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おしまいの地でまた会おう  作者: 秋月
第一章 救われぬ道を行く男
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第四話 血は流れ、影は差す

「デーモンッ!?」


 カーラが驚愕の声を上げると同時に、アランが地面を思い切りよく踏み切って駆け出した。


 異形の爪はシスターを切り裂かんと振り下ろされようとしていたが、その柔肌を貫く一瞬の隙間に、彼は自らの左腕を戸惑う事無くねじ込んだ。


 真っ当な生物にはありえない、傷つける為に捩れて歪んだ爪がアランの腕へ突き立ち、その半ばまでをたやすく切り裂いた。魔なる存在、デーモンの持つ肉体は、その殆どが生物から逸脱した奇妙で禍々しい形をしている。そのデーモン――牙の悪魔(ファング・デーモン)も例外ではない。


 全身から小さな突起を生やしたその悪魔に、目が存在しない。その代わりとでも言うのか、顔全体を口が覆い、その口には隙間無くびっしりと生え揃った牙が生えている。


 顔いっぱいに広がったその大きな口を限界まで開ければ、人間の頭をすっぽりと包めるほどの大きさである事だろう。だが、その確証を得たものは居ない。何故なら、証言できる者の大半が頭を噛み砕かれているか、或いは親しき者の残酷な殺され方に心を病んでしまっているからだ。


 その頭の横には、とってつけたような不自然な形で牛に似た角があり、それは僅かな光を浴びて不気味なぬめりを帯びていた。


 爪がめり込んだ腕から来る激痛は、正に生命由来の危険信号そのものだ。流れ出て行く血を感じながら、しかしアランはそれを無視して、今にも彼の手を噛み千切らんと、その大きな口を開いた牙の悪魔を見据えた。


 意識が遠くなるような激痛を、アランはどこか遠くに感じながら、右手を渾身の力で握り締め、そのまま悪魔の側頭部へと拳を振りかぶった。剣はカーラに預けたままで、手元には無かったが、徒手空拳で悪魔が殺せない訳でもない以上、彼には関係なかった。


 剛力を以ってして振りぬかれた拳のあまりの勢いに、悪魔の牙が何本かへし折れて飛んだ。強い力で弾かれた首を強引に元の方向へと戻した悪魔に待っていたのは、更なる拳である。


 ぶんと振り切られた固い拳が再び悪魔の側頭部を強かに打ちつける。たまらず二歩、三歩とたたらを踏んだ牙の悪魔に、休むまもなくアランは次の打撃を叩き込む。蹴りだ。

 

 牙の悪魔は下位悪魔(レッサーデーモン)に分類される。ゆえに、物理攻撃を無効化、あるいは軽減するような力は持っていない。一般人には脅威足りえても、彼にとって殴り殺せるだけの存在であったのだ。


 完全とは言えずとも、確かな形での一撃が入る。さすがの悪魔も衝撃に耐えかねて更に三歩、四歩と下がる。自然、彼の左腕を深々と切り裂いていた爪も外れる。


 その瞬間、横合いから見事な一閃が飛び、悪魔の首を刎ね飛ばした。


 カーラだ。片手剣をぐっと握り締めて、荒く息を吐いている。あまりにも突然な悪魔の出現に驚いていた彼女だが、剣の腕は明らかにアランよりも上だ。まさか、騎士を志す彼女が戦いを、ましてやか弱き者の守護を忘れてずっと呆けているはずも無い。


 あまりの刃の速さに、デーモンの体は自分の首が刎ね飛ばされたことを知らないかのように一瞬蠢いたが、すぐに倒れた。


「――ッ! アラン、大事無いか!?」


 彼女はシスターの安否も気になったようだったが、まずは明確に血を流しているアランの方が心配であったらしく、すぐさま駆け寄った。アランはそれに応えず、背後にかばう形になったシスターの方を見る。


 ――裂傷、打撲痕、無し。流血も確認できない。顔は青ざめているが、恐怖や驚きによるものだろう。


 アランは場違いにも、よかった、と思った。少なくとも、怪我は無い。なら、病毒の類が入り込む様な事も無いだろう。無事と言ってよかった。


「あ、ああ……っ! 血、血がっ」


 彼はシスターがアランの傷を見て慌てているのを尻目に、何食わぬ顔で立ち上がると、そこでようやく自分の腕の状態を確認した。


 酷い裂傷だ。腕の半ばまでを殆ど切り裂かれ、筋肉の筋らしきものが見えている。遅れてやってきた痛みに、アランはやっと自分が怪我を負ったのだと再認識した。


 残った片手で傷を抑えようにも、血は凄まじい勢いで流れ出ている。ぽたぽたと滴り落ちた血が、彼の足元に小さく血溜りを作っていた。


「『神聖なる我らが神よ、この非力な子羊の手に、どうか僅かな癒しの奇跡を』!」


 震える声で叫ばれたそれは、シスターによる祝詞(のりと)。『小回復(ヒール)』の嘆願を、彼女を見守る神は聞き届けたらしく、その白い手に癒しの光が宿る。


 カーラはカーラで、自分の服の端を迷い無く引き裂くと、アランの左腕、裂傷部分に当ててぐるりとまき、外れないようきつく絞めた。彼女とて教会に仕える者。奇跡の嘆願を行えなくとも、簡単な治療程度は行えるよう教えられていた。


 そうして縛られた彼の手に、シスターの手が当てられる。迷い無き祈りによってもたらされた癒しの奇跡によって、傷はぼんやりとした温かさに包まれ、ゆっくりと癒えて行く。


 久々の経験だった。人に治療されるのは。ましてや、神の奇跡を身に受けるのは。


 アランは、自分にはもったいないと少しばかり思ったが、甘んじて受けた。与えられるのは遥か天上よりもたらされる癒しの力とはいえ、人の厚意だ。受け取らないような傲慢さは持っていなかった。


「……ああ。すまんな」


 それでも、日に何度かしか使えない神への嘆願を、自分へと使わせた事に対して、アランは謝罪した。そんな彼に、シスターは苦虫を噛み潰したような顔のまま、与えられた奇跡が続く限り手を当て続けた。


 しばらくして奇跡が終わり、シスターの手に宿っていた癒しの光は消え失せ、辺りには妙な静寂が漂った。


 不意にアランは、まだ痛む左腕を軽く押さえながらカーラへと向き直った。驚いたのか、彼女は一瞬びくりと震えた。その様子を見ながらも、務めて気にしないように、彼は口を開いた


「今のような悪魔の襲撃は、よくあるのか」


 その声色には、感情が抜け落ちている。


 やらなければ、と言った責任感、義務感ではない。かといって、何とかなる、という気楽さも無かった。殺意の類も存在しない。


 そのたった一言で、カーラはアランの中に、底の見えない暗い影を感じ取った。


 そのおぞましさの正体は分からなかったが、ともかく良いものではない事は確かだ。カーラは軽く天を仰ぎながら、彼に向かって言った。


「飯でも食いながら話そう」


 本来であれば、食事をしながら話すような明るい話題ではない。ないが、少なくともこの場で、早急に話すよりはマシだとカーラは考えた。


 それに、どこか取り返しの付かない事になる気がして、それが怖かったのもあった。


「まずは、それからだ」


 有無を言わせないカーラの言い方に、アランは瞑目した。


 ややあって、そのカラカラに乾いた唇から、分かったという声が漏れた。

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