第六話 撒き餌
更新が遅れて申し訳ございません。
現在体調を崩しておりまして、しばらくは遅筆が続くと思われます。
どうか、平にご容赦ください。
スープの皿を横にどけたアランは、言葉すくなに告げる。
「ようするに、斬れば良い」
あっけらかんと言って見せたその様子に、カーラは片手で自分の額を押さえた。そうできないから困っているのだ、と言いたげに見える。だが、アランはそれを無視して淡々と語った。
「人を疑え。……その衛兵、明らかに怪しすぎるだろう」
二人は呆然とした顔で彼を見た。彼の言った事が盲点だったのである。
一般的な教養を持つ者達――カーラとシスターを含む――にとって、悪魔とは恐ろしい存在だ。そして、意外と身近に潜んでいると分かっている。だが、それだけだ。それ以上の事は知らない。ゆえに彼らは、人の世に溶け込み、内側から崩す機会を見計らっているなどと、想像もしない。
悪魔とは皆、一様に恐ろしい外見をして、強い力や魔力を持ち、人を殺す事を何よりも優先すると考えるのが大半だ。無論、間違っては居ない。しかし、そうではないものも居るのである。
例えば、立ち止まってさえ居れば風景に同化し、視覚では捉えられない透明の悪魔。人の臓腑を食らい、その姿を自分のものとする身窶しの悪魔。あるいは、娼婦に成りすまして平然と街を出入りできる夢魔。
魔物の、そして悪魔の知識を持っている者達にとって、人の世に溶け込む悪魔は当たり前に居るものと感じている。だが、大衆はそうではない。
「十中八九、その衛兵は身窶しの悪魔だろう。……いや、或いはもっと高位のものかも知れん」
簡単に推測だけを述べると、アランは二人の様子を見る。話の当人たちが聞いていなければ意味がないからだ。
初めは虚を突かれた様子だった二人は、比較的すぐに気を取りなおしてアランの話を聞いていた。話もおおよそ理解できているようであり、アランは意識を話に戻した。
「まぁ、どちらにせよ、だ。殺すのだから大差ない」
「ま、まてアラン! その衛兵が本当に身窶しの悪魔だという証拠があるのか!?」
彼の言葉に、カーラが慌てたように割り込む。確かにアランの言う事が本当であれば、間違いなく現状を変える突破口となりえる。だが、彼が間違っていた場合は、今度こそ取り返しのつかない状況になる。少なくとも、二度と神殿からの支援は来ないだろう。
しかも、市民からの信用も損なうことになる。そうなれば、今度こそ終わりだ。彼女が慎重になるのも仕方の無い事だった。
「ない。だが、化けの皮を引っぺがせば同じだ」
滅茶苦茶だ。あまりに無謀すぎる。万が一その推測が間違っていればどうするのか。様々な言葉が巡って、カーラの頭の中をかき乱す。この旧友に何といえば止められるのか、それを探している様子だ。
そんな彼女を横目に、アランはシスターに視線を向けた。自分を見つめる暗い瞳にびくりと震えたシスターは、しかしすぐに何でもないように装うと彼を見つめ返した。
「な、何か?」
「ああ。嘘看破は祈れるか?」
「嘘看破、ですか? 一応、我らが神より授かってはおりますが……?」
何故今、それを聞くのか。いぶかしげな表情で、シスターは首をかしげた。
嘘看破とは、神より賜る奇跡――あるいは、魔法の力――によって叶えられる、文字通り嘘を感知するという術だ。誰か一人を対象に発動し、対象の嘘に反応して、赤い光を発する。裁判などに於いては、中々に重宝する術である。
だが、今それは必要とされないはずだ。彼が話しているのは悪魔の、それも討伐の話だ。嘘看破が使えるかどうかなどよりは、善なる神の力がこもった聖撃が使えるかの方が重要な筈である。
「身窶しの悪魔は嘘を――つまり、幻覚を身に纏っている」
それは即ち、嘘を全身に纏っているのと同じだ、と彼はのたまう。
嘘看破の術は、意外に応用が利く。口頭による物だけでなく、筆談、果ては手話の類にまで反応し、嘘を感知し発動する。
「だから、奴らを炙り出すのに使える」
と言ってから、アランは立ち上がる。怪我の痛みが思い出したように彼を襲うが、大した痛みではないと思い直して二人に向き直った。
彼の意識は少しぼんやりしたままで、およそ戦える状況ではない。貧血か、でなくば栄養失調によるものだろう。だが、だからと言って戦わない彼ではない。
「その衛兵を引きずり出せ。嘘看破をかけろ。後は俺がどうにかする」
そう言って、ふとアランは軽く腕を振った。とたんズキリと鋭い痛みが襲い、無精髭の生えた無骨な顔が少し歪む。それどころか、少し傷口が開いたらしく、巻かれた布にじわりと血が滲んできていた。
「面倒な、ものだな」
「アラン、お前……その体で、やる気なのか?」
さも面倒くさそうに呟いたアランに、カーラが呆然としたように呟いた。
体力は回復しきっておらず、怪我は今しがたしたばかり。
剣は壊れかけで、鎧どころか、まともに服も着ては居ない。今彼が着ているのは、擦り切れて色の薄い囚人服のような下服と、穴だらけになった薄い外套だけだ。
とても、これから悪魔を殺しに行く人間のものには思えない。よくて乞食と言った風体だ。
しかしアランは、その姿のまま当然とばかりにうそぶいて見せた。
「そのつもりだ」
朝が来る。
日は昇り、光の精霊が小さな窓から町人達の顔を照らしすことで、夜明けを告げて走り去る。眠たげな声を上げて体を起こした何人かが、朝か、と呟いた。
だが、どうも様子がおかしい。それに真っ先に気付いたのは、朝早くから起きて様々な仕込みをしなければならないパン職人であった。
何処か遠くから、金属がぶつかり合う甲高い音が聞こえる。不思議に思って、パン職人の男は首をかしげた。男が居たのは、鍛冶屋がある職人区とは正反対の方向、住居区にある店だ。いくら鍛冶屋が朝早いからと言って、この距離では聞こえるはずもない。
男はふと思い立って家を出ると、音の源を探しに出かけた。
パンの仕込みはもう少し遅くても大丈夫だ。そんな思いとともに外へ出た彼は、まず朝方の寒さに少し震えてから、音の方へと歩いた。
激しく打ち鳴らされる金属音は、進めば進むほど大きくなって行く。並々ならぬ気配に男は少し眉をひそめながらも、しかし歩みを止めなかった。
その結果、角を曲がり終えた瞬間、彼は愕然とした表情で腰を抜かす事になる。
――そこには、頭陀袋をかぶって両手剣を振り回す大男、そしてそれと打ち合う赤髪の女騎士の姿があったからだ。
「な、ぁっ!?」
「くっ! そこの! 衛兵を呼んできてくれないか! 私だけでは抑えきれない!」
がくがくと何も考えずに何度も頷いたパン職人の男は、転びそうになりながらも、わき目も振らずに走り出した。目指すは衛兵の詰め所である。
そんな彼を尻目に、頭陀袋をかぶった大男――アランと、赤髪の女騎士カーラは、軽くうなずき合うと、わざと大きく音を立てるようにして剣を打ち合わせ続けた。
衛兵隊が来たのは、それから十二分ほどした頃で、打ち合う二人の周りには野次馬が大勢集まっていた。