止まると。
彼女は、ゆっくり机から上半身を起こした。
彼女は白目を剥いていた。
降臨、完了だ。
「かっ神様っ出てきてくれたんですね!」
私が恋実に…いや、神が『入った』恋実の体に問いかけると、彼女は大儀そうに頷いた。
「私は神ではないが…まあいいだろう。
久しぶりだな、神藤恋実の友人、綿桐一子よ」
『神』は恋実の口を借りて言葉を発した。声自体は恋実と同じなのだが、『中身』が違うからか、どこかざらざらとした、耳障りの良くない声に思えた。
「神様っ。さっそく相談なのですが」
私が事件の説明をしようとすると、神はふんと鼻を鳴らした。
「私を誰だと思っている。我が名は冥府より解き放たれしベルゼブブ。お前に説明されるまでもなく、全てはまるっとお見通しだ。お前が何を望んでいるのかも、その解答すらも」
「さすがです神様っ!ではさっそく犯人の名前を」
私は神に祈るように自分の両手を重ねた。
『神』は登場早々に答えを提出し、すぐに帰っていく。これが今まで何度も繰り返してきたお決まりのパターンだったが。
しかし今回は違った。
「くっくっくっ。まあちょっと待て」
『神』はそう言うと、スカートのポケットに手を入れ、ボールペンとメモ帳を取り出した。メモ帳の一番上のページを破り、ボールペンで何かを書き始める。この位置からでは、光の加減で『神』の手元まで見ることはできないので、何を書いているのかは分からない。
いったい、何を書いているのだろう?
…それにしても様子がおかしい。いつもは淡々と質問に答えるだけなのに。何か特別な事情でもあるのか?
「何、たいした意味はないんだが」
神は、私の心を読むみたいに質問に答えた。さすが神。
「いつもいつも、私が真実を告げるだけでは面白くないだろうと思ってな。お前達にも考える余地を与えてやろう」
神は手元のメモ用紙をくるくると手で丸め、ぽいと私に向かってそれを投げた。
キャッチする私。
「その中身を見てみろ。そこに、真実の鍵が書かれている」
…鍵?犯人の名前が書いてあるわけではないのか。指示通り、私は丸まったメモ用紙を広げる。
正方形のメモ用紙の中央には、汚い文字で、一文字だけ、書かれていた。
「これは…6、ですか?」
少々形は歪んでいるが、その文字は確かに6に見えた。
神は満足そうに微笑んだ。白目のままだから気色悪い。
「お前が書いた小説、中々興味深かったぞ。あの小説には確実に、真相が書かれていた。
一方、あの小説をただ読むだけでは、誰が犯人かは分からないだろう。そこでこの私が直々にヒントをくれてやる。
ヒントは、そのメモ用紙に書かれた一つの文字。その一文字の後に書かれている言葉は、全て真実だ」
私は、メモ用紙に書かれた「6」を再び凝視した。この文字、「6」の後に書かれている言葉が、全て真実?どういう意味だ?
神は、困惑する私の心を見透かすように、また話し始めた
「お前が今受け取ったメモ用紙。そこに書かれたその一文字がヒントだ。お前の書いた小説の中で、その文字の後ろの言葉には、全て、真実が書かれている」
「だから、どういう意味で…」
「要領が悪い奴だな。仕方ない、より具体的に言ってやろう。お前の書いた小説の文章の中で…
その一文字と次の読点に挟まれた文に、一切の嘘は含まれていない。
…しかも、例外は一つもない。どの文章も、その一文字の後ろから次の読点までの文は、全て真実だ」
神の湿り気を帯びた声が、教室に満たされていく。
神の言葉を考えてみよう。
あの小説、と言うのは、私が恋実に見せた、家族と私の証言が書かれた小説のことだろう。
そして今、神から渡されたメモ用紙に書かれた文字「6」。これを組み合わせれば、答えが分かるということか。
この「6」の文字と読点に挟まれた文に、嘘はない…ということは、例えば
「6私は実は男である。」
と書かれていた場合、「6」と読点に挟まれた文は「私は実は男である」となる。すると「私は実は男である」という文は、絶対に真実と確定できる、ということか。
また例えば
「1年6組の私は佐藤太郎。嘘、実は加藤一郎でした。」
という文があるとする。この文だけ見ると文中の「私」は実は「加藤一郎」である、と解釈できるが、6と読点に挟まれた文だけ抜き出すと。
「組の私は佐藤太郎」
となる。「組の」は文として余計なので排除すると、「私は佐藤太郎」。つまり、後の文章で否定されていようが打ち消されていようが、この文中の「私」は「佐藤太郎」と確定する。
なるほど、つまりこういうことか。神が私に渡したこの文字は、嘘発見器。あやふやな証言の中で真実だけを抜き取る、ろ過装置。私の書いた小説から真相を導くための、鍵。
そして神の言うことに嘘はない。神の設定したルールは、誰にも捻じ曲げることが出来ない、絶対のルール。
「じゃあ後は、お前とこの体の本来の持ち主、神藤恋実とで頑張るんだな。さらばだ」
最後にそう言って、目の前の恋実の体から、神の気配がふっと消えた。