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おしまいの地でまた会おう  作者: 秋月
第一章 救われぬ道を行く男
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第八話 悪魔の正体

 ばさり、と音がして、何かが落下する。それは肌色をしていて、広げれば、人の形をしているのが分かるはずだ。不思議と生臭さを感じないのは、それがまるで、着ぐるみのように滑稽な、着る為の形をして居たからだ。

 しかし、強い不快さを抑えられるようなものでは、まるでなかった。


 何故なら、それが"人の生皮"だからだ。丁寧にはがされ、内側をなめし加工されたそれは、衛兵長ラストルタインのものだろう。目も口も乾いてかたまり、生命の残滓は残っていない。


 そして、人の皮が落ちた先にあったのは、一種つるりとした卵のようにも見える異形の姿だった。


 大きさはアランより頭三つ分大きい程度だろうか。形は人のものと似通っているが、大きく違う部分が一つある。頭だ。


 とうとうその姿を現した身窶しの悪魔(ドッペルゲンガー)には、首どころか、およそ頭部と呼べる部分が存在していなかった。目と口であろう器官は、人間でいう首元のあたりに集結していて、その口は異常に横長く両肩の付け根まで届いてしまうほどだった。


 全身真白の輪郭は、間接と言うものを排除したかのように丸みを帯びており、手も足もひょろりと長い。その手にラストルタインの姿で握っていた剣が残っている事が妙に人の名残を感じさせ、一層気味が悪いものに見せていた。


 大衆の一部が、身窶しの悪魔本来のおぞましい姿に耐え切れず悲鳴をあげて逃げ出す。そうでない者達も、突然の悪魔の出現に一歩、二歩と後ずさる。大衆の包囲の中、分かっていたはずのカーラも、思わず足がすくんだ。


 恐怖と驚愕で支配された場の中で、アランだけは平然と剣を構えている。初めから知っていたのもそうだが、長い間戦ってきたせいか、彼の中で恐怖という概念が混乱していたのかもしれない。


 身窶しの悪魔は自分の化けの皮がはがされた事に不快そうに口の形をゆがめると、ガラスの軋むような気色の悪い声を発した。


「見破ラレテイタトハナ。人ノ身ノ癖ヲシテ、鬱陶(ウットウ)シイ」


 計画を乱された事に腹を立てているのか、それともお気に入りの皮を剥がされたことに苛立っているのか。どちらにせよ不機嫌な様子の身窶しの悪魔は、ぎょろりとした目でアランをにらみつける。


 アランはそれに怖気づく様子もなく、やや小さく剣を振りかぶった。右から左へと、半ばなぎ払うような形で振られたそれは、しかし悪魔に対するには心もとない一撃だった。


 悪魔はその剣の軌道上に腕を立てると、平然とそれを受け止めた。刃は、真白の肌に突き立つばかりで、刺さりはしない。生物の肌としてみるならば、驚くべき強度を持っているといえよう。


 しかし、それで充分だった。彼は、悪魔がその程度で切り裂かれない事など重々承知の上だったからだ。


 そして、腕を受け止めた瞬間を狙って、すかさずもう一本刃が宙を舞った。カーラの援護である。


 いくら恐怖に足がすくもうと、彼女とて戦士だ。それも、か弱きを守る為の剣を振るう騎士を志す騎士見習いという立場に居る彼女故に、悪魔という邪なる存在に対して、怖気づいているばかりではいられない。


 シスター、孤児院の子供達、信じてくれた市民達。全ての守るべき存在を背に背負って彼女は戦う覚悟を決めているのだ。

 放たれたそれは、震える手を、足を、押さえつけるかのごとく、渾身の力の入った一撃だった。


 さしもの強靭な皮膚を持った悪魔も、片腕でカーラほどの剣士の一撃は受けられない。咄嗟に飛びのこうとした身窶しの悪魔だったが、それは適わなかった。


 無言の内に、受け止められた剣を渾身の力をこめて押さえつけているアランが居たからだ。所詮只人の膂力とはいえ、幾たびの戦場を越え、人ならざる力を宿した勇者隊が一人のそれである。

 身体能力に優れぬ身窶しの悪魔如き、抑えつけられない道理は無い。


 自分の持つ鈍った刃では悪魔の肌を切り裂く事は出来ない。気を込め、魔力を纏わせれば適わない事は無いだろうが、著しく体力を消耗するやり方だ。


 であれば、カーラの一撃に頼る方が確実だ。カーラの剣の腕は、アランの数段上を行く。事実アランが彼女に勝っているのは、機転と、実戦経験ぐらいのものであった。


 そういった判断から、アランは援護に回ることにしたのだ。幸い、自分の身体能力は人並み外れていると言っていい。無論、勇者隊のものから見れば木っ端に相違はないが、その力は侮れないものだ。


 たかだか一悪魔、なにするものぞ。アランによって力を込められた剣は、身窶しの悪魔をその場に釘付けにしていたのだ。


 カーラの一閃が悪魔の胴体に叩き込まれる。顔の部分を狙ったのだろうが、恐怖から来る震えによって、その狙いは定まってはいなかった。しかし、充分すぎる一撃だ。


 半ばほどまでめり込んだ剣を、身窶しの悪魔は自らの手で押さえこんだ。悪魔の細長い指が殆ど切断されたが、その代わり致命傷だけは免れたらしかった。


「ギイイイイイイイィィィッ!」


 思わず身震いの起こるような悲鳴と同時、身窶しの悪魔はアランを蹴り飛ばして大きく飛びのいた。その拍子に、胴体にめり込んでいた彼女の剣も引き抜かれる。


 四、五歩分ほど大きく目を見開き、苦痛のためか痙攣する体のまま、身窶しの悪魔は叫んだ。


「オノレ、小癪ナ人間風情ガ!」


 すると驚くべきことに、ボコリという奇妙な音と同時に、胴体が再生し始めた。身窶しの悪魔は高位の悪魔ではないため、その再生力は決して強いものではない。


 だが、戦いの場において、傷を自らで癒せるのは大きな利点だ。強いものではないとはいえ、到底侮れるものではない。


 もっとも傷の深い胴体の再生は最小限に済ませ、指を完全に回復させた悪魔は、二人の恐るべき戦士を見据えながら作戦を考えた。


 逃げるか? そう思った悪魔の視線が一瞬、民衆の方へと泳ぐ。アランの腕が動きかけたため、その目はすぐに二人に向き直った。


 アランは、何時でも切りかかれるように腰だめに剣を構えている。僅かでも隙を見せれば、体を万力のような力で拘束され、その間にカーラに切り裂かれるであろう。回復しきっていない体では致命傷は免れない。


 ではカーラの方に抜けるか。しかし、それもどうやら適いそうに無い。同格、またはそれ以上に対する実戦経験の浅さがもたらす不安は、震えとなってカーラの手に現れているが、それでも尚剣閃は衰えない。


 むしろ、極度の緊張状態のためか、その領域を突き抜けるのは至難の業だ。入ったが最後、いかに強靭な悪魔とて生きて逃げおおせられるかは怪しい。


 それに、此処で逃げると、二度と障害となりうる聖女――すなわち、孤児院に居るシスター――を人間社会から排することは出来ない。その思考が、悪魔の中で大きく作用していた。


 大衆の中で、既に英雄ラストルタインは死んでいる。これから新たに"皮"を入手するにせよ、彼ほどの権力や影響力を持った人物は、そう簡単には手に入らない。これきり、といっても良い。

 そもそもこの一件を例としてあの孤児院、ひいてはシスターを害するものは悪魔として疑われる事になるだろう。


 社会的抹消は、もはや望めない。


 故に、悪魔に残された手段はたった一つ。アランもカーラも退け、最低限の仕事をこなす事。――即ち、シスターを殺すことだけだ。


 心を決めた身窶しの悪魔は、かるく両手を振るう。すると、ある種の悪魔が持つような歪で長い爪が姿を現した。


 それも擬態の一つだ。本来爪を持つ悪魔のものよりも数段劣ってはいるが、人間の肌如き切り裂けない道理は無い。


 身窶しの悪魔は、己が役目を果たすため邪悪に笑う。


 アランは剣を握る手に力を込め、カーラが小さく震えているのを、務めて見ないようにした。

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